Episode4 隻腕の少女
第壱参界境から戦場に潜入して35時間後、直線距離で200㎞の哨戒エリアの端に辿り着いた。ここからは同じ13番ゲートから潜入した戦友の動きを確かめながら、左右どちらか手薄な方に移動して、70時間経過したらゲートに帰還する。
俺たち哨戒兵は、リフトのある戦前基地から左右に広がる各ゲートを守護することで、人形を浅瀬に近寄らせない。
ドークには人間の集まるところに集まる習性があり、戦場の潜入ゲートを一ヶ所に限定すれば、連中はそこだけに集中して仲間を呼び集める。だからゲートは前線基地のある第祖界境を中心に百ヶ所に分散しており、それぞれから潜入した最小ユニットの哨戒兵が浅瀬に侵入する敵を日々片付けている。
一見して非効率的に見えるだろうが、ドークを浅瀬から排除することで野営地に向かう大勢のダイバーが、ゲート付近でドークの大群に襲撃される心配がない。それにドークを引き連れて敗走してくるダイバーもいれば、浅瀬にいる俺たちが援軍にもなる。
浅瀬に異物が侵入すれば排除して、周囲で戦闘が始まれば援軍に駆けつける。俺たちは白血球みたいなものだ。
「イブキ先輩、そろそろ休憩にしませんか?」
アダチは腹部を手で押さえており、空腹を訴えているようだ。リフトデッキで待ち合わせた彼女は、戦場に入ってから一度も食事をしていなかったようだ。
「キルビスは、いつも勝手に休憩している」
「先輩は上官なんだから、後輩の面倒くらい見てくださいよお」
「バベルの士官候補生は准尉待遇、卒業後は少尉じゃないか。曹長の俺は、お前の部下なんだぜ」
アダチは『だからあ』と語尾を伸ばして、前屈みになり腰をくねらせた。ボディラインのくっきり浮かんだアサルトスーツの少女が、突き出した尻を振りながら人差し指を立てている。
俺を誘惑しているわけではなさそうだが、ここまでドークとの遭遇もなかったので緊張が解けてやがる。
「先ほど、イブキ先輩と呼んだんではありませんか」
「アダチ、軍に『先輩』という階級はないだろう?」
「現場では、階級より経験が物を言うんですよ。誰がどう見ても、私よりイブキさんの方が上官です」
「わかった……休憩しよう」
俺は先にいたシオンとアップルを呼び戻すと、お互い背中合わせに四方を向いて腰を下ろした。
アダチはアップルから戦闘糧食を受取ると、フルフェイスを地面に置いて食べ始めたようだ。後ろからビスケットを咀嚼する音が聞こえた。キルビスだったら、俺に許可なんか求めず歩きながら適当に腹を満たしている。
「あれ、イブキさんは食べないんですか?」
「俺の身体は代謝が遅いから、戦場で食事をしないでも大丈夫だ。それに――」
「何ですか?」
「二人ともフルフェイスを脱いだら、さすがに無防備過ぎるだろう」
「あ、そうですよね」
エーシャの言ったとおり、バベルの実習生は旅行気分のお嬢さんだったようだ。べつに何かを期待していたわけでもないし、キルビスが言うには、たった3日の辛抱だ。しかし楽しい時間はあっという間に過ぎるのに、退屈な時間はとてつもなく長く感じる。気が遠くなりそうだ。
「バベルでの寮生活は、1セットなんてあっという間なのに、まだ半分も過ぎてないんですよね」
アダチも、薄暗く静かな戦場の哨戒任務を長く感じているようだ。
生まれて十八年の彼女とは共通する話題に乏しく、士官候補生であれば軍司令部の愚痴もこぼせない。俺は普段、酒場の女やスポーツリーグの話題で盛り上がるキルビスの聞き役に徹しているのだが、彼のトークがラジオ代わりの良い気晴らしだったと実感した。
ここに来るまで彼女とは、哨戒任務の内容とドークとの交戦について会話したものの、既に話題のネタが尽きている。女好きの戦友ならば色恋などの下世話な話題も振れるのだが、それを実習生に振ってセクハラで訴えられたら厄介だ。それに仮初めのバディに、恋人がいてもいなくても興味がない。
「イブキさん、プライベートな質問しても良いですか」
「内容次第だろうな」
「生体補修部品は患者の欠損部位と生体融合して、DNAに基づいて寸分違わぬ複製品を作るじゃないですか。だから美容整形のように、患者の身体構造を任意で変更できませんよね」
