白々粒々
「っ……これが噂をすればってヤツか? ちょっと開けて来るよ」
そう言って優星はさっと工房から出ていく。きっとこーすけ達が来たのだろう。
「ねぇくーちゃん?」
不意にスズに呼ばれ、私は彼女の隣にあった椅子に腰掛ける。
「なぁに?」
「さっき優星となにか喋ってたけど、なに喋ってたの?」
耳元で聞こえてびくりと体が驚く。くすぐったさに顔を横に向けると私の鼻先とスズの鼻先が触れる。そのやや上、私の頭の中をがりがりと掘削してきかねない彼女の瞳が私の瞳をじぃっと捉えていた。
どうやらスズは私と優星がした会話がどうしようもなく気になるらしい。けれど、なんだかそれは言いたくないような、言いにくいような、不思議な拒否感らしきものと、それと同時に頬がにわかに火照るようなむず痒い感覚を感じる。嫌ではないけれど、苦手な感覚。なんだろう……?
……けれど、スズを前にしてなにかを隠すということは、全人類と私ひとりがかくれんぼをするようなものだから……。身ぐるみ剥がされる前にさっさと白状してしまったほうがいいのだ。
「優星の手が、お父さんの手みたいって」
「え?」
私の声量があまりにも小さすぎたから聞き直しの意味かと思ったけれど、スズに限ってそんなことはありえない。いまだ口がぽかんと開いているところを見ると、それは驚き以外のなにものでもなさそうだった。
「私の手が覚えてた感覚と、優星の手の感覚がとても似ていたって」
まだしっかりと、骨の髄にまで沁み込んでいる、父親と母親のてのひらの感覚。
――優しく、ふわりと包み込んでくれるような、母親の感覚。
――力強く、ぎゅっと抱きしめてくれるような、父親の感覚。
十年間。それらの感覚と離れていても、まだ憶えている。たとえその姿が記憶から薄れ消えゆこうとしても、私の体はその感覚を決して手放さない。
「おんなじ」
スズはそう呟いた。
「くーちゃんあたしとおーんなじコト言ってた!」
「そう、偶然ね」
「でも、それが指す意味ってわかるでしょ?」
「意味?」
私がそう返したところでスズはもう一度鼻先を私の鼻先に押し当ててきた。
「んもーう! くーちゃん鈍いぞっ。ほら、〝いいオトコ〟ってコトだよ!」
鼻息も荒くスズが大声でそう宣言し、私が思考を巡らせ始めたところで――
「んんー? おいらがいい男だってぇ? はは、照れるからよしてくれよ」
工房の外からそんな声がすっ飛んできた。あまりの予想外に私の思考はそこで途切れてしまう。
「へーん! ハタケは肉付きだけがイイ男でしょ!」
スズがびしぃっと工房の外に向けて指摘する。ごもっともである、と言ってしまえばそれは大変失礼だけれど。しかしハタケの体型ではここまで入ってこれないのは確かだろう。
それから、今度は悲鳴にも似た、むしろ悲鳴にしか聞こえない聞き慣れた男の子の声が飛んできた。やかましいとばかりにスズが工房の出入り口に顔を向けるところ、絶叫の原因は外からやってくるらしい。
「うっ――わぁああっ!」
やがて工房に現れたのはこーすけだった。工房に着くなり絶叫し、そのままへなへなと床に座り込む。そんな彼に対してスズが両耳を塞いで喝を入れる。聴力が優れる彼女は大きな音が苦手なのだ。自分の声はどうなんだろう、と毎回思うところでもある。
「凄い……何だここ。どうしてこんな場所が……?」
こーすけはスズの喝など鼓膜の手前で追い払い、目の前に現れた光景にあんぐりと口を開けていた。確かに彼にとってここは究極なまでに興味をそそられる空間に違いない。
「俺の工房『新天地』だよ。椅子は数が足りないからレディーファーストで。んー……本末転倒だけど、秘密ってのはばらす時が一番楽しいな」
