Episode11 仮説
物語の核心に触れるエピソードです。丁寧に説明したつもりですが、世界観が難解なため難しいかもしれません。今回は、なんとなく理解してもらえれば問題ないように書いたつもりです。時間消失と主人公の立場は、後述のエピソードで補足していきます。
浦島太郎の物語。
海岸で虐められていた亀を助けた浦島太郎が、助けた亀に連れられて海底の竜宮城で乙姫に歓待された。しかし数日後、浦島が地上に戻るとき、乙姫から『絶対に開けてはならない』と玉手箱を渡される。そして彼が戻った地上では、竜宮城で過ごした時間より長い年月が経過していた。
「――失意の浦島は、乙姫との約束を守らず玉手箱を開けて老人になる。まあ君たちのルーツが日本にあるなら、幼少期に一度は耳にしたことがある童話だろう」
ドラマルクの言ったとおり、俺の父親は祖階層の日本生まれの日本人であり、アダチも日本にルーツがあるのは明らかだ。ファミリーネームは父権制の象徴にして女性の社会進出や尊厳の弊害となると禁止されており、また家督による遺産相続も格差社会を増長すると禁止されて久しい。そのため俺たちは、個人を識別する名前と個人資産の所有だけが許可されているのだが、アダチのように古く名乗っていたファミリーネームを子供に付ける親もいる。
家名を法律で禁じても、自分たちのルーツを子孫に残したいとの思いの表れだ。それに法律が個人資産の所有しか認めていなくても、政治家や軍の高官は、自分の仕事や地位を子供に世襲している。
「浦島太郎の物語をどこで聞いたのか覚えていないが、話の内容は知っている」
俺には、疑似昇降機の起動実験で亡くなった両親との思い出が少ない。彼らとの思い出は事故後、紛い物の身体となった後で人伝に聞いた記憶もあり、どこまでが俺自身の記憶なのか曖昧だった。両親との繋がりで確かなのは、父親の遺品として譲り受けた腕時計だけである。
しかし地球人で日本人だった父親は学生時代、天体物理学の研究に取り組んでいたため祖界主義者に危険人物として扱われた。卒業後も大学に残って物理学者となった彼は、突然押しかけてきた祖界主義者に多重階層世界の秘密を打ち明けられると、そのまま20階層マーズの研究機関に招かれた。
俺の先代までは生粋の日本人なのだから、日本の童話を父親から聞かされていてもおかしくない。
「この童話は、おそらく何者が比喩表現を用いて多重階層世界の概念を描いている。例えば竜宮城をマーズで過ごした一日と考えれば、地球では二日ちょっと時間が経過している。竜宮城が更に上部階層の地殻であれば、浦島が数日過ごして戻った地球では長い年月が過ぎていた」
したり顔のドラマルクだが、何者が多重階層世界の概念を民話、伝承、宗教に姿を変えて人間から隠していたふしはある。ただ浦島太郎の物語が何者の書き残した比喩表現で、人間から世界の真理を遠ざけたというのは論理の飛躍に思えた。
「俺たちの生体時間は固定されているので、ドラマルクの言ったとおりにはならない。時間の概念は、地殻のサイクルと同調しないはずだろう」
「そうだね。一世代目の遺伝子変異がみられなければ、この童話には矛盾があると言わざるを得ない。だけど長寿命の遺伝子操作をしていないナチュラリストが世代交代を繰り返せば、僕らの生体時間は新天地の時間の流れに取り込まれる」
「人間が新天地で交配を繰り返せば、いずれ生体時間の遅れが生じる」
「そういうことだ。何者は本来、下部階層の観察のために上部階層に新天地やシステム区画を作ったと考えているんだ。僕の仮説が当たっているなら、何者はリアルタイムの観察なんて気の遠くなる真似をしない」
「上部階層から下部階層を観察すれば、下部階層の時間は相対的に早く流れる……つまり倍速で観察が可能になる」
「何者が多重階層世界の頂上にいるならば、限りなく静止した時間の中で、僕ら人間の行動観察が一瞬で出来るんだ。浦島太郎が竜宮城で数日過ごしただけで、地上では千年の時間が経過していた。竜宮城を何者がいる頂上、地上を人間が暮らしていた地球と考えても矛盾がない」
「ドラマルクの考えが正しいとして、俺たちはそれぞれの新天地と時差なくコミュニケーションが出来ている。上下階層で時差が生じないことが、論拠の矛盾に他ならない」
「時間の遅れは、違う時間軸に観察者が二人以上いて成立する。同じ時間軸にいる者は、相対的に時差を感じないからね。ウラシマ効果という時間の遅れは、浦島が一人で亀に跨って竜宮城を行き来したから、地上の人間と時間の遅れを実感できたんだ」
「では俺たちは、みんな亀の背中にいる?」
