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Orphan Wolf  作者: カーネルキック
Orphan Wolf
11/21

Episode9 生きた玩鞄

190時間毎に簡易的な朝夕があるので、同日でも1セット毎に昨晩、今朝などの表記となります。

【一日目/2セット】


 アダチはシャワーを浴びている。

 俺はカノンに朝食をとるように命令すると、自分を玩鞄と称する彼女だが、言われるがままにパンを手にとって口に運んだ。空腹を感じない俺でさえ、1セットに一回は何かを腹に入れる。少女の中身が何であれ、自らの生命維持に必要な行動は知識としてインプットされていれば、その衝動には従うというのが、感受性パロット症候群の権威モニカの見立てだった。


「カノン、美味しいか?」

「わかりません。でも味覚分析による結果では―――」

「味がわかるなら、それで良いんだ」


 俺はパンを頬張るカノンに、アダチのために半分を残すように伝えると、ホテルのバルコニーで出て市街地を見渡した。

 モニカの提案でカノンを預かると決めたものの、果たして生身の少女が玩鞄の代わりになるのだろうか。アサルトスーツなしに俺についてきた運動能力の点では、人型の玩鞄が背負っていたリュックやケースを運ぶことに問題はない。コミニケーションもシオンと同じように接するのであれば、そこも大きな問題もないと思う。女医は『部下が出来たと考えれば良い』と、俺たちを送り出している。

 ただ専門医の見解があっても、やはり戦場で人間を玩鞄のように扱うことに抵抗を感じた。


「アダチにモルモット扱いされて憤る俺が、軍の命令とはいえカノンの治験に立ち会うのか」


 俺はバルコニーの椅子に腰掛けると、腕を組んで目を閉じる。昨晩の診療所での出来事を振り返れば、アダチに言われたとおりカノンを預かるのは、もう少し慎重になるべきだったと反省もした。


 ※ ※ ※


「カノンさんが、イブキさんとエンゲージメントしている玩鞄と同調していれば、戦場でドークに再び同調する可能性はないわ」


 モニカは、カノンの腕を生体補修部品で再建しながら、横に立っている俺に言った。エンゲージメントとは、玩鞄が所有者に抱く愛着のようなもので、シオンが所有者の俺を優先して行動する動機になっている。つまり女医は俺に従うシオンが存在している限り、カノンが裏切ってドークに同調しないと言った。


「パロットシンドロームの患者は、何者(Unknown)が残した精神波動ネットワークにある端末に同調して、そこから言語や知識を得るわ。症状は先天性だけれど、人間社会で育った患者は、ネットワークと同時に周囲から社会性も学んで行くので、行動からパロットシンドロームと診断するのが難しいのよね」

「患者は、普通の人間と見分けがつかないのか」

「ええ。新生児からネットワークと人間社会の影響を受けた患者は、本人も周囲も無自覚な場合がほとんどよ。潜在的な患者は10億人に1人と言われているけれど、はっきりと症状が確認されたのは過去、12人ほどで症候群と呼べるのかしらね」

「そんなに少ないのか」

「パロットシンドロームは有名と言うか……貴方は学校で習わなかった?」

「子供の頃に事故にあって、それ以前の記憶がないんだ」


 パロットシンドロームの話は、小学校で習うはずだと言うので、ウイリアムがカノンの症状を言い当てたのは、そういうことだったのかと納得した。


「長寿命の遺伝子操作や疑似電磁隔壁など未知の技術を応用した開発には、何者の精神波動ネットワークに影響を受けた彼らが携わっているのよ。12人は、そうした研究職に就いていたから症例として残っているわ」

「潜在的な患者がいるのは、パロットシンドロームと判断がつかない患者が大勢いるんだな」

超自然(オカルト)分野の研究は、未知の技術の解明に繋がるので、軍や政府が秘密裏に行っているからね。パロットシンドロームが疑わしいのは、ずば抜けた天才。パロットシンドロームの患者は、初めて触れるものでも既視感をもって何でもこなすわ」


 カノンの新しい右腕をガムテープで繋ぎ止めたモニカは、不格好な出来栄えに『まあ朝までには、ちゃんと成形されるでしょう』と、投げやりに言った。

 それから女医は眼鏡を外してカルテの上に置くと、椅子を俺の方に向けて話を続ける。


「でもパロットシンドロームと一口に言っても、天才ばかりと限らない。精神波動ネットワークの負荷で、自閉症を患う者が圧倒的に多い。私の専門分野は、そうした天才と自閉症の患者の診断と言うわけよ」

「カノンは()()なんだな」

「ネットワークに影響されて自我を保てないなら、そういうことになるわね。軍や政府が欲しがるのは()()だから、カノンさんの場合は研究機関に渡さずに済んで良かった」

「どういう意味だ」

「軍医のヨハンとはウラヌスの医大からの付き合いで、私は前線基地の医療機関にも顔が効くのよ。あのままヨハンのところに置いておけば、どんな酷いことをされるかわからなかった」

