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未知既知夢

 手始めに、私とスズは小学部の子供達が集まっている部屋へと向かった。そこは食堂と同じフロアであり、救済院の管轄。低学年の子には必ず両親がいるから、平日は自室で暮らすのだけれど、休日は子供達同士で自由にその部屋で寝泊まりができるようになっているのだ。

 とりあえず、部屋の連なる廊下に辿り着いた私達は、片っ端からお邪魔して情報を集めることにした。最初の部屋のチャイムを押すと、数秒と経たないうちに扉の向こうから反応がある。

「だぁれー!?」

 幼い女の子の高い声が聞こえてきて、それにスズが応答する。

「やっほー! 来たよー」

「あ、スズねぇだ! いらっしゃーい!」

 その声を合図に部屋の中からワイワイと歓声が聞こえてきて、ドアがばっと勢いよく開いたかと思うと、四人の女の子達がわらわらと廊下に溢れ出てきた。

「やった! 空ねぇも一緒だ!」

 出てきた子供達は私達を見上げると、勝手に腰の辺りでワイワイ喋り始めた。まだ玄関先なのにこの騒ぎ、子供達のパワーは相変わらずものすごい。…………と、かくいう私もまだ成人前。

「こんにちは」

 私はなんの捻りもない、いつも通りの挨拶をする。すると彼女達の白雲のように輝く歯が無言で応えてくれる。

「入って入って!」

 私達は掃除機のような力で手を引かれ、あっという間に部屋の中へと吸い込まれた。

 部屋は私が暮らしている部屋よりだいぶ大きくて、壁際には二段ベッドが二台並んで置いてある。床には明るいオレンジ色の絨毯が敷かれていてちょっと派手。中央には小さな丸いテーブルが置いてあって、その上には折りかけの折り紙らしきものが散乱していた。

「空ねぇー」

 ひとりの女の子が私の腰元をぺちぺちと叩く。

「どうしたの? 彩ちゃん」

「わたしたちこれの折りかたがわかんないの。教えてくれる?」

 そう言って、こんな私をお友達認定してくれている彩ちゃんは、折り方の書いてある古びた一冊の本を開いて私に見せてくる。イラストを見る限り、どうやら彼女達は定番の鶴を折りたいらしく、例によって後半のちょっと複雑になるところで詰まっているという。

「これはまずこの端を合わせて――」

 ――と、一緒に床に座って教え始める私は、よく小学部の子供達にこういった折り紙や簡単なお裁縫などを教えることがある。小さい頃、寝る前によく母親から教わったものだ。もちろん、教えてと言われたからそうしているのだけなのだけれど。

 四人の視線が手元に集まるなか、私は〝折り紙という名の裏紙〟をゆっくりと折っていく。紙の表――もとい裏側は真っ白いのだけれど、反対側には小難しそうな物理学の問題が印刷されていた。きっと先生か誰かがうまく四角い形に切ってくれたのだろう。

 ――紙。それはもはやこの地下都市では高級な物資の類に入る。事実、簡単には作れないからだ。だから地下都市での書類などはほとんど電子的なものになっていて、紙というものは普段まったくもって目に入らない。ちなみにトイレは超細密洗浄機(ナノウォッシャー)によって繰り返し使える繊維を使っている。

 地下都市においては、稀に探索隊が地上で無傷の資料などを手に入れてくると、貴重だけれどもこうして子供達に触れさせてあげている。この地下都市で生まれた子供達のなかには、紙という偉大なる発明品に触れたことすらない子だっているのだ。

 だから、この子達は赤や青や緑、あるいは金銀といった豊かで美しい彩を持つ本当の折り紙というものを知らない。本に書いてあるピンク色の鶴だって、あとで色を塗ったものだろうと、本気でそう思っているのだから――――。

 手元をじぃ、と見つめられているなか、やがて私は折り紙の王道である鶴を完成させた。端のぴっちり合ったお手本のように完璧な鶴だ。裏紙ゆえに黒い文字がところどころ覗いてしまって、言葉で表現するとすれば、たぶん、不気味といった感じのように仕上がってしまったけれど。まるで呪いの鶴みたいだ。