美容整形した女性の兵隊が、粘土で顔を補修したら整形前の容姿に戻った、豊胸手術した乳房が萎んだとの笑い話がある。生体補修部品は、患者のDNAを複製しながら欠損した部位を補修する。遺伝情報の継承と発現を担う複製されたDNAが、美容整形や環境要因で変化した後天性の容姿をリセットしてしまうからだ。
ただ生体補修部品は肉体を最適化するため、DNA自体が正常であれば筋力だけは任意で調整できる。ようは身体を鍛えた状態で、肉体を再生することが出来る。ゆえに全身を補修した俺の筋力は限界まで強化されており、常人の5倍程度の筋力があった。
「俺は事故当時、まだ十歳未満だったが、全身を補修した時点で肉体が成人化した。この容姿にはミッシングリングがあっても、パーソナリティがあると信じている」
「ええ。その点は、べつに疑ってないんです。その整った容姿が最適化されたものだとしても、外見はイブキさんのパーソナリティから発現したもので間違いありません」
「何が聞きたいんだ?」
「つまり学生としての好奇心なのですが、健常者への生体補修部品の使用やクローンは、存在しない宗教の概念に縛られて『生命の冒涜』だと禁止されています。私の卒業論文は、その条文のせいで机上の空論だと指摘されています」
「宗教の概念が存在しなくても、アダチだって正月やクリスマスにパーティーを開いて祝うだろう。宗教がなくても、人殺しや盗みはいけないことだ。宗教的な文言が形骸化しても、それらは人間の理念に深く刻まれている」
アダチは小声で唸りながら首を捻っている。
健常者のサイボーグ化について感想を求められたと思ったのだが、そもそも彼女の聞きたかったことは別にあり、本質的な質問ではなかったのだろうか。俺に質問の意図を察してくれと言うのならば、バディに『朴念仁』呼ばわりされているので期待しないでほしい。
「アダチにも、俺に聞きづらいことがあったのか」
「まあプライベートに立ち入ったことなので……はっきり言ってしまえば、イブキさんの存在は、その条文に抵触するんじゃないかと考えているんです」
「ああ。俺の存在は、確かに生命の尊厳を冒している」
「私は条文そのものに懐疑的な立場で、べつにイブキさんを否定してませんよ。でも本人が、どう考えているのか知りたくて……すいません」
全身が焼け爛れて見つかった俺が、全身を生体補修部品に置き換えた手術に同意していたのか、じつのところ幼児期健忘のために覚えがない。そんな年頃、発見された状況、手術が同意なくして行われた可能性は高い。アダチは、幼かった俺が合法的に全身サイボーグ化されたことを、どう考えているのか聞きたかったのか。
欠損した部位、後天的に負った障害を生体補修部品で治療することが合法なのだから、それが全身だったとしても条文に抵触しない。しかし条文の趣旨を考えれば、違法でないから本人の同意を得ない治療が合法とも言えない。俺の存在は、極めてグレーゾーンである。
「キルビスが言うには『頭蓋内腔に収まる1.5㎏ほどの脳だけ』が、俺たちを生きていると定義付けているらしい。その意見には危険な戦場で戦う兵隊の悲哀を感じるが、俺の存在を肯定するには適当だと思うね」
「そんなの悲しすぎませんか」
「アダチの言動には矛盾を感じる。お前は、サイボーグの兵隊を戦場に投入して戦争を効率化したいんだろう?」
「そうですけど……私にイブキさんのことを教えてくれたバベルの教授に、私の戦術論が机上の空論だと指摘された理由を考えているんです」
「そうか」
「実習先の戦場には、身体を生体補修部品に置き換えた兵隊も多いから、彼らと話をしてみろと言われています」
指揮官養成学校の座学で得た知識が、戦場の現実を目の当たりにして想像を超えたのか。その教授とやらが、アダチの浅はかな考えを正すために俺のもとに寄越したのならば、ずいぶんと老猾な人物のようだ。
「歴戦の勇士が集まる戦場にいれば、肉体的に優位性のある俺がコモディティ化していると実感できる。人為的に肉体を強化しても、それが戦力の決定的な差にならない」
「そんなことはないと思いますけど……ところでイブキさんには、恋人がいますか?」
「話題を変えるにしても唐突過ぎないか?」
