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空の発端

 私は学校に行く為に身支度を始めた。

 学校に行くと言っても、玄関を出て廊下をちょっと歩けばそこにはもう教室がある。ほんの数秒だ。信号が変わるのを待たなくてもいいし、乗り物を乗り継がなくてもていい。汗を流すまでもなく凍えるまでもなく、辿り着く。

 私が主に暮らしているフロアは地下二階。ここには『救災院』と呼ばれる『空の災』で両親を亡くした子供達を支援する、学校兼寮のようなものが設置されている。救済院の寮で私は眠り、救済院の教室で私は学ぶ。その繰り返しはもう――十年も経つ。

 私は十七歳で高等部二年生に所属している。学校は九時から授業が始まるのだけれど、今日も早く目覚めてしまったので、ゆっくりシャワーでも浴びることにした。

 黒い寝巻きを脱いで浴室に入る。浴室の壁には小さな液晶パネルが付いていて、適温診断と書いてある項目を押すとその時の健康状態をセンサーが検査して、今の体の状態に合った温度の水を出してくれる。液晶には現在の血圧や体温までもが表示されて、ご丁寧にも注意項目には睡眠不足と表示されていた。そんなことは自分が一番わかっている。

 適度な温度らしい水を浴びながら、私は今の今まで見ていたモノを考える。

 

 ――――夢。

 

 さっきまで見ていた光景が足早に脳裏を過ぎていく。断続的に、切れ切れに。一枚一枚スライドされて。

 近頃だ。ここ数週間、私は毎日のように同じ夢を見るようになった。それまでは夢を見ること自体が稀だったし、見たとしてもその内容は目覚めれば忘れてしまうようなものだったのに。

 今回はそんなことはなかった。夢の内容は既に鮮明に覚えつつあった。決して見るべきではないような夢だっていうのに、繰り返し見せられれば自然に覚えてしまうのは仕方がない。覚えるよりも忘れる方が簡単というのはきっと嘘に違いない。

 最近寝不足が続くのはこの夢のせいだった。だから授業中寝てしまうことが多い。本当はよろしくないのだけれど、別に授業を真面目に受けてなくても成績なんてものは元からないし、進学なんて選択肢も存在しないから。なにしろ少人数だからどちらにせよ比較的自由な感じの授業になるし。

 ぽけっとしながら夢のことを考えていると、遠くから目覚まし時計の音が聞こえてきた。つまり本来起きるはずの、七時半だ。

 目覚まし時計はいつも七時半にセットしてあるのだけれど、最近は夢のせいで七時くらいには目が覚めてしまう。だから目覚ましはあまり必要ないけれど、私はそれでもこの設定を解除することはなかった。

 理由は簡単だ。そのけたたましい音だけが唯一、夢に溺れる私を現実の世界に引き戻してくれるから。ひとりで部屋にいると、目覚めたあともずっとずっと夢の世界に漂っているような感覚がしてしまうから。

 私はシャワーを止めてひとまずタオルだけ羽織り、冷蔵庫の上の目覚まし時計を止めに行く。

「…………もう戻ったわ」

 そう呟いて指先で液晶に触れると、けたたましく鳴り響く音は止まった。同時に部屋には一切の物音がしなくなった。自分のわずかな呼吸音がうるさく感じるくらいだ。

 それから体を拭いて髪を乾かして。いつもの制服に着替えて早々に準備完了。制服といっても学校のものではなくて、この都市の指定の制服。天然の繊維は手に入れることがほぼ不可能だから、最新の化学繊維で作られていて、人間に対して抜群のフィット感を持つ優れもの。基本デザインは決まっているけど、地下五階にある仕立て屋で好みのデザインとかを決められるものだ。

 当たり前のことだけれど、地下都市には四季というものが存在しない。一年中快適に過ごせる気温が設定されていて、服の種類に夏物も冬物もない。ちなみに私は基本デザインで、色は上下とも単調な黒色。周りからはよく暗いと言われるけれど、今の私にはなぜかこの色が一番しっくりくる。……それに、着れればなんだっていい。

