空虚色
「それじゃ、優星さん。ドアの修理お願いね。どうもそこが反応しなくてねぇ。あ、そうそう、それと職業体験の子が来るからよろしく」
「あぁ、そうでしたね。すぐにやっておきますのでご心配なく!」
もっとも、心配になるような事件はまず地下じゃぁ発生しないだろうけど――なんて心の中で思いつつ俺は仕事を快く引き受けた。
部屋の自動ドアが開かないという報告を受け、午後はそのドアの修理をする事になった。んま、この程度は技術班にとっては下の下の仕事。数分もあればすぐに終わるだろう。
しかし今回は見学というか手伝いというか、職業体験と称して高等部の子が来るらしい。作業内容的には初歩的なものだから、一緒に楽しくゆっくりやるべきか。楽しく出来ればそれでいい。
工具のセッティングも終わり、どんな子が来るのだろうとあれこれ想像しつつ、ふと廊下の先に視線をやる。と、丁度そこに黒い制服を着た人がこちらに向かってくるのが見えた。俺は多分あの子だろうと思って手を振り――そこである事に気が付く。
「ん……? 女の子……?」
こっちに歩いてくる人の姿はまだ遠く、はっきりと表情までは分からない。だけど華奢で控えめな体に、肩までのさらりとした黒い髪が左右に揺れているところを見る限り、恐らく性別は女性であろう。
服装は都市指定の制服で、上下とも黒という暗黒性。仮に女の子だとすれば、高等部の子くらいならもうちょっとその、派手な格好をするとは思うけど……。
「まぁ偏見はよくないな」
一人でそう呟いて距離が縮むのを待つ。
「――――っ!?」
あれ、この子…………!?
一瞬。前触れも無く脳裏に何か強い残像が横切った。女性の映像――。そう、〝まさに彼女〟だ。
今、徐々に姿が明らかになってくる彼女を、俺はどこかで見た事があった。けど、一体どこでだっけ……? かなり最近のはずだけどすぐに思い出せない…………。
「手伝いにきました」
俺の前に到着した少女は、じっとこちらを見つめながらただ一言そう言った。静かだけど、聞き取りやすい声。でもどこか感情的な抑揚がない、機械みたいな発音。……いや、機械といってもだいぶ昔のものだ。今時の機械は抑揚の波がうまく設定されてる。
少女は丁寧な仕草で両手を体の前に添え、俺の返答を待っている。思わず、すぐに対応出来ない。
「――あ、あぁごめん! ここで合ってるよ」
怒っているわけでもなく、笑っているわけでもなく、無表情で――〝色の無い〟。それは星の輝きが消えた宇宙のような瞳。本当はもっとぱっちりとした綺麗な目をしているのだろうが、今は眠たそうで少々目に力がなく、起きているのが辛そうだ。
未だ崩さぬ丁寧で凛とした姿は、失礼ながらも俺が生まれる前に一時期流行ったという家庭用アンドロイドのそれに似ている。そう、どこか機械的な違和感というものが薄っすらと。
なんだろう……。クールと言えばいいのか。この年齢なら可愛いという表現が適切だと思うけど、あまり感情的な表情をしていないからか、冷たい美しさというか……。なんというか鋭く削られた氷像みたいというか。
……あー、言うなれば花瓶といったところか。美しい透明な花瓶だけで、彩を見せる花がないといった感じ。そう、それが一番しっくりくる。
実際、狭いといえば狭い地下都市だが、会わない人とはとことん出会わないもの。廊下であり、食堂であり、タイミングがほんの少しでもずれれば互いの姿は目の端に消えていく。だから、会った事のない人は何人もいたっておかしくはない、はず…………?
「…………!」
不意に、俺の脳内でとある単語が弾ける。
――――〝夢〟だ。
そうだ、夢だ。最近見る夢にいつも彼女が出てくる。夢の中で〝不気味な笑み〟を浮かべている彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
俺の勝手な感想だけど、今目の前にいる彼女があんな笑みを浮かべるなんてまるで想像が出来ないが……。いやしかし一体、どういう事なんだ…………?
