無限界隈
少しキリのいいところで担任である宗矢先生のお見舞いを実行するため、私達四人組はコートの製作を続ける優星と別れて地下五階へと向かった。
地下五階は地下都市最下層であり、もっとも賑やかな場所であるといえる。その中央には大きな公園があって、華やかな植物がたくさん植えられ、小さな昆虫だっている。こういう自然が見れるのはここと地下一階の農場だけ。もちろんこれらもまた太陽光に似せた人工灯を使って育てているものだ。
他には大規模に行われる会議の集会所、ボードゲームや小さなスポーツをする娯楽施設、それから一番奥には医務センターがある。地下都市の中で一番地上から離れてるけれど、一番地上に似ている場所でもあるのが、この地下五階だ。
「ウワー、今日も盛り上がってるねー」
スズが顔を輝かせながら周囲の明るい声を聞く。彼女はここにくるといつも笑って楽しそうにしているけれど、さすがにもうはしゃぎまわる年齢ではないらしかった。彼女の普段の言動からするには、べつにここで走り回っていたっておかしくはないと思う。
公園では小さい子供達が蜘蛛の子を散らしたように走り回っていて、その子達の母親だろうか、数人の女性がベンチに座りながら例によって世間話で盛り上がっていた。それら地上となんら変わらない風景を横目に、私達は医務センターに向かって歩き続ける。
――本当に、ここは紛れもない地下であって、決して地上の光景なんかじゃない。大きな違いはそう、空と風がないだけ。それ以外はなんら地上の光景と変わらない。不思議な光景だ。
「んま、ここが一番賑やかな所だからね。小さい頃の僕達はずっとここで遊んでたなぁ」
こーすけが公園内を見渡して昔を思い出しながら言う。昔と言ってもほんの数年前の話だけれど。
「そうだったっけかぁ?」
「ハタケはずっとあそこのベンチに座って寝転がってたじゃないか」
こーすけの指差す大きなベンチは昔からハタケのお気に入りで、ここにきたらまずはそこで寝ていた。そのお腹に頭を乗せて寝ていた私が今やもう懐かしい。ちなみに今も〝ハタケ枕〟は健在だ。そしてその枕の成長は今もなお止まることを知らない。
「あー、そういやそうだったなぁ。でもさぁ、あんなに走り回ってばっかりで意味があるのか?」
小さい頃はいつも誘われてみんなと一緒に走ってたっけ。でも意味があるから今の私がいるわけで。
「じゃー走ってみればいいじゃん!」
そう言ってスズがハタケの腰をぐいと押す。
「や、やめてくれよ! おいら地下都市に来てからまだ一度も走ったことがないんだから」
本来は知っているようなものだったけれど、改めて本人の口から聞かされた驚愕の事実にこーすけとスズは目を丸くした。確かに走る必要性はないといえばそうかもしれないけれど、ハタケの体系を見る限り走る必要はあるだろう。
――――そんなこんなで私達は早くも思い出話を語りながら中央にある大きな公園を抜けた。そのまましばらく直進すると奥の方に医務センターが見えてくる。
医務センターの前まで着くと騒がしい声はまったく聞こえなくなった。まるでここだけ空気が切り離されているみたいに、私達の足音しか聞こえない。まさに病院の雰囲気。
場に相応しく、静かな音を立てながら自動ドアが私達を出迎えてくれる。中に入ると真っ白で清潔な壁がとにかく眩しい。スズの白い制服は上手に溶け込んでいるも、私の真っ黒な姿はどうも病院に合わないみたいで、入った途端にいくつかの視線を感じた。慣れてはいるけれど。
ロビーに入ると、受付の方からひとりの女性がこちらに気づいて近づいてきた。
「おっ、かーさんだ」
こちらに向って来る白い白衣の人はハタケのお母さんだった。似たもの親子で、特にふくよかな体系がそっくり。とても優しいお母さんで、私の事情をよく知るうちの一人。昔からかなりお世話になっている。
「やっほー!」
スズは場違いだけれど大きな声で挨拶。私とこーすけは軽くお辞儀をして挨拶した。
「はいこんにちは。皆久しぶりね、相変わらずお嬢さん達白黒はっきり可愛いわねぇ」
私とスズを交互に見ながらそんなをこと言う。白黒はっきりというのは定番で、よく見た目がオセロみたいだと言われる。ただ決して敵対はしていない。
「それで裕士、宗矢先生のお見舞いに来たんでしょ?」
