Episode1 状況の変化
【一日目/10セット】
アダチの玩鞄アップルはライオットシールドの底を地面に突き立てると、彼女をクモの放った砲弾から身を呈して守っている。
盾で弾かれた長細い砲弾は、投げ槍のようなもので炸薬がない。兵隊が着ているアサルトスーツの防刃性能でも無傷を通すのは難しいが、新型玩鞄の装備する合金の遮蔽板を貫通するほど威力がなければ、敵と対峙している彼女も落ち着いていた。
「アップル、肩を借りるわね」
「はい」
指揮官養成学校バベルがアダチに支給したアップルは、戦場での荷物持ちだけでなく、準戦闘行為にも参加する新型だった。
片膝を立てたアダチは、量子崩壊銃のバイポッドを畳んで玩鞄の右肩に乗せて迫りくる敵に狙いを定めた。彼女がスコープを覗き込むと、ヘルメットの内側には髪を振り乱しながら疾走するクモの顔がズームアップされる。
「アダチ、蓄電弾倉の予備が残り少ない。脳神経節を撃ち抜いて、接近するクモを狂戦士にするなよ」
アダチは『わかってます』と、量子崩壊銃の銃身を遠距離精密射撃用の集光バレルから近接用の拡散バレルに切り替えた。敵との距離が離れていれば、人形の眉間にあるストロー状の脳神経節を破壊して自壊するのを待てば良いが、頭を失った奴らは破壊衝動が暴走、バーサーカー化して敵味方の区別なく周囲を攻撃する。
接近するクモの円筒器官を集光バレルで撃ち抜けば、文字通り死にものぐるいで襲ってくる人形と交戦しなければならない。それに相当な実勢経験を積まないと、照射範囲の狭い集光バレルで動く的にヒットさせるは不可能で、無駄弾を撃たされるだけだ。
接近してくる敵には、レーザーの照射点を広げる拡散バレルによりショットガンモードで制圧するのが定石だった。
「グギギギっ!」
アダチが引き金を引いた瞬間、全身に青白い弾痕が刻まれたクモは、金属を擦り合わせたような不快な呻き声をあげて立ち止まる。
「私が足を止めるので、イブキ先輩はトドメをお願いします!」
「ああ」
アダチは拡散バレルのまま、アップルの構えた盾の背後から飛び出すと、クモの左側に回り込んで脚の関節球を量子崩壊銃で撃ち抜いた。
彼女が戦場に派兵されたのが9セット前、初陣で脚が震えていた実習生が、生意気な口を叩いて俺に指図している。
「よくぞ成長したと、褒めてやるべきかな」
「早く!」
クモの三本ある左脚の関節球をショットガンで粉砕したアダチは、そのまま後方に距離を取って手を煽った。
俺は直刀系の長脇差を抜くと、少女のようなクモの上体を斬り裂いて、赤熱に輝くドークの炉心を剥き出しにする。遠距離では脳神経節を破壊して同族同士の殺し合いや自壊を狙い、近距離では炉心を破壊して確実に息の根を止める。
高周波ブレードの真っ直ぐな刃が、ドークの炉心にズブズブと音を立てて吸い込まれていく。
「これで終わりだ」
俺を見下ろす少女が死を予感しているのかわからなければ、死の宣告も、人類の敵に送る手向けの言葉に勿体無いくらいだ。そもそも人形たちを構成する素体は無機物で、後天的に生体パーツを取り込んでいるが生き物ですらない。
人形に死の宣告、宗教関連の毒書を読み耽っているせいで、感傷的になっているのかもしれないと思った俺は、これは勝ち名乗りだと自分に言い聞かせた。
そして炉心を失ったクモの顔から血の気が引くと、外骨格の隙間から弛緩した筋繊維が地面にこぼれ落ちる。行動を停止した奴の生体パーツは、外骨格や一部の器官を残して融解した。
「目標は完全に沈黙、周囲にドークが集まってくる気配もありません。イブキ先輩、応援要請を解除しますか?」
「アダチも、ずいぶんと手際が良くなったじゃないか」
「ドークとの会敵は今日だけでも三回目で、そりゃあ手際だって良くなります」
アダチは絶命したクモの眉間をナイフで切り裂くと、傷口を手探って脳神経節を取り出した。これを潰さずに放置しておけば、仲間の信号をキャッチした同族のドークが集まってくる。
彼女は指先に力を込めて小さな円筒器官を押し潰すと、汚れた手を腰の辺りに擦りつけて拭った。
「人形の臭いは、ぜんぜん馴れません」
「スーツの汚れは時間が経てば分解されるし、ドークの体液は乾けば無臭なんだろう」
