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在り方の在り処

『遅いー!』

 食事を持った私と優星がテーブルに辿り着くなり、三人に声を揃えて言われてしまった。遅いとけなしているのに、みんないつもの笑顔だ。

「くーちゃん三十分遅刻っ! ハタケが我慢できなくてもう食べちゃったよ」

「誘惑には勝てなかったよう」

 なんて言ってハタケは食べ終わった食器をかちゃかちゃと鳴らしている。しかし見事なまでの新品のお皿。給仕のおばさんの仕事がいくらか楽になるだろう。

「ごめんなさい。少し用事があって」

「そんなの見れば分かるさ。なんだか訳が有りそうなそこの男性は?」

 こーすけがあまり見たことのない変てこな顔で笑いながら、私の隣にいる優星の方に視線を移す。

「え、彼氏!?」 

 ずいずい、とスズが私の方に詰め寄ってくる。

「失礼、自己紹介が遅れたね。俺は奥凪優星、年齢は君達よりひとつ上かな? 一般居住区に住んでて技術班に所属してる。空とは今日友達になった。いきなりだけどよろしく!」

「なっ――え? あ、あなが奥凪優星さん!?」

 と、優星の自己紹介が終わるなりこーすけが椅子から飛び上がり、テーブルの上のお皿がかたかたとざわつく。恐らく驚いたのだろうけど、今の自己紹介になんら驚くような要素は見つからない。

「あれ……どっかで会った事あったかな? んー……ごめん! 記憶にないや」

 こーすけの問いに優星は両手を合わせて謝った。本人には自覚がないらしい。

「い、いえいえ、思い出せないのは当たり前です、だって会った事がないんですから。まさかこんな所で会えるとは……。狭いようで広いから困るんですよね、地下(ここ)って」

 こーすけはなにやら一人納得するも、その他一同は首を傾げるばかり。

「なに? こーすけ、知り合いなの?」

「あれ? 皆、知らないのかい? この方はあの奥凪優二郎博士の息子さんだよ!」

 知らない人がいたものかとこーすけは鼻を鳴らして目を輝かせる。相当感激しているらしく、レンズの奥の目がきらっきらと光っている。けれどそれでもまだわからないといった私達に、彼は思い切り眉を吊り上げた。釣り針で引っ張られてるみたいだ。

「あー……ほら、よく授業とかで聞かない? 現在の科学技術の根本となるものを築いた偉大な人だよ。半永久的に稼動する発電装置――宇宙太陽光発電だとか核融合炉関連のやつ。それに伴う超元合金の開発と流体金属制御のプログラム開発支援。それにこれさ! 人工知能の世界的権威!」

 砂糖をこぼした時みたいな勢いで、ざぁっとこーすけは並べ立てた。私はそのうちの三割くらいは知っている、かな。……とりあえず、優星はものすごい人の息子らしい。

「ははっ、偉大だなんて大袈裟。俺から見ればただの機械好きな人間さ。それにしても俺の事が名前だけでよく判ったね」

「あなたの名前と姿は何かの本の写真に載ってたので……。それにしてもまさかあなたが奥凪さんとは……。しかもこんな身近な場所に」

 深々と頭を下げるこーすけは、まるで優星が神様かなにかと間違えているかのようだった。

「いやホント。俺はただの息子だから、それに父さんはここにはいないしね。あと出来れば優星と呼んで欲しいな、大した年齢差も無いし敬語も無しで! どうも慣れないんだ、俺。まぁとりあえず――」