「できたわ。羽の部分がちょっと難しいから」

 とりあえず見せがてら完成した鶴をテーブルに置くと、大盛況。誰かを喜ばせることができたのはよかったけれど、私がそれで喜べるかといったら、否だ。私の心はあいかわらず定規のように平坦で、音無き宇宙のように閑静なまま。彼女達の期待に応えることはできたとしても、自身の期待に応えることはまだできないでいる。

「どうしてこんなにきれーに折れるの!? 空ねぇってすごい!」

「練習すればきっとできるようになるわ」

 当たり前のことを言って、私はふと他の子が作っていたらしい試作品の鶴を見た。かろうじて鶴としての原型を保っているその折り紙には、私と違ったなにか――そう、なんというか、温かみがある……といえばよいのか、そんな気がする。端っこが潰れてたり、折り目がよけいに付いていたり。それは下手ということもあるかもしれないけれど、物に心をこめている、こめることのできる証拠なんだと私は思う。

 それらと比べると、私が作った鶴というのは決められた絶対の形だ。彼女達のはどこか間違っているけれど、それは人が作ったものだとすぐにわかる。私は何度折ったとしても、この手が覚えている完璧な形になってしまう。ちょっと角を丸めたりといったアレンジを加えることは、強く意識しないと難しい。

 つまり、私は応用があまり利かないということだ。良く言えば感情に任せての行動はしない――できない、悪く言えば自分から行動ができない。まるで入力されたプログラムを実行するだけの機械のように。

「ありがと! 空ねぇ!」

「いいえ。――あ、スズ」

 私はベッドに腰掛けて待機していたスズに声をかける。あやうく本来の目的を忘れてしまうところだった。

「おっとっと、そうだね。今日はみんなごめん! 本当は遊びに来たんじゃなくて、ちょっと聞きたいコトがあって来たんだー」

「えー! それって大事なコトぉ?」

 遊びに来たわけじゃない、と珍しいことを言うスズに一同は驚いた時の表情を浮べる。

「うん、ちょっと聞いてくれるかな?」

「それってあたしらだけにー?」

「んーん、このあと他の部屋もまわる予定だけど」

「あ! それなら!」

 と言って彩ちゃんが突然、ベッドの脇のなにもない壁に向かって、コン、コン、ココンとリズミカルにノックをした。

「……なぁに? その音」

 初めて見た行動に、私とスズは首を傾げる。しかし彼女達はなにも言わずに、ただ壁に向かって耳を傾けていた。まるでなにかを待っているかのように、壁にぎゅっと耳を押し当てている。

 すると数秒と経たないうちに壁からコココン、と軽快に返事が返ってきた。どうやらその壁を叩くと、隣の部屋に音が伝わるらしくて、部屋を出なくても隣と簡単なコミュニケーションが取れるというものらしい。

「今から来るよー!」

「…………ん? あっ、なるほどね! それは助かるかもー」

「でしょでしょ! みんなで考えたんだよ!」

 どうやら今のは隣の部屋の子を召集する合図だったらしい。

「あけてくれー!」

 玄関の向こうから男の子の声。

「ハイハーイ」

 すぐに一人が玄関に走って行って、収集に応じた男の子達を中に招き入れた。どこかで感じたことのある、重い動物が歩くときのような、胃の底に響くような足音が聞こえてくる。

「おお、スズねぇと空ねぇがいるじゃん!」

 入ってきたのは四人の男の子達で、彼らは私達の存在に気付いて早速盛り上がる。

「やっほー!」

「こんにちは」

 私達はいつもの挨拶を交わすと、彼らは部屋の空いている場所をそれぞれ見つけて座った。さすがに十人もの人が一度に集まると部屋も狭く感じる。

「ふぅ……ちょっとせまいけどガマンだな」

 ひとりの男の子が荒い呼吸を整えながら言う。その発言に女の子のひとりが野次を飛ばす。

「大きすぎるんだよー、カズ君が!」

 確かに……カズ君という子はどちらかと言うとハタケみたいな体系をしている。この歳にして他の子の二倍はあるだろう。主に横向き。どうも決められた食を口にすることが基本的な地下都市においても、このような体系は必然的に現れるようだ。

