Episode10 スラム街
従軍都市とは、奇数階層毎に存在する戦場の前線基地とともに転居する市街地区のことで、俺たち兵隊が暮らす兵舎の周囲に建造される。
従軍都市の住民は1千万人と公表されているものの、戦場が変わるたびに転居を強いられる住民に定住意識が希薄なため、都市の人口動態統計は当てにならない。またウラヌスの軍司令部により誘致された市街地の外周には、木星人や土星人の出稼ぎ労働者が違法入居したスラム街が広がっており、実際の住民は公表数字を遥かに上回るだろう。
「イブキ先輩、ここから先は市街区画の外ですよ」
「わかってる」
「では引き返しましょう」
市街地とスラム街に明確な区画は行われていないが、アダチは従軍都市の外縁を周回するバスを降りて、更に外側に向かって歩く俺を呼び止める。
スラム街には、ナチュラリストのコミュニティや反戦活動家のアジトがあり、そんな如何わしい場所に玩鞄を連れ歩く兵隊が出入りすれば危険がある。それに軍司令部に玩鞄の行動記録を調べられれば、あらぬ疑いをかけられる可能性もある。彼女がスラム街に足を踏み入れるのを躊躇うには、そうした背景があった。
「軍や玩鞄は、戦場の外まで兵隊のプライベートに干渉しない。玩鞄による常時行動監視がまかり通れば、誰も兵隊に志願しないからな」
「でも憲兵に疑われることがあれば、アップルたちの行動記録のログは開示されますよ。疑われるような場所には、立ち入らないのが賢明です。君子危うきに近寄らずと言うでしょう」
「虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うぜ」
「何が虎子なんですか?」
アダチは俺がカノンに視線を向けると、街を案内するのが口実だと気付いたようだ。
カノンを戦場に送り込んだのが軍でなければ、ウイリアムが言ったとおり反戦活動家や過激思想のナチュラルリストの可能性が高い。俺は彼女の素性を探るなら、スラム街を訪ねるのが手っ取り早いと考えている。
「私たちが軍関係者だとわかれば、テロリストの標的です」
「スラム街に非武装で出入りするような兵隊は、奴らの友人くらいだ」
「イブキ先輩は、テロリストの友人なんですか!?」
「だとしたら司令部に密告するのか」
「それが本当なら……そうしますよね」
俺は『そんなわけあるか』と、戸惑うアダチを見て笑った。
カノンの処遇について戦場統括官コーラス少将のお墨付きがあれば、多少無茶な行動に目を瞑ってくれるとの算段がある。こちらは軍司令部への偽証報告の事実を握っているので、カノンの素性を探るために、スラム街に出入りするくらいの疑惑は握り潰してくれるだろう。
「イブキ先輩が街を案内してくれると言ったから、私は付き合っているんです」
「スラム街だって従軍都市の一部だし、知っておいて損のない場所だ。現実を知るための社会勉強の一環だと思えば、ここは最適だと思うね」
「そうですか」
「アダチには確認したいことがあるから、この先に付き合ってもらいたいところだが、兵舎に戻るなら一人で戻れるだろう?」
俺はシオンとカノンを連れてスラム街を目指すと、不貞腐れたアダチは小走りに追いついて横に並んだ。
アダチは初めて出会ったとき、俺がシオンのハッキングを夢だと否定するのに『いくつかの論理的な矛盾があります』と言い放った。ウラヌスの指揮官養成学校バベルの実習生には時間消失、ドークによる玩鞄のハッキング、それらを肯定する論拠がある。当時は聞き流してしまったが、彼女が軍司令部のあるウラヌスで暮らすお嬢様だとしたら、俺たち現場の兵隊が知らない情報を知っているかもしれない。
それが時間消失やドークによる玩鞄のハッキングだとしたら、アダチの情報がカノンの素性や俺の疑問を解く鍵になる。
「アダチ、あまり落着きがないと監察官だと疑われる」
「は、はい」
アダチは俺に肩を寄せてそわそわしており、猛獣の檻に放り込まれたウサギのようだった。
スラム街にテロリストたちの隠れ家があるとしても、彼らだけが住民のはずもなく、ほとんどが出稼ぎ労働者や枯れた大地で食い詰め一般人だ。彼らの本籍地である新天地は広大だが、自生する動植物の生体時間が新天地のサイクルと同期しており、祖階層アースで半年で収穫できる農畜産物も、20階層マーズでは1年以上、40階層ジュピターでは3年近くかかる。つまり何も対策せず上部階層を目指せば、人口は拡大して常に食糧が不足する。