 湯気立ち昇る食事に視線を落としたところ、恐らく優星はご飯を、とでも言おうとしたのだろうけれど、その前にこーすけのスイッチが入ってしまった。

「あの、優星さん! 僕聞きたい事がたぁーっぷり――」

「こーぅすけえー! 待たんかーい!」

 と、スズがこーすけの暴走開始を間一髪で止めた。彼女の即断はいつも最良にして強力だ。

「おっと、ごめんごめん。後にします……」

 スズに一喝され、こーすけは残念無念と肩をすくめて別の席に一時退場する。というかさせられてしまった。獲物を目の前にして惜しくも逃した猛獣みたいだ。

「さ、二人ともとりあえず座って座って」

 未だに立っていた私と優星を席に座らせて、どうしたものか、今度はスズの尋問タイムが始まってしまった。私としてはこちらの方が大変だというイメージがある。

「えっと、優星? でいいのかな?」

 スズは面接官みたいにして顎の下で手を組んで、特別な視界で優星の姿をじいっと観察するかのように見つめる。

「うん、それが一番ありがたいな」

「あたしは宮原鈴音、スズって呼んでくださいなー。よろしくねっ!」

 スズは優星と手短に挨拶と笑顔を交わし、今度は私の方をじぃっと見据えてきた。

「……なぁに?」

「――で、お二人さんはどんな関係でいらして?」

 その質問に私と優星はお互い顔を見合わせた。さっき優星が友達と言ってくれたのだけれど……。どうもスズにとってはそれだけじゃ説明不足らしい。

「いや、さっき仕事を手伝ってもらってね。その時初めて会ったんだ」

 代わりに優星が答えてくれたので、私はそれにええ、と頷くだけで済んだ。

「ほぅほぅー? まぁあまり込み入った事情と問いただすのもよくないわね、うんうん」

「込み入った事情って……」

 あくまでも優星はそんなものはないよ、といった感じで多分だけど苦笑いという類の笑みを浮べた。

 ――――でも、本当は事情のようなものがある。それは偶然なのか、必然なのか。私と優星は関連性の高い夢を見るというものだ。加えて感情の欠落という関係性もあった。

 もしかしたら、私や優星以外にも同じような夢を見る人がいるかもしれない。そう、私のように誰にも打ち明けずに、自分の中に閉じ込めておく人だっている可能性がある。だとすればそれはなおさら不思議なこと。何人も何人も同じような夢を見るなんて現象、私は聞いたことがなかったから。

「あぁぁ……優星ってどんな顔してるのか気になるなぁー」

 うぅー、とスズは拗ねた時にする唇を尖らせる表情をした。つまるところの意味が私には解るけれど、知らない優星はその反応に首を傾げて自分の顔を指差す。

「えっと、こんなのだけど……?」

 優星の顔立ちは、実はものすごく整っているのかもしれない。いわゆるイケメンというやつだ。さっき食堂内を歩いた時に何人かの女性がこちらを見ていたほどだったから。私に感情があれば、きっと盛り上がっていたに違いない。

 実のところ、私がスズ以外の女性と話す機会というのは限りなく少ない。異性の話をするともなるとなおさらだった。話をするとすれば唯一の同い年であるスズひとり、それもいつも彼女の一方的なお話で終わってしまう。

 でもそれも仕方がなかった。あの日以来、私にとっての男女とは、見た目が違う程度の認識でしかないのだから。たまに耳にする恋の話も、愛の話も、私にとっては〝ただの話〟。こんな女子高生がいてもいいのだろうか……。

「スズは目が見えないの、優星」

 スズの姿を初めて見た人は、誰もが信じられないと口を揃えて言う。目の動作は普通の人となにひとつとして変わらないからだ。おまけに身体の動作も正確さがやや劣るだけで、白杖なんかなくても彼女はその足さえあればどこにだって一人で行けてしまう。

「えっ!? ご、ごめん、ぜんっぜん分からなかった……。でも見た感じ先天性とか怪我ではなさそうだけど?」

 優星がそう言うと、スズはふるふると首を横に振る。彼女の長い白銀色の髪が料理に触れそうだったから、私は咄嗟にお皿を手前に引いた。よくあるパターンで、私はもうすっかり慣れていた。

