邪機輪郭
こーすけが見せてくれた二枚目の写真には、一枚目との違いがはっきりと見て取れた。台風のような大きさはないけれど、太平洋上に目の部分を持つ小さな円形の雲が写り込んでいる。ただ小さいとはいえども衛星写真に映り込むほどの規模。…………これのどこが〝敵〟だというのだろう?
「雲というか台風というか……。いや、台風にしちゃ変な風の向きだ。それに十五分程度でこんなに発達するわけがない。異常っちゃ異常な光景だな……」
優星は写真を手に取ってじっくりと眺め、おかしな部分を指摘した。……確かに、なにもなかったところから急にこれほどの雲が発達するわけがない。かといって気象衛星がそう簡単に壊れて変な画像を送るはずもないし。
「そこですよ。まず台風の特徴である渦がない。雲が中心から放射状に全方向へ流れてるように見える。まるで中心に何かがあってそこから吐き出されるみたいに。それにたった十五分でこんなに発達する事はありえないから、絶対に自然現象なんかじゃない」
頑として述べるこーすけに優星も賛同し、一方で写真を見ることすらできないスズは、テーブルに顎を載せながら耳だけを傾けていた。
「…………放射状、か。あー……つまるところ製雲装置の一種かもしれない」
「やっぱり! 優星さんもそう見ましたか。多分わかんないと思うから簡単に君達に説明するよ」
こーすけは空白の資料の裏に製雲装置なるものの絵を簡単に描いてくれた。形としては、丸いタンクの上に針みたいな先端の鋭いパイプが無数に伸びているようなもの。巨大ウニロボットと言えばそこはかとなく理解できる。
「あたしそれ知ってるよ? 世界中の水不足を解消したすごいヤツでしょ? 雲を人工的に作っちゃうっていう」
「なんだ知ってるのか。えっとほら、この装置があるとその周辺に物凄い速度で人工的な雲を生み出せる。普通は出力制限されてるから自然ほどの強さには出来ないけど、調整で雨を降らせたり雷を発生させたりは出来る。この装置が生まれたおかげで他の国の砂漠化を防いだり、渇水状態を脱したり出来るって優れものさ」
「小型化に成功したとはいえ製雲装置なんてかなりでかい代物だ。これが動くともなれば船上、あるいは飛行艇の類に設置って形になる」
げげ、というこーすけの声。空飛ぶ製雲装置とか、なにかの絵本の中の空想世界にでてきてもいいような。とはいっても過去の絵本や小説によく描かれていた近未来の技術品というものは、それこそタイムマシンを除いてほとんどのものが再現されているような世界になってきていたけれど。
「飛ぶ…………ですか。建設はともかく動力の確保が難しいと思いますけど……」
「いいや幸助、雲だ。仮に動力源が電力だとするなら、の話だけど。製雲装置は調整で発生させた雲を雷雲にも変える事が可能だろ。そこを突くと君はどう導く?」
優星の問いにこーすけは天井を仰いでううむ、と唸る。けれどすぐに閃いたのかばちんと指を鳴らす。
「――集雷発電。でも……それって製雲装置で循環的にエネルギーを?」
「いや、解ってるとは思うけどもちろん無限というものは無理だ。エネルギーの損失は必ずあるし、雷も不確定なものだし。それに発電っていうか蓄電だけど、この動く何かは他にも発電装置を備えてるはずだ」
「太陽光?」
私はとっさに浮かんだ方法を挙げてみる。むしろ私はそれくらいしか知らなかった。昔は火力発電とかいうものが多かったらしいけれど、それは化石燃料の枯渇を防ぐためにと世界的に禁止になってしまったらしい。
「そう、宇宙太陽光発電だろう。発電衛星が何百基と地球を回ってるし、月面にも発電装置が置いてある。原理云々は長いからいいとして、こいつは一部の衛星から電力を受けてるはずだ。なんにせよ無許可なんだろうけど」
「へぇ、ならでっかい乗り物かなにかに雲を作る装置を乗っけてるってわけか」
ハタケは真っ白なお皿の上にコップを載せて、それを片手で持って顔の前でぐるぐると回した。少なくともとてつもない規模だということは確かだ。
「んー、前にも言ったけど機械だけが独自の考えを持って行動を起こすなんて事はありえない。人工知能だとしても開発と起動は人間が行うものなんだから。だからこれには必ず人間が関与してるはずだ」