さっそく部屋の中をうろうろと歩き回っているこーすけは、静かに稼動している工作機械に目をつけて駆け寄り、プログラムの羅列が流れている画面に顔をべったりとくっつける。さっき私が見ていたところだ。
「うひょー! 『ピコワーカー』があるじゃないですか! これ一台でマンション何棟買えるんだか……。これ、一体何を造ってるんです?」
「そいつは病院近くの製造工場から無事だったものを回収したんだ。んまぁ何を造ってるかは後でのお楽しみかな」
優星は頬をひくつかせながらこーすけの解説要求からうまく逃げ切った。
「あといろいろな精密機械があるから落ち着いてあまり大声は出さないように」
真面目そうな顔で優星がこーすけを注意すると、これは失礼しましたとすんなり静かに落ち着いた。なるほど静かにするにはそういう手が。
「……そうだ、とりあえず先にご飯でも。軽くだけど持ってきたんだ」
こーすけは手にしていたバッグからアルミホイルに包まれたなにかをひとつずつみんなに配って、残った三つを机の上に置いた。それはてのひらに乗るくらいの大きさで、アルミホイルの輪郭は三角形をしている。
「これは?」
「うびぇえー!」
私の質問とほぼ同時にスズの声が上がる。それに気付いたこーすけはあちゃ、と言って慌てふためく。
「スズそれアルミホイルだよ! 取らなきゃ」
「ベロがピリピリする! くーちゃんとってぇ!」
私がスズがそのままかじってしまったアルミホイルを取ってあげると、その中からは純白の塊が顔を出した。その物体にその場にいた全員の視線が集まる。
「おぉ、そいつは久しぶりだな。いただきますっ!」
その正体を知った優星が早速アルミホイルをむいてぱくつく。アルミホイルの中から出てきたのは携帯食糧の王様であるおにぎりだった。具も調味料もなにもない、大きくて真っ白シンプルなおにぎり。久しぶりに目にする代物だ。
「珍しいわね。これはどうしたの?」
地下都市ではお米の栽培がとても難しくて、今はまだ研究と実験段階の途中であるから一般に出回る事は稀。だから普段の炭水化物摂取は栄養固形剤とか養分極縮クッキーとか、そんな仰々しい名前のものを食べなければいけないのだ。
「さっき農場の方で情報を集めてた時にハタケのお父さんからいただいたんだ」
「んん、やっぱ腐っても日本人だな。全身に沁みる……」
「うんまーい!」
米粒がぽろぽろと落ちるようにみんなの笑みがこぼれ、しばし誰も喋らず、もぐもぐと口を動かす音だけが流れる。私も一口かじってみると、なにも味付けをしていないというのに、ほんのりとした甘みが口の中に広がった。本当に……おいしい。
たとえ一粒一粒が誰の目にも留まらないほど小さくたって、数が集まっていざ形を成せば、誰もが目に留めて、誰もが手にとって、誰もが笑顔になる。これほどの力をお米はもっているのだ。
「それじゃ食べながらでも集まった情報を交換しますか。と言ってもあまりいい情報は手に入れられなかったけど……」
こーすけは工房の中央にある机にノートを広げ始めた。そのノートにはびっちりと文字が書き込まれていて、それを見た優星がうええと唸る。
「大丈夫ですよ、さすがにこれ全部じゃないですから。僕とハタケは結局一緒に行動して、まず地下五階の市長に会いに行ったんだけど不在でして。でも広場で遊んでた中学部の子に話を聞けたんだ」
「中学部? ならくーちゃん、あたしたち行かなくて済んだね」
指に張り付いた米粒をちょこちょこと口に運びながらスズが言う。手間が減ったといえば減ったけれど、その分こーすけ達には手間をかけてしまった。
「ええ。何人くらいに訊けたの?」
「全員集まって遊んでたみたいだから、漏れがなければ、全員。とりあえずざっと読んでみなよ」
