一章 ゾンビだらけの秋葉原と幼女 1
自警団に後処理を任せると、おれと竹さんは出勤した。
遅刻の挨拶を済ませると、既に現場で働いていた同僚たちに混じって動き出す。
晴天の下の秋葉原で、コンクリートの塊を運ぶ。決まった場所までネコ車を押し、乗せたものを廃棄すると再び塊が捨てられているところに戻る。
おれも含めて二〇人が、町の中のガレキを撤去していた。
Zとの争いによって建物が破損するという事態は少なくない。そのうえ今では精度の高い整備を行える人材が少なくなっているので、崩落そのものが以前よりも増えていた。
ここもかつては同人グッズを扱っていたショップだったが、商品は全てかつて壁や天井だったものに潰されてペシャンコになっていた。
もったいなさを感じつつも、拾う素振りなんて見せることなく仕事に徹しようとする。
「えっ……うわぁあああ」
持っていたガレキを落としてしまった
拾おうとすると、
「おい新入り。なにやってんだ!」
後ろにいた副班長が怒鳴ってきた。
「すみません」
「はあ。これだから最近の若いのは」
説教を受けながら、ぺこぺこ頭を下げる。
だが実際のところ、おれの失態は目の前のこいつが原因だった。副班長の肘がおれの背中に当たって、バランスを崩したのだ。しかも、この男はわざとやった。どうやらおれが気に入らないらしく、就職した当初からずっと嫌がらせをしてきた。
相手から分からないように見上げると、メッシュ越しに目がニタニタと嘲笑していて、明らかに仕事のためにしているというわけではなく、憂さばらしが目的だった。
「というわけだ。分かったな」
「はい」
今までと変わらない内容の話をして満足した副班長。
うんざりしつつも、素直に感銘を受けたフリをして自分の仕事を再開することにした。
細かくされたコンクリートの塊を乗せていく。本などは読めなくなっても火種として使えたりするのでポリエチレンの袋に取り分ける。
動作の最中に、ある魔法少女原作の同人誌が目についた。
拾った場所のさらに奥へ手をつっこむ。残骸が邪魔なので、どかしながら深くまで見えるようにした。
「葬逆さんどした?」
「いや。これ」
竹さんが訊いてきたので、おれは掘っていた場所を指さす。
「うわ……仏様か」
おそらくマスクの下で顔を引きつらせている竹さん。
店員らしき人物がガレキに埋まっていた。同人誌には、べったりと彼女の血がついていた。
報告すると、簡単な生死の確認のあとにインスタントの遺体収容納袋に詰められた。
身元不明の死体は、専用の施設で燃やされることになっている。原型を留めていたら死体でもZになる。だからそれが分からなかった感染当初では、遺体をそのまま墓の下に眠らせていた土葬文化の場所は大変なことになった。
運ぶ人間を決めると、現場に残った連中はすぐに仕事に戻った。
死体なんてなかったように、全員、ガレキ撤去を行う。必死に汗を流す中で、声が聞こえた。
「ちっ。余計な手間とらせやがって」
誰の声かは分からない。しかし決してどの人物も、窘めようとはしなかった。
大半が、転がっていた死体に同情さえしていなかった。無感情、人によって敵視さえしていた。手を合わせるなどをして憐れみを覚えているものもいたが、それらは竹さん含めて少数派だった。
では周囲ではなく、おれ自身は――
ガレキ撤去は、夕方まで続いた。
ときおり近くにきたZを追っ払いながらの作業だった。今朝、家でおれを助けてくれたスプレーを撒くと、現れたZは回れ右をして消えていった。
夕日の下では、上着の下に着ているシャツが汗だくになっていた。
「葬逆くん。今日は楽しみにしているといいよ」
「えっ?」
行列に並んでいると、前にいる竹さんがそんなことを言ってきた。たしかに今日は月に一度の給料日だが、それにしても初めて聞く言い回しだった。
順番が回ってくると、おれは羊マスクの班長の前に立った。
「葬逆くん。きみが私たちといるようになって半年だ」
「はい」
「だいぶ馴染んできた頃だと思う。失敗がまだ目立つが、とてもがんばっている」
いやそれについては……と弁明が喉まで出かかるが、副班長というやつの立場を考えるとここでなにを言っても無駄なため沈黙することにした。
というか班長はなにがしたいのだろう?
