彼女以外は、どうでもいい【すげどう杯企画】
僕にとっては特別で、みんなにとってはどうでもいい。
こんな惚気話、好んで聞く奴はいない。
作者はトキタケイです。
忘れていました。
「四国旅行へ行きたいわ」
食後のコーヒーを飲み、そろそろ会社へ向かおうかと思っていた頃だ。
彼女がそう言った。
「え、どうして四国? この前は北海道へ行きたいって言ってたのに。それに今は車を買ったばかりでお金もないし……」
「その車で行けば良いじゃない」
「行けないことはないけど。でも、半日以上は掛かると思うよ」
彼女は僕を見つめたまま何も言わなくなってしまった。
四国旅行へ行きたい。
それがどうしてなのか、僕には分かっている。
理由なんてない。
今までだってそうだったから。
とにかく四国へ行きたいと、彼女はそう思ったのだ。
「じゃあ、今度の連休なんてどうかな」
「今行きたいの」
「今?」
「そう」
冗談だろ、なんて聞くだけ無駄だ。
僕には彼女の言っていることが、冗談かそうでないかの区別をつけることくらいできる。
そして『そうでない』場合、僕は全力で彼女に応えてきた。
「分かった」
彼女に告げ、会社へ欠勤の旨を伝えるために電話を掛ける。
理由を聞いた上司は何やら怒っているみたいだったが、僕は電話を切り、急いで出発の準備に取り掛かった。
「ちょっと待ってて、すぐに済ませるから」
彼女は既にリビングまでトランクケースを運び終えて、テレビを見ていた。
昨日のうちから準備をしていたのかもしれない。
「大丈夫、天気予報でも見ながら待っているわ」
彼女が微笑んだ。
車に荷物を積み、忘れ物がないか確かめてから、僕は運転席へ乗り込んだ。
「薬は持った?」
「ええ」
彼女はシートベルトを締めながら答えた。
「ごめんね」
そして急に謝るのだった。
「……何が?」
「会社の人に怒られたでしょ」
「別に良いよ。普段から怒られてるんだから」
僕は言って、車を走らせた。
四国まではひたすら高速道路を進むだけだ。
変わり映えのない道が続き、防音壁が景色を遮っている。
途中、サービスエリアに寄ってお昼に食べるためのサンドイッチを買った。
「今日はどこで休もうか」
僕は昼食と一緒に買った缶コーヒーを開け、彼女に尋ねた。
「ここから走り続ければ、夜には着くみたいよ」
スマホを眺める彼女は言う。
それなら夕食は向こうで食べられるように、少し飛ばすとしよう。
僕はコーヒーを一気に飲み干した。
いつしか日は傾き、窓からは橙色の光が差し込んでいる。
僕は時折目を細め、そして疲れから来る睡魔を吹き飛ばすように深呼吸をした。
助手席では、彼女が小さく息をして眠っている。
夕日を受けるその綺麗な寝顔をもっと見ていたいけど、そうもいかない。
僕は遠くの標識に目を凝らした。
『徳島』
彼女の願いが叶うまで、もうすぐだ。
ハンドルを強く握りなおす。
「着いたよ」
彼女が驚かないように、そっと起こす。
辺りはすっかり暗くなって、空には少し欠けた月が浮かんでいる。
「ここは?」
目をこすり、髪を手で直しながら彼女が言った。
「徳島県だよ。『●●の里』っていう道の駅。取敢えずここでご飯にしようか」
僕はシートベルトを外し、ドアレバーに手を掛ける。
「待って」
その声に、僕は外に出るのをやめて、助手席の方へ視線を移した。
彼女はいつもの彼女に戻り、こちらをじっと見つめている。
「私ね、四国へ来たら鰹を食べようと決めていたの」
そう言った。
「そっか」
僕はスマホを取り出し、『四国 鰹 店』でネット検索を掛ける。
店はすぐに見つかった。
「こことかどうかな。藁を使って、目の前で鰹を焼いてくれるみたい」
「凄く美味しそう」
決まりだ。
シートベルトを締めなおし、僕は再びエンジンを掛けた。
ここからなら二時間ほどで到着する筈。
高知へ。
水田が広がるばかりの景色が、やがて小さな商店街へと移り、徐々に車通りも増えてきた。
遠くにビルも見える。高知市街へとやって来たのだ。
彼女は何も言わないが、窓の外を眺め、何か気になったものがあればそれを目で追っている。
「ここらで今日のホテルを探すのはどうかな」
「お店まではまだ距離があるんじゃない?」
「大丈夫、近くまで路面電車が走っているみたいだから」
「それなら、そうしましょう」
彼女の了承を得たところで、僕は車を走らせながらホテルを探した。
泊まれるならば、どんなホテルでも良い。
