用件を聞こう
「うわーさすが王国の要! 大きな街だねっドニくん!」
ヘイストルの時よりも幾分か厳しい検問を終え、エルサリオンが馬車に揺られながら明るい声で同意を求めてくる。
ドニはやや緊張した面持ちで馬車の外へ向けていた視線を彼に移し、こくこくと頷いてみせた。
三人の旅人を乗せた馬車はついに王都へと辿りつき、その美しく整備された道を歩んでいたが、ドニは早くも驚きを顕にしていた。
王国の中でも最大の街だと聞いてはいたけれど、王都の様子はバナーレ村とヘイストルでの暮らししか知らないドニの貧しい想像力を遥かに超えている。
これまでの旅の途中で食糧などの必要品を買い足すのにいくつかの村や町を訪れてきたが、どこもヘイストルほどの規模すらなく、場所によってはバナーレ村のほうが発展しているのではないかと思えるようなところばかりだった。
そのためヘイストルよりも少し大きな街を予想していたのだが、それは見事に裏切られた。
実用性だけではなく見た目の美しさも考慮された道々。
連なる家々はどれもきちんと手入れされており、人びとは誰もがどこか洗練された身なりをしているようにドニの目には映った。
行き交う人の数もヘイストルよりもよっぽど多い。
大きな体を馬車の荷台に隠しながらドニは目を白黒させて街並みを眺めるしかなかった。
しかし、旅慣れているせいかフアリは特に動じることも物珍しそうな様子を見せることもなく、荷台の中でキョロキョロと忙しないふたりの仲間にいつもの調子で御者台から話しかけてくる。
「おい、これからどうする? 先に宿屋を探すか?」
「うーん。これだけ広い街だと僕らにちょうどいい宿屋を探すのも手間がかかりそうだし、先にギルドに顔を出さない? そこでおすすめの宿屋も教えてもらおうよ」
「そうだな。それがいいか。そしたら先に馬車を預けるぞ」
相棒の提案を受け入れ、フアリは手綱を通して馬に指示を出す。
すると馬たちは王都に入る際、検問の兵にあらかじめ訊いておいた馬車の預かり所へ向けて緩やかに進みだす。
ドニはゆっくりと流れゆく景色を眺めて、ただ運ばれるのみであった。
※※※※※※※※※※
王都の冒険者ギルドは王国各地に広がるギルド支部を取りまとめる本部である。
そのことをギルドに入る直前に知らされたドニは緊張していた。
細かいことはあまり理解できていないけれど、偉い人と会うことはわかっていた。
ヘイストル支部と同じように受付に事情を伝え、やけに饒舌な雑用係の青年に通された部屋は余計なものを一切置いておらず、広々としている。
腰をかけるように勧められた長椅子はふかふかしていて、その慣れない感触にドニはもじもじしてしまう。
そして、いま目の前に座っている王国のギルドマスターである男の難しい顔を目にして、ドニの緊張はもっと高まっていった。
痩せぎすの中年といった風貌をしている彼はお世辞にも優しげとは言えない眼差しを三人の冒険者へ向け、ニコリともせず口を開く。
「よく来たな。ここまでご苦労さんだった」
簡潔な言葉で短くはない旅路を労わると、ギルドマスターはあっさりと話を切り出した。
「早速で悪いが、明日は城へ行ってくれ」
「え? どうして?」
言葉通り早速すぎる指示に面食らったドニとは異なり、その言葉の内容自体に疑問を覚えたらしいエルサリオンがすぐさま訊き返す。
そして、男は表情ひとつ変えることなく最低限の言葉でその疑問に応えた。
「簡単な話さ。あんたを待ってるお方が城にいるんだよ」
「え? どういうこと?」
言葉に含まれる情報量の少なさに、エルサリオンは納得するどころかさらなる疑問を重ねただけだった。
もちろん彼にわからないということはその横に座るドニにはもはや話の矛先がどこへ向いているのかさえもさっぱりわからない。
しかし、そんな一行の困惑を前にしてもギルドマスターはこれ以上の時間を割くつもりはないらしい。