「んー、先天性でも怪我でも病気でも、なんでもないの。あたしはあの日に〝普通の視界〟をなくしちゃったんだぁ。原因不明でね、今の医療でも治せないみたいなの。眼の能力はなんにも傷付いてないみたいなんだけど、脳の方に原因があるかもしれないんだって。いつも見てた世界は消えちゃったけど、代わりにおもしろいものが見えるんだよ?」

 物理的に眩しい笑顔で答えるスズは、とても盲目で苦労しているだなんて思えない。正直、生活における苦労という点では今の私よりもずっとずっと大変なはずなのに。

 スズは、苦しくても人は笑えるんだと私に教えてくれた人だった。彼女と出会う前までは、苦しいと苦しい表情をするんだ、と本で読んで理解していた私がいた。だから昔の私は本が示す事柄でしか、他人の感情を読み取ることができなかったのだ。

 人間の感情というものが、いかに多様性に富んでいるのかということを、その身をもってして私に示してくれたスズ。彼女にはもう十年近くも私の成長を手助けしてもらっている。今の私が私であることを教えてくれた友達だ。

「そっか。でもその様子なら心配いらないね。それで、どんなものが見えるんだい?」

 盲目と言われたら目の前が常に真っ暗というイメージが一般世間の常識だ。でもスズはその常識が当てはまらない異端の盲目であるという。

「んー、あたしは勝手にオーラって呼んでるんだけどね。人の体の輪郭に沿って周りにモワーって光が見えるの。人によって大きさとか明るさが微妙に違うんだー。本当のことはわからないけど、性格みたいなものをあらわしてるって思ってるの」

 ちなみに優星は太陽みたいに光ってる、と付け加えてスズは笑った。なるほど、確かに性格とかを示しているのかもしれない。

「……あれ、そういえば今のくーちゃんのオーラはいつもより明るいな? いつもはお通夜みたいなオーラなんだけど、あはは、なんでだろうねぇ?」

 スズは口を弓みたいな曲線状にしてにっこりと笑う。

「よく変動するって、前に言ってなかった?」

「他の人はねっ。でもくーちゃんは一定なんだよねぇ。でもずっと昔と比べたらだいぶ明るくなったほうなんだけどー」

 よくわらかないや、とあまり物事を深く追求しないスズは肩をすくめる。

「なんていうか、一昔前の超能力みたいなものか。原因不明のチカラは神秘的なものとして扱われてたみたいなんだけど、最近はなんでも科学で証明されちゃうからな。なんでもかんでも理論でこじつける、夢も薄くなったもんだよなぁ」

 優星がしょっぱそうに口をすぼめると、今まで大人しく話だけを聞いていたこーすけが素早く反応を示す。 

「でも解明できるってすばらしいことだと思いますけどね、僕は。知らない現象を追求していけば、もっと効率のいい世界がつくれるから」

 こーすけの意見を聞いた優星は、ふっと短い息をもらして笑う。

「人間ってなかなか不思議だな。確かに効率を求めるという事は生きていくうえでかなりのウェイトを占めるけど、効率だけを求めてたらそのうち終わりが見えてきちゃうんじゃないかな」

「終わり? それってどういう事ですか?」

「んー、ほら、脳波で操作する家電とか車とか開発されてただろう? まぁちょっとだけ研究所に行ったことがあったんだけど、あんなのが普及してきたらそのうち人間は脳みそだけになっちゃうかもなって事。それってつまり〝ただの脳〟だろう? もはや人間とは呼べないと思うんだ」

『脳、だけ……?』

 他の四人が同時に喋った。奇想天外な発言に誰もがきょとんとしたらしい。私もよく意味が理解できない。

「あ、あー……、えっとまぁつまり、効率だけを求めて技術が進化していくと、人間の体の機能は退化していくんじゃないかって話さ。進化と退化の反比例ってとこ」

「なるほど! 確かにそれは言えるかもしれませんね。現に脳だけを生かす技術なんてのも開発段階でしたし。まぁ世論的にアウト路線でしたが。さすが優星さん、ふっとんだ考えをおっしゃる」

