第八話 微睡みの中で
「――ナターシャ! ねえ、ナターシャ!」
声が聞こえる。年下の主が不安そうに自分を呼んでいる。
――アーシェ様。私は、ここにいます。
そう伝えたいのに、身体は泥のように重く、上手く声が出ない。
そのうち扉が閉まって、主は出ていく。内心の不安を必死で押し隠しながら。
アーシェ様。
夢うつつに、もう一度その名を呼んだ時だった。
ぎい、と扉の開く音がした。
「……ニーナ。勝手なことをしたら駄目だろう」
主の声ではない。艶のある女の、窘めるような声音。
気のせいか微かに空気が震えて、見えない誰かがむくれた様子で口ごたえする。
「どうしてじゃないよ」
傍目からすれば、独り言のように女が言って、ナターシャの側にやってくる。
視界に飛び込んだのは、純白の髪と黄金の瞳。
「安心おし。お前の主はすぐに戻ってくるよ」
その言葉を最後に、ナターシャの意識は再び遠のいていった。
*
夢を見た。酷く遠い、懐かしい夢を。
「ナターシャ、と申します。本日より姫様の側仕えをさせて頂きます。……よろしくお願いします」
多分自分は十一かそこらで、流行り病で母を亡くしたばかりだった。頼る当てもろくになく途方に暮れていた自分に降って湧いたのが、幼い第一王女の侍女となることだった。
「ナターシャ。お前はあの方をどう思った?」
ぎこちないながらも何とか謁見を済ませたナターシャに、恩人は言った。
ナターシャは、慎重に問い返した。
「どう、とは?」
「お前が思う通りのことを答えてくれれば良い」
当時から既に高齢だったその人は、しわの多い顔に真摯な表情を浮かべていた。
ナターシャはちょっと思案した。
「理想のお姫様ですね」
「そう思うか?」
「……違うのですか?」
――『これからお願いしますね、ナターシャ』
優しげに微笑んだ姫君の姿を思い出す。自分よりも年下のはずなのに、その立ち居振る舞いは嫌になるほど洗練されていた。容姿も相まってそれこそ御伽噺に出てくるお姫様のようで、何だか少し――
「――ナターシャ」
「……はい?」
恩人が、気付けば立ち止まっていた。王宮の長い廊下が急に視界に入って来て、ナターシャは、こんな場所にいる自分を、ふと不思議に思う。
「ナターシャ。お前は、どんな時でも必ず殿下の側にいなさい」
「……レスター卿?」
意外なほど真剣な声に、思わず恩人の名を呼んだ時だった。
「ナターシャ!!」