Episode3 クロノグラフ
上部階層との昇降機が設置されている游郭昇降階層は、システム区画や新天地の高度5万メートルに存在する。同じ階層に昇降機の置かれた戦場は複数存在しているが、下階層から見上げても偽装された底部が背景に溶け込むので発見が難しい。
とくにシステム区画の游郭昇降階層は、天井が高く抜けたところにしか存在しないものの、まず迷路のような回廊で吹抜けを探すのが困難を極める。それに吹抜けがあっても、必ず戦場があるとも限らない。
また上部階層に行くほどシステム区画の床面積が広がるため、99階層の戦場を探すには千年以上の捜索期間を要した。
しかし20階層毎にある新天地では、偽の空である天井が高く、高度5万メートルを飛行できる無人機で游郭昇降階層の捜索ができる。それでも数十年単位の捜索になるが、寿命が地球人の8倍に遺伝子操作された人間にとって、十年単位の捜索期間は気の遠いものではなかった。
なぜなら俺たちの平均寿命は約650歳、地球人の10年も俺たちには1年ちょっとの時間感覚だからだ。
「アダチ、そこのラインを超えれば戦場だ」
「え、電磁隔壁はまだ先ですよね?」
「軍の敷設した擬似電磁隔壁が、ゲートの最終防衛ラインなんだ」
「なるほど。最終防衛ラインの先からは、もう戦場なんですね」
俺たちの現在地は第壱参界境の扉から1㎞ほど歩いたところ、まだ足場に作られたトンネルの中で、人形の出入りを禁じる電磁隔壁まで1㎞手前だ。
軍は電磁隔壁より外側に厚さ800メートルのコンクリートを流し込んで物理防壁を築いており、その手前のトンネル内に擬似電磁隔壁を展開していた。アダチが超えた青白く発光するラインが、狭いトンネルに人為的に作られた擬似電磁隔壁であり、その先からドークを警戒すべき戦場と定義されている。
ドークを游郭昇降階層に閉じ込めている何者が作った鳥籠は、目には見えなくても確実に機能している。それでも万が一はある。人間は游郭昇降階層の外周を高い物理防壁で囲うことで、そこに通じる百のゲートで兵隊の出入りを管理して、より完璧なドークの封じ込めを目指している。
「戦場にも照明はあるが、平坦ではない地形で有視界行動が難しい。100メートル先の景色は、蜃気楼だと思え」
「私たちの見ている景色は、ソナー映像をARでマッピングしているのに?」
「哨戒エリアは瓦礫も多いし、ドークに知恵はないが待ち伏せくらいする。バディや玩鞄から送られてくる地形データや、過去の情報に基づく地図をARで補完しても死角が出来る」
「地図はわかりますが、リアルタイムで共有する地形データも役に立ちませんか?」
「ARには残像がマッピングされたまま、そこに状況変化があっても反映されない。確実な情報は、視認が可能な周囲100メートルだけだ」
「四人の見ている景色を統合しても、タイムラグがあるから死角が出来るんですね」
「四人?」
「あ、玩鞄たちです」
アダチは玩鞄を頭数に勘定しているが、荷物持ちのシオンやアップルがドークとの交戦に参戦することはない。玩鞄は単なる情報収集と荷物運びの道具だと割り切らないと、ドークとの交戦になったとき裏切られた気分になる。
「それから通信は基本、玩鞄が通信圏内にいるときのみ可能だ。戦場での通信手段は、センターAIをハブにした何者が残した通信網だけなんだ」
通信環境の悪い戦場でも、俺とアダチがお互いに視認しているときは、光学通信で直接会話ができる。しかしお互いを見失ったり、司令部や友軍との会話は、全て玩鞄を通じて司令部のセンターAI経由で通信を交わすことになる。だから通信の途絶を防ぐには、玩鞄を常に視野に置く必要がある。
「游郭昇降階層では、センターAI経由以外の通信が出来ないのでドローンによる昇降機の探索が不可能なんですよね」
「ああ。玩鞄も所有者を離れればロストする可能性が高いし、戦場では人間が働くしかない」
「玩鞄のローカルAIは、マーキュリーから遠隔操作が出来ないんですか?」
「反撃しない玩鞄が兵隊から離れれば、ドークに鹵獲されてパーツ取りになる。司令部のセンターAIが他の有機体の破壊を望まない限り、何者の通信網を使ったドローンや玩鞄の遠隔操作は不可能だ」
「マーキュリーは所詮、偽物の世界を作った何者の味方で、真実を追求する私たちの味方じゃないんですね」
