同工異曲夢
「――――………………」
私はいつもと同じ夢を見てしまった。反射的に半身を起こし、周りを見渡す。途端、いつもと雰囲気が違うと気が付いた。
「…………?」
――――ここは、自分の部屋ではなかった。
ちらりと壁に掛っているデジタル時計が目に入る。時刻は既に十八時過ぎ。窓から射す人工灯の光も弱まりつつある。地下とはいえ、時間帯が夜に近づくに連れて人工灯の明るさを落として夜っぽく表現する。いつまでも明るいと人間のリズムがおかしくなってしまうからだ。
……と、そんなことよりいったいここはどこなのだろう?
確かめようと体を捻ったその時、あくびをするような空気の抜ける音が聞こえてきた。
「……ん、っくぁー……よく寝た……」
男の人――優星の声だ。ということはここは、彼の部屋?
「おっ。お目覚めかな? 空。よく寝れた?」
欠伸を噛み殺しながら言い、優星は床の上にあぐらをかいて顔だけこちらに向ける。私は頷いて、その顔を呆けたまま頭のままでぼうっと眺めながら、少し記憶を遡る。
――――確か、優星と仕事をしている途中に私は眠気に負けて……そのあとは覚えていない。でもここで寝ているということは、彼が私をここまで運んでくれたからだろう。しかも私がベッドを占領してしまっていたから、彼は床で寝ていたらしい。
彼は……茶髪がやや交じる黒い髪はあまり整えず、寝起きだからか今は出会った時より結構はじけていた。着ている服は作業服のようだったけれど、オリジナルなのか地下都市の指定作業服とは全く違う。濃い紺色をしていて、ところどころに傷や油汚れが目立つのを見る限り、相当使い込んでいる感じだ。
年齢は私とひとつ違い、十八歳で技術班で仕事をしているという。納得がいくようで納得がいかない話だった。なぜなら十八歳ならまだ救済院にいる年頃のはずだから。でも私達の上の学年、つまり高等部の三年生クラスが存在しないということからするには、妥当な年齢なのかもしれないけど。よくある誕生日の微妙な違いといったところなのか。
――――それにしても、私は彼を〝どこかで見たことがある〟ような気がしてたまらなかった。さっき初めて彼と出会った時から、そう。ずっとずっと前、それこそ空の災が起こる以前。
でもそれは、よくよく考えればありえない話だ。だって十年も前のことだから。たとえ十年前に見知った人だったとしても、面影は残るだろうけれど当然のごとく体つきも顔も変わっているだろうし、声変わりだってしているはずだ。だから気のせいに決まっているのに。
だっていうのに、それでも私は優星という人間を〝知っていた〟気がする。いったいいつどこで見て、どうしてそれが私の意識をざわつかせるのか。今の時点ではまったくわからない。
「……ごめんなさい、起こしてしまって。ありがとう、おかげさまで」
夢のせいで心地よい目覚めとは言えないけど、やっとそれなりの睡眠を取れたような気がした。それでも夢のせいで完璧とまではいかなかったけれど。
「よかった……。ほんと、焦ったよ」
優星はふぅっと短く強い溜息をついて、身体を伸ばして背骨を鳴らした。
「そうだ、夕食前に少しだけ話をしたいんだけどいいかな? 他に用事あるなら構わないけど」
ちらっと時計を見ながらそんなことを訊いてくる。私は特に用事もないし、それになにか引っかかるものを感じていたので頷いて承諾した。
「ありがとう。あ、意味不明だったら聞き流しちゃって。ほんと。……それで話なんだけど、俺、最近不思議な夢を見るんだ。ここ毎回毎回同じ内容の夢でさ。それでなんだけど夢に…………」
優星はそこで一度言葉を切った。そのわずかな間に私の思考が大きく揺らぐ。
夢…………?
そのたったひとつの単語に私の心拍数は急激に上昇した。血の流れる音が今にも聞こえてきてしまいそうなほどにまで。けれど逆に肌はすぅっと冷たくなっていく。冷水のプールに突き落とされたみたいに。もちろん、これがなぜかはわからない。
「夢の中に――空、〝君がいる〟んだ」
今度こそ、私の身体は凍てついた。でも、それだけで済んだ。私にまっとうな感情が存在すれば、きっと声をあげるかして驚くかなにかしていただろう。
「私が?」
視線を泳がすことなく、あぁ、と頷いてじっと私を見据える優星。彼がどんな人間なのかはまだ私には分析できていないけれど、嘘を言っている可能性だってある。
……でもそんなのは意味がない。そんな嘘をついたところでなんの役に立つというのだろうか。
「先週くらいからかな。普段は仕事で疲れて夢なんて見ないんだけど、急に夢を見るように。内容としては……そうだな、俺は薄暗い大きな教室みたいな空間に立ってるんだ。でさ、いくつも並んだ机にはそれぞれ椅子とモニターがあって、十人くらいかな? それぞれ椅子に座ってじぃっとモニターを見つめてるんだ」
「――――っ」
思わず、閉じていた口が自然と開く。そんな――こんなことが、ありえるのだろうか?
