Episode5 加速思考
人形は兵隊の躯を喰らうと、体内で消化して肉団子を作る。連中は人間を有機素体とする肉塊を使って、戦闘で欠損した生体部品を補修したり、新たなドークを作り出していると言われている。これは人間を捕食したドークが、反芻した肉団子を運ぶ姿や、欠損していた部位を修復したのを大勢の兵隊が目撃しており、俺たちの中では通説となっていた。
生きた人形であるドークを生きたまま回収するのが難しく、真実はわからないが、論理的に考えれば仮設が的を得ているのは明らかだ。
つまり人間を捕食したドークは、俺たちが生体補修部品を使うように、欠損した部位を修復出来る。そうだとすると、有機素体を利用して片腕を修復が出来ない人間もどきのマネキンは、より人間らしく進化したマネキンの上位互換だろうか。
俺に接触してきた少女は、ドークたちに作られた人造人間ということか。連中は何のために、そんなことをする必要がある。
頭が混乱してくる。
「お前は何者だ?」
「私に名前はないわ。イブキが、ドークと呼ぶ端末の一部です」
「お前自身も、ドークということか?」
「イブキは、手や脚を別個体と認識しませんよね」
少女が対戦車障害物の下にいるクモを見ると、あちらも俺と会話をしている少女を見上げている。クモは、人間の俺を視界に捉えているのに襲ってくる気配がなかった。
彼女は、下に待機している化物の一部ということか。クモが人間にしか見えない上位互換のマネキンを囮にして、俺たちを誘き寄せている。
いいや。
目の前の子供がクモの撒き餌ならば、こうしてマネキンから接触してくる意味がない。この状況に気取られている俺たちの間隙を突いて、攻撃してくるのが定石だろう。でなければ意味がない。
「あちらさんには以前、仲間を捕食されている。食人衝動のあるクモが本体なら、ああして餌を前にして大人しくするはずがない。本体は、お前と言うことだ」
「私もアレも、システムを構成する一部に過ぎません」
「お前たちは、何者かに操られていると言いたいのか?」
「四福音書に規定された私の行動は、第三者による制限はありません」
「心の在り処は、別にあると聞こえたぜ」
少女は困った顔で『シオンから得た情報では、言語化が出来ない』と、残っている手を顎に当てた。その表情は、自分の存在を説明するのに適当な言葉が見つからないといった様子だ。
それに彼女が口にした四福音書が何かを説明されても、今の俺に理解できるとも思えない。
「お前の行動原理を定義するものは、俺たちの知識や言語では言葉に出来ない……そういうことか?」
「神の御心により存在する私とアレの心は、信仰をもって神に帰依しています」
「いよいよもって胡散臭い話だ」
しかし交戦の意思が見られないドークは特異であり、現場の判断で処分しかねる状況だ。彼女がドークの一部だと言うのならば、昇降機の発見を困難にしている連中と意思疎通が出来るかもしれないからだ。
ドークと対話が可能ならば、無駄な血を流さずに済む。
「お前は、ハッキングしたシオンのローカルAIから知識や言語を学習しているのか」
「ええ。私を定義する言葉は、あの子のストレージに存在しない宗教的な概念なのです」
「その概念を俺たちが習得できれば、自分の正体をはっきり説明が出来るんだな」
「たぶん」
俺は『ついてこい』と、対戦車障害物から飛び降りた。
「イブキ先輩、その子は人間なんですか?」
アダチが俺に駆け寄ろうと立ち上がると、後について飛び降りた少女が、左腕を突き出して彼女との間合いを詰めた。失念していたわけではないが、こいつはバディの左眼を抉った敵に間違いない。
「待てッ!」
俺は横を抜き去る少女の左腕を掴んで組伏せて、ドークから一時的に身を守るための疑似電磁隔壁の結界を展開して閉じ込めた。円形に広がる疑似電磁隔壁は大量の電力を消費するが、戦場で電磁隔壁を突破出来ないドークから数分だけ身を守ることが出来る。量子崩壊銃の蓄電弾倉のバッテリーを使うため、緊急時のみ使用するのだが、このサークル内にドークを閉じ込めておけば安全だ。