俺は先行して電磁隔壁を跨ぐアダチの肩に手を置いた。
会話の内容から、彼女が神経質になっていると感じたからだ。
「それでもセンターAIは、上部階層を目指す人間の手助けをしてくれる。でなければシオンやアップルが、俺たちのために戦場で荷物持ちなんてしてくれない」
「そうですよね」
「それに目の悪いドークも視界の条件は同じだし、俺たちのようにデータ共有していない奴らの方が不利だ。個体としての戦闘力も、アサルトスーツで筋力を強化している人間の方が優れている」
「ええ。その点は、イブキさんのことを信用しています。全身の生体補修による肉体の能力向上は、私たち常人の5倍なんですよね」
「数値上では……本当に失礼な奴だな」
「そうですか?」
バベルでサイボーグの実戦投入を研究しているアダチには、全身が紛い物の俺に差別意識があるわけではない。知的好奇心は見え隠れするが、彼女は俺を優れた兵隊だと称賛しているだけなのだろう。
部位毎に生体補修部品に置き換えても、オリジナルの部位とのパワーバランスに狂いが生じるために、肉体の能力向上を抑制する必要がある。全身を生体補修部品に置き換えた俺は、肉体の能力向上を限界値まで引き上げられた。五感のうち触覚、味覚、嗅覚を犠牲にしたが、引き換えに得た強靭な肉体は彼女の羨望の的だった。
「アダチ、今回の哨戒任務は覚えているか?」
「同じ13番ゲートから派兵された兵隊を地図でトレースして、空白地帯を移動しながら人形を索敵する。会敵した相手が一体か二体のとき、周囲10㎞に友軍がいなければ交戦して殲滅。10㎞圏内に友軍がいる場合、三体以上の敵がいた場合は、数で上回る援軍の到着を待って殲滅……でしたよね」
「そうだ。哨戒エリアで遭遇するドークは、集団から迷子になった個体が多い。戦闘で仲間を呼び寄せても、応えるドークは哨戒エリアの近くにいないからな」
アダチは軽く頷くと、電磁隔壁内の戦場に踏み込んだ。
ゲートから200㎞周辺『浅瀬』と呼ばれる哨戒エリアを徘徊するドークは、昇降機や游郭昇降階層と上部階層の底部を繋ぐ柱の周囲にいる連中と違って、単体ないし十体以下の小規模な集団だった。同じ13番ゲートから哨戒任務で戦場に派兵されているのは10組二十名、隣接するゲートも合わせれば30組六十名が、俺たちと同時に付近の哨戒エリアで任務をこなしている。加えてゲートには、宿直勤務の兵隊だっている。
だから二人一組の哨戒兵でも、同じゲートから戦場を潜入している戦友と連携すれば容易に倒せる規模であり、よほどの事態でなければ戦死することがない。
では哨戒兵がまとまって移動すれば、より効率化できると考えられるが、ドークの戦術が人間を数で圧倒するという単純なものであり、哨戒エリアで大軍を動かせば、連中も徘徊する集団を増やすイタチごっこになる。奴らが特定のエリア内で会敵する人間が少なければ、徘徊する集団の個体数も少ない。
だから哨戒兵、そして深部に野営地を作り接敵するダイバーも二人一組で戦場で任務を行っている。軍司令部が戦場で二人一組の行動を原則としているのは、大勢の人間と会敵すれば、それを上回る大軍をけしかけるドークの習性を考慮してのことだ。
「シオン、アップルは、通信圏内で先行して索敵しろ」
シオンは背負っているリュックのショルダーストラップを握りしめて『わかりました』と、小走りに戦場の奥へと向かったが、アダチの玩鞄アップルは、俺の命令を無視して所有者に歩調を合わせている。玩鞄は作戦行動中、バディにも命令権限があるので、俺の命令にも服従するはずだ。
「アップル、先行して索敵しなさい」
「はい」
アップルは、シオンの後を追いかけて走り出す。どうやら士官候補生の玩鞄は、俺の命令よりアダチの保護を優先しており、彼女の命令がなければ側を離れないらしい。
玩鞄が暗闇に消えると、彼女たちから送られてきた情報で前方の視界が明るくなる。俺たちが被っているフルフェイスで集めた情報に、斥候の彼女たちから送られてきた情報が集積されてARに上書きされたからだ。
もちろん、そこには視野を外れないように命令した玩鞄の姿も映し出されている。
「玩鞄に先行させても、ドークに見つかりませんか?」