「どうかしましたか?」
また俺は声を掛けられて脳内考察から現実に戻った。なんで俺はこんなに動揺してるんだか……。
だがとにかく夢うんぬんの話はあとだ。今はやるべき事がある。
「ご、ごめん、なんでもないよ。よし、まずは自己紹介かな。俺は奥凪優星。嫌じゃなかったら優星と呼んでくれると嬉しい。そっちの方が慣れてるからね。十八歳で今は一般居住区在住の技術班所属だ」
「深谷空です。呼び方は優星さんに任せます。高等部二年所属です」
淡々とした口調でどこか堅苦しい――だがそういう類の感情的ではない、まさに機械的。不思議な子だ。
「じゃぁ遠慮なく名前で呼ぶね。それに〝さん付け〟なんていいよ、敬語もなしで!」
俺はあんまり堅苦しい上下関係とかは好きじゃない。ただほんの少し早くこの世に生まれたかどうかの差なんて大して変わらないし、お互いを平等と認識してこそ一番信頼できる関係が保てると思ってるから。
「わかったわ。優星、なにをすれば?」
といった感じで、あっさりと提案を受け入れてくれるところにはどうも好感がもてる。たいていの人は慣れるまで時間がかかるのだけど。
「えーっと……そうだな、どうもこのドアの静脈認証のセンサーが故障したみたいでさ。ドアを外すからそこちょっと押さえててくれるかな?」
俺は空という名の少女と協力してドアを外すと、隠れていた床の部分にネジの頭が四つ現れた。そこに基板が入っているので、俺はそこを開ける為に屈みこむ。
「工具とかはどうするの?」
空が唐突に尋ねてくる。当たり前だ。周囲を見渡したって工具箱らしきものは見当たらないのだから。だがまぁいい質問だ。
「よくぞ訊いてくれました。俺は工具箱を持ち歩かないのさ。俺が使うのはこの箱だ」
俺は得意げに言いつつ、ベルトにぶら下げてる小さなバッグから、一辺五センチくらいの銀色に輝く六面体を取り出す。何の変哲もない銀色の箱だ。
「それは?」
「これは俺の自慢の相棒でね、ルルムーヴ合金って金属で作られてる工具。世界に多分だけど、ひとつしかない俺の万能工具箱さ。磁気に沿って水のように流動可能な金属で造られてる。こいつの中央に埋め込まれてる特殊なチップが俺の脳波を読み取って、必要としている工具に変形してくれるんだ。例えばこう」
俺は万能工具を手の平に乗せ、簡単なドライバーの形を想像して頭に思い描く。それからその工具を軽く突付くと、その箱に無数の亀裂が入り、内側に潰れるように溶ける。そのまま液体のように銀色の金属がさらさらと動き始め、目的の形に形成されていく。
流れはやがて液体から固体へと成り代わり、あっという間にちゃんとしたプラスドライバーに変化した。ただの四角い箱から、使える道具に移り変わっていく様子はいつ見ても楽しくて感動できる。
「なるほど」
空は極めて冷静に評価した。思いのほか反応は薄い……。驚かせるつもりだったけど、彼女は期待通りの感情表現をしてくれなかった。少し……残念。というか盛りに盛った俺がアホみたいだった。
「なるほどって……。結構これ自慢の品なんだけどなぁ。普通もっと驚くんだけどね。ははっ」
ちょっと照れ隠しに無理やり笑う。
「ごめんなさい。私、あまり感情とかが解らなくて」
と、いきなり言われたその内容に俺は目を瞠る。
「え……?」
空は不思議な事を言った。解らない――とは言われても、あー……でもそれは、確かに言われてみれば……?
