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空を奪ったモノ

 『二〇八一年十二月十二日』。

 雲ひとつない綺麗な冬空の下、私は日本で生まれた。

 当時の写真を見る限り、その空は本当に広く遠く深く、どこまでもどこまでも飛んでいけるような無限だった。

  

 ◇


 よく、覚えている。

 あの日は、『二〇八八年十二月十二日』。

 私の七歳の誕生日だった。

 私は両親と三人で都市の中央に立ち並ぶ高層マンションに住んでいた。五十階建ての、やや高級志向の住まいだ。

 お昼前、私達家族は玄関を出てすぐの所にあるエレベーターの前で会議を開いた。議題は本日の予定についてだ。

「それじゃ、父さんはちょっとした用事だけだから、一時間もしたら戻るよ。終わったらレストランでご飯とケーキを食べる! よろしいかい?」

「さーんせーい!」

「よーし楽しみにしとけよ。じゃぁ母さん、終わったら連絡するね。ほんの一時間さ」

 父の仕事は簡単に言うと車を設計する人で、小さい私をよく会社に連れてって新しいデザインの車を見せてくれたりした。車と言ってもただのお菓子の箱みたいなもので、私が本で見た昔の車には〝タイヤという丸いモノ〟が付いていた。私はどちらかといえばタイヤが付いているほうが好きだったらしい。でも実物はとても高い値で売られているし、法律で走ってはいけないというのも残念だった。

 現代の車は、宙に浮いて走るようなものだった。都市部の道路は全て独特な電磁石で造られていて――どーたらこーたらで動いているらしいけれど、当時の私が父の説明を理解できたわけでもなく、今説明されてもきっと理解できるような代物ではないだろう。

 車はとにかく静かに動くし、父が後ろの席に座っている私を見て喋ってる間でも勝手に道を進む。操作するといえば乗り込むときだけだ。もちろん、事故は〝絶対に〟起きない。

 でも――――私は、この車が怖かった。そう、その単語があてはまる。怖いと〝口にした〟記憶がある。

 プログラムだから、絶対に指示と違う行動をすることはないから安心しなさい。それが、父の口癖だった。

 でも、しょせんそれは人間が作ったプログラム。幼いながらも私は、人間が関係している限り絶対ということは絶対にないと思っていた。けれどその絶対が今の世の中を動かしていると聞かされると、納得せざるをえなかった。

 それでも私はこの無音で勝手に動く機械をどうしても好きになれなかった。人間なら表情とかでなにが言いたいかとか、なにを思ってるかはある程度わかったからだ。だけど機械には表情もなければ感情もない。ただ、人間にはできない行動を淡々とこなすだけ。

 そう。指示された行動だけを、なんの感情もなく、淡々とこなすだけ――――

「はいはい――って、あなた!」

「どした、母さん?」

「あなた靴! 今日は左右種類が違うわ!」

 母がエレベーターに乗り込んだ父の足元を指差し、声をあげる。父の靴は二つとも種類の違ったものであった。

「えっ!?」

 父が下を向いた時にはもう、エレベーターの扉はなんの感情もなくして閉じてしまった。

 私の父はどこか抜けていた。けれども、一応は超一流と名前の付く会社で働いていた。私と母はその会社をいつも心配していた。世間はこんな人が造った車に乗っているのかと思うと、軽い罪悪感というものすら抱いてしまったのだ。

「あははは! だっさーい!」

「もういいやこのまま行く!」

 下のほうから信じられない言葉が聞こえてきた。それに私と母はいってらっしゃい、と応えた。

「まったく……。あんなのでよく設計なんて仕事ができるわね。お母さん信じられないわ」

「えー? おかーさん信じてあげないの?」

「じゃぁ空、あなたは信じるの?」

「信じなーい! あはは!」

 などとそれこそ信じられないような会話を交わしつつ、騒がしい出勤劇場は終わった。笑い声の他には、エレベーターのかすかな駆動音だけが小さく響いていた。

 部屋に入った後も、私と母は父が社内を歩いてる様子を想像して笑っていた。人間はほんとうに些細なことでずっと笑っていられるものだ。

 私の住んでいる場所は都市の中央部に立ち並ぶ高層マンションの最上階で、ちょうど五十階。リビングの壁にある窓から下を見下ろすと、空から世界を独り占めしているように感じられる高さだった。

 大半の人は高い所に行くと下を見下ろして感想を言うものだけれど、私が初めてこの窓から外を覗いた時は、遥か下に広がる砂粒のような人々の光景ではなく空をずっと見ていた。大好きな空がこんなに近くにある、と。