「うるへーぃ!」

 些細なやり取りだったけれど、どっと笑い声が部屋中に響き渡った。普通の人からしたらどうも今のやりとりはおもしろかったらしい。

「あっはっは、ダイエットしろよー! それでそれで、おれらを呼んだのはなんでだ?」

「あ、うん。ちょっと聞きたコトがあって呼んでもらったの。あたし達学校の宿題が出てね、みんなが最近どんな夢を見ているのか調べなきゃいけないの」

 スズがそう説明するとみんなは揃って首を傾けた。

「夢ー? ヘンな宿題だね」

「おれたちの算数の宿題よりカンタンじゃんそれ!」

 一同は拍子抜けしたらしいような表情を浮べる。それもそのはず、こんな宿題は小学部ですら出るわけないからだ。

「まぁね。変でも宿題だからやらないと怒られちゃうから、みんな協力してね! それでみんなが最近見る夢の内容を教えてほしいんだけど……くーちゃんメモいい?」

 ええ、と頷いて私はこーすけに渡された裏紙メモ用紙とペンを用意する。スズは学校の宿題とうまくはぐらかしているけれど、実際のところ、この子達に本命である『空の災』に関連する事柄を尋ねてみたところで、さっぱりなのだ。事が起こったのは今から十年前、つまり今低学年に在籍している子供達は地上ではなく、この地下都市で生まれたから――なにも知らないわけで。

 ……それでも、私とスズはわざわざ地上の記憶がない子達の話を聞きに来た。それは――〝あるひとつの仮定〟を確かめたかったからだ。

「ハイハーイ! あたし昨日ね、パパがね、ベッドからコロンって落ちてね、鼻血出した夢を見た!」

 また部屋中に笑い声が響き渡る。私はベッドから父親が転落し鼻血、と簡単にメモをする。そういえば私はまだ一度もベッドから落ちたことがなかった。きっと寝相は良いほうなのだろう。一方でこーすけは、廊下で寝ているのをたびたび発見されていることから、自他共に認めるほどの寝相の悪さらしい。

「ハハハッ、いたそうだなぁ。おれは達也といっしょに食堂の鬼ババから逃げてる夢を見たぜー。でーっかいフライパン持って追いかけてきてさ、さいご追いつかれて頭を叩かれたんだ。たぶん野菜を残したのがバレたんだな」

 鬼ババというのは恐らく料理長のことであろう。普段は優しいおばさんなのだけれど、怒ると確かにそう見えるのかもしれない。それについてはこーすけとハタケがよく知っているはず。

「ええ!? お、おれも追いかけられてたのかよー? 鬼ババこえーもんなぁ。夢は先週くらいに一回だけ見たけど、カズがちょーやせててさ、野菜ばっかり食ってたんだ。夢が本当ならよかったのにな、カズ」

 達也君がカズ君を見てニヤリと笑い、それに合わせてクスクス笑いが広まっていく。本当であってほしいものと、あってほしくないもの。〝見るほうの夢〟では必ず生まれる歓迎の意志と拒絶の意志だ。

「んー、本気でダイエットでもしてみるか……」

 多勢に無勢、反撃の意志をなくしたのか、カズ君はその身をなるべく小さくして縮こまった。私はそんな彼を見ながらハタケの痩せた姿を想像しようとしたけれど、乏しい私の想像力では不可能だった。あるいは想像すら許されないレベルなのだろうか。

 ――――と、そんな感じでしばらくの間、スズが質問し私がメモを取るという行為をこの場にいる全員分続けた。結果、どれもこれも気になる程度の内容じゃなかったけれど、意外とみんなは夢を見ているということがわかった。そしてもちろん、直接間接問わず、あの日に関連するような内容はひとつたりともなかった。