「いいえ。話題を変えたつもりはなくて、生体補修部品による不妊治療も条文で禁止されていますよね? だからイブキさんには恋人がいるのかなと、これも学生の好奇心です」
「恋人の有無はともかく、この身体でもやれることはやれる」
「や、やれると言うのは、つまりその、あれはやれるという意味ですよね? それはつまり、そういう機能は有していると!」
アダチは鼻息荒く、俺の肩を揺するのだが、生体補修部品はDNAに基づいて患者の肉体を完全再現するのだから、生殖機能も再現されるに決まっている。この世界の人間は性に関する知識の禁忌感が強くて、性教育分野の教育が未成熟と言わざるを得ない。肉体的に完璧な俺に生殖機能がないわけがないのに、そんなこともタブー視するのか。
生命の冒涜なんて法律を不妊治療の医療現場に持ち込むから、生体補修部品を用いた不妊治療を斡旋するヤミ医療機関なんてものが蔓延する。
戦場にいると麻痺してしまうが、未知の技術の塊である生体補修部品の使用は、医療機関により一般人の治療に用いるときに厳格な審査と、治療の必要性が検討されている。新天地に暮らす健康体の彼女が、生体補修部品の知識不足でも仕方がない。
「おい、そろそろ良いだろう」
「あ、はい」
俺はアダチにフルフェイスを渡すと、玩鞄たちに先行するように命じてガンストラップを肩にかけ直した。
彼女は失念しているが、そもそも哨戒兵が大勢いる浅瀬でドークに会敵することは稀であり、むしろ浅瀬の先からドークが侵入してくる今からが本番なのである。連中には行動を指揮する司令部がないのは、監視役のオメンが全滅した浅瀬にドークが襲撃して来ないことから明らかだ。
浅瀬でドークと会敵する場合、ゲートから最も離れた浅瀬の端である。
「イブキさんには、恋人がいないんですよね?」
「俺は『いない』とは言ってないぜ」
「でも答えをはぐらかしたってことは、やっぱり恋人がいないからだと思うんですよ」
「じゃあ『いる』ってことで」
「絶対にいないですね」
俺たちがくだらない会話を続けていると、斥候のシオンがドークの臭いを嗅ぎつけて足を止めた。フルフェイスには玩鞄の感じ取った気配の位置が表示されているが、それが稼働中のドークなのかわからない。臭いだけでは、ドークが残骸か稼働中なのか判別がつかないないからだ。
それでも交戦した記録がなければ、稼働中のドークだと判断した。
「イブキ先輩……どうします?」
軽口を叩くときは同僚のように振舞っておきながら、いざ敵を前にしたら先輩扱いで指示を乞う。アダチは、自分の立場を都合よく使い分けている。
「アダチは、ここに残って俺を援護しろ」
「はい」
「俺がドークを視認してくるまで、けっして発砲するなよ」
「わかっています」
アダチは量子崩壊銃を遠距離射撃用の集光バレルに変更すると、スコープを覗いて片膝をついた。彼女は先行する俺の背後から、ドークの気配が漂うエリアに銃口を向ける。
シオンから送られてくる臭気のデータがオレンジからレッドに、その色が濃くなるのは、臭素が俺に近付いている証拠である。まだドーク自身は、こちらに気付いた様子がない。規模の確認に向かっている俺が、たまたま連中の進行方向を歩いているだけだろう。
100メートル先は蜃気楼。
俺の見ている遠くの景色は、ドークから回避行動を取った玩鞄が送ってきた画像データで補完されていた。実際の視野とは、数秒から数十秒のタイムラグがある。
俺は幻覚に惑わされないために、フルフェイスのモニターに表示されているコンフィグのアイコンをなぞるように、指先を動かしてARの透明度を上げた。ヘルメット内側に表示される各種の情報は、ジェスチャーコントロールで変更ができる。
「アダチ、俺の背中が見えるか」
「先輩の前方にある対戦車障害物までは視界良好です」
「連中は、竜の歯の向こうらしい」
戦場は起伏に富んだ地形に加えて、巨大なブロックが竜の歯のように配置されたドラッヘン・ツェーネと呼ばれる対戦車障害物や、天井にハエ取り紙のような大小様々なパイプが垂れ下がっている。それらが薄暗く対物レーダーも効かない戦場で、車や航空機などの移動を困難にしている。
シオンの見つけたドークは、その高い対戦車障害物の先を歩いていたが、その場から玩鞄が退避しているため、地形はわかっても肝心のドークが見えない。