「ええ、まあ……でも鼻が曲がりそう」
「キルビスは人形の匂いを嗅ぐと、海が恋しくなるらしい」
「海ですか?」
鼻が効かない俺には、ヘルメットに表示される臭気の成分しかわからないのだが、海洋ブランクトンの腐敗臭に類似している。興味本位でキルビスに聞いてみれば『潮風のような香り』と言うのだから、アダチが顔を顰めるほどの悪臭とも思えない。
ただキルビスは3日間の療養期間を利用して、わざわざ祖階層アースでサーフィン楽しむ男なので、潮風の例えは『彼にとっては』との注釈が付くのだろう。
「キルビスのやつは、俺を祖界かぶれ扱いしているくせに、何が『アースは良い波がくる』だ。地球なんて3日間の休暇のうち、2日間かけて往復するような観光地でもないだろう」
「そう言えばキルビスさん、祖階層に下りたみたいですね。私も地球に行ってみたいな。イブキ先輩はどうです?」
「興味ないね」
「でもでも、次の終末期が始まったら、私たちが生きている間に租階層まで下りるチャンスがありません。今の地球文明は、数年以内に終焉が予想されているんですよ」
人間が第壱游郭昇降階層を発見したのが6億5千年前、多重階層世界の現実を最初に受け入れた人類が生まれたのは、今とは別の地球文明で育った地球人だった。
租階層アースは有史以来、何度も破壊と再生を繰り返しているが、幾度再生しても何者が与えた偽の概念により、似たような歴史を歩んでいる。
それは、まるで完成しかけたパズルの盤面を台無しにするが如く、多少の誤差があっても、地球の年号である西暦2千年半ばを迎える頃に終焉する。ほとんど変わらない世界の再構築を続けることに、何の意味があるのだろうか。
ドラマルクの紹介で訪れた図書館で、軍司令部が毒書指定した禁書・偽書の類いを読んでいる俺の心には、それなりの解釈が芽生えつつある。ただ宗教という概念を言葉にして伝えるには、まだ時間が掛かりそうだ。
「ハルマゲドンなんて、地球人に真実を開示すれば避けられる。戦争も飢饉も、偽書に書かれたタイムスケジュールだと教えてやれば良いんだ」
「そんなことしたら、新世界連合憲章に批准していない租界主義者たちと戦争ですよ。彼らは何者の残した予言を実行することで、多重世界の真理を得られると本気で考えています」
租階層アースで予定されている『ハルマゲドン』とは、何者の与えたもうた概念を絶対とする租界主義者の自作自演である可能性が高い。そんな年端もいかない子供でさえ知っている公然の秘密、軍司令部は、なぜ何者崇拝の狂信者たちの愚行を見過ごしているか。何者の真意、多重階層世界の真理を得るよりも、未然に防げる大量虐殺を放置する方が問題だ。
「イブキ先輩にとって日本は、お父さんの生まれ故郷なんですよね。次の地球文明に日本があると限らなければ、目に焼き付けておきたいと思いませんか?」
俺の父親が地球を後にして百年以上が経過しており、彼を知っている人間も残っていない。俺は拙速に真実を求めて、大勢の人間を殺した父親の痕跡を追うことに興味がない。
俺が真実や真理の探求を口にする主義者を毛嫌いするのは結局のところ、母親や同僚を巻き込んで死んだ身勝手な父親に対する焦燥感があるのだろう。
「アダチ、カノン、アップル、ドークの索敵を続けながら第壱参界境に引き上げるぞ」
俺は雑談を切り上げると、周囲を索敵している彼女たちを呼び集めた。
「イブキ先輩、まだ帰還時刻じゃないですよ。哨戒エリアを折返すには早くありませんか?」
「浅瀬での交戦は通常、一日に一回程度なのに、ここ数セットの哨戒任務で十数体の人形と会敵したのは異常事態だ」
「ドークとの会敵頻度は、そんなものなんですか?」
戦場の深部に潜ってドークと戦うダイバーと違って、前線基地周辺の周辺に迷い込んだ人形の掃討任務だ。俺たち浅瀬の哨戒兵が、人形たちと立て続けに交戦することはない。
しかしアダチとのバディを組んでから、毎回のようにドークと会敵するようになった。
そして指令部の交戦記録を調べれば、俺たちが戦場に潜入している13番ゲート周辺ばかりで行われている。戦況に変化があるのならば、何らかの対策を講じる必要がある。