「うん、ちょっと今から行ってくるよ。部屋はどこ?」
「んーとちょっと悪いのだけども、昨日先生の容態が急に悪くなっちゃってね。面会時間は一五分間までで病室には一人しか入れないのよ。だから悪いけど、代表で誰か一人だけでお願いできない?」
どうするかい、とハタケ。続いて行ってきなよ、とスズ。最後にそうだね、とこーすけ。
「――……私が?」
「うん、だってあたしら行ったら多分うるさくなっちゃうからね。一番静かなくーちゃんが行ったほうが先生にはいいかも」
「先生も早く復帰してもらいたいし、様子を見てきておくれよ。僕達ここで待ってるからさ」
「わかったわ」
頷き、私はみんなと別れてハタケのお母さんに病室へと連れて行ってもらうことにした。
「どうも最近体調が優れないみたいでねぇ。もう年齢が年齢だからしょうがないのだけれど……」
廊下を歩きながらハタケのお母さんはうーん、と呻きながら言う。結構深刻なのかもしれない。
私達は特に知らせを受けずに一ヶ月ほど担任の姿を見ていなかった。年齢も年齢なので病気との予想はついていたけれど、大丈夫だと他の先生から聞かされていたから実際にお見舞いに来るのは初めてだ。
「今は大丈夫なのですか?」
「今日は比較的良好な方よ。先生も誰かとお喋りしたいって言ってたから、生徒と喋れるのは嬉しいんじゃないかしら。もしかしたら良くなるかもしれないわ」
そういえば先生はお喋りが好きだった。授業でも難しい話ばっかり話すけれど、それでもみんなはいっつも楽しそうに話を聞いていた。
でもそう考えると無口な私を代表にしたみんなの考えは正しかったのだろうか? 会話ならよっぽどこーすけとかスズのほうが向いてる気がするけれど……。
「ここよ」
病室のドアノブには『面会制限有』と書いてある仰々しいプラカードがぶら下がっていた。初めて見たものだ。
「私はこれから仕事があるから。先生をがんばって励ましてあげてね、空ちゃん。忘れないでね、きっかり十五分よ」
「はい。案内ありがとうございました」
にっこりと笑いながらハタケのお母さんは私の頭を撫でてから元来た廊下を戻っていった。
静寂な廊下に一人。遠くに聞こえる足音くらいしか聞こえない。べつに緊張するような心は持ち合わせていないけれど、深く息を吸って呼吸を整えてから私はドアをノックした。
「失礼します」
どうぞ、とかすかなしゃがれ声が聞こえたのでドアを開けると、病室にはこじんまりとした小さなベッドがひとつあり、その上には変わり果てた宗矢先生の姿があった。
何本もの点滴、青白く痩せ細ってしまっている体。その傍らには数値やグラフが変動する液晶画面。以前あった温かな老人の姿はどこにも見当たらず、とても良好とは思えなかった。
「こんにちは」
ドアの前で挨拶をするも、先生の目は虚ろなままぼんやりと私の声のするほうを見ているだけだった。どうやら私が誰だかわからないらしい。
「誰かな?」
ガサガサとした乾いた声、その声は私が最後に教室で聞いた声とはまったく違った。
「深谷です」
答えると誰だかわかったのか、先生は弱々しくゆっくりと体を起こして私のほうを見る。無数の深い皺が刻まれているその顔は、まるで何百歳も生きている老魔法使いみたいだ。
「おぉ、おぉ、深谷さんか。すまないね、視力と聴力が急に落ちてきてな。ちょっとこっちへ来てくれるかの。そうじゃ、そこに椅子があるじゃろ」
私は先生の指示に従ってベッドの傍らにあった小さな丸椅子に腰かけた。するとちょうど先生との目線の位置が同じくらいになる。
「この老いぼれに突然何の用かの? まさかお見舞いじゃあるまい」
そう言って先生はかっかっかっ、と乾いた笑い声をあげた。
「はい、お見舞いです。みんなで来ようとしたのですが、面会はひとりだけしかできなかったので私が来ました。しばらく学校に来ていませんでしたが大丈夫ですか?」
「おぉう……それはそれは迷惑を掛けてすまないのぅ。しかしわしもそろそろ時間のようだ、再び君達と学習する機会は無いかもしれぬ」
「……時間?」
予定でもあるのだろうか。それとも教師をやめてしまうのだろうか。
「そうじゃ。残りは待つだけになった」
「……待つ?」
ますますわからなくなってきて、私は先生が話すのを待った。
