意図カタチ
いつもと異なる夢を見た――――。優星は今、間違いなくそう言った。なにを隠そうそれは〝私も〟だった。
「……どうした、空?」
しばし固まってしまった私の顔を覗き込んでくる優星に対して、いえ、と即座に首を振る。それは感情的ではなく、反射的にだった。
優星がどんな夢を見たのかわからないけれど、私が見た夢の内容は安易に口にできるようなものじゃない。それも今ここで言うわけには……。
夢の中に出てきた三人の姿が脳裏を過ぎる。ノイズの中、スズ、ハタケ、こーすけの亡骸が――――。
でも二人とも同じ日に夢の内容が変わるなんてことがありえるのだろうか…………? 私と優星の接点はそう多くないというのに、なぜか夢だけは共通の意をどこか含んでいる。どこに繋がる要素があるのかはさっぱり。手がかりの端くれすら見つからない。
「空ちゃん……大丈夫か?」
こーすけが眼鏡を眉間にぐっと押し当てて、目を細めながら私の顔を観察してくる。
「ええ……大丈夫よ」
答えると次はスズの鋭い瞳が私の瞳を捉えた。彼女の目は見えていないというのに、私は思わず視線を外してしまう。無駄だとはわかっているけれど、やっぱり彼女にはなにかを見透かされてしまうな気がしてしまう。けれど彼女はなにも言ってこなかった。
「寝不足だからかな。少し〝変わった表情〟をしてたからさ」
こーすけに、そう、と流すも私の手はさりげなく頬に触れていた。いったいどんな表情だったというのだろう? 感情的な表情の変化なんて、私には縁のないものだっていうのに。
私は表情を変えることはできるけど、それには意図して顔の筋肉を動かさなければいけない。みんなのようにほぼ無意識に表情を変えるなんて芸当が私にはできないのだ。周囲が笑えば笑顔になり、誰かが怒れば渋い顔になる。そんな自然さが私には存在しない。
顔は笑っているけれど、目は笑っていない。よくあるこの表現はとても的を得ていると思う。私にぴったりすぎる表現の仕方だ。ぞくにいう〝カタチだけ〟。
過去に何度も私は表情を周りの人と合わせてみようと努力した。けれど練習で鏡の中の自分を見るたびに、努力の角度は徐々に浅くなっていった。角度がゼロになった今では、無理に表情を組み立てるということを完全に諦めてしまっている。
情けないのかもしれないけれど、私はこのまま心待ちにしようと思う。いつか自然に泣いて、自然に怒って、自然に笑えるような、そんな普通の人間になれる日を。
「んー……なんだか変だね、今までのと違ったものを急にって」
「あ、いや、夢が変わった話は気にしなくていいよ、スズちゃん。それより何度も同じ夢を見るという現象についてを先に調べたいんだ」
優星が見た夢の内容もきっと重要なものに違いないけれど、軽く流したあたりを見ると私と同じように言いにくいものなのかもしれない。だとすればその点は私と大きく一致する。
「共通点を探したりして、同じような夢を見る人が他にいるかどうか探さないと。少なくとも僕らの中にはいないから」
こーすけがよぅし、と資料の端にメモを書き始める。と、同時に安らかな寝息の音が耳につく。見ると既にハタケは食後のハーフタイム、つまり後半戦であるデザートに入る前の休憩中だった。椅子の背もたれに首を乗せていて、頭は呼吸に合わせて荒波を進む小船のように危うい揺れ方をしている。
「はぁ……。スズ、一発頼むよ。あ、今日はずっと起きててもらわないと困るからそれなりに」
いい加減に呆れた、とこーすけはスズになにかを依頼した。私は瞬時に理解したけれど、状況の読めていない優星は、なんだなんだ? とスズとハタケを交互に見比べている。
「まかせなさーい」
スズは椅子から立ち上がって、大きく深呼吸をして神経を研ぎ澄ます――らしい。その時点で周囲の空気が瞬時に変わり、彼女の白銀色の長い髪が腰元でゆらりと揺れる。
「…………!?」
スズは優星の方に顔だけを向け、表情をゆっくりと笑顔の形にする。不思議なことに、その笑顔を見た彼の表情が少し引きつったように私は見えた。
小柄な少女は右手を手刀の形にし、そのまま頭の上まで垂直に引き上げる。毎度のことだけれど、どうしてか鳥肌が立つ。私は怖いだなんて感じもしないのに。