「いいや、僕らは亀に乗らなかった……亀に乗るのを拒んだ人間だ」
アダチはドラマルクの話で、何か思い出した様子で手を打った。彼女は時間消失の件、時間の遅れの現象についてバベルの授業で聞いたことがあったらしい。
「物理学は専攻してないので概略しか覚えてないんだけど、光速で動く物体の時間は限りなく静止するってやつですね」
「僕が伝えたかったことは、まさにそれだよ。それがアインシュタインの特殊相対性理論。観察や再現性のない科学を疑似科学とする今の風潮では超自然分野の学問だが、彼の特殊相対性理論はオカルト・フォースじゃないんだ」
「ドラマルクさんは、上部階層の時間そのものが下部階層よりゆっくり流れていると考えているんですね。それを私たちが自覚できないのは、長寿命の遺伝子操作により生体時間が固定されているから?」
「そのとおりだ。僕らの言動は上部階層で無自覚に加速しているものの、何者の精神波動ネットワークで下部階層と紐付いた僕らに知覚することが出来ない。時間の遅れを認識できるのは、自生する動植物と生体時間が同調する者だけだ」
「新天地に同調した人間には、下部階層の人間が相対的に加速して見える……逆に言えば、私たちには減速して見えるのかしら」
アダチの考えが正しい。
亀の背中に乗った浦島には、地上に残った人間が加速して見えるし、地上に残った人間には、竜宮城に向かった浦島が減速して見える。長寿命の遺伝子操作で生体時間を固定した俺たちは、下部階層の人間と時差を感じないのだから、亀の背中に乗るのを拒んだ人間ということだ。
俺たちは相対的に減速する上部階層にいるにも拘らず、下部階層に生体時間を固定している。
「長寿命の遺伝子操作は、成人の肉体年齢まで成長した肉体の生体時間を減速させて老化を防ぐが、言語、運動、思考などを司る脳機能だけは、祖階層の人間と同等に留めておく未知の技術なんだ。思考が肉体の生体時間に合わせて減速すれば、僕らの言動は地球人より減速してしまう」
俺は『知覚が減速すれば、地球人の行動が加速して見えるはずだからな』と、ドラマルクの解説を補完した。肉体の生体時間が減速しても、脳機能が祖階層と同等だからそうならない。
彼の仮説を信じるならば、長寿命の遺伝子操作の副作用である加速思考の説明もできる気がした。肉体と思考の生体時間が相反する遺伝子操作の弊害で、思考の生体時間が無駄に加速する者がいる。時間が間延びして感じる加速思考という症状は、そういう病気ではないのか。
「僕は遺伝子操作を拒んでいたアンナと、同じ時間を歩めないか考えて、このウラシマ効果に辿り着いた。このまま多重階層世界の頂上を目指せば、いずれ時間は限りなく静止する……死を超越できる気がしたんだよ」
そうならないのは、ドラマルクもわかっているだろう。
彼らの生体時間が、新天地の時間の流れに順応するには世代交代が必要である。遺伝子操作を拒んだアンナの生体時間は、彼の仮説であるウラシマ効果を利用しても変わることがない。また同様に長寿命の遺伝子操作された彼も、新天地の時間の流れに順応が出来ない。
最愛の人と違う時間の流れに取り残される彼は、図書館に通い詰めて同じ時間を過ごす方法を探していた。そう思えば、聞かされているのは悲恋物語でしかない。
丸眼鏡を外して目頭を指で押さえたドラマルクは、鼻をすすって涙を堪えている。
「多重階層世界は、祖階層アースを離れるほど光速で移動して時差が生じている。そうだとすれば、なぜ戦場にある昇降機は物理的に上下階層を繋いでいられる?」
ドラマルクの仮説には、大きな問題がある。昇降機により時間軸の違う上部階層に移動することで、下部階層と時差が生じるならば、なぜ上下階層を自由に往来できるのか。彼は、その矛盾にも答えを用意していた。
「未知の技術で作られた巨大なシステム区画は、游郭昇降階層による時空移動を可能にする演算機だと思う。昇降機は、上下階層の移動手段でもありタイムマシンでもあるんだ。上昇すれば過去へ、下降すれば未来へ、それぞれ時差が生じないように時空を移動している。何者の残した精神波動ネットワークを利用した通信システムも、上下階層で時差を感じないように機能している。脳機能が各階層の時間軸に順応していれば、上部階層にいる僕らは本来、下部階層にレトロスペクティブを観ていたはずだ」
「しかし生体時間を固定した俺たちには、タイムマシーンの機能を利用する必要がない」
「だから本来はと言っただろう。それでも違う時間軸の二つの世界を繋ぐには、昇降機で時計の針を合わせる必要がある。何者は少なくとも、その技術を有している」