それ以上の質問は許可しないと言うように彼は矢継ぎ早に自分が伝えるべきことだけを言葉にしていく。
「行けばわかる。とにかく今日は宿で休んでくれ。代金は気にしなくていい。俺はこれから城へあんたたちが来たことを伝えてくるから、明日は城でただ名乗れば案内してもらえるだろ。呼ばれているのはリオンさんだけだが、心配ならお連れさんたちも一緒で構わん」
「待って待って。訊きたいことが山ほどあるんだけど。それに僕たちはお城に行くような服なんて持ってないよ!」
危うく相手のペースに飲み込まれそうになったところで、エルサリオンが声を張って一方的な話を遮った。
それを聞いたドニはおもむろに視線を己の着ている服へ移す。
水魔法やきれいな湧き水や川の水を用いて旅の最中も小まめに洗濯はしているが、それでも魔物との戦いなどで手持ちの服はそれなりにくたびれてきている。
また、ただでさえ大きかったドニの身長は止まる気配を見せずにまだぐんぐんと伸びていた。
買ってもらった当初はぶかぶかだった服も今ではむしろ窮屈になってきている。
袖や裾はとっくの昔に体の成長に長さを揃えることを諦め、腕や足元は肌が丸見えだ。
城に相応しい服装というものがいまいちわからないドニであっても、さすがにこの格好はよくないのではないかと思え、エルサリオンの主張はもっともなことだと感じられた。
だが、ギルドマスターにとってはそうではなかったようで、彼は手を振ってシッシッと追いはらうような仕草を見せながらその主張を断ち切る。
「服は構いやしねぇよ。冒険者にお貴族さまの真似事なんざ求めていないさ。まぁとにかく行けばわかるから明日は城へ行け。俺はほかに仕事がある。これ以上はあんたらに構ってられねぇよ」
「えー……」
にべもなく返され、見るからに不満そうな顔をするエルサリオンの姿に、ギルドマスターは初めて笑みのようなもの――とは言っても極々微細な表情の変化に過ぎないが――を浮かべた。
それからまるで子どもに言い聞かせるような調子で乱雑に話をまとめる。
「悪いようにはならないから今日のところはゆっくり休んでくれよ。宿屋の場所は受付のやつに訊いてくれ」
それだけ言うと、ギルドマスターは勝手に話を切り上げ、部屋を後にした。
残された三人は雑用係の青年が迎えにくるまでお互いに顔を見合わせることしかできなかった。
※※※※※※※※※※
それまで沈黙を守っていたフアリが口を開いたのは、宿屋へ向かう前に腹ごなしをしようと適当に入った食堂でのことだった。
「どう思う?」
そう言った彼女は食事を中断させるつもりはないようで、引き続き香りよく燻製された鴨肉を口に放り込んだ。
向かいに座っているドニは食事中のおしゃべりはいいけれど食べ物を口に含んだまま話してはいけないと魔術師に言いつけられてきたことを思い出したものの、すぐにその発言が気になった。
フアリは一体どのことを言っているのだろう。
しかし、ドニの隣りでおいしそうに肉団子のスープに硬いパンを浸して頬張っているエルサリオンはすぐに当たりをつけて迷うことなく返答する。
「うーん……さすがにギルドマスターもグルになって何かを騙そうって話ではないと思うけど……いくら王都にあると言えども王国のギルド本部なわけだし。あの態度も実際に忙しいからだと思うなぁ」
「結局行ってみないとわからねぇか」
「そうだねぇ」
ふたりの会話を聞いてドニは話題が先ほどまでお邪魔していた冒険者ギルドであることを理解した。
詳しくはわからないが、ふたりともあのギルドマスターの態度に不穏さを感じているのだろう。
かくいうドニも強引に話を進められたことが少し頭に引っかかっていた。
それに城には国王がいる。
国王は王国を治め、王国騎士団が忠誠を誓う相手だと教わった。