こういった時、彼女はあまり拘らないことを知っている。
適当なビジネスホテルを見つけた僕たちは、そこでチェックインを済ませ、必要な荷物だけを持ってまた出発した。
調べた通り、ホテルの前には線路が敷かれており、すぐ近くに駅もあった。
「あそこから乗ろうか」
「ええ」
僕と彼女は道路を横断し、その駅で電車を待った。
よし、店はまだやっている時間だ。
本場の鰹は、きっと彼女を満足させてくれるに違いない。
五分と待たずにやって来た路面電車へ、僕たちは乗り込む。
「200円もあればどこへでも行けるみたい」
「ごめんなさい、小銭を持っていないわ」
「良いよ。僕が払う」
200円くらいで謝る必要は無い。
これは君のための旅行なんだから。
目的地近くの駅で電車を降り、そこからはスマホのナビを頼りに目的の店を目指す。
「お店は●●●市場っていうところの中にあるみたい。市場って言うくらいだから、きっと新鮮な鰹が食べられるよ」
「そう」
あまり嬉しくなさそうに、彼女は答えた。
当然だ。
彼女はまだ鰹を食べていないのだから。
それ以前に店にさえ着いていない。
喜ぶ理由がないのだ。
「もうすぐ着くよ」
「ええ」
吐息のように、彼女は返した。
僕らはしばらく歩いて、アーケードに入る。
その入り口に、目的地である市場はあった。
市場と言っても、一つの建物に小さな居酒屋や総菜屋などが並んでいるフードコートのようであり、鰹の店もその中にあるようだ。
市場の中央にはテーブルが並んでいて、客たちは店で買って来た料理をそれぞれそこで食べている。
「私、ここで待ってるわ」
彼女が空いているテーブルに着き、そう言った。
「え、鰹を焼いているところを見なくて良いの?」
「ええ」
そうだった。
彼女は鰹が焼かれているところを見たいだなんて一言も言っていない。
「分かった。すぐ戻って来るよ」
僕の言葉に、彼女は微笑んでくれた。
目の前で焼かれる鰹を見ながら、僕は彼女が心配になった。
なにか新しい思い付きで、どこかへ行ってしまったりしてないだろうか。
知らない土地は危険がいっぱいだ。
純粋な彼女だから、きっと悪い人間にはすぐ騙されてしまうだろう。
不安だ。
すぐに戻って、彼女がちゃんと椅子に座って待っているか確かめたい。
のんびりと炙られる鰹が腹立たしい。
余計な心配だったようで、彼女はテーブルにいた。
それも二人分のビールを用意して待っていてくれたのだ。
「ありがとう、ビールまで買ってきてくれたんだ」
僕はそう言って鰹のたたきと別の店から買った鶏のから揚げを置いた。
「食べましょうか」
「そうだね」
二人で乾杯をして、手を合わせた。
「私、塩たたきって初めて」
知ってる。
だからきっと喜ぶと思って、タレではなく塩にしたのだ。
彼女はたたきにニンニクや生姜、ネギなどの薬味をたくさん乗せ、それを一気に頬張った。
「美味しい?」
「ええ。とても」
そう言った彼女を眺めてから、僕も塩たたきを食べた。
ホテルに戻ったのは11時頃だったが、彼女は長旅で疲れていて、僕も少し疲れていたから、二人ともシャワーを浴びたらすぐにベッドへ入った。
「消すよ」
「……」
既に眠ってしまっていた彼女を起こさないように灯りを消し、僕も眠った。
「起きて」
彼女の声で目が覚めた。
もう朝か。
昨日はすぐに寝たのに、なんだかあまりすっきりとしない。
僕は時間を確かめるために、枕元のスマホを手に取った。
『AM1:15』
道理で暗いわけだ。
「どうしたの?」
彼女に尋ねる。
「あのね、今日は流星が見られるらしいの。星がきれいな所へ行きたいわ」
よく見たら彼女は着替えを済ませていて、出る準備も出来ていた。
僕は急いでベッドから降りて、支度を始める。
「すぐ済ませるから」
ルームウェアを脱ぎ、洗面所へ向かう。
水で適当に寝癖を直し、口をゆすいだ。
部屋を出ると、彼女がドアの前で待っていたから、僕はさらに急いで着替えを始めた。
「もう一枚羽織ったほうが良いよ。外は寒いだろうから」
彼女はそうねと言って部屋に戻り上着を着て、ちょうど着替えを終えた僕と一緒に外へ出た。
「駅へ行って、タクシーに乗ろう」
彼女は何も言わなかったので、僕たちは駅へ向かった。
「あの、星が良く見える場所までお願いしたいんですけど」
彼女と僕はタクシーに乗り込み、運転手にそう頼んだ。
運転手はゆっくりと振り返り、僕たちの顔を順番に眺める。
「……星ですか」
「ええそうよ」