彼女――空には圧倒的に欠けている部分がある。多分、それこそが今まで感じていた違和感の正体だ。そしてその証明こそが今の発言なのだろう。
つまり、彼女の言いたい事は、自身には感情の類が存在しない、という事。とんでもなく異常な話といえば話だが、どういう因果なんだか、あろう事か俺は〝それ〟が理解出来てしまう。
「奇遇だな。俺も解らない感情があるんだ、空」
「……え?」
今度は向こうが首を傾げる番だった。彼女は驚いた表情こそ見せなかったが、俺の言った事を瞬時に呑みこめていなかったようだ。
空は俺の発言になにか興味を示したようで、口を開きかける。けれど俺はそれを片手で遮った。
「まぁ話は後で、ね。先に片付けちゃおう」
頼まれた仕事は迅速に進めなければならない。申し訳ないけど。
空は素直にこくりと頷いてくれて、俺達は仕事を続けた。
俺はドライバーの〝カタチ〟となった万能工具でネジを回していく。蓋はすぐに外れる。と、その中には何本かのカラフルな配線や基盤が覗く。初めて見る人にはアートか何かに見えるだろう。俺だって最初は奇抜なアーティストの作品かと思ったし。
「電源の線が焦げてる……」
空が基盤を指で示して指摘する。配線をよく見ると赤と黒の線が二つとも茶色く焦げていた。過電流でも流れたのだろうか、プラスチック系統が溶けたような鼻の奥を突く臭いが漂う。
技術レベル的になかなかありえない状況だが、人々は地下に逃れたわけで。重要箇所以外は突貫工事で済ませた部分が多くある。だから時間が経つにつれてボロが出てくる部分が結構あるのだ。
「どうしてこんなところが――って」
それよりもさらりと答えた空に俺は驚いた。
「よくこの線が電源って判ったね。もしかしてこういうの得意だったりする?」
訊くと空は小さく首を横に振った。
「いいえ、友達によく聞かされるの。こういう配線がどんな役割をしているのか、とか」
そう言われて俺は少々寂しいものを感じた。
「友達……か」
俺は正直……友達は少なかった。大人との付き合いは仕事上多いけど、運が悪い事に俺と同年代の人がこの地下都市にいない。まぁちょっとばかり……心が寒いわけだ。
しかし気になったのは、何とも不思議なオーラを醸し出しているこの彼女と接する人はいるのだろうか? という事。まぁ失礼だけど、どちらかと言うとこの子は周囲にあまり干渉しない独りぼっちのイメージがある。
「…………よし、この線を取り替えたらもう大丈夫」
焦げた配線二本を基板から外し、胸ポケットに入れておいた何本かの配線を取り出す。そしてドライバーの形の万能工具を再び小突く。
すると今度は思い描いたとおり、先端の鋭いはんだごての形へと成り代わり、すぐに先端が熱を帯びる。俺はくるくる巻かれたはんだをポケットから取り出し、はんだごてを使って配線の修復を終わらせた。ちなみにはんだ付けなんて古典的な方法が用いられるのも、多くの技術が失われてしまった地下都市ならでは。
空に人差し指で扉に付いたセンサーに触れてもらうと、ビー、という基本中の基本の電子音が鳴って赤いライトが点灯する。認証に失敗という意味だ。失敗だけどこれで合っている。通過できるのは当然この部屋に住んでいる本人だけだからだ。
まぁこんなもの、全ての人が支え合って暮らす地下都市に限っては、無駄にセキュリティーが高い気がするが……。実は鍵を取り付けるよりも、電子的施錠の方が低コストで簡単に作れてしまうっていう理由があるっちゃあるのだけど。手に入る素材的に。
「よし、オッケー。ドアを元に戻して終わり。空、そこ持ってくれるかな?」
ぱぱっと手際良くドアを戻そうと空に声をかけたその時、どさり、と背後で何か重みがある物が倒れる音がした。
「――――!?」
振り向いくと、そこには転がったぬいぐるみみたいに力なく横たわる空の姿があった。
「そ、空!? どうしたんだ!?」
すぐさま体を抱き起こして意識を確認する。途切れ途切れに消えゆくような声に俺は焦り募るのを感じた。おまけに人並以上に白く透明感のある肌が逆に恐ろしい。
