とんぼ玉の瞳
こちら、「安寧のひとりぼっち」(http://ncode.syosetu.com/n8853ea/ )、「雨の日、喫茶店」(http://ncode.syosetu.com/n7805ed/ )と同じ登場人物が出てきます。短編でも十分楽しめます(時系列等、さしてこだわっていません)が、2人に興味が出た方は、合わせて2作もどうぞ。
『地元の祭りに行かないかい?』
いつものように、サークル部屋に2人でいた、昨日の話だ。
文月さんによれば、日も浅い祭りが明日――つまり今となっては今日の話だ――行われるらしい。小さい祭りと言えど、河川敷に面してる神社が主体となっている祭りらしく、花火も上がるらしい。
特に用事も無かった僕は「お供します」と答え、夕方の6時に、先輩の地元の駅で待ち合わせることになった。
少し電車が遅れたせいで、駅に着いたのは6時ぴったりだった。ちょっと急ぎめに、約束していた東口に向かう。この駅は先輩と会う時に大体使う場所なので、もう勝手知ったる場所だ。
やはりいつもより人が多い。浴衣を着ている人が多いから、祭りの影響だろう。
改札を出ると目の前の柱を背にして、文月さんが文庫本を読んでいた。浴衣を着ている。淡い赤色が基調のそれは、凛とした立ち姿の先輩に良く似合っていた。
それに比べ僕の服装は、ワイシャツにパーカー、それと暗めの色のジーンズだ。いつもよりは柔らかい服装だと思うけど、友人に言わせれば大差ないんだろう。もうちょっと考えてくればよかったな、と少し後悔した。
「お待たせしました」
顔をあげた文月さんは柔らかく笑い、手元の巾着に文庫本を仕舞う。頭を動かしたから、かんざしがゆるりと鳴った。
「浴衣、似合いますね」
「そうかい? たまにはと思ってな。着てみたんだ」
「やはり先輩には赤がお似合いです。かんざしも、いいですね」
「そんなに褒めても何も出ないぞ」
からりと笑顔を浮かべた先輩に、さあ行こうか、と促される。
東口を出ると、人の流れはほとんど右に向かって動いていた。目の前には大通りが真っすぐ通っていて、右は少し細い道だ。神社はその先にあるらしい。
人の間を縫いながらしばらく歩くと、ちらほらと屋台が見えてきた。やきそば、たこ焼き、りんごあめ。久々に祭りの屋台なんて見たから、少し目移りしてしまう。
「香川くん? はぐれるぞ」
はっと気付くと、先輩が目の前で立ち止まっていた。僕と先輩はアドレスも何も交換していない(というか先輩は未だ携帯で、トークアプリが使えない)から、はぐれたら終わりだ。気を付けないと、と思い直す。
「すいません、祭りが久しぶりで」
「そうか。私は毎年、来れたらこの祭りに来ているからな」
「確か日は浅いと言っていましたよね。この祭り、何回目ですか?」
「確か私が高校の頃からだから……、5回目かな」
「花火もあげるんですから、これから有名になっていきそうですね」
「そうだな。年々、参加者も増えている様に感じるよ」
歩くのに注意しないと進めないくらい、人が増えてきた。道幅が狭いせいもあるんだろう。そうしてその間に流れ込む、屋台の匂い。濃いソースとか、甘い匂いとか。太鼓の音もあいまって、気分が高まる。
しばらく歩いていると、ぴたりと先輩が足を止めた。なんだろう、と屋台を見ると「わたあめ」の文字。
「……買います?」
「うん、買ってこよう。ちょっと待っててくれるかい?」
言うや否や、さっさと先輩は屋台に向かった。やっぱり甘い物好きなんだなぁ、と後ろ姿を見ながら、思わず笑ってしまった。
3分くらい待っていると、巨大なわたあめを持った先輩が戻ってきた。
「だいぶでかいですね」
「屋台の人がサービスしてくれたよ」
「先輩が綺麗だからですね」
「お世辞はやめたまえ」