 部屋を出ようと玄関前に立つと、勝手に自動ドアが開く。外に出てドアに付いているセンサーに触れてロックする。もう一度触れば開く、とても簡単だ。……この地下都市内においてロックする必要があるのかといえば、いらないのかもしれない。私はただ取り付けてあるから使うのであって。

 廊下に出た私は、まず食堂へと向かった。場所は廊下の突き当たり。既に混雑している様子が目視できる。


 ――――さぁ、いつもと変わらない一日の始まりだ。


 ◇


 食堂の前は朝の雑談に勤しむ大勢の人で溢れかえっていた。そのせいで食堂の自動ドアも開きっぱなしで仕事に飢えている。

 私は人並みを縫うように掻い潜って中に滑り込む。食堂内には私達のような救済院の生徒の他に、一般の人や作業服を着ている人、寝巻きのままの人までいた。服装に着目すれば、食堂は地下都市の中でもっとも華やかな場所とも言える。

 大きく開けた開放的な場所。適当な感覚で置かれた大小様々なテーブルと椅子。それらを自分達で勝手にアレンジして食事ができるのがここだ。

 高く造られた天井にはいくつかの電光掲示板がぶら下がっていて、都市からのお知らせ掲示板、落し物掲示板、一緒に遊びましょう掲示板等々……と、今日も大忙しだ。

 私は電光掲示板をチェックしつつ、食堂に入ってすぐの所にあるカウンターへ向かう。そしてそこに設置されている機械にIDカードをタッチした。ちなみにこのカードは地下都市民が全員持っているもので、中には個人データが入っている。様々な事柄に使用するから常に携帯を義務付けられているものだ。

 食堂ではカードを機械に読み込ませると、最近の定期健診で診断された健康状態に合わせたメニューが表示され、バランス良く食事を取ることができるようになっている。

「おはようございます」

「はいおはよう! あら……また、また、また――寝不足。大丈夫なの……?」

 給仕のおばさんが裏方で私のステータスを見たのだろう。食事を差し出しつつ、とても〝心配らしいような〟顔で訊いてくる。人が心配している時に見せる表情なんか、私はもうすっかり覚えていた。どうしてこうも心配されてるのかというと、私は現在この地下都市内において連続寝不足ステータスの最高記録保持者だからだ。

「ええ、大丈夫です」

 と、いつも通りの返事をして食事が乗ったトレイを受け取った。……トレイには、いよいよ栄養ドリンク『強』とシールの張られている小瓶が一本載っていた。どうも『弱』と『中』は飛び級してしまったらしい。

 私はその青色に揺らぐ小瓶を落とさないようにして、空いてるテーブルはないかと探した。――とその時、ぽん、と誰かに背中を軽く叩かれて、私は思わず小瓶をひっくり返しそうになった。

「くーちゃんっ、おっはよーん!」

 ふんわりと浮かんでいるような声音。ちらと顔だけ振り向くと、そこには食事の載ったトレイを持った、ひとりの小柄な少女が私を見上げていた。

「おはよう、スズ」

 私は背後に現れた少女と挨拶を交わす。ちなみに私の名前は(そら)というのだけれど、彼女だけは私のことを〝くーちゃん〟と呼ぶ。以前それをどうしてかと尋ねたら、漢字の空はクウと読むから、とのこと。深い意味はないらしい。

 挨拶を交わした不思議な声の主は、私の数少ない友達のひとりでいわゆる同級生。名前は宮原鈴音(みやはらすずね)。通称〝スズ〟だ。

 私に負けず劣らず異色な雰囲気を漂わせる彼女は、一言で言うと――白。腰まである長い髪は白銀色に染めていて、服装は全身白を基調としたデザイン。全身真っ黒な私とまったくの対極的な存在だ。

「一緒に食べよー!」

「そうね。あそこ、空いたかも――」

 私はちょうど二席空いたテーブルを見つけたので、そこを指差した。しかしながらスズは私の示した方向とはまるで違う方向に向かっていく。――あぁ……そうだった。

 そう、彼女は目が見えていないのだ。彼女も空の災の被災者で、あの日に両親と視力を失った。でも眼球とかはぜんぜん無事らしく、医者が言うには脳に原因があるとかないとか。原因不明の盲目らしい。