これに対応するために、新天地の在来種を祖階層アースから持ち込んだ外来種の農畜産物に置き換えるのだが、在来種との自然交配や遺伝子変異で、数世代もすれば外来種の生体時間も新天地のサイクルと同期してしまう。そして多重階層世界の存在が公でないアースは鎖国状態にあり、貿易行路が閉ざされていれば、食糧生産は次の地殻であるマーズに頼らざる得なかった。
「アダチが緊張するのはわかるが、取引されている食材や商品が違法だとしても、べつに立入禁止エリアじゃないんだ。そこらにいる連中には、俺たちのように所用で立寄る兵隊も少なくない」
そうした事情からジュピターより上部階層の新天地では、各新天地に食糧割当てが配給で決められている。戦場の最前線である98階層の従軍都市や軍司令部のあるウラヌスには、優先的に食糧が配給されており、慢性的に食糧不足のジュピターやサターンの住民の大勢が、生まれ故郷の新天地を離れてスラム街で商いをしていた。
「そ、そうですよね。疾しいことがなければ、胸を張っていれば良いんですよね」
俺は『ここで少し待っていろ』と、露店の立ち並ぶ人混みにアダチたちを残した。
「せ、先輩!?」
カノンや玩鞄たちと取り残されたアダチは、不安な顔で手招きしているので、露店で棒付きキャンディを二つ買って急いで戻ると、それをカノンとアダチに手渡した。
「アダチは煩いから、飴でも舐めておけ」
「あ、ありがとうございます」
「ほら、もう一つはカノンのだ。カノン、噛まずに舐めて味覚分析しろよ」
「わかりました……甘味は砂糖、酸味は葡萄、着色料による――」
「カノン、報告はいらない」
アダチは棒付きキャンディを舐めながら、露店に並ぶ商品に視線を向けている。
「買い物のカード履歴から、スラム街にいた足がつきませんか?」
「ここでの支払いは、市街地にある正規のATMを経由している」
「スラム街の運営には、銀行も共謀しているんですね」
「市街地の管理された文明的な生活も、スラム街が築いてきた文化の継承も、人間には必要だってことだ。本当に違法性を排除するつもりなら、ここが存在するわけがない」
「軍も、スラム街の建設を見逃していますね」
「誰だって管理された社会は息苦しい。軍は不満の捌け口として、逃げ場として闇市であるスラム街の存在意義を認めている」
「なるほど……あ、この服かわいい」
「少しは安心したか?」
アダチは『そうですね』と俺の話も上の空で、露店に飾られた何処かの民族衣装のような服に駆け寄った。
彼女は、気付いているのだろうか。
緊張をほぐすために俺が買い与えた棒付きキャンディも、正規ルートで配給された商品を闇取引で手に入れたものだ。露店の商品を手に取っている彼女は、ここにいる住民たちと共犯だと認識していないだろう。そういうものだ。
アダチには露店の並ぶ大通りに散策しながら、カノンの生活に必要な衣類などを見立ててもらった。カノンの服のサイズがシオンと同じでも、玩鞄には必要のない衣類を買い揃える必要がある。男の俺が女物の衣類を購入するのは抵抗があり、それも彼女に付き合ってもらった理由の一つだ。
「威吹? こんなところで出くわすとは珍しいな」
「ああ、ドラマルク。今から、貴方の家に伺おうと思っていた」
「僕を訪ねてスラムに来たのか。可愛いお嬢さんと同伴だから、てっきりデートかと思ったよ」
買い物を済ませた俺は、スラム街の顔役であるドラマルクを訪ねようと思っていたところ、当人から声をかけられた。
ドラマルクは負傷を理由に除隊した俺の元上官で、今は結婚してスラム街で暮らしている。
「イブキ先輩、どちら様ですか?」
「彼はエーシャの前任者で、13番ゲートの哨戒班長だったドラマルクだ。スラム通いが高じて、ナチュラリズムに目覚めて軍を除隊している」
「ドラマルクさんは、ナチュラリストなんですか?」
アダチは俺の背中に隠れたが、自然主義を唱えるナチュラリストの思想や信条は法律で保護されており、彼が負傷した脚の生体補修部品による治療を拒んで除隊したことに問題はない。とは言っても反戦運動の一派でもあるナチュラリストは、テロリストとして差別する者も多く、ドラマルクを恐れる彼女の反応も至極当然なものだった。
「僕の両親は、長寿命の遺伝子操作しているからね。ナチュラリストと言っても生粋ではなく、一世代限りのにわかナチュラリストなんだ」
アダチの行動に肩をすくめたドラマルクは、無精髭を撫でながら『君たちと変わらない』と言った。
