Episode2 13番ゲート
【ご注意】とくに注釈がない場合、一日の表記は98階層(現地時間)の約1900時間(地球で約80日間)とします。一ヶ月は約5万7000時間(同約2400日/6年半)となります。なお主人公たち哨戒兵の一回の戦場勤務は120時間(同5日間)を上限と決められています。
主人公たち生体時間は、一日のサイクルを190時間(地球人24時間の8倍)として98階層の一日を十分割して生活しております。このため98階層の1年は、主人公たちの生体時間10年(同80年)に相当します。
時間のスケール感が違うので、お気をつけください。
【一日目/1セット】
俺は兵舎テントで、シオンから哨戒任務のブリーフィングを受けて第玖玖游郭昇降階層に登るためのリフトに向かった。リフト乗り場は、野営地での滞在任務から帰還した兵隊でごった返しており、お互いの無事を喜ぶ姿が散見される。
戦場の深部に潜って人形と戦う彼らは『ダイバー』と呼ばれる。日帰り圏内の浅瀬を哨戒する俺と違って、98階層の本陣に戻れるのは数カ月に一度だ。広大な游郭昇降階層の戦場に野営して、昇降機を探索する彼らの任務は過酷なものだが、軍司令部は『野営地からの生存率99%』と喧伝して志願者を集っている。彼らのように戦場で昇降機を探索する兵隊は、野営地に2千万人が駐留しているのだから、戦死者数は単純計算で20万人だった。
野営地勤務の死亡リスク1%を軽微と見るか、戦死者20万人を多いと見るか。軍司令部の言葉遊びに騙されて、木星人や土星人の貧困層からの志願者が後を絶たない。
「リフトデッキはいつも、こんな調子なんですか?」
人混みを掻き分けて現れたアダチは、身体を引き摺りながら帰還した大勢の兵隊を横目に見ながら、戦場の臭気に堪えられないのかハンカチを口元に当てた。
熱のこもったアサルトスーツを脱いだ兵隊の体臭、戦闘でついたドークの体液など鼻を突く異臭、量子崩壊銃の放つオゾン臭、けっして芳しい香りとは言えないのだろう。新品のアサルトスーツを着た彼女が鼻を摘んでも、帰還兵の誰が気にするわけでもないが、無礼な新兵を連れ歩いている俺が気不味い。
「リフトの搭乗口は普段、これほど混み合わない。哨戒任務の俺たちが戦場投入される時間は、せいぜい10組ほどに軍司令部が調整している」
「ここには百人以上いますよ?」
「戦場で昇降機を探しているダイバーは、俺たちと違って集団で移動するし、彼らを護衛しながら戻った哨戒班の連中もいる。あの様子だと、ドークと交戦したばかりなのだろう」
「今日はたまたま、凱帰したダイバーたちで混雑しているのですか」
「彼らが広大な游郭昇降階層に潜って持ち帰ったデータで、空白だった戦場の地図が埋まっていく。生還したダイバーには、敬意を払うべきだ」
アダチは『なるほど』と、兵舎や市街地に戻らずリフト前で騒ぐ兵隊に理解を示したものの、ハンカチで鼻と口を押さえている。
「戦場の臭いには、じき慣れる。嫌でもな」
「あ、そうですね」
床に白線が引かれたリフトアップエリアに入ったアダチが、振り向きざまに敬礼すると、気付いたダイバーは苦笑いで返礼した。彼らは傷一つないアサルトスーツを着ている新兵の敬礼に、戦場の現実を知らなかった頃の自分を重ねたのだろう。
「シオン、アップル、お前たちもリフトに乗れ」
「わかりました」
「はい」
俺がパネルを操作すると、リフト部の床が迫り上がり、第玖玖游郭昇降階層に向かって垂直の壁を昇っていく。頂上までは5万メートルで約30分で到着する。
「アダチ、リフトが加速するからヘルメットを被れ」
「え、加速中は慣性制御が働きますよね?」
フルフェイスを被った俺は、ヘルメットの耳の辺りを指で叩いた。アダチの言うとおり、大型兵器や輸送車などの搬入も想定したリフトエリアには四方に壁がなく、床に加速するリフト上の慣性をゼロにする装置が組み込まれている。だから急加速しても急停止しても、乗降客がリフトから放り出される心配はない。