「たぁっ!」
そんな幼げな掛け声と同時に、スズは狙いすましたハタケのお腹へ手刀を振り下ろす。
ひゅうっと空気の層を切裂く音に続いて、なにか重たいものが落ちた時のような鈍い音。スズが放ったその一撃はハタケのお腹に見事命中し、その小山を切り崩さんばかりに深々とめり込んだ。制服の上からも見える肉の波紋が地震波のごとく体の上下に伝わって、その衝撃に眠っていたハタケの痛覚が呼び起こされる。
「が――ぐぅはっ……!」
あまりにも無防備な状態での一撃に、ハタケはものすごい声を上げて一瞬だけ目覚めたけれど、すぐさま眠ってしまった。この場合眠ったという表現よりも、気絶したという表現の方が正しいのかな。
「あちゃ、やりすぎちゃったかな? どーも力の加減がワカラナクてね」
あはは、と舌を出して笑うスズに、さすがです師匠、なんてこーすけが彼女に頭を下げる。
「な、なんだい今のは……?」
恐ろしい場面を見せられたからか、優星はスズとの距離をちょこっと置く。彼が前回ハタケを起こすところを見た時は、スズがお腹を軽めに叩いただけだった。でも今の彼女の起こし方はそれこそ荒行、気持ち良く寝ている友人に向かって、気迫を纏った手刀を放つという。
「必殺スズチョップ! だよ。あたし小さい頃からおじーちゃんに変な武術習ってたんだー。目が見えなくなっちゃってからちょっと錆ついちゃったんだけどね」
スズは拳の骨を小枝が折れた時のような音で軽やかに鳴らしながら、ちょっと退いている優星に説明をする。錆付いてなおこの威力……。とてもこの少女にできる芸当とは思えない。
「僕、前から思ってたんだけどさ、それって語呂悪くないか? どうせならもっとかっこいい名――」
文句を言おうとするこーすけにスズが一睨み。その目力に彼は小さく縮こまってしまった。
たとえ他人がかっこいい名前を付けたところで威力はなにも変わらない。よく映画やアニメで主人公や敵が攻撃をする際に、その攻撃の名前を叫んだりすることがあるのは、どうも自己暗示というものの一種らしく、決して演出の為だけに存在するものではないという。技を自分と相手にしっかりと認識させ、その技の存在を誇示し、本当にこれは強いぞとお互いに暗示をかけ合う。同時に己に自信を持たせて、技の威力を高めるのが自己暗示の役目。
その結果、暗示に負けた方が敗北となる場合が多いらしい。暗示のかけ方は千差万別で、はったりを使って偽りの強さを誇張する者もいれば、威力を包み隠して相手の油断を誘う者もいる。その暗示の表現方法は、自分自身が一番しっくりくるものを用いると一番いいらしい――とかなんとかを昔に長々と聞いたことがある。確かスズから。
つまり、誰がなんと言おうとスズチョップはスズチョップなわけで、スズチョップゆえのこの威力なのだ。
「…………ハタケ、結構きてるわ」
私はひとまずハタケの状態を確認する。毎度の役目。目覚めたのは事実であるけれど、今現在の彼の眼球はあらぬ方向を向いてしまっている。ちょっと、まずいかも。
「おっと……。こりゃまずいね。いつもの気付け方法で起こすか、空ちゃん頼む」
「ええ、わかったわ」
私は持っていたフォークでまだ食べていなかった鶏の唐揚げを突き刺し、それをハタケの顔の前に突き出した。そして唐揚げの香りを周囲に撒くように、ひらりひらりと動かす。他人から見ればなんとも滑稽な光景なのだろうけれど、私は真面目にやっている。
しばらくその行為をしていると、やがてハタケの体がぴくりと動いて反応を示した。彼の嗅覚が外部からの刺激を受けて、機能停止から復活したのだ。……多分。
そのうち嗅覚を始めとした各種身体機能が回復し始めたらしく、ついにハタケは意識を取り戻し、目の前をうろついている唐揚げに野生の素早さをもってして飛びついてきた。
「むう!?」
私はぎりぎりのところで唐揚げをハタケから素早く離して、そのまま自分の口へと運んだ。
「ごめんなさい、今日はあげられないわ」
