失くしもの
「…………また、夢――――」
呟いてから、私は鉄のような重みをもった瞼を開く。
光。もう、朝だ。ほんの少し前に、やっと眠れたというのに。
部屋の小さな窓から射すその光は陽射し――ではなくて。それはただの人工的な硬い光。決められた時刻に、決められた光度で、決められた長さだけ、この地下都市を照らす人口灯の明かりに過ぎない。
私はともかく、それでも人々は満足するという。それはきっと、太陽の本当の温もりなんてとうの昔に忘れてしまったからだ――――。
ベッドから半身だけを起こして、無意味に部屋の中をぐるりと見回す。暑いわけでも肌寒いわけでもない。まさに適切といった室温。
「っ…………」
ずしりと重い頭は、まるでここだけ重力を強められたかのように私の首に負担をかける。けれどその一方で身体は雲みたいにふわふわと浮いている感じだ。
壁に掛っているシンプルなデジタル時計には、『二〇九八年十二月十六日午前七時』と、緑色の蛍光色で彩られた文字が浮かび上がっている。寝坊でもなんでもない、妥当な時間。
時間を確認した私は傾く頭をどうにか持ち上げて、なんとかベッドから降りた。這いずり降りたというのが正しいのかな。
無地の白い絨毯に素足が触れる。それでやっとふわふわと浮いていたような感覚は消え去った。でも、頭の重さは変わらない。寝不足の証拠。
私が目覚めたここは、地下二階にある『救災院』と呼ばれる施設の居住スペースの一室。私は基本的にここで睡眠を取る。ちなみに部屋には自分一人だけしかいない。現在十七歳である私は高等部二年に所属しているから一人部屋なのだ。
部屋はプライベートがどうだこうだで一定の年齢になると一人専用になるのだけれど、そんなことはあまり私に関係がなかった。私はただ決められているからここに住んでいるだけで、べつに誰かと一緒であったって構わない。
生活に必要最低限のものしかない部屋だけれど、不自由はなにひとつとしてなかった。他人の部屋も基本構成は全く同じ。小型の冷蔵庫や洗濯機、ベッド、シャワールーム、トイレ、それから机一式。基本的にはこれだけで、娯楽用の電子機器関連といったものは室内には存在しない。むしろそんなものは〝この世界〟ではまずお目にかかれない。
遊びたいのなら地下五階に行けば遊び場があるけれど、私にはとても楽しいとは思えない――――いえ、そもそも私には〝楽しいという意味が解らない〟。
私は誰かと一緒に遊ぶことはできる。けれど誰かと一緒に笑うことや、泣くことや、怒ることは、〝できない〟。
…………つまり、私はそういう類の人間。平たく言えばそう――――
感情を失った。
アニメや映画でよくある設定の通り。それが今の私であり、私を私じゃないなにかにしている異常。他人との決定的な差異だった。
こればかりは他人にどう説明しても難しい顔をされるだけ。私が一番解らないっていうのに、それを他人に理解を求めようなんて無理なこと。もとよりそんな望みすら、生まれない。
私が他人と違うと感じ始めたのは、小学部の時にクラスの子達と地下五階の広場で鬼ごっこをした時だったっけ。もちろん、地下での話。
みんなの遊びが始まると、私はいつもそれを近くで座って見ていただけだった。でも、誘われれば一緒に遊んだ。誘われなければなにもしなかった。きっと、当時は変な子だって思われていたに違いない。
ある日、広場でみんなが笑って叫んで走り回っていた時に、ふと私は保母さんに尋ねた。どうしてみんなは走っているの? と。すると、楽しいからよ、と笑顔で答えられたけど、私はその意味を理解できなかった。そしてそれは今もなお理解できるようなものじゃない。
楽しい、嬉しい、悲しい、とか。それらの言葉を私は確かに知っていた。でも今の私にとってそんなものはただの単語という認識くらいでしかなかった。辞書という宇宙に浮かぶ一端の惑星のようなものだ。
いくら考えても――この十年間考え抜いても、わたしにはわからなかった。
私は地下都市に住むようになってから、今まで一度も笑ったという覚えはない。怒った覚えもない。泣いた覚えもない。それはべつに地下都市の環境が悪いというわけでもないし、誰々が悪いというわけでもない。ましてそういう類の病気でもないとの診断もされていた。
でも、私は生まれつき感情がなかったわけじゃないというのは知っている。だからあくまでも〝失くした〟という表現につきるわけで。もともとあったものが、綺麗さっぱりと消えてしまっただけに過ぎないのだ。どこを探したって見当たらない。
原因は誰にもわからなかった。ただ、私にだけは心当たりがひとつあった。記憶を失ったわけじゃないから、今でもしっかりと覚えている。その心当たりを脳裏に描くのは簡単だ。
そう、私が感情を失った原因はきっと――――
――――『あの日』。