「うむ。思ったより病の蝕みが早くてな。わしとてただの一人の人間、底知れぬ先を生き急いできたが、今は見え透いた先を待つだけと言ったのじゃ」
やっぱり病気、そして見え透いた先――。
ようやく私は理解した。この年齢で病気ときたらもう先は長くない。先生は死を待つと告げているのだ。
「それは、治らないのですか?」
現代の医療技術では治せない病気はほとんど存在しないと言われていたくらいだ。幸いこの地下都市は元々病院の地下で、立派な医療器具やら機械は今でも使える状態にある。
「いやなに、病気は治るじゃろうが寿命というものはどうにも出来ないお話じゃ。死というものはな、突然訪れる事もあるし、必ず訪れるものでもある。じゃがどちらにせよ抗う事の許されない運命。わしは今その運命にどっぷりと浸かっておるのじゃよ」
ふぅ、と先生は短い息をこぼす。励ますどころか暗くなってしまいそうな切り口から始まってしまった。もとより他人を励ますという行為ができない私には無理な話だったのかもしれない。
突然の死しか体験していない私は、先生みたいにゆっくりと死に向うような人を初めて見た。死を待つまでの間、どんなことを思いながら過ごすのだろうか。ゆっくりと死ぬのは苦しいのだろうか。どうして落ち着いていられるのだろうか。
私が考えを巡らせている間も先生は楽しそうに笑っていた。その笑顔の意味はまるで理解できない。
「……でも、先生がいなくなってしまったらみんな困ります」
私はどう反応していいかわからなくて、とにかく思いついたことを口にする。少なくとも事実ではあるから。
「ほっほっほ! それはそれは嬉しいがのぉ。なに、こんな老いぼれ消えたところで歴史が塗り変わるわけでもあるまい」
「そんなことはありません。先生にはたくさんのことを教わりましたし、これからも教わるつもりです」
そう言うと先生は眉を持ち上げて驚いたような表情をした。
「教えるなどとそんな大それた行為はしておらんよ? わしはただ好き勝手に〝記憶を残しているだけ〟じゃ。人の記憶は有限、それを限り無く無限に近づけるように残す為の行為――それが人生というものじゃ。如何なるものも有限を前提に動く、無限に存在するものは心の感情だけじゃ」
「――――感……情……?」
反射的にそう口にすると、先生はゆっくりと眉尻を下げて小さく首を横に振った。
「あぁ……あぁ、そうじゃった。そうじゃったの、深谷さん。君は感情を失ったと言っておったな。そればかりはどんなに優秀な医術をもってしても治せないじゃろう。長らく生きてきたわしにも解らん。治るとすれば奇跡に近い出来事が必要じゃろうな」
「奇跡……ですか?」
「そうじゃな、例えるならば鈴音さんがいい例じゃ。あの子は視力を失った。じゃがその代わり聴覚や運動能力が急激に発達したじゃろう? それにわしもよく解らないがオーラのようなものが見えるようになったと。そんな風に人間は失った機能の代わりに他の機能が急激に発達したり、摩訶不思議な能力を発揮したりする事がある。火事場の馬鹿力も似たようなものか。人間の潜在能力の一つであり、唯一理論で証明できない事柄。いわゆる何ものにも分類されない出来事を奇跡と、そう区分する」
「スズのは、失ったぶんの穴を埋めるために生まれたチカラだったのですか?」
ちょっと気になったので訊いてみた。もし感情を失った私にそんな能力があって、それを使っていないとしたらなんだかもったいないから。
「まぁきっとそうじゃろうな。失ったものが元に戻るか、鈴音さんのように代替として別のものに変わるかはわしにだって分からない。なんせ奇跡とはそういうものじゃからの」
先生はちらりと机に置いてあるデジタル時計に目をやって、面会の残りの時間があまり無いことを確認した。時間は既に半分を越えている。定められた時間は一五分だけ。延長してしまっては先生の負担が大きくなってしまう。
私は、この時計がちょっとだけ〝嫌い〟になった――――。
「時間とは難儀なものじゃな、実に敢え無いものだ。しかしこうして人と喋るのはやはり楽しいのう、しばらく医師としか喋っておらんかった。それも出来なくなってしまうとは悲しいものがある」
皺だらけの顔は悲しそうなのに笑っていた。悲しい話をしているのに笑うってどういうことなのだろう?