 そういうお話だったんだ。ちょっと解った気がする。人間が利便性を極限まで追求してしまった結果、それは人間という生物の極限の退化ほかならない。と、優星は言ったのだ。

 それは人間の目的によるのかもしれないけど、大半が〝生きる〟ということを根本として考えているはず。それが最終目標で利便性の向上の対象なら、手足がなくたって、耳が聞こえなくたって、目が見えなくたって、いい。

 脳とそれを生かす為の臓器が生きてさえいれば、人間は生きるという目標を達成しているわけだから――――。

 なんだかふっとんだ考え方だけど、数々の偉人が編み出したふっとんだ考え方が今の世界を形成しているのだから、この話だって将来ありえるのかもしれない。

 でも、やっぱり問題点はある。優星が言ったとおり。それってもはや人間といえるのかどうかについて。

 ふと私は考える。

 手や足があれば人間?

 それなら私は人間だ。

 歩いたり走ったりできれば人間?

 それなら私は人間だ。

 言葉を発して、音を聞き分けれれば人間?

 そらなら私は人間だ。

 血液が流れて、心臓が動いていれば人間?

 そらなら私は人間だ。

 じゃぁ――――

 

 心――感情があれば人間?


 そう考えていくと、果たして私は人間なのだろうか? という疑問が私を取り囲む。それは私というカタチだけはとりあえずの人間を、より不確定なものにしてしまいそうだった。

 どの時点で人間となるのか、どの時点で人間とはいえなくなるのか。それはきっとムズカシイ哲学の本にでも書いてあるのだろう。それか医療の本。とても私のような知識レベルの人が読めたものじゃないだろう。

 多くの人が一番知りたいことだと思うのに。簡単に定義できないのは仕方ないのかな。人間の在り方なんてものは、きっと人間の数ほどあるのだから。するとその在り方がある処は、やっぱり〝脳〟になるのだろうか。

「あの、スズちゃん? 君、今どんなのを想像してる?」

 瞼を閉じて苦そうな表情を浮かべてるスズに優星はそう尋ねる。

「ノーミソに手と足が生えてるヤツ……」

 うぇぇ、という声が三人分。私は豊か過ぎる人間の想像力もどうかと思った。そんな私も思い浮かべてみたが、どうということもなかった。まぁ私だからしょうがないけれど。

「あーやだやだ――って、ごめーん! 食べよ食べよ!」

 スズはさっきから優星の胃の歌声が鳴り止まないのに気付いて慌てて言った。そろそろ私も歌い始める頃だろう。

「よく聞こえたね……。それじゃ失礼、いただきますっ」

「いだだきます」

 みんなに合わせて私も食事にありついた。今日の私のメインメニューは鶏ムネ肉の唐揚げ。最近肉類のメニューが多いのだけれど、肉類ばかりでよく太らないものだと思う。特に激しい運動なんてしていないのに、私の体重は減らず増えず。やっぱり食事のバランスだけで人間ある程度の調整が可能なものなのだろうか。

 どの時点からだったか気付かなかったけれど、既にハタケは食後の睡眠タイム。椅子の背もたれに首を乗せてかっくんこっくんしている。彼が座っている椅子はぎぃぎぃと小さな悲鳴を上げていてちょっぴり危ない。そんな彼の姿は、体重を一定に保つことは可能でも、減らすということは食事のバランスだけでは難しいということを如実に表していた。

「そうだ、そちらのお二人さんの名前は?」

 優星はもぐもぐと顎を動かしながらこーすけとハタケの方をフォークで指し示す。

「あ、申し遅れました。僕は桐山幸助と申します。もう優星さんに会えたことに感激で感激で……。これからいろいろ勉強させてもらいます!」

「まぁまぁそんなに丁寧に。科学技術大好き少年?」

「ええ勿論!」

「はは、なら今度俺の部屋に来てみる? 普通の人には見せられないほど散らかってるけど……。幸助ならきっと気に入ると思う。だよね? 空」

「ええそうね、不思議なモノがたくさんあったわ。機械とか」

 ぱっと見た感じだったから信憑性はものすごく薄いけれど。

「ほ、ほ、ほ、本当ですか! ぜぜぜ是非行ってみたいです!」

 こーすけはもう涙が沸騰してしまったみたいに、目の輝きが凄まじい。

 一方でスズは私の方を見て、ほほう、と片方の眉を吊り上げた。長い付き合いから予想するに、私が既に優星の部屋に入ったという点に彼女は興味があるのだろう。正確には目が覚めたら部屋にいた、だけれども。

