黒球欲求
黒々とした周囲の景色とはまるで比にならない。まるで私の瞳だけを取り出したかのような、ブラックホール顔負けの色。仮に今が夜だったとしたら、これは間違いなく闇と同化して目には見えなかったことだろう。
無音、そして無温。私達が目視以外で感じられるあらゆる気配が遮断されたそれは、間違いなく――――機械だった。
漆黒の球体は私と優星の目の前に〝浮いていた〟。それもふわふわと漂うといった感じではなくて、限りなく静止に近い。あるいはどこに通じてるかわからない穴。それはまるで一枚の絵画のよう。車が道路の上を浮いて走る原理は多少なりとも知っていたけれど、瓦礫の上をこうも難なく浮遊する原理というのは聞いたことがなかった。
直径はおよそ二メートル。小さすぎず、大きすぎずのこのサイズは、私達人間を圧倒するのにちょうど適しているサイズなのかもしれない。目なんて存在しないのに、上からじっと見られているような感じがしてしまう。ただ向こうはそうするだけで、一向に襲ってくるような気配はなかった。
だけどいったいどうして、こんなところに…………?
十年前。私の両親を、私の友達を、私の住む世界を消し去った、その根源。
そう、私の全てを。
空を奪ったモノ――――
あの時の光景が一枚一枚、音を伴って脳裏を高速で過ぎっていく。
いたるところで上がる、悲鳴。
いたるところで爆ぜる、爆発。
いたるところで燻ぶる、火炎。
いたるところに転がる、死体。
そして私の目の前に転がる――……――……――――
普段は全く目にすること、聞くことのない状態が満ちていた〝真昼の夜空〟。その空に無数に浮かぶ、私が黒い星と比喩した球体――空機。遠目で見た時は手のひらに収まる大きさだったのに、それはいざ目前にするとこんなにも大きい。
私の体が震えだす。気温の低さなんてものは大丈夫なのに――否応なしに、震える。逃げようにも、私の体はまるで言うことを聞かなかった。
私の膝は、手は、顔は、どうしようもなく小刻みに震えた。コートをぎゅっと体に巻きつけてみても、体が蒸すだけで震えは止まらない。
視界はぐっと狭くなり、腕が勝手に震えを止めようと肩を抱く。まるで自分が自分を殻の中にでも閉じ込めてしまおうとしているかのように。
なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? 私は震えるのだろう?
「…………?」
体を襲うわけのわからない苦痛で今にも倒れてしまいそうな私を、私の腕じゃない、もっと屈強ななにかが抱く。
「大丈夫だ、空。大丈夫だ」
と、力強い言葉が私の耳元で囁かれる。するとそれだけで私の体の震えはいくらか鎮まり、胸の動悸もややなだらかになった。
「優星……」
背後から優星が私の両腕をその大きな温かい手で掴んでくれていた。彼の方に目をやると、彼の視線は目の前の空機に真っ直ぐと注がれていた。
「――――言葉、通じるだろ?」
しばしの睨み合いのようなもののあと、優星は私のように震えることなく、しっかりとした口調でいきなりそんなことを空機に向かって尋ねた。機械に言葉なんて通じないというのに。だっていうのに――
《――――あぁ、よかったな、話が通じる奴でさ》
『…………!?』
声が、返ってきた。その声は明らかに空機の内部から聞こえてきた。そしてあろうことか、私はその声に〝聞き覚え〟があった。それも、ほんのつい最近に。
ただそうだとしても、自分の耳を疑いざるを得ない。だってその声の主がもしも私の知っている人だったのなら、絶対にありえない話なのだから。
「古賀、君……?」
でも、私は呟いて尋ねた。その時にはもう体の震えは止まっていた。優星が近くにいることと、恐らく聞こえてきた声がそうさせたのだろう。声の主が私の予想通りであれば、少なくとも私にとっての完全な未知ではなくなるから。
「し、知ってるのか?」
「ええ、多分。でも……どうして……」
