Episode7 パロットシンドローム
首と足を鎖で繋がれた少女は、俺を見上げて微笑んでおり、感情のない人形に思えなかった。
「作り笑顔や話し方は、シオンから学んだらしい」
「イブキ様、それは違います」
「では、なぜシオンの真似をしている。お前は玩鞄のローカルAIの覗き見して、俺への対応をカスタマイズしているだけだ」
敵として出会った少女の態度には、油断できない緊張感があったが、こうして微笑を浮かべる彼女には親しみさえを感じる。
同じような背丈も影響して、まるで玩鞄のシオンが人間に生まれ変わったと錯覚しそうだ。彼女は戦場で戦ったとき、カタコトで話しかけてきたものの、兵舎での接触では、既に流暢な話し方に変わっていた。玩鞄をハッキングして仕草や言語を学習したことは明らかで、ここ数時間で更に学習が進んで、より人間味が増したと思う。
「私の名前はシオン、イブキ様に付けてもらった個体識別名です」
「お前は、シオンと同体だと言いたいのか」
「質問の意味がわかりません」
シオンの真似をしている少女は、あくまで自分をシオンだと言い張るつもりだ。先ほどまでは、クモと一心同体だと主張していたのに、いったいどうなっている。
「ちょっと待て……宿主を失ったお前は、シオンをハッキングして新しい宿主に乗り換えた?」
「質問の意味がわかりません」
眉根を寄せた少女は、困った顔で同じ台詞を繰り返した。
ウイリアムは銃口を下げると、俺の横に立って首を捻っている。シオンを名乗った少女には、人間を襲う様子がない。まるで兵隊に忠実な玩鞄のように、こちらを見ながら無言で待機していた。
「イブキ、この娘は何を言っているんだ」
「俺に聞かれてもわかるかよ」
「だけどさ、この娘はイブキの玩鞄だと言っているんだぜ?」
「俺に『なぜ?』と問われても答えようがない」
目の前にいる少女の行動原理が玩鞄に準拠しているなら、人間を無差別に襲っていたのは、帯同していたドークの行動原理に準拠していたのか。理由はわからないが、俺がクモを倒したことで宿主が玩鞄に変わり、価値観が変質したのだろうか。
しかし、そうなると厄介だ。
行動原理を宿主に依存しているなら、俺と接触してきたのはドークの意思で、彼女には自らの行動を裏付けるものがなかったことになる。ここにいる少女は単なる器で、つまり俺は、せっかく人間に接触を試みていた本体を破壊してしまった。
「こいつは、もしかすると何者の張り巡らせたネットワークに影響される感受性パロット症候群じゃないか」
「感受性パロット症候群?」
「俺たちは普通、乳児期に両親や周囲の反響言語を経て自我を形成する。しかし感受性パロット症候群の人間は、何者が残した通信システムの影響で、ネットワークの精神波から言語や知識を得て自我を形成しているんだ」
ウイリアムは少女の腕を強く握りながら、感受性パロット症候群だと言った。腕を握られた彼女は、とくに嫌がる様子がない。そもそも彼女は、彼に腕を突然掴まれた意味を考えている様子もない。
「ネットワークのエコラリアで人語を喋っているが、その意味を理解しているとは言えない。オウムが人語を喋っても、その意味を理解していないと同じだ」
「なるほど、それでオウム返し症候群か」
少女は結局、クモの精神波に影響されて人間を襲っており、彼女に人間を襲う意味を聞いても理解しているとは言い難い。つまり今、空っぽの器を満たしているのはシオンのローカルAIということだ。
ウイリアムは首輪と足枷の鎖を解くと、まるで玩鞄に命令するように、室内を動き回らせて反応を試している。
「最後の命令だ。シオン、猫の真似をしてみろ」
「わかりました」
顔のところで拳を作った少女は『にゃん』と、首を傾げて鳴いた。ウイリアムの命令を甲斐甲斐しくこなした彼女は、俺の顔色を窺いながら『にゃん、にゃん』と鳴くので、もう結構だと待機を命じる。
「こいつは生身の玩鞄だな」
「どうなんだ?」
「俺は医者じゃないけど、詐病には見えないね」
顎に手を当てたウイリアムは、戦場で拾った少女を感受性パロット症候群だと断言した。