たぶん彼女はウラヌスから98階層の従軍都市まで、乗り心地の良い優雅な馬車で登ってきたのだろう。加速するリフトに立つ人間が、どれだけの風圧に晒されるのか知らない。
「イ、イ、イブキさあん……こ、こ、これっていったい、い、い!?」
筋力強化しているアサルトスーツのおかげで、風で吹き飛ばされる心配はないものの、上から吹き下ろす風に、アダチは髪、瞼、耳、唇などブルブルと震わせている。
状況の飲み込めていない彼女は、玩鞄アップルにフルフェイスを預けたままで、しばらく腕を前に出して俺を探していた。たかが風に動揺する姿は滑稽であり、嗜虐心が疼いてしまいそうだ。
「リフトに乗ったら、到着するまでに装備を整えておけ」
「あ、ありがとうございます」
アダチにヘルメットを渡した俺は、シオンに預けた量子崩壊銃と直刀系の高周波ブレードを受け取った。
「游郭昇降階層の外周は、人形が絶対に越えられない電磁隔壁で覆われている。軍はリフト周囲に足場を組んで前線基地にしている」
「電磁隔壁の外側に作った区画は、ドークに襲われる心配はないんですよね?」
「そうだ。俺たち哨戒任務の兵隊は、その足場を移動して割り当てられたゲートから戦場に侵入する」
「はい」
「リフトを降りたら、すぐに移動するから準備はここで済ませるんだ」
戦場でバディとなる相手の表情は、フルフェイスの視界にARで表示されるので、顔全体を覆い隠すヘルメット越しでもわかる。
アダチは不安な顔で量子崩壊銃のスリングに肩を通して、腰に携行した予備蓄電弾倉のバッテリー残量を確認していた。
「初陣で気負うのはわかるが、この戦場の外周から予測される面積は約5,472万km²。これまでの戦闘で哨戒エリアでは監視役の自動砲台を排除しているし、ドークの集団と会敵する可能性は低い」
「ええ……わかっています」
「哨戒任務の目的は、あくまでリフト周辺に近付くドークの索敵だからな。敵を見つけたとしても奴らは目が悪い、こちらから不用意に手を出さなければ襲ってこない」
「はい」
「戦死するときは、俺たちの勇み足が原因だ」
俺の任務は、昇降機を探索しているダイバーたちが戻ってくるゲート周辺のドークを排除することで、同じゲートを守護する他の戦友たちと、120時間毎に交代しながら戦場に入る。
ゲート周辺のオメンを殲滅していれば、クモやマネキンが呼び寄せられることがない。ドークの行動パターンは単純なもので、ただ戦闘が始まれば近くのドークを呼び寄せるだけだった。戦略というものは皆無、数で圧倒する戦術しか持ち合わせていない。
監視役のオメンが排除されていれば、ここに俺たちの拠点があると、クモやマネキンを再配置すれば良いものの、そうした知性がドークにはない。
つまり俺たち哨戒兵が悟られずに徘徊するドークを見つければ、援軍を呼んで有利な戦況で排除することが可能だった。
「私が、功を焦るタイプに見えますか?」
「いや、それでもトラブルは起きる」
キルビスが左眼を抉られたとき、哨戒中に出会い頭で会敵したドークを振り切れずに、守護するゲートの電磁隔壁まで人型と多足歩行を引き連れてしまった。
片腕を残して飛び退ったマネキンの背後で、クモに貪られていたのは、交代時間をオーバーしていた俺たちをゲートで待っていた戦友のハッサンだった。
ハッサンの相棒エーシャには、あれから会っていない。こちらもキルビスが負傷していたし、玩鞄を通じて送ったお悔やみの返信がなかったからだ。戦争しているんだから人が死ぬのは日常だが、それが顔見知り以上の戦友ならば、さすがに気が重くなる。
二人が恋人同士だと聞かされていれば、なおのことだ。
「キルビスの交代要員が、エーシャじゃなくて幸いか」
「何ですか?」
「いや……そろそろ頂上に到着するぞ」
キルビスの交代要員がくると聞かされて、無意識にエーシャとのバディを想定していたのだろう。紹介されたのが士官候補の新兵だったとき、悪態をつく余裕があったのもそのせいか。
恋人を失った女と組まされずに安堵するなんて、薄情な自分に嫌気が差した。