 晴れの日、曇りの日、雨の日、雪の日、嵐の日。朝昼晩、春夏秋冬。毎日違った表情を見せてくれるこの空は、私の感情を豊かにした。そしてそれは同時に、私の名前でもあった。

 私はいつも通りお気に入りの窓から外を眺めて、父の帰りを待つことにしていた。この日は空に雲がひとつもなく、冬の柔らかな表情をした淡い太陽がこちらを見ていた。それはまるで私の誕生日を祝ってくれているように、優しく微笑んでいるかのようだった。

「今日はさいこーの日っ」

 空に向かって小さく呟いた。すると太陽はそうだね、と相槌を打ってくれるように瞬いた気がした。

 しばらく空を眺めていると、母がどこからともなく大きな白い箱を持ってリビングに現れた。それは私の背丈と同じくらいの大きさで薄っぺらい箱だった。

「さぁ、空! お誕生日プレゼントですよっ! これはね、父さんが選んでくれたのよ」

「やっ――……えぇ? それってだいじょうぶなの……?」

 先ほどの事件があったから私はちょっと心配だった。素直に喜ぶのが正しいと思うけれど、父からだと思うと心配せざるをえなかったのだ。

「一応お母さんも確認したから大丈夫――ほら!」

 勢いよく母が開けた箱の中には綺麗な赤いドレスが入っていた。それを見た途端、私は窓に向かって走り出し、空を見上げて大きな声で叫んだ。

「今日はちょーさいこーの日ぃい!」

 そのあと、私はこの素敵なプレゼントをしっかり装備して、有り余る力を消費する為にリビングを走り回っていた。笑って、叫んで、ずっとずっと楽しんでいた。

 そうこうしているうちに電話の電子音が鳴り、母が電話にでて私に向かってゴーサインを出した時にはもう、私はエレベーターのボタンを連打していた。

 時間はあるから、とゆっくり支度する母を無理矢理引っ張り、私達はエレベーターに乗り込み降下した。こんな日なのに、エレベーターは笑顔も見せず祝福もせず、ただ二人を指示された動きで地上へと運ぶ仕事に専念してくれていた。

 外でしばらく待っていると、車に乗った父がやってきた。私はつまずきながらそこに向って突っ走り、勢いよく車の後部座席に飛び乗った。いつも車に乗り込む時は不安な気持ちになっていたけれど、この時はそんなマイナスな感情なんかは一切なかった。

「おお! 君はいったいどこのモデルさんだい?」

 父はハンドルから手を離し、私の方を見ながら目を丸くして言った。既に車は走り出していた。

「えへへ! お父さんありがとーう!」

 私は父の首を座席の後ろから抱きしめた。それでも車は安全に走っていた。

「んん、よしよし……つかみはばっちりだな。ところで空、今日で七歳になるけどなにか目標みたいなものはできたかい? なんていうか、ほら――『夢』だ」

 夢と訊かれて私は口にするのをためらったけれど、母が言っちゃいなさいと後押ししてくれたノリで言うことにした。実のところ母には以前あった授業参観の日に〝バレてしまっていた〟のだ。

「んっとねぇ……えっとねぇ……。空はねぇ……んーとね、センパイに〝アイのコクハク〟をするのが夢ーーっ!」

 言い切って私は座席に顔をうずめた。

「お……おおぅ、そ、そいつぁすごいな! 父さんびっくりだ……。いやほんと。おいおい母さんや、〝先輩〟ってドラマの見せすぎじゃないかい? それに告白だなんて……僕はもう白髪になりそうだ」

「ふふっ、なにを言ってるんですか。この子が名前通りに育ってくれているって証拠ですよ、先輩っ」

「ん……まぁそれはそうだが……。あといい歳こいてその呼び方は勘弁してくれ……」

「あらそう? まぁ小学校で先輩っていうのには私も驚きましたけど……。ひとつ上の子でね、とても優しそうな子だったわよ。お星様みたいに輝いてたわ」

「げ、見たのかい?」

「ねぇ! 二人ともさっきからコソコソなんの話をしてるの!」

「う――さて! レストランはもうすぐそこだし、今日は天気がいいから少し歩くか!」

 父は急に話題を逸らして窓から外の様子を見ながらそう言って、車に向かってなにかを指示した。

「さーんせーい! あ、歩く……」

 私は母と目が合って二人でクスクスとまた笑った。

「なんだ、二人して楽しそうだな。なんか隠してるのかー?」

 と、父は不思議そうに首を傾げた。さぁね、と揃って返答したところで車は止まった。

 車を降りる時に足元が目に入ったのか、父は先程の真相を知ったらしく、顔をしかめた。

「……こいつぁ…………」

 私と母は大笑いしながら、目の前にある白銀にきらめく球体型のレストランに向かって柔らかな草の上を愉快に歩いた。

 それはきっと、幸せの極限だったと思う。

 幸せだった。

 レストランの入り口の前に立つと、静かに自動ドアが開いた。いらっしゃいませの機械音声と並んで中に入ろうとしたその時――――

 