「酷いこと?」

「お偉いさんは、超自然分野の研究成果に寄せる期待が大きい。それは、もはや『オカルト信仰』と言っても過言ではないわ。司令部のあるウラヌスに移送されたら、電気ショック療法やロボトミー……まあ非人道的な手法で、パロットシンドロームと思われる自閉症患者の覚醒を促している」


 それで軍医のヨハンは、軍の医療機関での治療を拒んでカノンの診断を町医者のモニカに丸投げしたのか。女医は、あくまで噂だと念押ししたが、彼らの関係で患者を紹介したのなら、根も葉もない噂でないのだろう。


「それで先生、カノンの今後はどうなる?」

「あれれ、最初に言ったわよね。カノンさんはイブキさんの玩鞄とエンゲージメントしてるって、確か言ったと思うんだけど」

「それがどうした」

「どうしたじゃないでしょう。カノンさんは玩鞄としてイブキさんとエンゲージメントしてるんだから、貴方が面倒見るのが筋じゃない」

「どうして俺が、カノンの面倒見るのが筋なんだ。ここは専門病院で、患者の入院施設もあるんだろう」

「もしも貴方の玩鞄が戦場で破壊でもされたら、カノンさんの人格は別の端末を介してしまうわ。イブキさんの報告を信じるなら、彼女はドークとも同調する特異な存在なのよ。新しいエンゲージメントの相手がドークだとしたら、従軍都市(電磁隔壁の外)で殺戮ショーなんて見たくないでしょう」

「いや、まあそれは困るが……では、どうしろと言うんだ。シオンを戦場に連れて行かないと、俺の仕事が滞るぞ」

「カノンさんがいるじゃない」

「先生は、カノンをシオンの代わりに戦場に連れ出せと?」


 官給品のシオンを民間施設に預けるわけにも行かないし、玩鞄の索敵能力がなければ目隠しで戦場を歩くようなものだ。玩鞄を破壊されないことを優先するなら、軍司令部にシオンの代わりを支給してもらう必要がある。


「カノンさんの倫理観や通信ネットワークが玩鞄と同じなら、ドークとの戦闘は望めなくても鞄持ちなら遜色ないわよ?」


 シオンを壊さずに運用するならば、同等のカノンを戦場に連れて行けば良いとの理屈なのだろう。


「戦場では、索敵のために玩鞄を先行させるんだ。生身のカノンに、道案内なんてさせられるわけがない」

「そうかしら。カノンさんの人格形成には、対人関係における経験と体験が必要なのよ。イブキさんと生活を共にすることで、彼女は人間らしく成長できると思うわ」

「人間らしく?」

「さっきも言ったけど、パロットシンドロームは先天性なんだけど、環境要因で社会性や人格を身につけるので診断が難しい。ようは君の玩鞄として生活する中で、カノンさんの自我を芽生えさせることも可能なのよ」

「人格形成ならば、危険な戦場じゃなくても学校に通わせれば良いだろう」

「イブキさんは、玩鞄を学校に通わせて自我が芽生えると思うのかしら。ただ知識を学ぶだけなら、彼女に学校教育は無意味なのよ。それに日常生活の面倒は誰が見るの。玩鞄を四六時中、帯同している君が見るのがベストだと思わないかな」

「わ、わかった。しかし――」


 モニカが畳み掛けるように問いかけるので、気圧された勢いで頷いてしまった。

 俺がカノンをシオンの代わりに戦場で連れ歩く、どうせ軍司令部が許可するわけがない。このときは、その程度の認識で首を縦に振ったと思う。だから俺が了承したところで、女医の言うとおりにならない。


「コーラス少将、イブキさんの了解が取れました」

「コーラス少将……前線基地の統括官!?」


 机上にあるインターフォンのボタンを押したモニカは、マイクに向かって前線基地を統括しているコーラス少将を呼び出した。

 診療室のドアが開くと、軍制服に官帽を目深に被ったコーラスが入室してくる。少将は敬礼する俺に返礼して、向かい合う席に座るように言った。彼は人格者だと98階層の兵隊たちに評判で、現場を無視した戦果だけを急く軍司令部とは、折り合いが悪いことでも有名だった。

 コーラス少将を慕う現場の兵隊は多く、俺もその一人だ。


「先に断っておくが、私は司令部のように性急な結果を求めない。非人道的な手段でオカルト・フォースを解明することには、彼ら同様に反対の立場だ」

「はい」

「イブキ曹長の報告書を読ませてもらったが、戦場で保護したドークに同調していた少女は非常に興味深い。これを司令部(ウラヌス)の連中が知れば、この娘が何をされるかわからないのは聞いただろう。私は、彼女の身柄を前線基地で預かりたいと考えているんだ」