わからない。分からない。解らない。ワカラナイ。私の頭の中ではその言葉だけが竜巻のように、ごう、と渦巻いていた。
なぜ空機の中から古賀君の声が聞こえるのか。そもそもなぜこんな所に空機がいるのか。どこからどう当てはめたらいいのだろうか。
《ま、正解だ。おまえのクラスメイトの古賀だよ、深谷。意味がわからないだろ? わからない事は無理にわかろうとしないほうがいいよ。わかろうとしてわからないと、余計に〝怖く〟なるからさ》
口調も声色も、地下都市の古賀君とまるっきり同じ。そう断定した私は言われた通りに深く考えないようにして、ひとつだけ尋ねることにした。
「あなたは、なにをしているの?」
もっとも、状況が理解できそうな質問だ。
《何をしているのかって言われたら、この機械を操作しているだけだよ。もちろんボクの体はここにはいないから〝別の場所〟からな》
古賀君は当たり前のことを言うかのように、さらりと言い放った。それに対して優星は私から離れて空機に一歩近づき、さらに追求する。
「じゃぁ目的は何なんだ? 俺達を見に来ただけってわけじゃないだろう」
《いやちょっとな。まぁ安心しなよ、べつに殺しに来たわけじゃないんだから。じゃぁおまえらが理解できるように今度はこっちから質問だ。おまえらはここで何してる?》
私達は――私達はここで夢の――――
「――あ」
私と、優星と、古賀君。そして、空機。そこから辿り着く答えはとても簡単で、たったひとつの単語が脳内で光を帯びて明瞭になる。
優星のはっと息を呑む声。きっと彼も同じ答えを導き出したのだろう。そう、この不可思議な状況が意味しているものは――――
「――夢…………」
そう呟いて私は確信する。
古賀君は夢を見ると言った。毎日、毎日、同じ夢の繰り返し。現実のようで現実でない、不可思議な夢。その夢の内容こそがずばり、たった今、私の目の前に佇む黒い機械に関すること。つまるところ状況は多少違えども、〝夢が現実になっている〟ということの証明の他ならない。
彼は、古賀君は、ひどく夢を怖がっていた。私は怖がりこそできなかったものの、とても嫌だった。だっていうのに正夢となってしまった今の彼には、そのような様子はまったく感じられない。むしろとても落ち着いている感じがする。判断材料が声だけだから確実ではないけれど。
《そう、夢の謎を解こうとしてるんだろう? だけど本当は違うんだな。おまえ達が見る夢は、正夢とか、予知夢とか、そんな非科学的なものじゃない。おまえ達が見ていた夢の正体は〝もろ科学〟。おまえ達は〝作り物の夢〟を見させられていただけさ》
古賀君の発言に私達は戸惑った。はてなマークだけが脳内に浮かぶ。
「見させられてる? 俺達が? なんでまた? 誰に?」
優星も警戒をといたのか、大きなジェスチャーで空機に疑問を投げつけていた。でもそんな彼をよそに、空機は私に向かって喋りかけてくる。
《実験対象は本来、深谷だけだった。けど奥凪、ついでみたいなもんだよ、おまえは》
「……俺の名前を、知ってるのか」
優星は自分の苗字が古賀君の口から出た瞬間に、一歩下がって再び警戒モードらしき態勢に入った。そしてまたしても彼は優星の問いには答えようとしない。
「実験対象……?」
言葉の意味していることが私にはさっぱり思い浮かばなかった。いったい誰に見させられてるのか、どうして私達だけに、実験とはなんの話なのだろうか、と疑問は浮かぶだけで一向に解消しない。
《そう、実験だよ。感情が欠損したボク達『欠感者』にとっては、この実験だけが生きる目標なんでね》
今彼は、なんと言ったのだろう? 私の知らない単語が出てきた。
「けっかんしゃ……?」
《『生涯をかけて会得出来るはずの感情が生まれつき限られてしまっている人間』の事だよ。〝先生〟の話によれば奥凪、おまえもその一人のはずだ。比較的軽症らしいけどな。まぁボクと同じ、先天的な『欠感者』ってとこか》
「……? 初耳だな、そんなの。確かに俺は生まれつき怒りの感情を持っていない人間だけど。なら空も同じって事なのか?」