「シオンッ、俺の位置を確認出来るなら予備の蓄電弾倉を持ってこい!」
「わかりました」
俺は物陰から飛び出してきたシオンを見て、背中から羽交い締めにしていた少女を解放すると、アダチを見ていた彼女が疑似電磁隔壁を這いずり出た。
「お、お前は電磁隔壁を通り抜けられるのか!?」
「あの人間は、バラバではありません」
「バラバとはいったい何だ!」
「恩赦を与えるべき罪人です」
「わけがわからん!」
疑似電磁隔壁が無効であれば、やはり彼女をドークと同一と考えるのに無理がある。
俺は『アダチッ、こいつを眠らせろ!』と、量子崩壊銃を対人用モードに変更して電極を撃つように命令した。ドークではないならば、テーザー銃のスタンガンで気絶するだろう。
「はい!」
アダチは量子崩壊銃のフォアエンドにあるダイヤルを回すと、迫ってくる少女の白い脚に電極を撃ち込んで転ばせた。刹那、遠距離対応型のスタンガンから流される電流で、うつ伏せに倒れた彼女の身体が跳ねた。
「先輩っ、ドラッヘン・ツェーネの隙間からクモが来ます!」
「アダチは、そいつが逃げないように捕縛しておけ」
「一人で大丈夫ですか!?」
「ああ。一対一なら勝機がある」
対戦車障害物の巨大ブロックを押し退けるように現れたクモは、俺との距離が狭めると、上半身を高く持ち上げて両手の銃口を向けた。
ドークはムカデのような六足で地面を滑るように近付きながら、左右の銃口から槍のような砲弾を交互に撃ち込んでくる。連中の遠距離攻撃は、地面に突き刺さる槍のような実態弾であり、その命中精度も大したことがない。しかし降り注いでくる槍の雨を避けながら、眉間の脳神経節を撃ち抜くのは難しく、接近を許せば連中の重い一撃で瞬殺される。
俺が普通の兵隊ならば、後退しながら応戦する。
「先輩!」
アダチは高周波ブレードを上段に構えた俺が、クモの砲撃をギリギリまで引きつけて交わすのを心配して叫んだ。
槍を寸前で躱し続ける俺には、時間感覚を速める加速思考という特技がある。加速思考は、全身を生体補修部品に置き換えたことで得た副産物だった。医学的には、副作用と言った方が正しい。長寿命の遺伝子操作をしていなかった地球人と火星人から生まれた俺は事故前、長寿命の遺伝子操作をしていなかったので、後天的に遺伝子操作を施した第一世代となる。
長寿命の遺伝子操作を行った両親から生まれた第二世代以降は、思考だけが加速して時間感覚が間延びする『加速思考』という症状は現れない。遺伝子操作で百万人に一人の確率で発症すれば、加速した思考に肉体の反応が追いつかずに、心と身体に変調をきたして廃人になる。
それはもちろん俺にも当てはまるのだが、不思議なことに加速思考を意識的に制御することが出来た。それでも難病指定されている加速思考を戦闘で使用することには、リスクがないわけではない。
「先輩の動き速すぎますよ……それが全身を生体補修した人間の動きなんですか」
姿勢を低くしてクモの懐に飛び込んだ俺は、高周波ブレードを振り下ろして右腕を切断する。そして返す刀で胸元から斜に左腕を斬り落とすと、その勢いを利用して身体を回転して、無防備になったドークの腹部を刺突した。
アダチは勘違いしているが、筋力だけが向上しても、これほど俊敏に正確な攻撃は出来ない。思考を加速した俺には時間が間延びしており、フル回転している脳が発している信号は、肉体に伝達するスピードを凌駕していた。クモの動きが緩慢に見えれば、自分自身の攻撃も歯痒くなるほど緩慢だ。
俺は心と身体の不一致で、自分の身体を遠隔操作していると感じる。それでも荒馬を乗りこなすように、筋肉に無駄な負荷をかけず的確に動かせるのは、紛い物の器との長い付き合いおかげだった。
「アダチ、クモの脳神経節を破壊する」
「はい!」
「そいつを連れて、そこを離れろ」