彼も、〝私と同じ夢〟を見ていると?
私もそう、同じなのだ。薄暗くてよくわからない場所にいて、私は机の上にあるモニター画面を見ていた。部屋の前には二人の人が立っていて、片方は背がとても高かったからきっと大人で、もう一人は少し背が小さいくらい。もしかしたら異なる点は視点の違い、だけなのかな。それ以外はほぼ一致している。
「明かりはモニターの光だけでよく見えなかったんだけど、それで……それで俺は確かに見たんだ。空――君が、君がモニターを眺めながら笑っているところを……」
「私が……笑っていた?」
「あぁ。あそこで何をしていたのかは分からないけど、確かに君は笑っていた。あまりいい笑顔とは思えなかったけど……そうだな、ちょっと不気味な感じだった」
――――笑っていた。それはありえない。だって私はあの日以来、一度も笑った覚えがないのに。……いえ、夢の中ならそれは充分にありえる話なのかもしれない。
私はあの日、心を失った。感情を抱くことができなくなってしまった。感情が溢れるほどたくさん詰まっていたはずの私の心。今や心は小さく小さくなって……どこへ消えたのか私にもわからない。
周囲と共感することのできなくなっていまった私は孤独だった。カタチは人間だけど、人間でないように。目的もなく、本能に従って〝ただ生きていた〟だけ。
言われたことをして、全てを受け入れて、拒むことは一切しない。自分から能動的に動くことはできず、受動的に生き続けるだけ。
例えるならば、機械。それが一番しっくりとくる表現だった。
――でも結局は、そんなことさえどうでもよかった。機械であろうがなんであろうがどうでもよかった。
だって、孤独感とか、寂しさとか、悲しみとか、苦しみとか、そんなもの、なんにも感じないのだから――――
けれど今の私は変わりつつあった。地下都市での生活を通して少しずつ。ほんの少しずつだけれど。地下で暮らしを始めてからもう十年。その長い年月は枯れ果てた私の心をいくらか成長させた。
今は孤独ではない。私に接してくれる人がいる。心の成長を手助けしてくれる人がいる。なにもない私に話しかけてくれる人がいる。そんな"友達"がいる。
友達ができてから、私は急激に変わりつつあった。みんなのお陰で消えかけていた心は徐々に明るみを取り戻している。決して人並みとはいえないけれど、ひとりの人間として生きて行くことができるように。
――そう、ただ生きるのではなく、〝幸福に〟生きるということを、少なくとも許されるようになったのだ。
「……うん、まぁ夢の内容はただそれだけさ。俺がどこかに立っててそこで空達が何かをしているのをずっと見ているというか、監視しているというか……。それで何が気になるかっていうと、ここんとこ毎日同じ内容の夢を見るし、その……妙にリアルなんだ。まるで俺が本当にその場にいるような感じがしてさ」
思い出すように目を閉じながら、優星は小さく唸る。
夢は妙にリアルで自分がまるでその場にいるような錯覚がする。それは私も同じだった。ただの夢では片付けられないようなおかしな夢。
話を聞いた私はここで、優星に自分が見る夢のことを話すことに決めた。誰にも言わずに隠していたことだけれど、ここまで内容が同じ夢を見ているという彼には、きちんと話さなければならないと直感する。
「優星、実は私もあなたと同じような夢を見るの」
少し間を置いてから、ぽつりと小さな声で私はそうこぼす。
「………………え?」
優星は私の方を見て驚いたふうな表情を一瞬浮かべ、すぐに小さく首を傾げた。想定外の発言にかなり混乱しているのかもしれない。それもそのはずだ。全くもって同じような夢を見る人がこんなにも間近にいるだなんて。それも目の前に。
「ゆ、夢って今俺が話したような……?」
眉をひそめて困惑しているらしい表情のまま。きっと信じられないのだろう。
向こうも私が嘘を言っていると思っているに違いない。そう思った私は証明の為に自分が見た夢の内容を語っていく。
「ええ、私も先週くらいからその夢を見始めたの。薄暗い教室みたいなところで授業をしてるように、私は椅子に座っていて、私は――」
そこで私は言葉を切った。この先の内容はとても悪いこと。口に出すと本当にそれが現実のものとなってしまいそうな感じがしてしまって、容易に言えるものではない。
感情の乏しい私がためらうほどの、なにかがあるのだ。
……でも言わなければならない、言わなければなにも始まらない。このままずっと、ただただ同じ夢を見る毎日が続くだけ。そんな気がしてしまう。