ドラマルクは、上部階層から下部階層とコミュニケーションするときに未来の人間と、下部階層から上部階層のときは過去の人間と会話することが出来ると考えていた。上下階層の行き来は、タイムマシンで過去と未来を行き来できる。
偶数階層毎に地殻を覆い尽くす巨大なシステム区画は、上下階層の時空移動やコミュニケーションを可能にする演算機だと言った。
「昇降機がタイムマシン……それこそオカルト分野だな」
もしかすると昇降機を時空移動するタイムマシンと考えたドラマルクは、システム区画の演算能力を使えば亡くなった妻のアンナと再会が出来ると考えているのか。仮説が正しければ確かに可能かもしれないが、既成事実となった過去への干渉は出来ない気がした。
「威吹の体験した時間消失は、そうした上部階層からの接触と考えられないかな」
「どういう意味だ?」
「カノンさんが威吹の玩鞄をハッキングしたとき、戦場で接触してきたとき、周囲の時間が止まっていたんだろう。彼女が上部階層から威吹に接触してきたのなら、今までの説明で納得が出来ないか」
アダチは『話が繋がりました』と、ドラマルクに同意するように頷いた。彼女は初めて出会ったとき、シオンが静止した時間の中でハッキングされたことを肯定している。
「これはバベルの教授に聞いた話なのですが、精神波動ネットワークを媒介して人間が何者と接触したとき、時間が消失する事例に立ち会ったそうです」
「人間が、何者と接触した話なんて聞かない」
「ありますよ。よく思い出してください」
「まさか巫女?」
「ええ。世間では、何者の残した未知の技術を応用出来るパロットシンドロームの患者が、瞬時にして知識を得たように言われていますが、教授は、患者が何者から知識を得た時間が静止していたと言っていました」
「ドラマルクの仮説が正しければ、多重階層世界の頂上にいる何者の生体時間は限りなく静止している」
「何者が違う時間軸にいるなら、時間を限りなく静止しなければ人間とコンタクトできませんよね」
「そういうことか」
ドラマルクとアダチの考えは理解したが、そうなると別の疑問に突き当たる。俺は『巫女』と呼ばれるパロットシンドロームの患者でもなければ、何者から未知の技術を教わってもいない。多重階層世界を作った何者が、一介の兵隊でしかない俺に接触する意味がわからない。
俺はカノンから『バラバ』という罪人で、恩赦を与えると言われただけだ。そもそも俺のを犯した罪が何なのか、恩赦とは何なのか、全く心当たりがなければ、やはり意味がわからない。
ただ時間を静止したのが何者で、感受性パロット症候群のカノンを巫女だと仮定した場合、俺の介在する理由がわかれば、全ての謎が解けるのはわかった。
「これは?」
俺が手渡されていた本を見ると、仰々しい装飾が施された革表紙に見慣れない言語が書かれていた。
「威吹が言っていた『四福音書』を解説した古書なんだが、宗教関連の書籍は毒書指定されているからセンターAIのアーカイブで読めないだろう。紙媒体の書籍は、電子書籍のように検閲が簡単じゃない。それに古書となれば、古美術としての資産価値があるから軍も容易に焚書が出来ないんだ」
「ああ。助かるよ」
「僕はカノンさんの言った『バラバ』という人物が、四福音書にどう記載されているのか知らないんだ。でも何者が世界の真理を隠すのなら、聖書というのは好都合だと思う。玉虫色の解釈は、真理を知る者に伝わり、真理を知らぬ者に伝わらない」
「多重階層世界を知る祖界主義者には予言となり、知らない地球人には宗教的な戒めとなる」
ドラマルクは『本の持出しは厳禁だ』と念を押してから、帰宅してナチュラリストの子供たちが通う学校名簿を調べてくると席を立った。俺は玩鞄のローカルストレージに本の内容を記録するために、アダチを残して図書館の充電用ハンガーラックまで彼を見送る。
「何者が神様だとすれば、僕ら人間に福音をもたらした12人の巫女は十二使徒かな。神の子が藉身して人となった救世主が見当たらないけど、まさか威吹が受肉した救世主だなんて言うなよ」
「ドラマルク、俺は無神論者だ」
「僕だって霊的な存在なんて信じてないけど、それでも死んだアンナの存在を身近に感じるんだ。威吹は、何者の残した彼女たちに魂が宿っていると感じたことはないか」
「玩鞄に?」
「僕らも何者が作り出した実験動物に過ぎないとしたら、彼女たちと然程変わらない。いいや、今の話は忘れてくれ……僕は疲れているようだ」
俺が図書館に呼び込んだシオンとカノンを一瞥したドラマルクは、片手を上げて石段を下りていく。背を丸めて歩く後ろ姿を見れば、生涯の伴侶を亡くした彼に悲哀を感じた。