 そんな子だけれど、あの日から十年も経った今ではまるで目が見えているかのように生活をしている。おまけに性格が果てしなく明るいから、事情を知らない人にとっては彼女が盲目であるということは、まったく判断できないのだ。いつも一緒にいる私でさえも時々錯覚してしまうレベル。

 それと不思議なことに、本人曰く、熱を持ってるものだけはぼんやりと輪郭みたいなものが見えるそうだ。主に人間。ちなみに私の輪郭は小さくて薄いらしい。

 結局私がスズをテーブルに誘導し、ゆっくり食事を始めることにした。学校が始まるまでにはまだまだだいぶある。

 座席に着くなり、スズは私の顔をまじまじと見つめてきた。彼女の目はしっかりと開いていて、黒目は普通の人と同じようにきちんと動く。だから事情を知らない人にはわからない。

「最近、朝早いね?」

 食事をフォークで突く前に、スズは私をそう突いてきた。

「ええ、まぁ」 

 そう答えながら私は手にしたフォークで、一口大の薄茶色をした『超凝縮固形剤』なるものを突き刺す。初めのうちは無味で食べた気がしなかったけれど、最近は研究開発により〝風味〟が追加されているからそれなりに。

 地下都市で食べられるものはいくつかの野菜と鶏肉が主体だ。主食であった米や小麦は地下ではなかなか栽培しにくくて、今ではたまにしか食べれない。だから足りない栄養はこういった固形剤で補っているのだ。

「くーちゃんいつもよりさらにに暗いよ? ちゃんと寝てる?」

 スズはバター風味をかじる私の顔をじっくりと見つめ、今の私の状態を見破った。輪郭だけで他人の体調まで見抜いてしまうとは。

「大丈夫よ」

「そぉ?」

 必要最低限の返事。私はあんまり夢のことを言いたくなかった――のではなく、言ってはならない、という感情とは別の理由だ。なによりあの夢の内容は――――。

 私の返答にスズはあまり納得がいかない、といったらしい表情を浮かべているも、それ以上は特になにも追求せずに食事を始めた。

 それから私達はおかず代わりの世間話をしつつ、食事を続けた。

 本来、私と会話を交わした人はたいてい、次から話しかけてくることはない。受け答えが適当だからだろうか、私のことが嫌いなのだろうかはわからない。私としては真面目に返事をしているつもりけど、どうやら他人から見るとあまり印象がよろしくないらしい。その一方で私の友達は〝私の事情〟をよくわかってくれているから、受け答えがどんなものであろうが話しかけてくれる。

 見知らぬ他人に私の事情を伝えるのは、とてもとても難しいこと。でも理解をしてくれる友達がいるから、私はこうして生きていられるのだ。 


 ◇


「ごちそーさまー!」

「ごちそう様でした」

 朝食を食べ終わった後、私は食器をカウンターに返却して苦い顔のまま教室に向う事にした。…………どうも例のドリンクは仕上げに飲むべきではなかったらしい。舌の上にざらついた違和感が残る。感情を失えども、生理的な嫌悪感などはあるらしい。

 教室まではすぐ。寝る部屋も食堂も同じフロアだというのだから便利極まりない。少なくともあと半年はこのフロアで過ごすことになるだろう。

 スズは私の手を握って歩く。べつに手を握っていなくても、彼女は並外れた感覚の持ち主で、この地下都市内ならばほぼどこにでも行けるのだけれども。

 でも、手を握っていてほしいというのはスズの希望だ。なにも言わずにすっ、と私に伸びてくる手。私はいつもそれを握り返すだけだ。

「今日の一時限目ってなんだっけー? なんか特別講義だったよね?」

「誰かがお話にくるそうよ、確か」

 うろ覚え。前回の授業は八割がた寝てしまってて正確に覚えていない……。けれどそんな感じだった気がする。

「うわー、なんのお話だろ……」

「さぁ……」

 教室の前に着くと扉は勝手に開き、私達を中に招く。中に入るとそこには既に他のクラスメイトが三人いた。

「おはよーん!」

 スズが入るなり軽快に挨拶をする。

「ういぃーす」

「おはよっ」

 男の子二人から気さくな返事が戻ってくる。床に寝転がっている子と、本を片手に姿勢正しく着席している子からだ。

 他にはもう一人、男の子がいるのだけれど、その子は机に突っ伏していて、あいかわらず反応がなかった。古賀(こが)君という人なのだけれど、彼はいつもあまり私達と関わろうとしない人だった。まるで〝一昔前の私〟のように。