話せばなにかが変わる。そんな思いが脳裏を高速で過ぎっていく。
話さなければ――。
やがて私はそう決断して、深く息を吸い、思い切って続きを口にすることにした。
「……私は空機を操作していたの。それで――――」
ごくり、と優星の喉が鳴り目が見開かれる。
「〝人を殺していた〟の」
溜まっていたものを全て吐き出すかのように私は言った。
「…………なっ!?」
優星は軽く飛び上がった。それはそうだろう。
殺していた。とても簡単な話だ。
どんな方法であれを操作していたのかはわからない。けれどとにかく私はモニターに写る逃げ惑う人々を見つけては殺していた。ただひたすらに人の命を強奪していた。赤ん坊から大人まで、泣きながら命乞いをしている人もなんのためらいもせずに。
「モニターにはそんな…………。んん、これは少し嫌な臭いがするな。なんだっていうんだ……?」
むむ、と優星は眉間に皺を寄せて考え込み始める。かなり真剣に考えてくれているようだった。もちろん人の死に関わることだから真剣にならないわけがないけれど。
私は深くベッドに腰掛けて、優星と一緒にこの夢の不可解さを考えてみた。夢を見る度に何度も考えてみたことだけど、こうして誰かと一緒に考えるのは初めてだった。
しばらく考え込んだあと、私はふと思いついてしまったことを口にする。
「――――正夢。そういうのを聞いたことがあるわ」
優星はそれにあぁ、と頷いた。
「科学的根拠はないけどよく聞く話だねそれは。予知夢とか、デジャヴだとか……。だとすると問題になるのは――――未来だろう? でも一体どうしたらいいんだかさっぱりだ。謎ばっかりで何をどうしたらいいか……」
混乱と謎ばかりでお互い黙り込んでしまった。今は正夢だったら、と仮定してその事態が起こる前に対処法を考えることが先決となる。
それにはまず関連する情報でも集めるしかない。でもまずなんの情報を集めたらいいというのか……。
時計の示す時間は徐々に遅くなっていく。いつの間にか私達は互いに相談するという行為を忘却してしまったらしい。
「んー……。漠然としすぎてどこから手をつけていいのやら」
まったく、その通りだった。
「そうね。まずは身近な謎から解いていかないといけないかもしれないわ」
「そうだな、なにか他に共通点とか……」
身近な謎。そこからまた思考タイムが始まる。
『あ――』
思考を巡らす間もなく、お互いが同時に口を開いた。
「ごめんごめん、空からいいよ」
「ありがとう。訊きたいことがひとつ」
さっき訊くべきことを完全に忘れていた。優星が意味深に呟いたあの意味を。
「なんだい?」
「ドアを修理していた時、解らない感情があるって」
「おっと! 今同じ事を訊こうとしてたよ。まぁなんて言うのかな、俺って、〝怒り〟を感じないんだ。苛立ちとか、そういうのも。ほら、身の周りで怒っている人を見かける事があるだろう? その人達がどうして怒っているか〝理由は解る〟んだ。でもなんで怒るのか理由が分かっても、なんていうか、その、心が解ってくれないんだ。変だよな、頭で理解してても表現できないってさ」
そう言って優星は肩をすくめる。怒りを感じない……と。
私には優星の言っていることが理解できてしまう。たとえ理由がわかっていたとしても、感情を感じることができない、表現できない。むしろ感じるとはどんなことなのかすらはっきりとしない。
私は自分と同じような人がいるなんて、それこそ夢にも思わなかった。やっぱり、こういうことが夢と関係しているのだろうか……?
「それはいつから?」
「両親が言ってたには、俺は生まれた時から一度たりとも。楽しけりゃ笑うし、悲しければ泣く。でもたったひとつ、喜怒哀楽の怒の反応が他人とは違ったんだ。その、ほら反抗期とかさ。そんなのもなかったんだ。両親はあまり心配してなかったんだけど、俺はずっと知りたかったんだ。ちょっと変な考えだけど、一度でいいから怒ってみたかった、他の人とその気持ちを共感したかった。でもそれは今でも解らないんだ」
「……そう」
生まれた時から――。その点では私と少し違った。私は、あの日以来だから。それ以前は〝普通の人〟だったから、怒ったりは普通にしていた記憶がある。
「ちなみに空はどんな感情が解らないんだ?」
そう問われて私は改めて認識させられる。喜怒哀楽が解らない。感じられない。どんなものかもワカラナイ。そして私は優星のように特定のものだけが理解できないのではない。私は――――
「――私は……私は〝全部〟、ワカラナイの――――」
そう告げた途端、窓から射す人口灯の光がまた一段と闇に近づいた。