「ちなみにスズねぇはどんな夢を見るの?」

「んー……っと、この前見たのはタイヤがいっぱい付いたクジラに乗って道を走ってた夢かな……。あはは、幼稚な夢だったなぁ、そういえば」

「たいや? くじら? どこを走ってたって?」

「あー……そっか。知らないよねぇ」

 スズの夢の内容を聞いた子供達は、揃いも揃っていったいなにを言ってるんだ? といった感じの疑問系の表情を浮かべている。それもそのはずで、たった今スズがぽろっとこぼした夢の内容には、この子達が理解できる単語があまりにも少なかったからだ。

 夢の内容というものは、多くの場合、現実とかなり掛け離れたものが多いけれど、この子達にはまず地上の記憶というそれそのものがない。だから誰でも軽く想像できそうなスズの夢の内容も、地下都市で生まれた子供達にはまったくもって想像することができないわけで……。

 この子達にとっての世界は、この狭い狭い地下の空間に造られた小さな小さな箱庭の中だけ。地下(ここ)では〝ほんの数分も歩けば世界の果てにだって行けてしまう〟。自転車も、車も、航空機も、開発する必要がまったくない。世界一周の旅なんて、己の足かつ一時間足らずで踏破できてしまうのだ。

 そして予想通り――――この子達はひとつの証明をしてくれた。夢を見るには記憶が必要で、一般的にはその記憶に関連した〝既知の事柄〟の組み合わせのみを見ることができるという。たとえその内容が現実的にありえなくても、その内容に関する人物や物体は自分の記憶のどこかに必ず存在するはずなのだ。だからこの子達の夢の中にクジラやタイヤは絶対に出てこない。邪機(ジャキ)空機(カラクリ)も出てこないはずなのだ。

 記憶に存在しない未知の事柄が、毎日のように夢に出てくるということは絶対にありえない…………はずなのに――――。

「聞いたことないぞ? あ、それってもしかして『チジョウ』の話?」

「あー……うん。そうだねぇ」

 あちゃ、と肩をすくめるスズ。私達と子供達の間にはいつだって噛み合わない点がいくつもあるのだ。

「ふーん、いいなぁ。地上っておもしろいとこだったんでしょ? 見たかったなー」

 みんなは揃って中空を見つめて溜息をもらす。きっと未知の光景――タイヤという湯気の漂うおいしそうな食べ物を、クジラというどんな用途に使うのかわからないような機械を、各々好き勝手に想像しているに違いない。

「まぁね。でもその代わりあたしはこの地下都市の世界を見たことがないからなぁ」

 スズはこの地下の世界も、私の顔も、彼女を囲むこの爛々と輝く子供達の顔だって、一度たりとも見たことがない。それでも彼女は、今は見えなくたって構わない、見れるようになる時を〝待つのが楽しい〟、といつも口にしている。

「……よっーし、ありがとうみんな! これで無事に宿題が終わりそうだよ」

 そう言ってスズは早々に退散しようとする。私に夢の話が振られる前に、と考えてくれたのかもしれない。彼らに尋ねられたら、私はきっととてつもなく困るだろう。

「帰っちゃうのー?」

 そんな私達に頬をぷくりと風船のように膨らませる顔が八つ。こうしてなにかのものと比喩できるのも、そのものの姿を知っているからできること。

「うん、ごめんねー。これから他の部屋も回らなくちゃいけないからさっ」

「そっかぁ……また来てよねー!」

 理由を追求せずに残念無念と素直に応じるこの素直さがこの子達のいいところ。それに私達は揃って頷いて玄関を出た。

「あっ、空ねぇ!」

 彩ちゃんが小走りによってきて廊下に出た私の腰元に抱きつく。

「……?」

「また、ツル教えてね!」

「ええ、いつでも」

 私の手は自然と彩ちゃんの頭に添えられ、ちょっとだけ撫でてからその幼い温もりから離れる。ニィ、っと見つめられて――私の無色な瞳に対しても笑いかけてくれて。……でもそれに応えられない今の私。いつか笑って応えられるようにならなくちゃ。

『バイバーイ!!!』

 手を振り返し、私達は次の部屋へと向かう。太陽を知らない、けれど太陽のように輝く笑顔を背に。

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