「そうね、夢の内容からしても人為的なものなのは確かだと思うわ。誰かはわからないけれど、黒幕は今どこにいるんでしょうね」
私が言った黒幕――それが誰なのかを調べるのが今回の目的でもあると思う。でもたとえ正体が判明したとしても、私達にはきっとどうしようもないことだ。世界を滅ぼすことができるほどの悪人に、ただの少年少女が敵うわけがない。たとえ悪人の正体が世界中に知れ渡ったとしても、かろうじて逃げ延びてひっそりと地下で暮らす人々が対応できる可能性もまたゼロだ。
世界があらゆる軍事兵器を処分して、国家間の戦争が消えた二〇八〇年。その年は平和元年と呼ばれ、世界がやっとひとつにまとまった人類の素晴らしき記念日だった。――しかし、あたかもそのタイミングを狙っていたかのように突如として現れた未知なる人類の敵。結局のところなんの抵抗もできずに人類は……敗北――。
あの日、まだ使用可能な兵器と呼ばれるものが存在していたならば、人類は敗北しなかったかもしれない。現に生き残った人々はそう言って、本来の人々の希望であるはずの平和を呪った。
平和であるがゆえの――――死。
平和を希望して。平和のせいで平和を乱され。平和を呪うような世界がやってきたのだ。
「でもさぁ、その黒幕が人間ならさ、目的はいったいなんだったのかな? ただの人間嫌い?」
スズの問いに、さぁ、と誰もが首を傾げる。そう、第一に目的がワカラナイのだ。なにをどうしたくてこんなことをやったのか。それこそスズの言った人間嫌いだってひとつの理由なのかもしれない。
「んーそれはこれから推測で考えるしかないね。目的も無しにただやりたかったから、って理由でこんな大掛かりな事はできないだろうし。黒幕は一人とは限らないし……。それと次に話すけど、技術的な面でも一人じゃまず無理だと思うよ」
こーすけは次の資料を自分の方へと引き寄せた。それはまた写真であり、襲撃された時の地上の様子を写したものだった。
「ほらこれ、大きい方が『邪機』で小さい方が『空機』だ。もしかしたら太平洋上に現れた雲の原因がこのどでかい邪機なのかもしれないね。ただの技術者が設計できる代物じゃないレベルだよ。んま、これに関してはさっぱり情報無しなんだけど」
私はお手上げ気味のこーすけが目を細めて眺める写真を見つめた。その写真の中央には燃え崩れる銀色の高層ビルの姿。そのビルの手前には、小さな黒い球体が数体写っていて、夕日のようなオレンジ色の空には巨大な黒い球体が浮かんでいるのが見える。
もはや機械的絵画としか受け取りようのない一枚の写真。――でもそれは〝普通だった〟私が最後に目にした本当のセカイ。私が普通に生きていくはずだったセカイなのだ。
「でもさでもさ、それって今もまだ世界のどこかにいるかもしれないんでしょ? たとえばだけど人間をぜーんぶ殺しちゃうとかいう目的ならさ、またいつかあたし達を殺しに来るってワケ?」
「それも仮説のひとつとしてアリだね。宇宙に飛んでいったのかもしれないけど、まさか宇宙人の仕業って事は……ないな、うん」
こーすけは首を振って即座に自らの発言を否定した。……そういえば、二〇八〇年代の宇宙探査技術は発展に発展を重ねていて、世界中で長年議論が続けられていた『観測可能な範囲内における地球外生命体の存在』というものを全面的に否定されていたっけ。もっとも人類が観測できない範囲からやってきたのかもしれないけれど。
「でもあれからもう十年と経ってるじゃないか。いまさらおいら達を殺しになんて来るのか?」
ハタケは腕を組んで、ぷるるんと顎下のお肉を揺らして笑う。彼の言い分はもっともかもしれない。十年間も音沙汰がないということは、地下都市でひっそりと暮らす私達に気付いていないのかもしれないからだ。
「そこが問題なんじゃないかハタケ。二人の夢の話を聞いただろう? いまさらだけど、いまさらだから怖いんだ。僕達が生きてられるのも敵の攻撃準備期間だけなのかもしれないぞ? 夢が本当ならもう敵の準備は終わりに近づいたか、既に終わってるのかもしれないんだし」
「その証拠に俺と空がその予兆らしき夢を見るってわけか……」
優星は顎に手を当てむむむ、と唇を噛む。仮にそうだとしても、なぜ私と彼だけが予知夢のようなものを見るのだろうか……?