 ――――空に、閃光が走った。


 一瞬、花火が打ちあがったのかな、と私は思った。けれども空に花が咲くなどということはなかった。

「な、なんだ――」

 父の声が聞こえたと思った次の瞬間、私達家族三人はレストランの瓦礫と共に空中へと吹っ飛ばされた。

 爆音が原因だったのか、耳は全く聞こえなかった。キーン、という不協和音ばかりが聞こえていた。

 永遠にも感じられた数秒後、私は地面に叩きつけられる直前にこの世界の最終回を覗いてしまった。

 目に映る景色、そのすべてが初めてだった。

 草木は燃え踊りそこらじゅうでお祭りを開いていた。銀色の建物達は炎に包まれ、熱に歪み崩れ落ちるガラスには炎の光が反射し、まだ昼間なのに周囲はまるで夕暮れのような光景だった。

 それはまるで都市全体がパーティを開いているようで、なんだか不思議と楽しい気分になっていたのを覚えている。

 これは明らかに見てはいけない景色だというのに、私はなぜかこの景色をずっと見ていたいと思っていた。こんな綺麗な景色は、もう二度と見れないものなんだと思って。

 浮いていたのはほんの数秒だった。たった数秒の時間の間だけで、私の住んでいた世界は変貌した。

 地面に叩きつけられた瞬間、私は見た。遥か上空に今まで見たことのない黒く不気味に光る巨大な球体が浮いているのと、そこから次々と小さな球体がこちらに飛んで来くるのを。

 その正体をつかめないままにして、私の記憶は一旦ここで大きく途切れることとなった。


 ◇


「…………?」

 私は、生きていた。

 どれくらい気を失っていたのかはわからなかった。体中は痛かったけれど、奇跡的に命に影響を与えるような傷は受けていなかった。落ちた場所が深い草むらだったことが幸いしたらしかった。

 私は地面の上に仰向けになり、目を閉じてずっと痛みを堪えていた。痛みにすすり泣くようなことはしたけれど、泣き叫ぶようなことはしなかった。とにかく、わけがわからなかったのだ。

 しばらくして痛みが少し和らいでくると、私は少しだけ目を開けてみた。目に入ってきた光景は……空。でもいつもと違う。

 ――――空の色は、黒色だった。

 夢でも見ているのかと思って、もう一度深くぎゅっと目を閉じてみた。目をしばたいて涙を流し、深呼吸をしようと大きく息を吸い込むも、すぐに咳き込んだ。空気がものすごく熱くて、呼吸をするたびによけいに苦しくなった。

 少し慣れてきて呼吸が落ち着くと、私はもう一度ゆっくり目を開けた。

 空は、まだ黒かった。

「夜……?」

 かすれた声で私は呟いた。でも夜空の表情とはなにかが違った。白い月、輝く星、透明な雲。いつもの夜空の主役はどこにも見当らなかった。生気がまるでなかった。

 代わりの主役には、黒い満月、黒い星、黒煙があった。空はまるでお葬式のようだった。

 しばらくそのお葬式を見ていると、やがて黒い星達は一斉に黒い月に向かって飛び、それに吸収されるようにして消えていった。空に散らばっていた星を全て吸収すると、黒い月は音もなく黒煙の中に消え去って行った。

 それがなんだったのかはまるでわからなかった。

 不思議な劇場を一部始終見終わると、私はぱっと記憶が戻り、ふらふらと立ち上がり本能的に人探しを始めようとした。そうだ、父と母をとにかく見つけなければ、って。


 ――――しかし、私の探しモノはすぐに見つかった。見つかって、しまった。


 …………両親は――――私の足元に転がっていた。

 私を見つけてほっとしたのか、安堵の笑みを浮かべた表情のまま。けれど目にはもう光は宿っていなかった。真っ暗闇だった。その時の空の色と大差なかった。

 どのようにしてそうなってしまったのか。それは今でもわからない。

 とにかくその時に私が思ったのは、二人とも真っ赤なドレスにいつ着替えたのかなっていうこと。

 わからない。〝なぜか〟悲しくはなかった。

 わからない。〝なぜか〟怖くもなかった。

 わからない。〝なぜか〟涙は止まっていた。

 わからない。〝なぜか〟私はどこまでも落ち着いていた。

 見たままの感想を、私はただ一言、呟いた。


「お父さんも、お母さんも、私とおそろいだぁ」


 その時だったと思う。

 私から感情というモノが消え去ったのは――――――

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