でも、わたあめにかぶりつく先輩はちょっと年齢が下がったみたいで、可愛い。
「おいしいですか?」
「ああ。甘い物はやっぱりいいな。君は甘い物を好まないのかい?」
「そんなにですね。あったら食べますけど、わざわざコーヒーに、ガムシロップを入れようとは思いません」
「私もコーヒーには入れないぞ。あの苦みが飲みたくて頼んでいるんだから」
「でも先輩、紅茶にはけっこう入れるじゃないですか」
「紅茶は別だ」
会話も、祭り会場だからかいつもより日常的だ。先輩も童心に帰っていたりするんだろうか。
屋台が並ぶ列の端まで来ていたようだ。いつのまにか人の数が少なくなってきた。
そうして見えてきたのは、「骨董市」という古めかしい字体の、のぼり。
「先輩、骨董市ですって。祭りでは珍しいですね」
「そうか? この祭りでは毎年出店してるぞ」
「あまり聞きませんよ。祭りに骨董市って」
「どうせならちょっと覗いていこう。最近、大皿が割れたんだ」
骨董市と言うけれど、この店は主に皿を取り扱っているらしい。
入ると、右手に大皿、小皿、目の前に湯呑、左手には茶碗と、多くの陶器が並んでいる。それぞれ段差を作り赤い布を引いて、その上に皿を乗せていた。ちょっとした見世物市の雰囲気がする。試しに1枚取って値段を見てみれば、案外安かった。これなら買いやすい。
「すまないが香川くん、わたあめを持っていてくれないか?」
「ああ、邪魔ですもんね。構いませんよ。僕、外で待っていますね」
「食べてもいいからな」
「ありがとうございます」
先輩からわたあめを受け取る。あ、マニキュアしていたんだ。
外に出ると、やんわりと景色が赤く染まっていた。もうすぐで暗くなって、そうして花火だ。中心にいた時よりも、更に遠のいた太鼓の音。流れてくる香ばしい匂い。祭りから外れた場所だからか、ここの雰囲気は落ち着いていて、知らず知らず興奮していた僕は一息ついた。
目の前にわたあめ。食べようか少し迷う。
僕と文月さんの関係を説明しておくと、この前、僕は先輩の告白を断った。かといって仲が悪いわけでもなく、こうやって休日には出かける仲だ。
それに先輩も僕も、病気がうつらない限り、間接キスがどうとか気にするタイプではない。先輩の「食べてもいいからな」という言葉だって、言葉通りの意味なんだろう。
じゃあどうせだし、ちょっともらおうか。
かぶりつくか、手で取るか迷う。どちらの方が汚いだろう。考えると、手は家を出てから一度も洗っていない。まだ口の方がマシか。
というわけで、一口食べた。一瞬でわたが溶けて、ザラメが口の中に残る。安っぽい味がいかにも祭りという感じで、とても美味しかった。
「待たせたな」
戻ってきた先輩は、手に大きなビニール袋を下げていた。新聞の包装が透けている。
「いい物、買えましたか?」
「ああ、無事にな。ちょうど大皿は欲しかったから、タイミングが良かった」
「持ちますよ、それ。浴衣にビニール袋は無粋です」
「いいのかい?」
「ええ、はい」
ビニール袋とわたあめを交換する。案外袋は重かった。陶器だから当たり前か。
「わたあめ、一口もらいました。美味しいですね」
「だろう。もうひとつ買いに行くかい?」
「そこまではいいですよ。たった一口で口の中がザラメでいっぱいです」
「それは当たりだな。私が今食べたところなんて、すぐに溶けていったぞ」
もう一回屋台の中心に行こうか、という時、先輩が何かを見つけた。
「ああ、香川くん。とんぼ玉だ」
「とんぼ玉?」
先輩が歩み寄っていく先についていくと、骨董市の店の前に桶が置いてあった。中は、真ん中に穴が開いたカラフルなビー玉のような玉たち。置かれた段ボールに「とんぼ玉 1個500円」とある。
「知ってるかい?」