彼女の発言で理解してくれたようで、運転手はンーと唸りながら考え込んだ。
「ここらでは五台山が有名ですが、私は三宝山なんかもいいと思いますよ。人もいませんし」
「そこでお願い」
そうして僕たちは三宝山へ行くことになった。
物分かりの良い運転手で助かる。
タクシーは市街地を抜け、来た時と同じように水田しかない市道へと入った。
窓から空を眺めると、もうすでに星空が美しい。
やがて道は狭くなっていき、辺りは木々に囲まれた。
傾斜のある曲がりくねった道になると、僕たちが山を登っているという事が分かった。
そうしてしばらく進んでいると、
「停めて」
彼女が言った。
「どうしました?」
運転手は少し戸惑いながらも、スピードを緩めることなく答えた。
「停めて。ここで降りるわ」
「すみません、停めて下さい」
僕も一緒にお願いすると、タクシーは徐々に減速し、そして止まった。
運転手が振り返る。
「良いんですか?」
「ええ。でもさっきのところまで少し戻って」
「お願いします」
運転手はタクシーをバックさせ、彼女が言ったところまで戻ってくれた。
「で、どうするんです?」
「星を見るって言ったじゃない」
ドアが開き、僕たちは運転手にお金を払ってからタクシーを降りた。
風が強く、冷たい。
「どのくらい星を見てるんですか?」
タクシーの窓を開け、運転手が聞く。
「待っていなくても大丈夫よ。もう行っていいわ」
彼女はそう言ってタクシーを帰らせた。
それが山を下って行き、見えなくなったところで彼女は僕の方を振り返った。
「そこの草むらに座りましょう」
僕は言われるがまま、彼女のあとに付いて行き、そして草の上に座った。
同じく彼女も僕の隣に座り、お互いに体をくっつける。
「寒いわ」
彼女が言った。
「どうしてここで降りたの?」
僕はもう少し彼女に体を寄せながらそう尋ねた。
「ここが一番よく見えると思ったの」
「本当だ。綺麗だね」
僕らの頭上では、星たちが競い合うように輝いていた。
でも、どれ一つとして同じではなく、それぞれが、それぞれに美しく煌めいている。
「ええ、綺麗ね」
彼女の夢が、また一つ叶った。
あとは流星がやって来るのを待つだけだ。
僕は必死に祈った。
流星よ、どうか彼女のために降ってくれ。
ふと、
「ありがとう」
それは聞き間違いではなく、彼女が言った。
どうしたのだろう。
僕は彼女を見る。
「あなたと来たかったの。四国に」
「そうなんだ」
彼女も僕を見ていた。
雲一つない夜空から眩い月が照らし、その光を受けた彼女は何よりも美しかった。
僕はたぶん、彼女以上に彼女とこの場所へ来たかったのだと思う。
彼女の望みを叶えることが、僕の望み。
それほど僕は彼女を……。
「ねえ、僕たちこの先も仲良くやっていけるかな」
「この先?」
彼女はそう言って、深く考え込んでしまった。
僕の気持ちは、もしかして空回りしているのだろうか。
そうだとしても構わない。
今こうして彼女は考え、そしてありのままを僕に打ち明けてくれるなら。
「あのね」
彼女が僕をじっと見つめた。
「それって、凄くどうでもいいことだと思うわ」
「どうでもいい?」
「ええ。だって私達、今が最高に幸せなんだもの。これ以上のことって、想像できないわ。だから考えるだけ無駄よ。あなたもそう思わない?」
「……うん、思うよ。もちろん」
僕が答えると、彼女は今までで一番魅力的に笑った。僕はまるで初めて彼女と会ったように、もう一度恋に落ちる。
ああ、そうだ。
この先のことも、会社も車も徳島もホテルも200円も鰹もこの星だって、僕にとっては全部どうでもいい。
目の前に彼女がいる。
それ以外は、何もかもがどうだっていいことだ。
「次はどこへ行きたい?」
「そうね、あの星へ行ってみたいわ。あなたと」
彼女はそう言って、どれか分からないがたくさんの星の一つを指さした。
「宇宙か……」
「車では無理ね」
そうやって、また笑った。
お時間、無駄にして頂けましたか?
現在、「こういうの」とは違った新作を書いています。
いつになるか分かりませんが、出来ましたらぜひ読みに来てください。
『本作は「すげどう杯企画」参加作品です。
企画の概要については下記URLにて記載。
(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1299352/blogkey/2255003/(あっちいけ氏活動報告))』