「で、でも……」
「頭を失ったドークは、敵味方を無差別に襲う狂戦士になる」
当惑するアダチは、自分に敵意を向けた少女を連れて逃げるのを躊躇っているのだろう。しかし彼女がドークの一部で、意思疎通が可能ならば、それこそ敵に対する切り札と成り得る存在だ。ここで失ってしまうには、あまりに惜しいと考える。
俺はクモの左手を攻撃しつつ背中に回り込んで、真後ろに向けたおかっぱ頭の眉間に高周波ブレードを突き立てた。
「グギギギィ……ギィギィ」
クモは大口を開けてフォークで金属を引っかくような断末魔の叫びをあげると、首を項垂れて目を閉じる。次の瞬間、奴の胸部を切り裂くように、真っ赤な球体状の物体が顔を覗かせた。
脈打つ真っ赤な球体は『ドークの炉心』と呼ばれる部位で、頭部の脳神経節を破壊されると体外に出てくる。これが胸部を押し広げて顔を出した連中は数分間、箍が外れたように攻撃に特化して荒れ狂い、周囲の者を無差別に攻撃して絶命する。
「ぐはッ!」
半死半生のクモは、消えかけた蝋燭の火のように燃え上がり、移動手段だった六足の脚で、背中に乗っている俺を左右から攻撃してきた。
尖った爪で脇腹を突き刺された俺は小さく呻くと、背後にある対戦車障害物の上まで飛び退る。脈打つ度に輝く胸部のコアは、まだ早い点滅を繰り返しており、俺を逃さんと障害物の上まで追いかけてきた。
バーサーカー化したドークは、捕食するための頭部もなければ、活動停止まで逃げ回れば良い。しかし生存本能を捨て去った執拗な追跡を振り切るのは至難の業だ。近くに他のドークがいれば共倒れを狙って誘導するのだが、ああなってはドークだって同胞を見捨てて近付かない。
「胴体部と脚を切り離すしかない」
俺は傷を負った身体に命令すると、高周波ブレードを真一文字にして突貫した。痛みはないが脇腹の出血量を考慮すれば、逃げ回る前に歩行手段を断った方が良い。
脇腹の傷は思いの外深かったものの、すれ違いざまにクモの両断に成功した。
「アダチ……近くにいる哨戒兵に連絡して、5㎞手前の掩体壕まで撤退するぞ」
「ドークに、とどめは刺さないんですね?」
「コアから切り離した生体パーツが融解していれば、これ以上の攻撃は不要だ」
上半身を残して対戦車障害物から落下した半身を見下ろすと、関節の駆動部位から垂れ下がる配線コードのような筋繊維の融解を確認した。クモは甲虫類に似た外骨格の下に、生体パーツである筋繊維がある。連中の生体パーツはコアから切り離されたり、電磁隔壁に触れれば液化してしまう。
鹵獲したドークは自死を選択してバーサーカー化するし、仮に生きたまま戦場の外に連れ出せば電磁隔壁に触れて融解する。これらが、連中の研究を困難にしていた。
「イブキ先輩、怪我してるじゃないですか」
「この程度の傷は、ほっておいても自己再生するから心配するな。俺の身体は、そもそも作り物だ」
「痛みは?」
俺は『多少は』と嘯いた。
僅かに残った圧覚も痛覚は完全に麻痺しているので、これは人間を演じるための嘘だった。バディには、同じ人間として見てもらいたいとの願望がある。腹を刺されて全く痛みを感じないなんて、我ながら化物じみて気持ちが悪い。だから嘘をつく。
それにオリジナルを失ったキルビスと違って、俺の身体が生体補修部品で作られた紛い物であれば、傷口をガムテープで塞ぐ必要すらなかった。こんな不死身の身体では、この程度の負傷で休業補償を望むべくもない。
「それより問題は……頭を使い過ぎて眠気がきたことだ」
「え?」
「加速思考のリスクってやつだ……バンカーまでもちそうもないし、まあ少し昼寝してから追い付くから先にいけ」
「え、ええ? まだ寝るには早すぎますよ!?」
周囲にドークの気配がなければ、ここで4、5時間も寝れば眠気も覚める。
俺が眠気に負けて目を閉じるとき、アダチが『死んじゃ嫌だ!』と勘違いして叫ぶ背後、呆然と立ちすくむ拘束衣を着せられた少女が見えた。