引かれ惹かれ光れ
「…………うぅ、やっと……。まぁいいや、あと二個あるんだから」
痛みが引いてきたらしいこーすけはゆっくりと立ち上がった。それに合わせて私と優星はくるりと体を反転させて、慰めの言葉を向けずに彼に背を向ける。
「あっれ? おかしいな、全部で七個あったはずなんだけどなぁ……?」
今まで食べた分と、テーブルの上に置いてあった数が合わなかったから、こーすけはどこかに転がっていないかとテーブルの下に潜り込んで探索を始めた。それを見た私と優星は顔を一度見合わせて、手にしていた残りのおにぎりを大急ぎで飲み込む。そして再び何事もなかったかのように振り向く。
私はアルミホイルを得意な折り紙みたいに小さく折って胸ポケットに隠した。完全なる証拠隠滅だ。いけないことだとは思っていたものの、テーブルの上にあったおにぎりに私は引かれた。私の指先に巻き付いた紐をおにぎりが引っ張るかのように。気づいたら私の手にはおにぎりがあって、気づいたらそれを口に運んでいて、気づいたらそれを飲み込んでいた。
「あー! 優星さん! その手に持ってるのは!」
しまった、と優星が小声で言う。彼は探索中のこーすけに見つかってしまったらしく、その手にはおにぎりこそないものの、それを包んでいたアルミホイルが悪戯にぴかりと光っていた。隠し損ねた彼に対して私はちゃんとポケットに隠したから大丈夫だ。
「はは、悪い悪い、つい手が出てしまった。人間は欲求にはなかなか勝てないからな」
最強の言い訳を言って、だからしょうがないと言う優星にそーだそーだとスズが賛同する。
「いやいや、その欲求を我慢できるのが人間の素晴らしいところでしょう! あぁ……でもそれはもう終わった事です、それにあと一個残ってるはずから……」
こーすけは私が食べてしまったあるはずのないものをまだ探す。もう一度テーブルの上下、スズの周囲、工作機械の間――そして最終的に、彼の視線はなぜか私に釘付けになった。
「あああああ! 空ちゃん食べたな!?」
途端、バレた。
「…………?」
どうしてばれたのだろうか? ちょっと急いで考えてみたけれど、原因はどこにも見つからない。それにこーすけの尋問にどう答えたらいいかも瞬時に判断できない。そこで返答を考えながらふと小さな違和感のあった頬に手を当ててみたら――――
「あ…………」
原因は私の頬にしっかりと〝付いていた〟。
「これは、その……」
「ぬぬぬぬ……!」
「可愛いミスは許してあげなよ。それに幸助、レディーファーストだ」
言いよどむ私を睨むこーすけに、にやりと笑いながら優星がそう言ってくれた。
「くーちゃんやるぅ!」
ひゅぅと口笛を吹きながらスズも救いの手を差し伸べてくれた。するとこーすけは敵が多くてまたもや勝てないと思ったのか、むにゃむにゃと小さい声で文句をこぼしながら撤退。優星さんは女の子なのか、とかも聞こえた。
私にだってこれは悪いことだってわかる。でもこれくらいならきっとこれ以上は怒られないだろう。ハタケを食堂に置いて帰ってしまった時もそう、こんな悪戯じみたことができるようになったのもみんなのお陰だ。
みんなは、なにもわからなくてなにもなかった私に、幸せに生きることの意味を教えてくれた。別に私は死にたいとは思わなかったけれど、なにをして生きていけばいいのかが、さっぱりわからなかったのだ。
初めて出会った時。まだ幼かったみんなは、私みたいな何事にも反応を示さない人間を見るのは初めてだった。どうしてあの子は笑わないんだろう、どうして泣かないんだろう、どうして怒らないのだろう、って。
対して私は真逆だった。初めて出会った時からどうしてみんなは笑うのだろう、どうして泣くのだろう、どうして怒るのだろう、と。そんなことばかり考える自分に出会ったのも初めてだった。
地下都市で生活を始めてみんなと出会うまでは、特になにをしたいのでもなく、ただ言われたことだけを忠実に機械みたいにこなしていただけの自分。そんな私に戸惑いつつも一緒に遊ぶことに専念してくれて、楽しさを教えてあげると言われたみんなに、私の体はただ着いて行った。
――――そう、さっきのおにぎりと同じ。感情的に惹かれるのではなくて、体に巻きついた糸を引くようにして、〝本能的に引かれた〟のだ。
まだまだ心が隙間だらけの私はこれから少しずつ変わっていく日常を過ごして、いつか本当の自分に戻れるだろうと信じている。これからも私は彼らに引かれ続けなければいけない。
今は本能的に引かれて、やがて感情的に惹かれて、そして自ら光れるように――――
光ある本当の自分に戻ることが私の夢。だから――――だから私の〝ユメのカケラ〟を殺したりする夢なんかもう見たくないのに…………。