「アンナさんは元気にしているのか?」
「なんだ威吹の目当ては、僕じゃなくて妻のアンナなのかい」
「いいや、枕詞だよ。でも場合によっては、奥さんからコミュニティの話を聞くかもしれない」
「君は昔から変わらないね。正直者というか、結論を急ぐというのか。でも僕が軍を辞めたのは、もう半年以上前のことだ。生粋のナチュラリストにとっては、98階層の半年が短い時間じゃないんだ」
「そうか……それはすまなかった」
98階層の半年は、長寿命の遺伝子操作を拒んでいるナチュラリストとって40年分の加齢である。俺たちにも5年相当分の加齢だが、肉体年齢が寿命まで衰えないので、ナチュラリストの加齢と比較するのはナンセンスだ。
ドラマルクは現実を知りながら、それでもスラム街で出会ったナチュラリストのアンナと結婚して、負傷した脚を義足に変えて軍を除隊した。寿命に8倍の差があるナチュラリストとの結婚を決めた彼の決断が、どれほど刹那的だったのかわかる。1日190時間のサイクルで生きている俺たちには、十数時間毎に睡眠を必要として、見る見るうちに年老いていくナチュラリストと付き合うのは精神的に負担が大きい。
日々萎れていく花を愛でるのは辛く、それが最愛の人であるのなら耐え難い。
しかも長寿命の遺伝子操作さえすれば、加齢する肉体年齢を静止することも、自分と同じ時間を生きることも、簡単に手にできる。アンナがナチュラリストでなければ、夫婦揃っての生活を続けることが出来た。
「妻と同じ時間に生きられなかった僕は、自分の呪われた身体を恨むよ……まあ、もう一ヶ月前の話だ」
ドラマルクの沈んだ顔を見て、長生きしてもロクなことがないと、そんな言葉が脳裏を掠める。
「それで、僕に何の用事なのかな?」
「この子供は長寿命の遺伝子操作されていないナチュラリストなんだが、コミュニティのメンバーに見覚えがないか連れてきた」
俺がカノンの背中を押すと、胸ポケットから丸眼鏡を取り出したドラマルクが腰をかがめて食い入るように見る。
「年頃が14、5歳なら、アンナの生徒だったかもしれないな。妻は亡くなるまで、ナチュラリストの学校を運営していたからね」
「名簿は、ファイル閲覧できるか」
「僕は玩鞄を軍に返納しているから、持ち歩いているスタンドアローンの端末では無理だね。たぶん自宅にある彼女の端末なら検索が出来ると思うが……写真を撮っても?」
「頼めるなら」
ドラマルクは手持ちの端末をカノンに向けると、三次元カメラで少女を撮影した。検索結果は後ほど、俺に連絡してくれるらしい。
「首を突っ込むつもりはないけど、兵隊の威吹がナチュラリストの女の子を連れ歩いている理由を聞かせてくれ。この子供にテロ容疑をかけられているなら、仲間を売るような真似は出来ない」
「それはそうだな」
「この子供の右腕だけど、ガムテープが巻かれているなら生粋のナチュラリストとも思えない。それにナチュラリストの同意なしに、軍が生体補修部品による治療したなら問題がある」
軍を除隊しているドラマルクだが、兵隊だったときは信用のおける上官だった。それに事故で両親を亡くした俺には、上官の彼が親代わりのようなもので、カノンを預かる経緯について包み隠さず打ち明けた。
「この子供は、ナチュラリストのパロットシンドロームか。軍が研究している巫女候補ってやつだね」
カノンを預かる経緯を知ったドラマルクは、彼女を何者の残した未知の技術を解き明かした12人に次ぐ、巫女候補だと言い当てた。
「ドラマルクは、巫女について知っているのか?」
「パロットシンドロームで覚醒した天才は、遺伝子操作がされていない12人のナチュラリストだった。新天地で生まれたナチュラリストの新生児は、何者の精神波動ネットワークの影響を受けやすいらしい」
ドラマルクは『ついておいで』と、義足を引き摺りながら歩き始めたので、俺たちは言われるがままに後を追う。
先行して歩いている彼は周囲を警戒しながら、俺たちを呼んで声を殺した。カノンの素性について、何やら思い当たるふしがあるようだ。
「威吹、それにお嬢さんは、玩鞄に会話を録音されないように距離をとりなさい」
「お嬢さんじゃなくて、私はアダチです」
俺とアダチは、玩具鞄に後方警戒を命じて注意をそらした。
妻と同じ時間を過ごせなかったドラマルクは、時間消失の現象に心当たりがあるらしい。
「アダチさんは、新天地での農産物の連作障害を知っているね」