「いいえ、優星。私は違うわ」
優星の問いに私は自ら首を振って否定した。
「私は生まれつきではないから。少なくとも幼い頃は、笑って、泣いて、怒って、怖がって、幼いながらもひとりの人間として充分な感情を備えていたわ」
「……あぁ、そうか。そうだったな……」
けれどそれらを失った私は変わってしまった。なにも感じ得ない、人間とはまるで異なる機械のように。
《いやそれも同じようなもんだよ。ただおまえは〝後天的〟な『欠感者』ってところか。〝だから〟実験の対象に選ばれたんだ。感情を失った、あるいは一部の感情が存在しない人達が他の感情を手に入れられるのか。それが可能だとしたらどうやって感情を手に入れていくのか。無から有への過程の調査――つまり、実験はおまえが鍵になる。いいサンプルなんだよ、深谷は》
私の口からはなにも言葉はでなかった。古賀君の言ったことを一言一句噛み締め、理解しながら、ただじっと頭のなかだけを風車のように回すしかなかった。
先天的なものと後天的なもの。その違いは生まれつき感情が欠落してしまっている人と、私のように生きている途中で感情を失った人のこと。違いは簡単で、スズの目に例えればわかりやすい。生まれつき目が見えないか、事故や病気であとあと失ったかの違い。
《おまえは成長してる。今のおまえはゼロじゃないだろ? 感情を抱く事が出来なくなったはずのおまえは、少なからず何かを感じれるようになったろ?》
古賀君は続ける。そしてその言葉に私はその通りだと頷いた。
「ええ、ゼロじゃないのは確かよ。今の私はゼロじゃない。みんなのお陰で、私は変われた。これからも変わるつもりよ」
《だろ? 残念ながら本来のボクはな、ゼロかイチかの瀬戸際にいる人間なんだよ。どちらかと言うとゼロ寄り。ボクが感じられる感情は恐怖と悲しみだけだ。その他は自然と手に入らない。けど今回の実験が成功すれば、ボクは他の感情を手に入れる事が出来るようになる。ボクはもっと感情が欲しいんだ》
感情が欲しい――と、古賀君は言う。だけれどそこにはひとつの矛盾が発生する。
「なら、あの時のあなたは? 私とスズが部屋を訪ねた時の。あなたは怒っていたし、最後に――」
私は思い出す。先日古賀君と話していた時、激しい怒りをあらわにしていた彼の姿を。そして去り際にさりげなく見えた、あの時の私にはわからなかった、〝笑顔らしき〟表情を。
「――あなたは、笑っていた?」
仮定を含んだ私の問いに、それを証明するかのように古賀君は声を出して笑った。こもった声は周囲に幾度となく反響して、まるで大勢の彼に囲まれているかのよう。そして私はそんな彼の笑い声を初めて耳にした。
《くくっ……あっちゃー見られちゃったか。話がうまくいったから思わず嬉しくて笑っちゃったんだよ、〝多分〟ね。確かにボクには恐怖と悲しみの感情しかない。だけど今は笑えるし怒れる。けどあれは本当にボクが感じているものじゃない》
「あなたが、感じているものじゃない……?」
《――あれは機械だよ》
古賀君は突然声のトーンを落として、短く言い放った。
「お、おいおい機械ってどういう事だ? まさかとは思うけど……」
優星が目を細めながら顎に親指を添える。
《さすが、おまえの思ってる通りだと思うよ。そう、ボクの脳には極小サイズのある種の〝人工知能〟が埋め込まれてる。難しい事はワカラナイけどさ、人間の感情を記録、構築、再現する究極の集積回路なんだってよ。くくく……笑っちまうだろ? ほら、今のだって機械が瞬時に脳に命令して、勝手にボクの表情を変えて喉を動かして笑い声をあげるんだ。ボクが意図しなくてもね》
古賀君の言葉と共に空機が上下に激しく動く。
《……ただし、これはまだまだ試作段階に過ぎない。まだ数種類の感情しか扱えないからな》
「そん……な……」
脳の中に……機械――――。
そこまでして――いえ、そこまでしないと感情というものは手に入れられないと言うのだろうか?