「……優星。市長まで巻き込んでしまって平気なの?」
一騒動終えたのち、思っていたよりも大事になってきてしまったのを思い出して確かめてみる。
「あぁ気にしなくていいよ。市長とはいえケンさんは元々科学者、こんな興味深い提案に賛同しないワケがないさ。きっと楽しみにしてるよ。だから大丈夫だ」
「そう、よかった。それからさっき言おうと思っていたのだけれど、〝もう一人いた〟の。私達と同じような夢を見る人が」
古賀君の話を言えるタイミングがやっと訪れた。私は他人の会話に上手く滑り込むことが苦手なので、自分が喋っている時に流れを止めずに言うしかない。
「えっ……本当か!? いったい誰が夢を?」
「あなたは知らないと思うわ。私達と同じクラスの古賀君っていう子よ」
聞いたことないなと唸る優星の傍らでこーすけは目を丸くしている。こーすけもまさか同じクラスに同じ夢を見る人がいるとは思っていなかっただろうし、なにより一番信じられなかったのが私だから。
「夢の内容は聞いたのか?」
なにか言いかけたこーすけよりも先に優星が素早く訊いてくる。
「ええ。内容は私の方と同じで、空機を操って人を殺している内容よ」
古賀君は私が見る夢とほぼ同じ内容の夢を見ると言った。同じというか似ているというか。本当か嘘かはわからないけれど、あの時の様子を見る限りはきっと本当なのだろう。
「一緒に謎を解決しよって声をかけたんだけど怒っちゃってさー、追い出されちゃったんだぁ」
あははと控えめに笑って肩をすくめるスズは、今回も古賀君との交流に失敗して本人曰く落ち込み気味だった。あれだけ正面から断られればさすがの彼女も折れるだろう。
今一度あの時を思い返すと、あの時の彼は誰とも話をしたくないといった雰囲気だったのに、どうして私達をすんなりと部屋に入れてくれたのかが謎だった。さすがに玄関でいきなり追い出すのは気が引けたのだろうか。それに私が帰り際に見た彼の不思議な表情はなにを意味していたのだろう?
不自然につりあがった口元と目元。あれは果たして笑顔だったのだろうか? 自然に笑うことのできない私には到底理解できないような複雑な表情だった。そこになにか裏があるのかと言われればなにかしらはあるのかもしれないけれど、そこにまで探りを入れている余裕はない。
「まだまだ不思議な夢を見る人がいるって事か。いったいどうなってんだか…………」
どう解決したものかと沈黙が舞い降りる。ひとまずこれで午前中の分の報告は一通り終了した。
「…………ねぇ、くーちゃん? ちょっと思い返したんだけど、夢の中であたし達とか他の人を……その、殺してるって言ってたよね? あたし達がいた場所はどんな感じだった?」
唐突に、スズが静かな声でそんな質問をしてきた。カラクリを操作していた場所と、カラクリが人を殺していた場所。カラクリを操作していた場所は知らない暗い部屋、でもモニターを通して見ていたその殺戮現場は――――あれ…………?
「……? くーちゃんどこ行くの?」
背後からスズの声がしたけれど、それに振り向かないまま私は返事をする。
「ちょっと。すぐに戻るわ」
私はふと思い立って三人を残して一人で工房を出ることにした。狭い入り口を急いで抜けて、ベッドで熟睡しているハタケを横目にドアへと向かう。そしてドアが開くなり顔だけ出して左右に広がる廊下を見渡す。
「………………」
――――やっぱり。
スズに訊かれるまではまったく気にしていなかったこと。それはカラクリを操作していた場所じゃなくて、カラクリが実際に人を殺していた現場だ。夢の中で私がモニター越しに見た風景、それは今見ているこの廊下の風景と酷似していた。
地下都市にある廊下はどこも似たようなたたずまいで、灰色のタイルが敷き詰められた床や壁は機械的で、あまり綺麗とは言えない。けれど大きな変化がないからこそ、ここが夢の中で見たモニター越しの現場だとすぐに把握できる。
どうして今まで気付かなかったのだろう? だってスズもハタケもこーすけも、みんなこの地下都市にいるのだから。少し考えればこの地下都市が殺戮の現場だってことはすぐにわかったはず。いえ、違う――――
それが〝近い未来に起こりうる事態〟なのだと、私の脳は理解していたのだ。ちゃんと。
そう、解っていたのに。解っていたのになにかがいつの間にかその理解を邪魔して、いつの間にかその事実をひた隠しにして、いつの間にか忘れさせようとする。その真実を認めようとしないなにかが私に働いていたのだ。
でも……そのなにかはたった今、力を失ったらしい。それはきっと私が事実に近づきすぎたためだろう。