「初めて見ました。綺麗なガラス細工ですね」
「そうだな。これとかいいな」
先輩が手に取ったのは、赤い火花が散ったような花が描かれたとんぼ玉。まるで花見の様で鮮やかだった。
「僕は、これですかね」
静かに奥の方を漁り見つけたのは、青い水が浮かんだ色をしたとんぼ玉。先輩は目を細めた。
「綺麗なのを見つけたな。ちょっと貸してごらん」
ふたつのとんぼ玉を持って、先輩が店の奥に向かう。ほどなくして戻ってきて、僕の手の平に青い方を乗せる。
「はい、買ってきたから」
「え、ありがとうございます。500円ですよね」
お金を出そうとするも、先輩は笑って手を振る。
「いらないよ、奢りだ。もしくは、荷物番をしてくれたお駄賃」
「ほんのちょっとの時間しか持ってないですけど、わたあめ」
「今も皿を持ってくれているじゃないか」
そういえばそうだった。すっかり忘れていた。
くれた好意には甘えよう。僕はありがたくとんぼ玉をもらった。
その時、ちょうど空気を震わす弾けた音が響いた。反射的に、ふたりで上を向く。花火が上がっていた。
「もうそんな時間か。河川敷に向かうかい?」
「先輩が行きたいなら。でも僕としては人が多そうなので、ここから見るので十分ですね」
「じゃあ、ここで見よう」
弾けた音が連続で響いた。真っ赤な大輪と、その周りを踊るオレンジの小花が散る。
「綺麗ですね」
それしか言葉が思いつかなくて、先輩を見る。
思わず息を呑んだ。
とんぼ玉の穴を覗いて、花火を見ている先輩。
いつもの凛とした表情が抜けて、あどけない笑顔が花火の鮮やかな色に照らされている。
音が消えて、きらきら光るとんぼ玉と、その照らされた横顔が焼き付いて。
――この顔をずっと見ていられたら。
「……呆けてどうした?」
「……なんでも、なんでもないですよ。花火は、いいですね」
「ああ、とても綺麗だ」
人を好きになることなんて無いと思っていたのに。だから先輩の告白だって断ったのに。
そんなのは僕の思い込みで、本当は先輩と付き合いたいんだろうか。
先輩と会って話すのは楽しい。こうやって出かけるのも楽しい。
だから、付き合いたいんだろうか。ずっと一緒に、いたいんだろうか。
でも、それは、
僕の思考を掻き消すように、巨大な音が連続で響いた。次々に花火が上がっている。どうやら、スターマインが始まったらしい。
先輩は、まだとんぼ玉を通して花火を見上げていた。
「文月さん」
「なんだい?」
「どうして、とんぼ玉の穴から見ているんですか?」
「視界全てが花火になったようで、現実じゃないみたいだからさ」
そういうものか、と思って僕もとんぼ玉を通して花火を見る。狭まった視界の中、閃光が広がっている。
まあ、確かに。その視界は悩みなんか忘れるには十分な景色で。
今はいいか、と思った。
今は考えないで、花火を見上げていればいいか、と思った。
「……綺麗ですね」
「さっきからそれしか言ってないぞ」
「他の感想なんて無粋でしょう」
「そうかもしれないな」
話せる距離感。でも視界は花火だけで。
悩みを忘れたら、それはとてもいい感じだった。
花火も終わって先輩と別れて。家の前まで来た時、右手の重みにふと目をやる。
ビニール袋。先輩に渡すのを忘れてた。
「どうしよう」
今から家にお邪魔するのは迷惑だろう。そうなると、先輩への連絡方法を持たない僕は、またサークルで偶然会う日を待たないといけない。
「そろそろ、電話番号は聞いとこう……」
すんなりそう思える今日は、先輩との距離が縮まった日なのかもしれなかった。
ありがとうございました。キジノメです。今回はTwitter上の企画に参加した作品です。夏祭り。花火良いですね。思ってたことはそれくらいです。
それでは、ありがとうございました。また。