「一回の哨戒任務で、ドークの群れに三度も出会したなんて聞いたことがない。これは、いよいよもって何かの異変があったと考えるべきだろう」
「そうなんですね」
俺は緊張感のないアダチの態度に、ヘルメット越しに顔を両手で覆った。
戦場での経験が浅い実習生は、状況の変化に気付いていなかったようだ。彼女にしてみれば、任務初日にドークと交戦してから毎回の出撃で敵と向き合っている。多くの戦闘をこなすことで戦闘技術の向上と度胸だけは一人前に育っているが、彼女は指令部勤務を希望する実習生だ。
アダチを五体満足でウラヌスに帰すことが優先されるのならば、これ以上の実戦経験は不要だと思った。
「哨戒兵には、戦況に変化を感じたなら軍司令部に報告する義務がある」
「わかりました」
「ただ状況の変化がアイツのせいなら、いくつか確かめておくこともある」
「カノンですか?」
俺が視線を向けた先には、ドークとの戦闘から退避していたカノンが顔を覗かせる。
予備の蓄電弾倉が入ったケースを手にした、オレンジ色の目立つアサルトスーツに身を包んだカノンは、まるで玩鞄のように無表情で俺たちを見ていた。
「カノン、いくぞ」
「はい」
カノンを玩鞄として戦場に連れ出させたコーラス少将やモニカは、この事態を把握しているのだろうか。ウラヌスの軍司令部に報告する前に、それらを問い質す必要があった。
※ ※ ※
前線基地を横目にリフトハンガーで兵舎区画に下りた俺は、13番ゲートの部隊長エーシャ中尉に『折り入って話がある』と、メールで呼びつけてから自宅に向かった。彼女からは、すぐに了承した旨の短信があり、秘匿性の高い相談があると伝えるには十分だったようだ。
カノンについて第壱参界境の部隊に情報統制が敷かれているならば、いざというときに捨て駒にされかねない。コーラス少将と謁見するならば、申し訳ないが、信用できる上司のエーシャには俺の保険になってもらう。
「あーっ、だめです! スーツを脱ぐならバスルームでって、あれだけ言ってるじゃないですか! なんでリビングで、スーツを脱ごうとするかなあ」
「うん?」
「スーツ表面の汚れは分解されますが、100時間以上も戦場を動き回っててスーツ内にこもった汗の臭いとか、その老廃物的な臭いとか、なんて言うか男臭さ? そういうの苦手なんですって!」
帰宅した俺がアサルトスーツのファスナーを下ろそうとすると、アダチは両手を顔の前で振り回して、スーツにこもった体臭を掻き消そうとした。
「アダチは、嗅覚過敏症じゃないのか? 一度、モニカの病院で調べた方が良いぜ」
「イブキ先輩の鼻が悪いだけですよ。一緒に暮らしているんだから、最初に決めたルールくらい守ってください」
「わかったよ。そんなに気になるなら、俺を先に入れてくれ」
「女の子が先に入浴するルールです。カノン、行きましょう」
俺はアサルトスーツを着たままリビングのソファに腰掛けると、バスルームに向かってカノンの手を引くアダチを見送った。
アダチが、あんなに嫌がる俺の体臭とは、どんな匂いなのかと襟元を指先で捲ってみるが、そもそも臭覚がないのでわからない。ただアサルトスーツには生体補修部品と同じ技術が使われており、破れようが、引き裂かれようが、よほどのダメージでなければ数時間で傷を自動修復する。彼女の嫌がる戦場の臭いだって、スーツが乾けば臭素が除去されるはずだ。
「脱いだばかりのスーツは、生乾きみたいな臭いがするらしい。まあ老廃物の分解には、独特の臭いが伴うらしいからな。しかし同居してから1000時間以上も一緒にいるんだから、俺に嗅覚ないことだってわかっているだろう……失礼な奴だ」
アダチは、紛い物の俺に五感が欠如していると察している。それでいて、哀れんだり腫れ物に触るような態度を見せない。化け物じみた俺にとっては、常人扱いが嬉しかったりする。
「いいや。良い奴だよ、実際」
アサルトスーツをリビングで脱ごうとする俺は、周囲から女心のわからない『朴念人』と呼ばれている。だから、それを嗜めることが、アダチの照れ隠しだとは思わなかった。
第二章のスタートを記念して『SETTING設定』に、挿絵を追加しました。宜しければ見てください。