誰もいない静かな廊下を眺めていると夢の映像と重なって見えてしまう。目の前に浮かぶ惨状。その原因はほかでもない、この、私――――。
「…………っ」
なにか重たいものがどっしりと体にのしかかってきたみたいな気分になってきて、私は急いで工房に引き返すことにした。もうこの廊下を二度と目にしたくないと唇を噛みながら。
不確かな足取りで工房に戻るとみんなの視線がいっせいに向かってきた。
「用事でもあったのか?」
「トイレー?」
優星とスズの問いにいいえと首を振る。
「スズの疑問で気付いたことがあって、確認をしてきたの。――殺戮の現場はこの地下都市の中よ。きっと」
平然と言える私に、私は今の私の姿を見た。
誰もなにも言わない。言えないというのが正直なところだろうけれど。伝えた事実ではなくて、伝えた私に問題があるといえばそうかもしれない。
「まっ、そうだろうね。だって僕達は現にここにいるんだから」
沈黙を最初に破ったのはこーすけだった。やっぱりだ、と深く平然と頷く危機感のまるでない彼に私は駄目押しをする。
「でも……ここが殺戮の場なら、もし本当に夢が現実になってしまったら……あなた達は死んでしまうかもしれない」
あまり言いたくも考えたくもないけれど、さっき廊下を見た時に夢は現実になると後押しされてしまったから。それをひた隠そうとする私のなにかはもう消え去ってしまったから。
それでもこーすけとスズは怖気づくような素振りは見せずに、なるほどなるほど、と頷いている。その二人とハタケは以前、私に殺されるならそれはそれでいいと信じられないようなことを口を揃えて言った。
もちろんそう言われたって私は友達が死んでも平気、殺しても平気だなんて思うわけがない。だって友達が死んでしまったら、それは同時に私の死を意味するのだから。
みんながいるから今の私は生きている。みんながいなくなってしまったら、私はきっと元に戻って無の毎日を過ごすだろう。そんなのは死人とたいして変わらない、体が動いているか動いていないかだけの違い。
「やっぱり死んじゃうのかなぁー? あたし達」
スズは今日の晩御飯はなにかな、といった調子でそんな物騒なことを口にする。どんな事態でもマイナスに考えないというのが彼女の良い所でもあるけれど、これから死んでしまうかもしれないっていうのにこの調子。
「その真実を確かめないとね。でもラッキーだとは思うよ、僕は。だって夢が危険を事前に教えてくれているわけなんだかさら、こんな回避しやすい死はほかにないだろう?」
あくまでも冷静にこーすけはそう言う。それでも実際どうやってこの事態を回避すればいいのかは考えなければいけない。
「科学的根拠のない現象だけど、それが予知夢だとすればやっぱり夢の中にヒントが隠されてるはずだよ。情報を見つけてそれをいかにして回避に結びつけるかが重要だね」
「あぁ。俺と空が見る夢にこれ以上ヒントを望むのも難しいけどな。空は他に気になったところとかある?」
「いいえ、特には。けれど昨日の時点でいきなり夢の内容が変わったでしょう? もしかしたら今日もまた内容の違う夢を見るかもしれないわ」
そう、何日も同じ内容だったのが昨日の夜、なんの前触れもなく変わった。それに私だけじゃなく優星も。それが意味するところも考えなくちゃいけない。
「そう……だな。また変わるかもしれない。なら辛いけど今日見る夢を覚えておかなきゃな」
「そうですね、夢の内容も変わればヒントがまた生まれるかも。僕としてはもっと情報がほしいところですけど。まぁ僕達は見れないのでなんとも言えませんが……」
「いいや、あんなの見るもんじゃないさ……。でも見るからには見る本人がそれを回避する手段を一番に考えなきゃいけない。こうして誰かと協力して考える事ができて本当によかった」
優星が明るい顔で答えたその時、工房に透き通ったチャイムの音が聞こえた。
「ん、ケンさんかな? 思ってたより早いな……。ちょっと行ってくる」
先程来ると言っていた市長がもう来たらしく、優星は市長を出迎えに工房を出て行った。
この地下都市自体はそんなに広くないから、市長の姿を目にすることはあるといえばある。ただ特に用事がない限りは会話をする機会なんて訪れない。雲の上の存在というわけではないけれど、地上での市長との遭遇率とほぼ変わらないくらいだ。
…………というか今まで一度も喋ったことがない私達三人は、やってくる市長にどう反応すればよいのか、見知らぬ人がこの場にいるということにどう反応されるのかを一生懸命考えるしかなかった。
そうこうしているうちに、工房の出入り口から二人分の足音が聞こえてくる。そしてまず優星が工房に現れた。
「――さぁみんな、市長様のお出ましだ」