「数は?」
「今から登って確認する」
「上からですか」
「連中の視界は、顔の向いている前方だけだ。歯の隙間から覗くより、見下ろした方が安全だ」
俺は地面を爪先で蹴ると、10メートルほどある障害物の上に着地した。アサルトスーツの筋力サポートがあれば、これくらいの高さの障害物を飛び越えるのは簡単だが、ノーモーションで飛び上がれるのは俺くらいだろう。
眼下に目標を確認した俺は『クモの顔が見えるか?』と、遠距離射撃の構えにあるアダチに言った。
「先輩から送られてくる画像の範囲なので上半分ですが、こちらでも顔の位置はわかります」
ドークは多足歩行型のクモが一体だけだった。切り揃えたようなおかっぱに無表情な少女の顔、上体を反らした胸部には乳房のような膨らみ、前足の二本に銃口があり、身体を支える半身には六本の脚が生えていた。異形のクモは小さいものでも人間の倍ほど、大きいものは5メートル以上の個体がいる。また脚が伸びる者、腹の底に何本も腕がある者、関節の駆動域も縦横無尽で、人型のマネキンよりも更に予想外な動作で襲ってくる。
「ドークの弱点は、眉間の裏にある脳神経節だ。そこを撃ち抜けば、敵味方の識別なく暴れまわり数分で絶命する。ドラッヘン・ツェーネを抜けて、そちらに行くようならば迷わず射殺しろ」
「スナップショットは苦手なんです」
「スコープと連動した集光バレルが、射撃手の視界をトレースする。目を瞑らなければ子供でも外さない」
「はい。頑張ります」
アダチには、そう喚起したものの、じつのところドークの頭部にある脳神経節は、直径1㎝のカプセル剤程度の円筒器官で、真正面からでなければ正確に当てられない。こうして頭頂部のつむじを見下ろしても、円筒器官を一発で撃ち抜くのは不可能だ。
「標的は大きい方が狙いやすい」
クモは幸い一体なので、奴の背中に飛び降りて斬首してしまえば問題ない。そもそも身体能力に自信のある俺は、バディに援護を頼んで肉弾戦を得意としている。背中を守るのがキルビスでないのは不安だが、一対一で討ち漏らすわけもない。
俺は呼吸を整えると、腰に下げた高周波ブレードの柄を、左の親指で押し上げて鞘から浮かせた。
と、そのときだった。
「イブキ先輩……右側のツェーネに人が立っています」
アダチの声に顔を向ければ、襤褸切れを纏った半裸の少女と目があった。こちらを無言で見つめている少女は、無造作に見える栗毛のウルフヘア、細く切れ長の目、血の気のない小さな唇、布地から覗く肌は死人のようだった。年頃はアダチより幼く、ミドルスクールに入学したばかりに見える。
こんな戦場のど真ん中に一般人がいるわけがなければ、前腕を失った右の二の腕を握る少女はマネキンだった。
「下にいるクモは、ハッサンを食ったドークだったのか」
「先輩、なんで戦場に女の子がいるんですか。その子は、武装してないじゃないですか?」
アダチが片腕のマネキンを見て、人間だと誤認するのも無理がない。
なぜなら風に靡く襤褸切れから覗く身体には、およそ人形を疑う特徴がない。各部位を繋ぎ合わせる球体関節も、肌に貼り付けたような外装も、俺の目の前に立っている少女には見られなかった。
前回戦ったときは、襤褸切れに隠れた駆動部を確認していなかったが、アサルトスーツを着た俺と互角に戦った少女が、まさか人間だったとも思えない。
「新種のドークか……アダチ、こいつに攻撃の意思を感じたら引き金を引け」
「彼女は、ドークなんですか!?」
「そいつはわからないが、こいつが攻撃するまで手を出すな」
「わかりました」
目が合えば人間に襲ってくるドークが、高周波ブレードの柄に手を置いている俺を見つめたまま、何もしないで注目している。
俺は刃を鞘に収めると、少女の立っている対戦車障害物に飛び移った。そんな話は噂にも聞いたことはないが、ドークの捕虜になり洗脳された人間の可能性もある。連中の生態については不明な点も多く、生気のない少女が捕虜ではないと断言できない。
俺が前に歩み出て腕時計に視線を落とすと、彼女は『アナタハ……』と、とても穏やかな口調で話しかけてきた。
「なんだ?」
「ゼロテのバラバです」
正体不明の少女は、シオンをハッキングしたハッカーなのだろうか。