今日はこの後に町総出のイベントがあるらしいのだが、それに関係するのだろうか。おれが尋ねる前に、封筒が渡された。
「おめでとう。ボーナスだ。最初の一回は、半年の勤務でもらえるようになっているんだ」
開くと、諭吉がいる一万円札が入っていた。
嘘だろ。
普段の給料なんてせいぜい三千円程度なのに、こんなにもらえるなんて。
自然に顔がほころんでしまう。竹さんも一緒になって喜んでくれた。
「それじゃおつかれさま」
班長は、報告のために現場から去った。
見送ったあと、おれはプレゼントをもらった子供のように内心ではしゃいだ。今までは給料の大半を貯金していて少ない生活費で過ごしていたが、これでかなりゆとりが出る。さらには少しくらい遊びに使ってもよかった。
手袋の下で傷だらけになっている手が、少しだけ報われたような気分だった。
予想していなかった幸運にときめきを感じていると、
「よお新入り。ボーナスおめでとう」
残っていた副班長が声をかけてきた。
水をかけられたように冷めた。
おれはわずかな警戒心とともに、言葉を返す。
「はい」
「よかったな。一万か? なにに使うんだ? 女か? 賭博か?」
「いえ。ほとんどは貯金しようかと」
「はあ? 本当かよ。実際はなにか少しくらいは使う予定あるんじゃないか?」
否定するが、しつこく質問してくる副班長。
嫌気がさしたおれは、少しだけ本音を明かした。
「今日くらいはご馳走を食べようかと。久しぶりにマグロが食べたいなって」
「ほんとつまんないやつだなおまえ」
見下されてイラッときたが、おれは作り笑いで応じる。おれには、こんなゴミ屑同然のやつに構っている暇なんてないんだ。
そう思っていたら、腹に膝蹴りがめりこんだ。
「かはっ」
我慢できずに倒れると、上から副班長がいつものように嬉々として言ってきた。
「まあいいよ。おれにも食わせてくれよマグロのディナー」
「金をよこせってことですか?」
「おいおいひどい言い方だな。違うよ。おれは少しばかり分けてほしいだけなんだ」
「……」
竹さんは黙って見ているだけだった。
「ここだと、みんなやっていることだ。なに普段の生きていくギリギリの薄給から奪おうってわけじゃない。余裕ができたときに、少しばかり幸せを共存させてもらおうってことさ」
「……いやだ」
「そうかよ。じゃあ、おまえたちもやるんだ」
一緒に普段働いている同僚たちが集まってきた。彼らは副班長の命令に従って、跪いているおれを蹴りつけはじめた。
痛い。
ガレキ撤去やZのほうが、よっぽど危険度が高いはずなのだが、傷つけようという意思がこめられた攻撃というのは体力だけじゃなく精神的にも削られる。
それでも金は離さなかった。
「ふざけるな」
これだけは渡すものか。なにがあっても、おれの懐に納めさせてもらう。
おれは亀になって耐える。
足のほとんどが筋肉量の多い背中に当たって、衝撃を分散してくれた。
仕事終わりで疲れているのか、だんだん踏まれる回数が減ってきた。
いける。
おれは金が守れると確信した。
「………………えっ?」
頭が踏まれたら、一瞬、視界が黒い幕に包まれた。
オレンジに染まっているアスファルトが再び目に入ったときは、おれの手から封筒が抜かれていた。
少し遠くから、副班長のゲラゲラとしてた汚らしい笑い声が耳に入ってきた。
「いやー。一枚しかないから丸ごともらっちゃったよどうしよう」
「いいんじゃないっすかそのままで」
「うーん。それだと罪悪感が魚の小骨みたいに引っかかってしまってな……おい竹。おまえの金をくれてやれ」
「分かりました」
了承する竹さんを尻目に、副班長たちはどこかへ行こうとした。
おれは鉛のように重くなっている体を起こすと言った。
「待てよ」