「ええ。アース産の作物を新天地で育てても、世代交代のうちに自生している動植物の生体時間に修正されてしまうので、上部階層での大規模農業が難しいってやつですよね」
その程度の話題ならば、わざわざ人目を盗む必要はない。新天地での農産物の連作は、各新天地の生体時間に準拠してしまうのは既知の事実である。
「僕は長年、ナチュラリストたちのコミュニティにいたので、それが新天地で世代交代を繰り返す人間にも当てはまると知っている……軍はこれを公表せず、ジュピターより上部階層の住民や労働者には、長寿命の遺伝子操作を義務付けているんだ」
「え?」
「長寿命の遺伝子操作は、長生きすることが目的ではないんだ。遺伝子操作は、人間が新天地毎に異なる生体時間に順応するのを回避する手段なんだ」
「では遺伝子操作しなければ、私たち人間も新天地毎に違う時間軸で生きることになるんですか?」
アダチの質問に答えなかったドラマルクは、紙媒体の本が所蔵されている図書館の石段を登る。思想書、宗教関連書籍、何者が与えた偽りの知識が書かれた古書の類は、とくに閲覧が禁止されていないものの、軍は毒書指定してローカルAIのアーカイブから削除していた。
図書館の入口に立ったドラマルクは振り返ると、玩鞄たちを非接触の充電用ハンガーラックで待機させるように言った。彼の指示に従った俺たちは、カノンに玩鞄とハンガーラックに残るように伝えて図書館に入る。
円形に何重にも本棚が並んだ館内の天井には、裸体の男女が天に舞う姿が描かれており、ステンドグラスにも似たような構図のモザイクガラスが埋め込まれていた。石造りの館内は、紙とインクの匂い、多重階層世界を彷彿とさせる本棚の配置、それらが相俟った雰囲気で厳かな気分になる。
「図書館は、僕のお気に入りの場所でね。妻が寝ている間は、何度も足を運んでいたし、亡くなってからは、ほとんど入り浸りだ。何者が残した疑似科学とされる学術書や宗教関連の本に囲まれていると、アンナの見ていた世界がわかる気がするんだ」
「アンナさんは、何者の作った祖階層での暮らしを希望していた。疑似科学を考察することで、彼女の気持ちに触れた気がするのだろう」
「威吹は、よくアンナと祖界主義について話していたね。妻が生きていれば、君のコミュニティ参加を歓迎しただろう」
ドラマルクは、本棚の中心に座って読書している子供たちを指差した。本棚の配置は中央から絵本や児童文学、外側に行くにつれて文学書、経済書、歴史書、学術書、宗教関連が書かれた年代別に整理されており、壁際を埋め尽くすのは何者が残した疑似科学の解説本だった。
「ここの図書館の司書は、なかなかセンスが良いんだ。中央の本棚から関連書を順番に読んでいけば、多重階層世界の歴史や仕組みがわかるようになっている。宇宙のことなら、中央に近いところに宇宙を冒険する児童書があり、古代アポロ計画や火星探査機について報じる記事の合本、その当時の宇宙物理学者の書いた論文、そして疑似科学としての宇宙という具合にね」
アダチは『面白い試みですね』と、スタジアムの中心で熱心に絵本を読んでいる子供たちに視線を落とした。
「アダチさん。この多重階層世界は、何者の作った偽りの知識や情報が氾濫しているが、それら全てが偽物というわけでもないんだ」
「例えば、この世界の外側には宇宙が存在する……とか?」
アダチの言葉に頷いたドラマルクは、図書館の受付にいた司書に書籍の場所を確認すると、目当ての本が収められた本棚に向かった。彼は一冊の分厚い本を手に取り、それを俺に手渡して閲覧用に置かれた椅子に座る。
「軍や政府が隠している各新天地での生体時間の遅延も、疑似科学とされる『時計のパラドックス』で説明が出来る。威吹は、アインシュタイン博士の相対性理論を知っているかい」
「いいや」
「ローレンツ変換やミンコフスキー空間は?」
「すまないが、俺はSF小説を読まない」
「そうか。威吹もアダチさんも、名前からして地球の日本がルーツだろう。では『浦島太郎の物語』なら知っているかな」
「海岸で亀を助けた浦島太郎が竜宮城で過ごして戻ってくると、思いのほか時間が経過していた童話ですよね? 楽しい時間は、あっという間に過ぎるという戒め」
俺がアダチの解説に頷くと、ドラマルクは安堵の表情でため息をついた。彼は、ようやく話が出来ると思ったのだろう。
そして彼は相対性理論における時間の遅れ、疑似科学である『ウラシマ効果』について語り始める。