「ああ。彼女たちは目も耳も良いし、鼻だって効くから大丈夫だ。ドークに近付けば回避しながら、だいたいの位置を知らせてくる」
「そうなんだ。アップルに嗅覚センサーがあるのは知っていましたが、匂いでドークの存在を感知できるんですね」
五感のうち味覚以外を持ち合わせている玩鞄は、触覚、味覚、嗅覚のない俺より優秀な猟犬なのだろう。俺は当てにならない視覚と聴覚を研ぎ澄ませて、薄暗い戦場でドークを索敵しなければならない。
「視野が限定されているせいかしら……まるで潜水服を着て、海の中を泳いでいるみたい。けっして歩きづらいわけじゃないんだけど、ふわふわしていると言うか」
「アサルトスーツの筋力サポートで、足元が軽く感じるんだろう。それに游郭昇降階層の重力は、下階層より僅かに弱いんだ」
「地表から離れたから、引力の影響が弱まっているの?」
「いや。重力そのものが、人工的に作られているんだろう」
そもそも引力の概念は、何者の残した偽の概念に基づくものだ。人間はまやかしに気付いても、何者に騙されていたことを自覚できない。相手が詐欺師だとわかっていても、金を渡してしまうのが人間らしい。
地動説なんてまやかしは、宇宙が存在して初めて成立する概念なのに、それでもホログラムの宇宙を見て育った新天地の住人は、地動説を捨てきれない。
この多重階層世界の外には太陽と月があり、無限に広がる宇宙が存在すると信じている。
「玩鞄が道案内するから、俺たちは周囲を警戒しながら進むぞ」
「はい」
俺は腕に巻いた12時間表記の機械式時計、クロノグラフのテレメーターを一瞥して足を踏み出す。ただ時間を知るだけならば、フルフェイスに表示される時計で足りる。ローテクの腕時計は、俺が紛い物になった事故で死んだ両親の形見で、宇宙飛行士が月面で着用したとの謳い文句のジョークグッズだ。
しかし地球生まれの地球人だった父親は、多重階層世界の真実を知るまで謳い文句を信じていた。マーズの研究者だった母親と結婚した彼は、宇宙が何者の作った偽の概念だとわかってからも、空には宇宙があるとの幻想に悩まされており、多重階層世界こそが妄想の産物だと考えていたふしがある。
既に狂っていたと考えなければ、大勢の人間を巻き込んだ事故を起こさなかったと思いたい。
「イブキさん、どうかしましたか」
「うん?」
「いいえ。急に静かになったから、何かあったのかと思いました」
「俺は、そんなにおしゃべりか」
「そんなことはありませんが……静かだと不安になります」
「そうだな。これから100時間も無言では、お互いに退屈だからな」
「ええ、まあそうですね」
父親は多重階層世界の閉塞感に堪えられず、上部階層の底部に宇宙に繋がる穴を開けようとした。その試みが母親や俺、大勢のマーズの研究者たちを巻き込んだ大事故となる。
何者の残した未知の技術を研究していた火星人の研究者は、上部階層で発生する時差や概念の相違は、奇数階層毎に通過する昇降機により人間が空間転移しているからだと考えていた。そこに地球から招かれた天文物理学者だった父親が加わり、未知の技術を応用して空間を歪めて、多重階層世界の外殻に通じる擬似昇降機を作ろうとした。
実験が失敗に終わった爆心地には、俺の身体だけが原型を留めていたらしい。
消失した両親や研究者たちは、多重階層世界の向こう側にある宇宙に辿り着いたと言う連中もいたが、半径10㎞を吹き飛ばした爆心地を見れば浪漫が過ぎる。拙速に宇宙を夢見た彼らは死んだ。それが現実だ。
「アダチは、ネプチューンの空に本物の宇宙があると思うのか」
「論理的には、この世界が宇宙に漂う宇宙船のようなものだと考えています。でも第佰階層ネプチューンが船外と言うのは、少し楽天的な気がしますね」
「この世界は宇宙船か」
「そう考えなければ、説明の出来ない事象も多いです。私は何者崇拝者じゃないですが、宇宙の存在は既知のものだと思います」
「俺も、宇宙はあると信じている」
俺がキルビスに『祖界かぶれ』なんて馬鹿にされるのは、そうした父親の影響が強いのだろう。
しかし俺にとって形見のクロノグラフは、ただ感傷に浸るアイテムではなく、拙速に答えを求めた両親の死を忘れないための戒めだった。
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