こーすけからノートを渡され、私は文字だらけのそれに目を通してみる。文字だらけといってもさすがこーすけ。まるで印刷したかのような丁寧な文字と並びで読むのには苦労しない。
あんがい読みやすいことに気付いたのか、優星も私の隣から覗き込んできて一緒にノートをじぃっと眺めた。もしかして、もしかすればこの中に手がかりとなる情報が見つかるかもしれないから。
――――けれど。
「…………なんていうか、まぁありきたり、か。中学部ともなるとわずかに地上の記憶が残ってるって子も結構いるみたいだな、ほら、その猫の夢とか」
「そうね。夢には記憶にあるものしかでてこないから。地下には猫がいないし、猫の写真も、猫の文献はあっても写真は確かなかったわ」
中学部の子達が見たという夢には、空機や邪機、その他あの日に関するような出来事はなにひとつとしてなかった。残念ながらここにも手がかりはなし。
「あとそうだ、医務センターで宗矢先生がいるかどうかの確認で――先生は入院中とのこと。会おうとしたんだけど面会時間が十七時から十八時の間だって言われてさ」
宗矢先生とは私達のクラスの担任であり、もう一ヵ月ほど教室には顔を出していない。齢八十を越えていて、豊富な知識と厳格な口調からみんなに仙人と呼ばれている人物だ。体の調子が悪いとは聞いていたけれど……。
「じゃさじゃさ、夜になったらみんなで行こーよ!」
「いやいや、こんな大勢で押しかけたら先生だって疲れちゃうだろう。医務センターの人にも絶対安静だからって、念を押されちゃったしさぁ」
「だいじょーぶ、あの先生優しいから」
「それは……そうだけど。でも優しさと体調は関係ないよ。まぁそれはのちのち行くとして、あとは市長を捕まえないと」
「ん、市長に用があるのか?」
市長と聞いた優星が即座に反応する。
「ええ、他の地下都市について訊いてみようかと思いまして。市長なら多分よくご存知だと。でも今日はもう自分の部屋に戻られたとかで会えませんでした」
がっくりと肩を落として言ったけれど、それなら問題ないよ、と優星がすぐに応じる。
「俺が訊くよ、深い仲だから、一応」
「え?」
驚くこーすけに優星は工房の壁に背を向けて、思い出に浸るように両手を左右に広げる。
「俺は市長と昔からこの工房でものつくりをしてたんだ。ちなみにこの工房は俺と市長が造ったのさ」
「うっわ! え、え? あぁもう……なんだかもう物凄い事ばっかりだ……。じゃぁ須堂市長の部屋に行けちゃうんですか?」
「そりゃもちろん行けるけど、今あの人が部屋にいるなら話は別だ。行かなくても話せるよ」
首を傾げるこーすけを置いて、優星は工房の壁に付いているいくつかのボタンのうち、白くて小さいボタンを長押しした。
「そのボタン達は何ですか!?」
「先に言っておくけど、赤いボタンだけは絶対に押しちゃダメだぞ」
優星は壁についている一際目立つ赤くて丸いボタンを示した。プラスチックの囲いに囲まれていて、ぶつかったとかで押されないようになっている。
「〝絶対に押しちゃダメ〟なんですか?」
「ほらもう目が押したくてうずうずしてるぞ。これは〝非常事態〟の時のみ押していいものだから」
そう言われてこーすけは残念無念と素直に頷いた。まず非常事態なんてものは訪れないことにこしたことはない。
「ちなみに今俺が押してるのが市長の部屋と直通さ。もうちょっと待っててな」
驚きの事実にまたもやこーすけが飛び上がっていると、白いボタンの近くに設置してあったスピーカーのような物から雑音が聞こえ、その次の瞬間、はっきりと男の人の声が聞こえてきた。
《――――どうした、優星。珍しいじゃないか工房からなんて》