「あ! ねね、ならこれからみんなで手分けしてさ、この地下都市内で変な夢を見るって人を探してみない? なにもまだ優星とくーちゃんだけが見るって決まったわけじゃないでしょ?」
『…………!』
スズの急な提案に、なるほどそうだった、と一同は気付かされる。そう、いつの間にか私達は私と優星だけが不可思議な夢を見ていると思い込んでいたのだ。根本的なことは似ていても、二人の見る夢の内容が異なっているということは、他の人が見る夢もまた別の内容になっているのかもしれないわけで。
「……うん、そうだ、そうだね。とにかくそれが先かも。もし誰か他にも見るって人がいるなら、その人が見る夢の内容を照らし合わせていけば何かが見えてくるかもしれないし」
「パズルってとこか。なら早いとこピースを集めに行かないとな」
「そうですね。あ、じゃぁその前にもう少しだけ、っと――あったあった、これ、邪機と空機の関連性について。これはもしかしたら二人の夢に大きく関連する事かもしれない。ある一人の科学者があの時の様子をノートに残してた文章があってね。せっかく持ってきたから事前知識として読むよ、《我々は空から現れた巨大な悪魔に立ち向かう術も無く、逃げる事しか出来なかった。まるで巣を蹴散らされた蟻のようにだ。悪魔から放たれた眩い光線は、目に映る地上を完膚なきまでに焼き尽くした。第一波の攻撃の後、悪魔が我々に仕掛けてきた攻撃は巨大な球体から現れた、小型の球体型機械による人間の駆除だった。その球体は逃げ惑う人々を何の躊躇も無しに殺戮し、一通り殺戮が終わると上空に停滞する悪魔の元へと回収されていった》」
そこまで読むと優星がいきなりストップ、と口を挟む。
「どうしました?」
「悪魔の元へ回収……だって? それってつまり空機は邪機から出てきたって事になるな。なら――――なら俺は、邪機の内部にいたってのか…………」
『――え?』
意味深な言葉をこぼす優星に誰もが驚いた。彼が邪機の内部にいたという――衝撃。恐らく夢の中の話なのだろうけれど……。
「あ、ごめんまだ言ってなかった。今日見た夢が変わったって言ったけど、俺は前に話してた例の暗い部屋の中から外に出たんだ。それでエレベーターで移動して空機がたくさんある場所に行った。それでそこに故障したらしい空機が入ってきて、俺はそれを修理しにいくって内容。実際は空機に触れる前に目が覚めちゃったんだけどさ」
優星がせきを切ったように口早に語り終えると、私の鼓動がわずかに高鳴り始めた。――――だって、彼が邪機の内部にいたというのなら、私も同じくその内部にいたということのほかならない。
優星は夢の中で私の姿を見たという。一方で私は彼かもしれない人影を見た。問題はその現場がどこかということ。話の流れからするには、現場は邪機の内部になる。ますます話が現実味を帯びていく。
…………そこで私は決心した。もとより私にそんなものがあるのかはわからない。けれど私の無口な心は今、この機会を逃せば話せなくなってしまう、としきりに訴えかけてくる。夢の謎の解明が進む今、たとえそれが目の前にいる友達を殺すような内容だとしても、伝えなければいけないんだ、って。夢の謎を解くには少しでも多くのパーツがあったほうがいいのだから。
「――――私も、邪機の中にいたってことになるわ。私が今日見た夢は、前と同じで暗い部屋の中で……」
……けれどやはり私の口はここで言葉を勝手に切った。やっぱりこの先は語ってはならないのでは、と寸でのところでまたもや唇が塞がって、残り一歩に歯止めをかける。
みんなは私を黙って見つめている。なんでもないわ、はもう使えない。いずれ明かさなければ、私は永遠に困ることになる。……いえ、私だけならいい。でも彼らはどうだろうか。たとえ夢が現実に起こりえないものだったとしても、ほんの軽い冗談でも傷が付いてしまう〝普通の人間〟の心にとっては、負担が大きすぎるのではないだろうか?
私と他人の心は違う。今の私の心をたとえるのなら、そう――鉄……かな。空っぽの鉄の器。鋼の精神とかそういうものじゃなくて、物理的な金属。安易に傷は付かないけれど、代わりに温かさというものがない。つまり人間として死んでいるのも同然であるのだ。
言うべきか、言わざるべきか。私としたことが、簡単な二択を決められないでいる。感情のない私が、どうして悩む必要があるのだろうか…………。
――――――友達なんだからよう。
ふと、とある言葉が頭の中で火花のように弾ける。それは朝方にハタケが口にしていたものだった。
友達だから頼っていい? 友達だからなにを言ってもいい? 友達だから殺してもいい?
――――違う。正直に話すことを許されるから友達なのだ。
「私は――――」
固唾を呑む四人に視線を向けて。それから一度、深呼吸をして。
「あなた達を殺していたの」
淡々と、機械のように私の唇は動いた。