 この教室は高等部二年生のクラス。男子三人女子二人の合計五人という破格の少なさ。でもこの少なさが意味するところ――その人数こそは、この地域周辺で生き残った同年代の数のほかならない。

「そういや今日なんの講義があるんだっけかぁ、こーすけ?」

 床に仰向けに寝転がる体格のいい男の子が、あくびまじりに声をあげる。その彼がまとう深緑色の制服、まるで巨大化した芋虫だとみんなは言う。

「まったく、ハタケ。君はいい加減起き上がったらどうだい? それ以上巨体になったら更に地下深くに住まなきゃいけなくなるぞ」

「きーをつけるさぁ」

 もっともな指摘にものん気に答える巨体の彼の名前は村田裕士(むらたゆうじ)。農業が大好きな人で通称〝ハタケ〟と呼ばれている人物だ。かなりのんびりというか、マイペースというか。とにかくゆったりとした人物で、体もそうだけど、とげとげした部分が一切ない。

「今日は院長がきて『空の災』の事を詳しく教えてくれるのさ!」

 きらりと黒ぶち眼鏡を光らせ、嬉しそうに答える彼の名前は桐山幸助(きりやまこうすけ)。通称〝こーすけ〟。濃い灰色の制服に身を包む彼はかなりの情報通で、頭の回転がとても速い。普段は真面目で冷静だけど、入手困難な情報を手に入れる時などは若干暴挙に出ることがある人だ。

 私やスズに負けず劣らず個性的なこの二人。彼らも私の友達だ。

「へぇ、珍しいねぇ」

「あー……なんかそんなコト言ってた気がするー。あたし達寝てたからさっ」

 スズはぺろっと舌を出しながら自分の座席に着席をする。

「あたし〝達〟って、空ちゃんもか!」

 ええ、と答えて私も着席。こーすけはやれやれなんて言いながら手にした本に視線を飛ばしていた。

 ……そういえば、今日は空の災について教わることになっていたんだった。

 

 ――――空の災。

 

 それは十年前に地上で起こった謎多き災害の名前だ。私達が――私達人間が、地下に住む破目になった、たった数時間の出来事のこと。

 地下都市で生まれた人意外は誰もがみんな体験をしている。そしてその誰もがそのせいでなにかを失った。

 私から私を奪った、あの日――――。


「やぁ、おはよう!」


 突然、爽やかな笑顔を全開に一人の男性が教室に乗り込んできた。黒いアタッシュケースを片手に、純白の白衣をまとっている長身の男性。まるで科学者みたいな風貌。そう、救済院の院長だ。

 院長は耶永瀬慈雄(やながせじゆう)というちょっぴり難しく珍しい名前の人で、その年齢――恐らく四十代後半にしては爽やかで甘いらしいマスクは一部の奥様方に大人気。

 耶永瀬院長は地下都市開発が始まってすぐ、私やスズのような災害孤児達の為に『救災院』を造った偉大な人物だ。この人がいなかったら今現在、救災院で生活している大半の子供は路頭に迷っていたことだろう。もちろん私がそうならなかったのは彼のおかげだ。

「おはよーいんちょー!」

 スズが真っ先に飛び上がり、続いて各々が挨拶を交わす。

「はっはっは、朝から快調だなスズちゃんは」

 常に笑顔を絶やさないこの院長は、救災院で暮らしている子供達にとって父親のような存在でもあった。生徒の誰もが彼を〝いんちょー〟と呼び慕い、暇さえあれば勉強したり一緒に遊んだりもする。私はないけれど、寂しければ一緒に寝てもくれるらしい。

 院長はどんなに忙しくてもみんなの要求に答えてくれるスーパーマンであり、みんなの命を救ってくれた救世主でもある。彼の上にはもう神様しかいないんじゃないかという噂が常に飛び交っているようなものだった。