「時間が合えばいつ来てもらっても構わないよ。それと……はは、彼は気持ちよさそうに寝てるね。また今度でいいかな」

 優星は椅子から今にも転げ落ちそうなハタケの方を見て微笑む。がくん、と頭が落ちても無意識で立て直す。寝ている時のハタケは人形みたいだ。

「ハタケェー! 起きなさーい!」

 スズは一喝すると同時に、ハタケのお腹の頂上付近を強めに拳で突いた。水面のような振動が地震波のごとく徐々に上下に伝わって、彼の体が綺麗に波打つ。振動が首元付近まで伝わると、ようやく彼は目を覚ました。どうやら彼の場合は痛覚も寝ぼけてしまうらしい。

「ふぉあぁ……。ご飯の時間か?」

「ちがーう! ほらほら、優星に自己紹介して」

 んー、と重たげなまぶたをしばたきながら重たげな体を起こす。

「……おーう、そうだった。おいらは村田裕士だ。みんなおいらのことをハタケって呼ぶ」

 よろしく、と言いながらもハタケの視線は私のお皿に注がれている。優星はそんな彼をじーっと見つめてなにか思い出したような顔をした。

「村田……あ、もしかして君のお母さんって医務センターで働いてる?」

「うん、そうだよ。なんでわかったんだ?」

「いやぁ、その……似てる。すごいまったりしてるところが特に。俺よく怪我とかでお世話になってて。この前さ、足を怪我して止血してもらったんだけど、その時なんて俺の傷口押さえながら寝てたよ」

 地下五階には定期的な健康診断から手術までしてくれる病院があって、ハタケのお母さんはそこで看護婦をしているのだ。

「あはは、たしかにすっごく似てるんだよね。お母さんのオーラなんてハタケと瓜二つだよ。並んでると本当にどっちがどっちかわからないくらい」

「まったりするのは構わないけど、授業中に大音量のいびきだけはご遠慮願いたいところなんだけどね」

 こーすけは見慣れた呆れ顔で愚痴をこぼす。それに対してハタケは抗議とも言い訳ともとれる、いつもの切り返しをする。

「だって先生の声不思議なんだよ、頭にすうっと入ってきてさ、洗脳されるみたいにコロッと寝ちまうんだ。あれにはどうやっても太刀打ちできないさぁ」

 なんら正当な理由は見つからない、よくある簡単な言い訳だ。人間とは攻められた時、言い訳にならない言い訳というものを、すぐ口にしてしまうものだという。とりあえず先に適当な理由を付けて弁解する風習は、昔から変わらず進歩しないらしい。

「言い訳になってないぞハタケ。あー、先生といえば。最近さ、先生授業に来ないよね。もう一週間くらい代行の先生が来てるじゃないか。大丈夫なのかな?」

「そうね、確か先週くら――――」

 言いかけて私はあることに気が付いた。黙り込んだ私にみんなの視線が集まる。


 ――――先週?


 その単語に私は口を止めてしまったのだ。それは、私がちょうど夢を見始めた頃。もしかして先生にもなにか関係あるのだろうか、と。

 優星が少し眉根を寄せたところを確認すると、もしかしたら彼も同じことに思い至ったのかもしれない。この広いようで狭い地下都市の中でなにかが起こっているのかもしれない……?