「俺の交戦記録は、リアルタイムで司令部にも伝わっているはずです」

「報告書にあった時間消失と、そこでの会話などのやり取りはセンターAI(マーキュリー)に記録されてなければ、私のところで報告内容を止めている」

「なるほど。それでも生身のカノンを玩鞄の代わりに連れ歩くのは、人間をモルモットにする軍司令部と同じじゃないですか」

「現場で兵隊の命を預かる私は、戦場で働く君たちをモルモットだとは思わない。私は性急な成果を求めないとは言ったが、成果がいらないとは言っていない。彼女が人間としての自我を勝ち取れば、時間消失やオカルト・フォースの解明に繋がるのではないかね?」


 コーラスは階級こそ高い地位にあるが、年齢は俺より若く見える。長寿命の遺伝子操作では、肉体がピークに達する二十歳前後を維持するので、見た目の年齢だけで相手の老獪さを判別出来ない。しかし言葉の端々には、抜け目なさを感じる。

 女医のモニカに俺を説得させてから、後から登場するのも手回しが良い。これは、まんまと嵌められたか。


「イブキ曹長が彼女を玩鞄として帯同する手配は、こちらで済ませておく。彼女に関する報告は随時、私にあげるようにしてくれ。彼女の行動監視は、君に与えられた任務だと考えてもらいたい」


 俺だって、意味不明な会話の内容を知りたい好奇心が拭えない。コーラスに任務だと言われて、好奇心の背中を押された恰好だが、このままカノンと離れれば、真実を知る機会が二度と訪れない気もした。


「断れませんね」


 コーラスは『すまんね』と、俺の肩に手を置いた。

 カノンを俺に預ける彼にも、面倒事を押し付けている自覚はあるらしい。


「彼女が何者の精神波動(スピリチュアル)と繋がる13人目の巫女となるか、それとも神聖を失い人間となるか。神聖を失わず人間として覚醒すれば、この戦争の局面が大きく変わるだろう」

「コーラス少将、巫女とはなんですか?」


 診療所で待ち構えていたモニカも、カノンを見て巫女だと言っていたが、聞き慣れない言葉にワード検索した。シオンのワード検索では、巫女が失われた宗教の概念に登場するスピリチュアル・コンダクターや神様の意思を伝える霊能者(シャーマン)というのだが、何者を神に見立てた呼称なのだろうか。

 それを問えば、コーラス少将は『そのような解釈で問題ない』と、詳細について言葉を濁した。カノンが13人目の巫女候補と言うのならば、感受性パロット症候群と認定された12人の次を期待されている。そういうことだ。


「それからイブキくんに聞かれた時間消失の件、これについては専門外なのだけど、何かわかれば連絡するわ」


 モニカは、診療室を出ていこうとする俺を呼び止めると、コーラスを一瞥してから言った。彼女は医者であり、こういった超自然(オカルト)分野の専門家ではない。あまり期待出来ないが、コーラスは今回の件を他言無用にと念を押しており、カノンに関わる情報には、13番ゲート関係者に箝口令を通達するようだ。

 司令部に秘匿するならば、センターAIのアーカイブを検索が出来ないので、時間消失の意味や事例を知るには、女医の連絡を待つしかなさそうだ。


 ※ ※ ※


 風呂上がりのアダチは、物陰に隠れながらアップルを手招きして、クローゼットから洋服を持ってこさせている。俺は彼女が着換え終わるまで、街の風景に視線を向けたまま、なぜ俺がカノンに選ばれたのか、その理由に思いを馳せていた。

 予備蓄電弾倉も尽きて敗走する俺とキルビスを執拗に追いかけてきたカノンとクモだったが、俺を攻撃する意図を感じなかった。彼女はバディにばかり攻撃を集中しており、最初から俺との接触を目的にしていたと思う。あのとき彼女は、去り際に俺をバラバという罪人だとも言った。

 俺には自分自身がパズルのピースでありながら、その全体像を掴みきれないもどかしさがある。


「イブキ先輩、なんで黄昏れちゃってるんですか」

「いろいろ考えることが多くてな」

「ええと……それは私との関係のことですか? べつに私は先輩が嫌いじゃないですけど、酔った女の子をホテルに連れ込むのは反則ですよね」


 服に着替えたアダチは、濡れた髪をバルコニーの風で乾かしながら、手にしたコーヒーを俺の前に出した。受け取ったコーヒーを飲んだ俺は、能天気な彼女を見て思わず笑みを浮かべる。

 オーバーワークで休暇をもらっていたのが俺とアダチだけで、他のメンバーは酔った彼女の面倒を俺に押し付けて、ホテルから戦場に向かっていた。俺が朝食を買いに出かける、つい先ほどの話である。

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