 そんな院長は最近体調不良だといって休みがちな私達の担任の代わりに、こうしてちょくちょく教室に現れていた。担任の先生はかなりの高齢だから休んでもらうにこしたことはないし。

「よし、今日は全員いるかな? 桐山、古賀、村田、深谷、宮原――よし、いるな」

 院長は教壇に立ち、教室と呼べるのかどうかくらいの小さな部屋を見渡しながら、形式どおりにきっちりと人数を確認する。ちなみに深谷(みたに)というのは私の苗字だ。

 最後に院長はちらり、と机に突っ伏している古賀君に目をやるも、彼はいつも通りなので特に追及はしなかった。嫌だという子には無理強いをしないところも院長のいいところなのだ。

「さて、今日は前にお伝えしたとおり――まぁこの話は……聞くのが嫌な人もいると思う。君達はちょうど記憶に残っているくらいだろうからね。だけどあの日の事を決して忘れない為に。あの日、全てが変わったという事実を、私達は未来永劫後世に伝えなければならない」

 しん、と静けさが教室に舞い降りる。誰もが聞く体勢だ。

「当然、既に親御さんから聞いたり、図書館等で調べた人もいるだろう。例によってこーすけ君は予習ばっちりか?」

 口の端を少し持ち上げて、院長はこーすけを覗くようにして見る。こーすけは拳を口元に当て、一度軽い咳払いをした。もちろんです、の意味だ。

「それにもちろん君達自身も体験しているだろう。だから今日はあの日の情報を、様々な視点から集めてまとめたものを説明する。解っている限りのその全貌をね。

 ……いいかい? これは知らなきゃいけないものなんだ。決して目を逸らしてはいけない。そして君達は伝えなければいけない。未来の子供達に。我々が住む世界は〝地下(ここ)〟だけじゃない、とね。あぁそれからこーすけ君、〝図書館にはないデータ〟もあるよ」

 事前学習を済ませていたらしく、さぁ来いと構えていたこーすけを院長は一蹴する。それから院長はアタッシュケースから分厚い灰色のファイルを取り出し、ぱらぱらとページをめくりながら説明を始めた。

「まずはあの日の全体像から説明しよう。内容としては簡単だ。非常に簡単だ。あの日は日本だけじゃなくて、世界中にコイツが現れたんだ。空から地上に向けて謎の兵器を使い、地上を焼払った」

 院長はファイルから一枚の写真を取り出してそれを全員に見せた。そこには煙で淀んだの空に浮かぶ、不気味に黒く光る巨大な球体が写っていた。

 ――――私は、それを知っていた。あの日、意識を失う寸前に目にしたものだ。そしてそこから小さな球体が出てくるということも。

「それってどんなの?」

 写真を見れないスズに院長は詳細を続ける。

「形は球体状で真っ黒。大きさは街ひとつを太陽の光から隠してしまうくらい大きい。これが突然どこからともなく飛んできて、いきなり地上を攻撃した。名前は『邪機(ジャキ)』っていうんだ。勿論、我々が後から付けた名前だけどね」

「……ジャキ?」

「そう。全く、逃げられもしないよこんなものが上空に現れたら。……それで、そいつの攻撃が終わったら次はコイツだ。邪機の小型版みたいなものだね」

 今度はファイルから数枚の写真を取り出して全員に見せる。写真には邪機を小さくしたようなものがたくさん写っていた。それに驚いたのはこーすけだけだった。私は実際にこの目で見たことがあったから……。

「それってカラクリっていうんだよな? おいらそれ見たぞ、遠くでとーさんとかーさんと一緒に隠れて見てて、そしたら……」

 ハタケがそこまで言ってはっと口をつぐんだ。その様子に院長は重々しく頷く。

「これは『空機(カラクリ)』と呼ばれていてね。最初の攻撃が終わった後に邪機の中から沢山出てきて、地上で逃げ惑っていた人達を狙って――――殺したんだ。コイツらのせいで地上にいた大半の人達が死んでしまった。最初の攻撃に耐えていた人もこれで……ね」