一連の行動が感受性パロット症候群の症状で、彼女が無害とわかれば営倉に閉じ込めておくのも心苦しい。俺とウイリアムは話し合いの末、スタンガン付きの首輪を残して拘束衣のベルトを解いた。
「イブキ先輩、シオンに変な命令をしましたよね?」
「え?」
「部屋の中をウロウロしたと思ったら、急に猫の鳴き真似をしたんですよ」
「ああ……こっちのシオンの命令が、そっちのシオンにもネットワークを経由して通じたのか」
俺たちが部屋に戻ると、アダチが駆け寄ってきた。
ウイリアムが営倉で少女に命令した行動は、部屋に残っていたシオンも同様に実行していたらしい。試しに椅子を引いて、シオンに座るように命令すると、一つの椅子に玩鞄と少女が同時に座ろうとした。
「こっちのシオンは立っていろ」
俺が手前にいる少女に命令すると、彼女は玩鞄に椅子を譲ったのだから、それぞれは別個体のシオンだと認識があるようだ。
いつまでも、こっちそっちのシオンでは都合が悪い。
「個体識別は出来ているのか。では、こっちのシオンは今から『カノン』だ」
「私の個体識別名は、カノンですね。了解しました」
少女には、シオンと別の名前を付けた。
カノンとは複数の独立した声部からなるポリフォニーの一つで、同じ主題の旋律を持つ輪唱という演奏のことだ。玩鞄を真似た少女には個体識別の認識があったので、別の個体識別名を付ければ指揮系統の混乱は防げる。
「イブキ、犬でも猫でも名前を付ければ情が移る。まして、この娘は戦場で拾った孤児なんだぜ」
「大袈裟なこと言うな」
「いやいや。人間は名前を付けた玩鞄にだって愛情が湧くし、子供に懐かれたら面倒だと思うね」
ウイリアムは俺の肩に手を置くと、親でもない子供の名付け親になった責任を語り始めたが、このときは深く考えてなかった。
俺がアダチとデビッドに事情を説明すると、襲われかけたアダチは拘束を解いたことに不服を申し立てたものの、先輩の敬称も呼び慣れたようなので、そこは先輩風を吹かせてもらった。
「じゃあイブキ先輩は、この子が……カノンが感受性パロット症候群の人間だと言うんですか」
「それは、前線基地の医療機関で検査すれば良い。どうせゲートまで移送するんだから、自分で歩いてもらった方が楽だろう」
「それは、そうかもしれませんが」
「犬じゃないんだ。カノンの首輪に、いちいちリードを繋ぐ必要はない」
「カノンが逃げ出したら、どう責任を取るつもりなんですか!」
「落ち着けよ」
俺とアダチのやり取りを見ていたカノンは『アダチ様、感情的にならないでください』と、自分の立場もわきまえず仲裁に入る。これにはウイリアムとデビッドも、笑いをこらえきれなかった。
※ ※ ※
俺たちは、二組の交代要員の到着を待ってから掩体壕を後にした。交代に現れた哨戒兵も、白い拘束衣を着たカノンが玩鞄のように振舞うのを興味津々に見ていた。
キルビスの左眼を抉ったカノンは、ハッサンを喰らったクモと同調していたと思えば、拘束を解いて戦場を帰還する不安は拭えない。しかし13番ゲートまでの帰路は、ドークとの会敵もなく滞りなかった。
ウイリアムとデビッドとはリフトデッキで別れて、俺とアダチはカノンを連れて前線基地の医療施設に向かった。医療施設には、予めアップルを介してカノンのCT画像や血液検索の結果を送信してあり、憲兵隊に身柄を引渡せば任務終了のはずだった。
「遺伝子解析すれば、血縁者のトレーサビリティが出来るだろう?」
「それが彼女の血縁なんですが、遺伝子バンクの登録に該当者がいないんですよね。彼女は生粋の地球人か、反体制派のナチュラリストか」
医療施設では、軍医のヨハンが遺伝子解析の結果を見ながら難しい顔をしている。
病室には呼び出された憲兵もいたのだが、戦場で保護されたカノンの扱いについて憲兵隊本部に問い合わせている。立入禁止区域の戦場で発見されたものの、連行するにも罪状が不明であり、現場の判断で身柄を保護して良いのか悩ましいのだろう。
俺の玩鞄への不法なハッキング行為、キルビスやエーシャたちへの攻撃、アダチに対する準戦闘行為、カノンがドークと同調して戦場で人間と戦っていたことは明らかだ。