リフトが第玖玖游郭昇降階層の前線基地内に作られたリフトハンガーに到着すると、俺はアダチと玩鞄たちを連れて外周の左右に伸びる真空チューブの超伝導リニアに乗り換えた。
俺の守護するゲートは反時計回りに二駅目で降車して、そこから兵員輸送車と徒歩で二時間、兵舎テントを出てから片道三時間のところにある。
第壱参界境『13番ゲート』が、これからアダチと哨戒任務に入る戦場の入口だった。
「あら、イブキくん?」
結い上げていた長い金髪を解いたエーシャが、13番ゲートからフルフェイスを抱えて出てきた。
彼女は見たことのない女性のバディを連れており、装備の汚れ具合を見れば、相棒のハッサンを亡くした彼女の交代要員も新兵のようだ。ゲートを出たのにフルフェイスを被って、量子崩壊銃の引金から指を離さない新兵は、身体を小刻みに震わせている。
「エーシャ、ハッサンのことはすまなかった」
「そうね。私もその場にいたし、頭を一撃で射抜かれたら即死だもん。イブキくんのせいじゃないわ」
エーシャに宛てがわれた交代要員の玩鞄が、へたり込んだ所有者に医療テントでのカウンセリングを勧めていた。
「よほど怖い目にあったようだな」
「あ、この子? 初めての任務なのに、片腕のマネキンに襲われちゃってさ。可愛そうだけど、戦場では使い物にならなそう」
「片腕のマネキン。あのとき自分から腕を千切って、距離をとったマネキンか?」
「そう。ハッサンを有機素体として取り込めば、いくらでも腕なんか生えてくるマネキンが、なぜか片腕のままで徘徊していたのよ……あの人が不味かったのか、それとも菜食主義なのかしら」
恋人を亡くしたばかりのエーシャが、何を言っても痛々しくて見てられなかった。98階層の時間の概念で言えば、ハッサンが殺されて当日の会話なのだ。
「大丈夫!?」
「あ……ああ……アダチ……わたし……には無理だわ」
「ジンは、まだ初戦でしょう? 諦めるのは早いわよ」
後から追いついたアダチが、腰の抜けている新兵の女に抱きついた。同じ時期に戦場に配属された二人は、指揮官養成学校バベルの同級生で昔からの知り合いだったらしい。
フルフェイスを脱がされた新兵は、恋人をドークに殺されたエーシャのバディに配属された実習生で、アダチと同じ士官候補生の静だった。
「イブキくんのところにも、旅行気分のお嬢さんを交代要員に回されたのね? こいつら、ぜんぜん使い物にならないわよ。マネキンと目があっただけで、泣き喚いて無駄弾を撃ちまくってさ」
「そ、それは、エーシャさんが出し抜こうと言ったから!」
「あら、片腕のマネキンは一体だったのよ。友軍が会敵した人形に数で勝るときは、先制攻撃が基本だと学校の教本に書かれていなかったの?」
「それは……そうです」
泣き腫らした目の静は、エーシャの命令で仕方なく機先を制しようと引金を引いたらしい。
「私たち現場の兵隊はね、司令部の命令や教本どおりに戦っているのよ。貴女が司令部勤務を希望するなら、ちゃんと戦争の現実ってやつを目に焼き付けて帰りなさい」
静の胸元を掴んで引き起こしたエーシャは、胸で抱き寄せると頭を撫でた。
実習生に厳しすぎる現実を目の当たりにさせた彼女だが、生徒を突き放すつもりはなさそうだ。恋人を失った憤り、憂さ晴らしがなかったとは断言できないものの、それを自制できないほど若くもないだろう。
俺は98階層に戻るエーシャと静を見送ると、ますます不安げなアダチにゲート前で声をかけた。
「なあ、アダチ」
「何ですか?」
「俺には、頭を撫でるなんてフォローを期待するなよ」
「わ、わかってますよ! イブキさんが、あんな真似したら気持ち悪いです」
鼻頭を指で掻いた俺は、そんなに厳しく接しているつもりはない。
初陣を前にしたアダチは、取り乱す友人を見て心に余裕がないのだろう。気負うのは結構だが、勇み足だけは勘弁してくれよ。
「シオン、ゲートオープン」
「わかりました」
フルフェイスを再装着した俺は、量子崩壊銃を背負い直して薄暗い第壱参界境の扉を抜けた。
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