 冥福を祈るかのように院長は目を閉じた。

 ――――気付いたら全てが壊されていた。それだけ。本当に簡単なお話。

 あらゆるものが壊された。家も、家族も、友達も――心も。

 ほんとうに、嘘みたいな話。だけどこの目で見て、この肌で感じたものは本物。

 私に唯一残ったものといえば、今ここにいる〝深谷空という名前のラベルを貼られた人のカタチをした入れ物〟だけ。入れ物だけ残ってくれただけでも充分だったけれど。

 ――しばらくの沈黙の後、院長がまた説明を再開する。

「この日、地上は火災による物凄い煙で覆われて、地上には太陽の光が届かなくなってしまった。そしてそれは〝今も〟だ。我々が地上の事を『暗地(あんち)』と呼んでいる理由がこれなんだ。そしてその雲は驚くべき事に〝酸の雨〟を地上に降らせている」

 だから仕方なく私達はここに住んでいるんだ、と院長は付け加える。

 街の崩壊。それで済んだならまだよかったものの、崩壊後には不運なおまけまでついてきてしまったのだ。

 酸性の雨。ぞくに言う『アシッドレイン』というもの。私が生まれるずっと前は軽度なものが世界中で降っていたらしいけれど、環境保護についての世界統一法が定められてからはほとんど降らなくなったらしい。それでも現在降っている雨は、当時降っていた雨より何倍も強烈だという。

 それのせいで生き残った人々は地上で暮らそうにも暮らせず、とにかく雨の届かない地下に住居を構えるしかなかった。その延長線上にあるのが今住んでいるこの地下都市というわけだ。

「幸いな事に現代の人類が持ち得る科学技術力は相当なものであってだな、うん。多くの地域で元々あった自然災害用の地下シェルターを拡張工事、そして今やこのような地下都市として機能しているわけだ。無論、地上にあった技術の結晶達は燃えてしまったが……」

 院長はがっくりと肩を落として、手にしていたファイルを閉じて机の上に置く。

「まぁ……ここまで話しておいてなんだが、結局――」

 院長は肩をすくめてその上で両手を大きく持ち上げた。お手上げの意だ。

「謎だらけなんだ。判明しているのはこれくらいなんだよ」

 そう断言して、院長は話を切った。――そう、不明なのだ。ほとんどが。本当に。

「質問、いいですか?」

 こーすけが机から身を乗り出して手を挙げる。いつものことだ。

「なんだい?」

「地下都市ってここ以外にもいくつかありますよね? 前から疑問に思ってたんですけど、そことの交流とかってやっぱり難しいんですか?」

 ほぉ、と院長は腕を組む。もちろん私達が住んでいる地下都市以外にも地下に造られた住み家がある。それは世界規模で考えればたくさんあるだろう。けれど交流をしたなんて話はまるで聞かない。

「もちろん過去何度かは試みたんだけど、ここから比較的近い地下都市に行くのでさえ難しい。暗地の環境も苛酷だし、いつ〝なにか〟に襲撃されるか分からないんだ。交流できればいろんな発展ができると思うんだけどね……」

「襲撃って?」

 スズが誰よりも先に鋭く尋ねる。その思わぬ素早さに質問をしようとしていたこーすけは目を見開く。…………襲撃?

「全てを破壊したナニモノかがまだいるかもしれないだろう? 完全に消えたとは誰も断言出来ないからだよ」

 はっ、と揃って息を呑む音。確かにそれはありえない話ではないだろう。

「他に何か質問はあるかな?」

 院長の問いに、にんまりとこーすけが笑い、毎度お馴染みのこーすけ対院長の無限質疑応答時間がやってきた。このモードに入ると、二人以外は安らかな睡眠時間を約束される。

 無数の質問が飛び交う中、スズとハタケは夢の中。いつもの私ならとっくに寝ているけど、今日の私は強烈な眠気に打ち勝って起きていた。信じられないけど、どこまでも目が冴えている。

 それは、〝私を奪ったモノ〟の話がこれから出てくるかもしれないという、期待といえばよいのだろうか。目はなんの苦もなくぱっちりと開いてくれていた。なんにせよ、私は聞かなければならないから。

 これから行われるこーすけと院長の会話は、一言一句聞き漏らすまい。

 私の見る夢の謎が、解けるかもしれないから――――。

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