しかも古賀君は機械が勝手に――と言った。勝手に、ということは、本人がそれを感じていないと言うこと。そうだとしたらそれはさっぱり意味のないことだ。自分では感じられない――そんなのは仮初めのカタチだけの感情なのだから。
「あなたが望んだの? 機械に感情を任せるって。それではカタチだけになってしまうのに」
《くくっ……ほら、少なくとも今はこうやって笑えるんだぜ? たとえそれが電気信号による仮初めのカタチだけモノだとしても、な。〝ないよりはマシ〟だろ? ま、実験が成功すれば本物の感情を得る事が出来るようになるんだけどな》
ないよりはマシ。それは私も自分の中でよく使う言葉だった。なにもないから、なんでもいい、と。感情の選択の自由はないのだから。その点は理解できる。
《だって先生は言うんだぜ? 悲しみと恐怖しか感じ得なかったボクに、他人と同じように感情を豊かに、幸福を与えてくれるって。その代わり何年も実験を手伝ってくれれば、って条件付きだったけどな》
感情と幸福を。それは感情が乏しく、世間から切り離されているような存在の人達にとっては、最高の望みであるし、夢でもある。私の今の夢はまさにそれだった。
みんなと一緒に笑って、泣いて、喜んで、幸せに、生きていく。他人からすればそれはなんの造作もないこと。たいした努力も必要としないで叶えられる夢――いえ、夢なんて表現が大げさすぎる。当たり前のことなのに、私達にとってはその当たり前さえ夢になる。
「……そう、たったそれだけの条件なら、私も考えていたかもしれないわ」
《だろ? ボクにとってそんな条件は気にならないものだったし、どうせ地下都市にいたって〝ただ生きてる〟だけしかない。どっちにしろボクはこれに賭けるしかなかったんだよ。人間になる為には、ね》
「人、間……に…………」
最後の言葉は、私にとってなによりも決定的だった。
確かに、誰がなんと言おうと私や古賀君は人間だ。でもそれは外見だけの話であって、外から見えないものを判断材料として人間かどうかを区別することは、誰にもできることじゃない。
カタチだけ見たら、それは誰がどう見ても人間なのだから。たとえ中身が空っぽだとしても、他人は事情を知っていても気にせずに同じ人間として接してくれる。
だけど……他人とは決定的に違うのだ、と一番強く思うのは、私達本人の他ならない。心が隙間だらけの人間にとっては、溢れんばかりの感情を持つひとりの人間になりたい、と思うのは当たり前の話。
問題は、その虚無からくる悲しみや寂しさ、孤独感といったものさえも感じることができない人だっている――という事実があるのだけれど。それでも、私達は本能的に感情を欲する。そう、まさしく本能。食べて、眠るのと同じ。生きるのに必要なものとして、私達は本能的に感情を欲するわけで。
《……おっと、喋ってばっかりじゃなくて仕事もしないとな》
不意にそんな言葉と共に空機が私の目の前にずい、と移動してきて、私の視界が黒で埋め尽くされた。もはや手を伸ばせば触れられる距離だ。
するとその直後、またしても私の体がぞくぞくと震え始める。さっきよりもずっと酷い、全身の肌の内側を氷が滑っていくような加速度をもった冷たい感覚と、心臓をぎゅっと縄で締め付けられるような息苦しさ。
アレが近づいてくるほど動悸が速くなり、呼吸の間隔が短くなり、震えは強まっていく。体の奥底まで空機にじぃっと見つめられているかのような感覚。再び脳裏にあの日の光景が雪崩のごとく襲ってくる。
「…………っ……」
いったい、この感覚は――――
《そうだよ、深谷。それが〝恐怖〟だよ》
答えは古賀君が宣告してくれた。
「――これが…………こわい……?」
疑問系で私は確認した。今、私が感じているのは、ひとつの感情。怖い……なんて、なんて嫌な感情――――。
でも贅沢は言えない。良くも悪くも、これは私の求めていたもののひとつに違いないのだから。プラスの感情も、マイナスの感情も合わさってこそ、本物の人間なのだ。
そして今この瞬間こそ、私の心の成長なのだ――――。