「さて、時間もそろそろ終いじゃ。深谷さんよ、――さ、せっかくじゃ、わしは最後まで教師でいたい。何かわしに訊きたい事はあるかの? 知っている限りの記憶を、時間が許す限り君に残そう。真っ当な会話もこれが最後かもしれん」
「………………」
お見舞いに来たというのに突然そんなことを言われても、私はなにも考えていない。急いで考えを巡らせるも、今は頭の中は真っ白で、目の前にいる先生を見つめることしか出来なかった。
時間だけがこっちの気も知らずに過ぎていく。しかも最後の会話かもしれないって、そんな大事な場面を私が立ち会っていいものなのだろうか。
「ほほ、君の表情からは相変わらず読み取る事はできないが、少なくとも悩んでいるみたいじゃの。何でもいいぞい、宇宙の真理、世界の心理、世間の心裏。授業でもいい、数学、物理、歴史とかでもじゃ。今一番知りたい事をひとつだけ、わしに訊いてみるがよい。わしは困る事が大好きじゃ、困らせてみておくれ。貴女にそれが出来るかの? おぉそうじゃ好物にありつければ病気が早よう治るかもしれん」
先生は楽しげにほっほと笑って、私にとてもとても難しい質問をしてきた。
「あ――」
私が今一番知りたいこと。それは、これだ――――
「――――感情は、どうしたら手に入りますか?」
私が誰かにちゃんと訊きたかったのは、これだ。ずっとずっと昔から知りたかったことを私は尋ねた。
でもその答えは自分でもちゃんとわかってるはずだった。わかっているけれども、誰かに一度も聞いたことがなかった。確かめる方法がなかった。
……いいえ、訊いたところでまともな答えが返ってくるはずがなかった。けれど先生なら…………あるいは。少なくとも宇宙の真理なんかよりもずっとずっと簡単にさらっと答えてくれるはずだ。
「ほっほっほっほ! 困ったな深谷さんよ、それはとても卑怯な質問じゃのう」
乾いた先生の甲高い笑い声は壁に反射してしばらく病室に余韻を残した。…………どうやら私の希望は叶わないかもしれない。
先生はとても楽しそうに笑っていて骨張っている痩せた頬が張り裂けそうだった。こんなに笑っている先生を私は初めて見た。私の質問はそんなにもおかしかったのだろうか?
「君にしか解らぬ事を訊くとは中々手厳しい。残念じゃが、その質問にわしが答えるのは不可能。何しろ君はわしの知らない〝無限〟を手に入れようとしているからのう」
「無限……」
先生は震える腕を持ち上げて、小枝のように細い指先を私に方に向けて言う。あぁ……やっぱり無理なのかな。
「それは無理なのですか?」
それでも私は訊いた。ヒントのひとつくらいは……――とこんなにも粘る自分は初めてだ。まるでぎりぎり手の届かない場所にある宝物を求めているかのよう。
「まぁまぁ慌てるでない。明確な答えを述べる事は出来ぬが。現に今、君にひとかけらの感情も無いわけじゃなかろう? 零と一は違う。一切の感情が無いものは機械くらいなものじゃ」
その問いに私は黙って頷いた。〝今〟はなにもすべての感情がないわけじゃない。ただ足りないだけで、完全な零では――ない。
「ならもうおのずと答えは導けるじゃろう。ゼロならば無理じゃがイチならばまだ成長の余地がある。無限というものはな、手に入らないものだと思われておるが、実は意外と界隈に存在するものなのじゃよ」
「近く…………」
こんなにも長い間、答えを探し続けていたというのに。それは私の近くにあると先生は言う。
「さてさて問答は終いじゃな、深谷さん。とても楽しかった。しかし十五分という設定とは、医者もなかなかやるもんじゃのう。確かに少々疲れたわい。ありがとうありがとう。いやぁ、満足した。わしはこれから一眠りするとする。わしもこれから眺めるであろう永い夢の中で、君の求めているモノでも探してみるとしようか」
いくつかの意味深な言葉だけを残して先生は静かに目を閉じてしまった。もうこれ以上尋ねるのはだめだ。体調を悪化させてしまっては来た意味がまるでない。
「おやすみなさい。治ったらすぐ学校に来てください」
「あぁおやすみ。治るかどうかはわしにしかワカラナイ答えじゃよ。では深谷さん、〝良い夢〟を」
簡単な別れの挨拶を済ませ、早く治るように今の心で精一杯願いながら病室を出ようとした。と、その時、先生が私を呼び止めた。
「どうしました?」
振り向いて尋ねると、先生は寝た姿勢のまま眉間に人差し指を当ててなにかを考えていた。
「貴女の名前はなんじゃったかの? ふるねぃむで頼むぞ。すまんの、なにしろボケだけは論破できるような代物ではないからな」
「――空です。みたに、そら」
私がふるねぃむとやらで答えると、先生はそうじゃそうじゃ思い出したと無邪気な子供のように喜んだ。
「空、か。うむ、良い〝答え〟じゃ」
そう言って、先生は完全な眠りについた。