もごもごと言った。いちおう唐揚げは私の好物の中に入っているものだったから。私にだって食べ物くらいの簡単な好き嫌いはある。今の様子を別の角度から見た人にとっては、私がいじわるなことをしたと思うだろうけれど……。
「残念だったな、ハタケ。頼むから今日は起きててくれ、色々調べなきゃいけないからさ。あれ、優星さんどうしました?」
ぽかん、と口を開いたままテーブル横で立ち尽くす優星。
「どうしたの?」
スズは今までのドタバタ劇がまるで何事もなかったかのように、椅子に座り平然として言う。
「…………はは」
優星の開いていた口が徐々に閉じていき、やがて彼は満面の笑みを浮かべた。
「ははは! いや、おもしろかっただけさ。いつもこんな感じなのかい?」
「まぁ……こんな感じですね」
やれやれ、と呆れた顔でこーすけはため息とともに椅子に深々と座った。なるほど、こういうのがおもしろいというのかな。
「いつつ……。もうちょっとマシな起こし方してくれないかい?」
ハタケが苦痛に顔を歪めながら抗議する。
「ハイハイ、ならちゃんと起きてなさい。話が進まないんだから」
軽くたしなめられたハタケは、まぁいいかと言って後半戦のデザートを取りに行こうと立ち上がった。
「もっかい寝る?」
スズは殺気立つ動物のように目を細め、ぐいとハタケの顔を下から威嚇する。小柄な少女から放たれる気迫に襲われ、さすがの彼も今回ばかりは大人しく席に着いた。
「ご、ごめんごめん、わぁかったよう、あとにするよ。それで、今日はなにをするんだ?」
ハタケのとぼけた問いにこーすけとスズは呆れ果て、二人でもう一度ひと睨みすると彼はようやく大人しくなった。
「今日はちょっと最初に僕が集めてきた資料を見せる。その後に各自で分担して情報収集開始ってとこかな。仮にだよ? 仮に、二人が見る夢が未来に起こりえる可能性があるとして、それを防げるなら防ぐ手段を考えなくちゃいけない。原因が判明しても僕達だけでどうにかなる問題じゃないかもしれないし、いきなり大人に言ったって信用してもらえるわけがないから、先に調べようって話さ」
綺麗に整頓した資料を再びガサガサと崩し、その中からこーすけは一枚の紙を取り出す。
「大人ってのはデータがあれば黙るからな……あったあった。まずは確認の為にもう一度、夢と関連性がありそうな『空の災』についてだ」
空の災――――。夢に空機が関係している以上、それは間違いなく第一に調べるべき事柄だ。
「あれが起こったのは二〇八八年の十二月十二日――」
こーすけが資料を読み上げる。そう、あの日は私の誕生日だった。あれほど誕生日が来なければよかったと思ったことはない。
「この日、世界中の都市部を中心にして、正体不明の敵からの襲撃があった。それこそ映画みたいにさ。それで昼頃に突然攻撃を受けたって話で終わってるのが大半なんだけど、実は予兆みたいなのがあったみたいなんだ。気象観測衛星があの直前に地上に送っていた画像のデータがある。もちろんこのデータが最後で、この後はデータを受け取るはずの地上の施設がやられただろうからね」
「へぇ、そいつは初耳だな。まぁ受信する施設が壊れたのなら制御する施設も壊れただろうから、地上には今頃いろんな衛星が落ちてるだろうな……」
「そうですよね……。考えるだけでも恐ろしいですよ。えっとそれからこれ」
こーすけは資料の中から二枚の小さなカラー写真を引っ張り出した。その一枚目の写真をテーブルの上に置き、スズ以外がそれを眺める。
写真はよく天気予報などで見かける雲の動きが強調された画像だった。日本近海の様子が映し出されていて、雲ひとつなくこの上ないほどの快晴。この写真にはなんら異常は見られないけれど……。
「そういえばあの日はすっごく晴れてたなぁ。おいらは山の近くに住んでたから大きな被害はなかったけど」
「うん、確かに晴れてたね、とても。だけどこの次の画像を見てくれるかい? さっきの画像から十五分後のデータなんだけど。これは十五分ごとに定期的に送られてくるものだから」
こーすけは手にしていたもう一枚の写真をテーブルの中央に置いた。
「恐らくこれが敵の正体さ――――」
こーすけは人差し指で写真の中央をびしりと指した。