ふらつく私の隣に優星が寄り添ってくれる。そのまま空機をこれ以上近づけまいとしてくれていた。彼の温もりが私に触れていなかったら、間違いなく私は意識を失うかどうにかしてしまっただろう。
《くくくくっ! 嫌だろ? 辛いだろ? 耐え難いだろ? 逃げ出したいだろ? 感じたくもないだろ? でもな、それだけにボクは今までずっと縛られてきたんだ。解るか? いやだ、嫌だ、イヤだ、こわい、怖い、コワい、痛い、苦しい、泣きたい、逃げ出したい。そんな自分が嫌だ、死にたい、でも、死ぬのは嫌だ、怖い――ほぉら、ボクには幸福な感情なんてどこにもなかった。あったのは真逆の絶望だけさ。自殺さえ許されないほどの、な》
古賀君は空機を通して自虐的なことを立て続けに並べた。その負の言葉は周囲の瓦礫に反射に反射を繰り返し、とてつもなく増幅された負の感情が私達の鼓膜に重い余韻を残す。
『…………』
私達はなにも言うことができなかった。負の感情だけで生きてきたという彼は、無だった私よりもずっとずっと苦しい思いを続けてきたのだ。プラスもマイナスも感じ得なかった私はともかく、マイナスしか感じられないだなんて……。
《とにかくおまえが必要なんだよ。先生の言ってた通り、ものの見事におまえは恐怖を感じた。おまえは今、機械の助けを借りたか? 借りてないだろ? だから必要なんだ。もっかい言うけどさ、人に感情が自然と芽生えるその瞬間こそ、先生がもっとも必要としている〝データ〟なんだ》
「――っ……で、君の言うその先生っていうのは一体誰なんだ? そいつが君をここに差し向けたんだろう」
《おまえらがよーく知ってる人さ――――おっと、電圧が下がってきちゃった……。長話をしすぎたな。さぁこれでボクの仕事は終わりだ。本当は襲うフリでもしてやろうかって思ったけど、この機械を見ただけで感じてくれるとはね。手間が省けたや》
そう言って空機はすぅっと滑らかに上昇し、大きく首を傾けないと見えない位置にまで上がった。
《さぁ行けよ、この先に。そうその霧の向こうさ。そこにおまえらの見ていた夢の正体、それに先生もいる。そして実験が最終段階に向かうのさ。ま、ボクは一足先にそこへ帰るけどね。本当は送ってやりたいけど、もう近いしその必要もないだろ》
「いきなりそんな……危険かもしれないだ――」
《いいからおまえも黙って協力してくれよ。いいか? これは〝互いに利益〟をもたらす話なんだからさ。こっちからおまえらに危害を加える意味がない。とにかくデータが揃って先生の研究が完成すれば、おまえもボクも深谷も、ようやく〝人間になれる〟んだから――――》
最後にそう言い残して、古賀君――もとい空機は音もなく急上昇し、溢れ返る疑問の海に溺れている私達を置いて、瓦礫の山の向こうの霧の中へと姿を消していった。
「…………大丈夫か?」
優星は私の肩に手を添えながら、しっかりと目を見てくる。
「ええ、大丈夫。……いえ、少し、待って」
まだ少し体には嫌な感じが残るし、動悸も早い。呼吸と思考を整える必要がある。
怖い――わかっている、嫌な感情だということは。けれど私はそれに負けてはならない。……いえ、勝つ必要もない。今はただ感情を得たという結果こそがすべて。その感情が良かろうが悪かろうが、成長なのだ。
「……夢の謎、答えは向こうからきたか」
優星はモザイクのように霧が揺らぐ遠くを見据えて言う。
「予想外だった。けれど〝向こう〟は想定内だったのね」
「あぁ、少なくとも勝ち目はないな。素直に従う方が身の為になりそうだ」
「ええ、ここで引き上げたら〝夢の通り〟になってしまうかもしれないから」
私は地下都市へ引き返す気はなかった。きっとこれもなにかの感情なのかもしれない。
なんにせよ、私達が引き返せば、古賀君は追ってくるだろう。それに彼の言う先生とやらが――黒幕ならば、相手は大人だ。加えて空機などの技術もある。
危険は承知。でも私達が行かないことで地下都市に被害が及ぶ可能性があるならば、それは絶対に避けたいこと。夢の通りの殺戮が始まってしまうのは、嫌だ――――。
「行こうか」
「ええ」
私達は自然と手を繋ぎ、想像もつかない霧の向こうに向かって歩き出した。




