第二話 森の中
「――女王陛下」
王都城内にある、私室にて。謁見を申し出た騎士に、女王は短く問うた。
「王女は」
彼女の背後に広がる窓の外は、既に白々と明るくなっていた。しかし、夜明けにはまだ早く、未だ濃い藍色がくっきりと残っている。
主君の問いかけに、腹心の臣下は顔を曇らせた。
「……それが」
*
木々の揺れる音で目を覚ました。
見覚えのない天井。嗅いだことのない、不思議な匂い。
半覚醒のままふわふわと視線を彷徨わせ、不意に『その時』の光景を思い出す。
「――ナターシャ!」
飛び起きた。すぐさま辺りを見回そうとして、ほんの隣に彼女の姿を見つける。
ベッドに横たえられたナターシャは、静かな寝息を立てていた。穏やかなその表情に、屋敷で受けた傷の気配はない。
アーシェは安堵の息を洩らした。そうしてようやく思い至る。
(……ここは、どこ?)
ベッドの側に、古びた鎧戸があった。意を決してゆっくりと開け放つ。
言葉を失った。
青々とした森が、視界の向こうまで広がっていた。
一面を幾本もの木々が覆い、すぐ目の前を鳥や虫たちが通り過ぎる。入り込んだ涼風がアーシェの髪をふわりと揺らし、冴えた朝の空気を部屋の中に運ぶ。
彼女の住まう国――ラトランド王国は、元々森の多い土地柄だ。不要な伐採は固く禁じられており、王都近郊にすら、殆ど手つかずの森が数多く残っている。
とはいえ。
(覚えてない)
屋敷で襲われた後、自分たちがどうやってこんな場所にやって来たのか、全く思い出せなかった。
――いや。
(――銀色)
意識を手放す寸前、あの綺麗な銀髪を見た気がする。
アーシェは無意識に息を吐き出した。極力音を立てぬよう、そっと窓を閉め、気持ちを静める。
ナターシャが手当てされているということは、少なくとも悪い状況ではないはずだ。
アーシェは、もう一度部屋の中を見渡した。
狭い部屋だった。目ぼしい家具は二人分のベッドと小さな書き物机だけ。先程目にした景色と、時折足元から聞こえてくる微かな物音から察するに、どこかの民家の二階だろうか。
アーシェは侍女に目をやった。
今の状況が知りたいが、さりとて彼女を置いていく訳にはいかない。
「……ナターシャ」
ぽつりと呟いたその時だった。
ハッとして背後を振り返った。素早く視線を走らせ、周囲を確認する。
誰もいない。
いや。
アーシェはもう一度ゆっくりと深呼吸した。宝石のような蒼い瞳を閉じ、再度目を開ける。
何もない場所が、蜃気楼のようにゆらりと揺らいだ。逸る呼吸を意識して落ち着かせると、ぼんやりとした影が次第に形を成していく。
やがて現れた存在に、アーシェは息を呑んだ。