問題は、ハッキング行為や戦場での会話などの証拠がなく、戦場での戦闘も本人の意思だと証明できない。ハッキングや戦場での会話は、時間消失によりセンターAIに記録されていなければ、証人である俺とアダチの証言を裏付けるものがない。
「カノンさんが、感受性パロット症候群という現場の判断は間違っていないと思う」
「思うとは? お前は、医者なんだろう」
「症候群とは、症状の総称で病名や治療が確立された病気ではないんだ。とくにパロットシンドロームは、何者の精神波動ネットワークに起因した症状で、超自然の分野に類するものなんだよ」
つまりヨハンは、ドークの衝動に呼応したカノンの症状を診察が出来ないと匙を投げている。そして軍医の所見が曖昧だから、憲兵も彼女の処遇を上に支持を乞うしかなかった。
カノンが感受性パロット症候群ならば、自らの意思で兵隊を襲ったのではなく、ただ近くにいたドークの敵意に呼応しただけとなる。彼女自身に何かしらがなければ、ドークに操られていた単なる患者で、憲兵隊がしゃしゃり出る領分ではないからだ。
それでもネットワークがないとされるドークの意思に呼応した事実、兵隊ではないカノンが戦場にいた事実があれば、軍医も憲兵隊も何もせず傍観が出来ないだろう。
「俺たちの仕事は、ここまでだな」
「イブキくん、ここは託児所じゃないんだよ。それに僕は、小児科も精神科も門外漢でね……パロットシンドロームに詳しい友人がいるので、推薦状を書くから下の専門医療機関で何とかしてもらえないかな?」
「カノンを町医者に診せるにしても、移送は憲兵に頼むんだな。俺たちの勤務時間は、とっくに過ぎている」
俺は『戻るぞ』と、アダチとシオンに声をかけて席を立つ。
部屋を出ようとドアを開けると、カノンも一緒についてこようとした。彼女の行動原理がシオンをトレースしているなら、所有者である俺から離れない。司令部との連絡、戦場での荷物運びが主業務の玩鞄は、所有者となった兵隊の命令を優先するようにプログラムされているからだ。
「カノン、憲兵の命令があるまで待機していろ」
「わかりました……いつまで?」
「命令があるまでだ」
下卑た笑いを浮かべた憲兵が『まるっきり玩鞄だな』と、持っていた量子崩壊銃の短いバラルでカノンの乳房を小突いた。
彼女の拘束衣を捲る憲兵には、意志薄弱の捕虜を辱めるような嫌悪感がある。このままにして帰れば、彼らに弄ばれるのは必至に思われた。
「ちょっと、今のはセクハラじゃないですか」
「はあ? 新兵のくせに、俺たち憲兵隊に生意気なこと言うな!」
「貴方たちには、階級章が目に入らないみたいね」
憲兵は憲兵隊本部からの通信を受けながら、アダチ准尉の襟章を凝視した。俺の指示に従っていた新兵が、自分より上級の士官だと気付いていなかったようだ。通信を終えた彼は彼女に軽口を叩いたことを詫びると、カノンを上からの指示で専門医療機関に移送すると言った。
「捕虜の身柄は、女の子に悪戯するような貴方に任せられません。カノンは、私とイブキ曹長で移送します。良いですよね?」
「ええ……ヨハン先生が、太鼓判を押してくれるなら構いません」
ヨハンは『僕の推薦状は、アダチ准尉に渡すよ』と、苦笑いで答えた。
アダチはリフトデッキに乗る前、カノンの移送を勝手に引き受けたと頭を下げる。ただ彼女が口を挟まなければ、俺は下衆な憲兵の顔を殴っていたところだ。それに名付け親のせいか、別れ際に『いつまで?』と聞かれて切なくもあった。親心がわいたのかもしれない。
「カノンには、まだ聞きたいことあった……そういうことだろう」
「何か言いました?」
「いいや、何でもないから気にするな」
兵舎に戻った俺は、兵装を脱いで私服に着替えてから、改めてアダチと待ち合わせて市街地にある診療所を訪ねた。
ヨハンが推薦状を書いた感受性パロット症候群の第一人者は、精神科の女医モニカだった。女医は軍医のヨハンから連絡を受けていたようで、俺たちが到着すると、両手を広げて歓迎してくれた。待ち人現る、そういった歓待ぶりである。
「彼女が例の患者さんね! いやあ、これはずいぶん可愛らしい巫女さんだわ」
手首で眼鏡のノッチを上げたモニカは、カノンを見るなり腰をかがめて顔を覗き込んだ。
女医が口にした『巫女』とは何のことだろうか。