「どうしたの? 空ちゃん、先生の情報知ってるのかい? 院長は忙しいとしか聞いてないみたいだけど」

「いえ、わからないわ。少し気になったことがあっただけよ」

「どうしたんだろうね。あー、病気で入院してる可能性もあるな。んま、年齢も年齢だしね……」

 こーすけの言ったそれもありえる。私達の担任の先生はもう既に八十代を越えていて、体の方はかなり弱ってきていたから。

「あ、そんなら今日かーさんに訊いてみるよぅ。入院でもしてればわかるからなぁ」

「そうだね、お願いするよ」

 そこで硬い話題は一旦途切れ、それからあれこれといつもの会話を交わしているうちに――もっとも私はもっぱら耳を傾けるだけだったけれど、食事は終わりを迎えた。いつもより賑わっていたように思えたのは、恐らくひとり増えたからだ。

 私はちょうど満腹になったくらいで軽やか。睡眠も十分にとれたし、今日はいつもより体の調子はいい。

「ふぅ、おいしかった。そういえば皆ってこの後はどうするんだ?」

 優星は作業服の胸ポケットから小さな小瓶を取り出し、それをぐいっと飲みながら訊く。その小瓶には青い綺麗な液体が入っていた。薬かなにかだろうか?

 けれどそれに気づいたのは私だけだった。一瞬で飲み終えた優星はその小瓶を何事もなかったかのようにポケットに戻した。

「食後はね、いつも誰かの部屋に行って課題やったり遊んだりするの!」

「課題って……。スズ、それはいっつも僕にまかせっきりじゃないか」

 こーすけが軽く口を尖らせる。それもそのはずで、学校から出る課題は毎回彼が解いたものを写して提出しているからだ。私もだけれど。

 もちろん自分で解ける部分は解くという必要最低限のことはする。でもそれは常識的な判断に過ぎない。私には面倒だとか、やりたくない、といった学生にありがちな感情はない。だからやるべきだ、と言われたものはやる。やらなくていい、と言われたことはやらない。

「いーのいーの」

 ひらりひらりと手を振るスズに軽く流されるも、それでもいつも学習面の面倒見はいいこーすけだ。彼はおだてるとなんでもやってくれるということを、全員が知っている。

「へぇ、楽しそうだな。俺もまだ遊びたい年頃だけど最近遊んでないなぁ。そうだ、いきなりだけど一緒におじゃましちゃってもいいかな? 今日はもう仕事がないし、帰っても寝るか機械いじりだし……」

 優星は目を輝かせて、ダメかな? とみんなに問う。もちろん拒否する人がいるはずもなく、誰もが頷く。

「場所はどこにするー?」

「はいはい! 優星さんの部屋!」

 椅子から飛び上がり挙手をしながらこーすけが叫ぶ。彼の瞳は今や優星よりも輝いて見える。

「俺の部屋でいいなら別に構わないけど、全員入るかな? ちょいときついかもしれないぞ」

 多数決ならば優星の部屋で決定。私はどこでもいいからみんなの希望に合わせるだけ。ちなみに私達がいつも多数決をする時は、私を抜いた三人で行っている。じゃないと永遠に決まらないからだ。もちろん原因は私だ。

 それから言わずもがな全員の視線は寝ているハタケに注がれた。さっき起こされたのにもう寝ているようだ。寝ていることを確認したスズのニヤリとした瞳が、みんなに無言で語りかけてくる。

 ――チャンス、と。

 ハタケを除いた私達四人は、驚くべき速さと団結力で物音を立てずに食器を片付けてカウンターに返却し、軽やかに速やかに食堂から撤退した。時間にして約十五秒、無駄な動きがないプロの強盗団顔負けの完璧な逃走劇だった。

 ……まぁ、友達に対してやっていい行為なのかどうかは、私の知るところではないけれど。私はただ、みんなに賛同するだけ。スズにあったのかどうかはわからないけれど、私には悪意なんてものはない。

 むしろ私が悪意の伴う行動ができるようになるのは、いつの日になることか――――。

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