王国騎士団の者にいい思い出がまったくないドニは今さらながら不安になって、エルサリオンと同じスープの肉団子を飲みこんでおずおずと訊いてみた。
「だ、だいじょうぶ?」
「うん、だいじょーっぶ! 数年前に王様は代替わりしたって聞いたけど不穏な噂は聞いたことないから平気だと思うよ」
エルサリオンの明るい答えにホッとして、ドニはもう一度、木の匙を握り直した。
頭のいい彼が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろう。
難しいことを考えるのに向いていない頭を持つドニはエルサリオンの判断に全幅の信頼を置いている。
だが、安心して食事を再開すると、彼は形のいい眉を下げて言葉を続けた。
「でも、ちょっと残念だなー。もしかしたら待ち人は師匠かなーなんて思ってたけど、師匠がお城なんかにいるはずがないもんねぇ」
その言葉にドニの手は肉団子の欠片をすくった匙を握ったまま止まった。
城に向かうという不安を前にすっかり忘れていたけれど、彼の言う通りタオーネが城にいるとは考えにくかった。
ヘイストルで王都にエルサリオンを待つ者がいると聞いたときはもしかしたらタオーネかもしれないと期待に胸を膨らませていたが、その希望が潰えたことをドニはやっと理解した。
ここまでの道中でエルサリオンは待ち人が誰かなんて予想して口にすることはなかったし、フアリも特に話題にすることはなかった。
だから、あまり期待しすぎないようにしていたのだけれど、一度膨らんだ明るく幸せな感情はドニ自身が思っているよりも大きくなっていたようだった。
心に穴が開いたように、ふわふわと軽くて暖かな気持ちが彼方へ逃げていく。
最後に残ったぺっちゃんこの心は冷たくて少し重い。
手にした匙を持ち上げることすらできず、しょんぼりと肩を落とす。
けれど、そんなドニを見たフアリはフンと鼻を鳴らし、何てことはないというように言った。
「どっちにしろアタシらはお前をその師匠とやらのところに送り届けると約束してんだ。狼人族は一度した約束は守る。今ここで会えなくても楽しみが少し後回しになっただけだって考えておけよ」
ぶっきらぼうな口調ながらも彼女の優しさに満ちた言葉。
一瞬にして凍りついたドニの心にじわりじわりとその温かさが染み渡っていく。
今この王都でタオーネに会うことができなくても、必ず再会できるまで一緒に旅してくれると言うのだ。
それは決して簡単とは言えない道であるはずなのに彼女は一緒に歩んでくれると言ってくれたのだ。
フアリの言葉をゆっくりと噛み砕いてその意味をきちんと捉えると、ドニはあまりの嬉しさに頭と口の動きが完全に停止してしまった。
その間にパァッと雨上がりの日差しのような笑顔になったエルサリオンが大きな声で彼女を褒め称える。
「フーちゃん優しい! 男前!」
「その呼び方はやめろって言ってるよな?」
気恥ずかしいのかジロリと大声をあげた相棒を睨み、フアリは周囲の注目を浴びていないか辺りの様子を窺った。
だが、比較的賑やかな食堂はまだ陽も沈みきっていないにも関わらず、すでに酒を嗜んでいる者もちらほら見かけられ、三人が悪目立ちすることはなさそうだった。
フアリが食堂の中にざっと目を通している間にようやく我に返ったドニは、短く溜息を吐いてふたたび食事を続けようとする彼女に自分の気持ちをそのまま乗せた言葉を贈る。
「フーちゃん、あ、ありがとう」
「だからフーちゃんは……あーもういいわ。好きに呼べ」
悪態を途中で切り上げ、そっぽを向いたフアリは一見不機嫌そうだけれど、ドニはその言葉や態度がそのままの意味を持っていないことをわかっていた。
嬉しくてもじもじするドニとニコニコと笑うエルサリオンを前に、彼女はもう一度フンと鼻を鳴らすと、鴨肉を立派な犬歯で引きちぎった。