「ええ……大丈夫……。少し……眠たいだけ……」
空は虚ろな瞳を泳がせながら、その重たげな瞼を開こうと一生懸命になっている。よくよく落ち着いて見た感じ、寝不足が原因で一瞬だけ強制的な眠りに入ったのだろう。でもこの状態はかなりの重症に違いない。
「びっくりした……。すごい眠たそうだったからな」
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、俺は瞬間的に閃いた提案をする。
「あ、すぐそこ、俺の部屋だから夕食の時間くらいまでなら寝てってもいいけど……」
「だい……じょう――」
空が起き上がろうとしたので肩を支えてあげたが、結局彼女はふらふらと俺の方に倒れ掛かってしまった。
「……っとっと……ま、まじか……」
空の頬が俺の頬のすぐ隣にある。黒いわたあめ菓子みたいに繊細な髪が顔に触れてくすぐったい。おまけにすぅ、すぅ、と耳元で規則的な寝息が聞こえ始める。これは別な意味で心臓に悪い……。
まぁ安らかな寝顔を見る限りしっかり寝れば大丈夫そうだろう。寝顔は起きてる時の無表情と違って、とても安心したような柔らかな表情をしている。頬を突っつきたくなるような可愛さだ。
それに女の子に触れたのもまぁ………………何年振り――悲しきかな……。慣れない心臓が軽く悲鳴を上げてしまっている。
とりあえず俺は空を片手で支えながら、自分で器用だと思える動作でなんとか扉を直し、それから彼女を抱えて自分の部屋に連れて行く事にした。お持ち帰り、と言ったら語弊だ。これは介抱介抱……。
幸いな事に俺の住んでいる部屋は三〇一号室でここからすぐ。数秒も歩くともう部屋の前だ。
部屋の前に着き、ドアに付いている静脈認証に人差し指をかざす。ピーと電子音が鳴り緑のライトが点灯すると、ドアが勝手に開き部屋に招待してくれる。
中に入ると電気が勝手に点灯し、部屋が眩しい光で満たされる。同時に散らかってる部屋の様子に溜息をつく。
隅っこの小さな机の上には極小な工作機械や測定器具、機械部品などが散乱していて、ひとつの機械工場を形成している。それ以外は他の部屋とほぼ変わらない、生活に必要な製品だけがある。
ベッドに空を寝かせて一安心すると、俺は床に寝転がって脳内考察タイムを始めた。考え事をするにはベッドの上が一番だが、今はそうするわけにはいくまい。
「…………どうなってんだ……?」
今、眠っている少女が最近見る夢に出てくるのは確かだった。恐らく間違いはない。もしかしたら今まですれ違ったり見た事はあるかも知れないけど、直接喋った覚えはないし……。だっていうのに鮮明に夢の中に出てくるというのはこれいかに。
俺と彼女の間に何かの関連でもあるのか? 単なる運命的な出会いって感じならそれはそれで嬉しいが、どうやらそれはなさそうな気がしてたらない。何かもっと重大で恐ろしく深い意味が隠されているという直感が、俺の思考を蹂躙していく。
それにもう一度じっくりと深く思い返してみると、俺は夢の中だけじゃなくて、もっともっと昔――〟空の災が起こる前〟にも彼女を目撃したかのような気もしてきた。
…………あぁでもこれは多分、俺が好きだった子になんとなく似ていただけかもしれない。十年前の、小学校低学年の時か。雰囲気は今と真逆に等しいけども、十年経った今でもどこか面影が残っているようで。笑ったところでも見れればあるいはわかるかもしれないが……。笑顔が見れそうにないのはなんとなく解ってしまっている。
などとあれこれと考えているうちに、俺の所にも睡魔が遊びにやってきて思考を蝕んでいく。……少し、寝るとしよう。変に働いた脳ミソを休めるべきだ。どうせ今日はもう仕事が入ってないし、報告は後で済ませておけばいい。
彼女とは――そうだな。起きた後にじっくり話をしてみよう。感情云々の話もしておきたいし。
そうと決まれば俺は襲い来る睡魔にあっさりと主導権を引き渡した。