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川を渡ろう

「ていっ!」


 掛け声ととも薙ぎ払われる大気。

 続いて吹き飛ぶのは小柄な体躯。

 それは一見、小さな人のようにも思えたが、その頭は犬そのものであった。

 しかし、獣人族とも異なる歪な体つきは確かに魔物であることを示し、不器用そうな見た目に反してすばしっこく襲い掛かってくるが、その攻撃はあまりにも非力だ。

 ドニは群れを成して敵意を向けてくる魔物、コボルトをバトルアックスで薙ぎ飛ばしていた。

 研がれていない大斧の刃は敵の身体を切り裂くことはないが、その見かけに見合った重量とドニ自身の持ち前である怪力を前に、コボルトたちはなす術もなく弾かれていく。

 それでも縄張りに入り込んだ外敵に対する本能からか、魔物たちは怯むことなく次から次へと挑みかかってくる。

 その異様な執着心とあまりの非力さは未熟な心に一瞬の迷いを生む。

 だが、その一瞬の隙を小さな魔物たちが見出すよりも早く、頼りになる仲間が鋭い叱責を飛ばした。


「おい、右から来てるぞ!!」

「は、はいっ」


 フアリの怒声にハッと我に返ったドニは彼女の忠告に従って、戦斧を己の右へ向かって払うように振りまわす。

 強大なバトルアックスが風を纏い、ちょうど地を蹴って宙へ跳ねたコボルトの横っ面を捉える。

 この向こう見ずな小さい魔物は「グギャッ」と息が詰まったような声を上げ、そのまま地面へ打ちつけられた。

 見た目通り軽いコボルトはドニの豪然たる一撃を受け、二、三度地面を跳ねると、ひくひくと体を痙攣させて動かなくなる。

 その様子が敵ながらあまりにも痛ましく、ドニは己の良心が痛むのを感じたが、どうやらそれ以上の追撃は必要ないようだ。

 たった今、倒されたコボルトがこの群れのリーダーだったらしい。

 これまでいくら傷つけられようとも立ち上がって不遜な旅人たちへ襲い掛かっていたコボルトたちが、倒れたまま動かない自分たちのリーダーのそばへ集まっていく。

 そして、彼らはリーダーの状態を確かめるや否や、それぞれが傷ついた己の体を引きずりながらお互いに協力してリーダーを担いでそそくさと逃げていった。

 どうやら歯向かうことをやめた相手には刃を向けない主義であるらしいフアリはそんなコボルトたちの哀れな様子を見届けて、やつらが戻ってこないことを確認してから愛剣を収めた。


「よし、終わったな」


 そう呟いて振り返った彼女に対し、ドニは反射的に首を竦めてしまう。

 旅立ってから早くも三月(みつき)もの時が経っているが、いまだに戦うことに不慣れであるため、戦闘中に隙を作ってしまうこともしばしばある。

 特に今回のコボルトのように敵対する相手が魔物であっても、あまりに弱々しいとドニは斧を振るうことに躊躇してしまうのだった。

 そして、それは戦闘を生活の一部としているフアリにとって好ましくないことであることはわかっていた。

 きっと叱られる。

 そう思ってドニはいつものように緊張しながら彼女の言葉を待った。

 けれど、三月という月日をともにして、すでにドニも頭の片隅で理解しかけていた。

 意外にもこの狼人族の女剣士には根気強い一面があるということを。

 そして、その考えは今回も外れていなかった。

 フアリは声を荒げるようなことはせず、平静のままに先の戦闘についての注意を挙げる。


「お前はまだ躊躇ってもんがあるな。相手は魔物だ。やつらはそういった甘い気持ちにつけこんでこっちを殺しにくる。死にたくなかったら迷わず斧を振るえ」

「う、うん……!」


 彼女の言葉に頷きながら、ドニは緊張に力んでいた肩をホッと弛めた。

 本来の弱腰な性格からか、つい叱られるのではないかと身構えてしまうが、結局のところこの三か月もの間、フアリが感情的に怒りをぶつけてくることは一度もなかった。

 初めて出会ったときの印象をそのままずっと引きずっていたようだが、彼女はドニが思っていたよりもずっと冷静な性質であるようだった。

 少なくとも、旅立ってから初めて立ち寄った街での出来事をきっかけにふたりの距離は多少縮まったように感じられる。

 物言いは荒く、一見粗暴にも思えるが、きっと根っこの部分では優しいのだろう。

 現にドニも一緒に旅をするうちに、彼女に対して怯えることが少なくなってきていた。

 まだほんの少し怖いけれど、それでもフアリの優しさは理解できていた。


「おつかれさまー! いやーさすがに魔物の数も増えてきてるねぇ」


 気が緩んだところにエルサリオンがのんびりとした調子で割って入ってくる。

 戦闘中は後方支援に徹することが多いという彼は今回の魔物(コボルト)ならば自分の出番はないと判断し、終始馬車の周囲で戦いを見守っていた。

 コボルトの群れに囲まれた際にはいくら弱いとは言え、こんなに多くの魔物を相手にするのにたったふたりだけ――それもドニはまだまだ素人に毛が生えたようなものだ――で大丈夫だろうかと思ったが、フアリは一匹残らずすべてのコボルトに睨みを利かせていたらしく、馬車まで襲い掛かるものはいなかったようだ。

 それでも念には念を入れよということなのか、頼りになる女剣士は呆れたような顔で相棒に確認をとる。


「暢気だな……。それより馬たちは無事か」

「うん、だいじょーっぶ! 傷ひとつないよ!」


 親指を立てて笑顔でそう言うエルサリオンの後ろで、馬車に繋がれた馬がブルルと鼻を鳴らした。

 彼の言う通り、馬車は魔物に襲われることはなかったようだ。

 バナーレ村に訪れる前から旅人たちを背に乗せて駆けていた二頭の馬は馬車に繋がれてもよく言うことを聞いてくれている。

 魔物の襲撃にも慣れているのか、コボルトの群れに立ち塞がれた際には少し動揺する素振りを見せたものの、エルサリオンの声掛けもあってすぐに落ち着きを取り戻し、おとなしく戦闘が終わるのを待っていてくれたようだった。

 フアリは自身の目でも馬たちの様子を確認すると、納得したように頷いて御者台に飛び乗った。

 ドニとエルサリオンも彼女に続くように荷台へ上り、旅を再開する準備を済ませた。


「よし、そしたら行くか。そろそろなんだろ?」

「そーだねぇ。もうそろそろ見えてくる頃だと思うけど……あっほら、ドニくん見てごらんよ!」


 ふたたび馬車を走らせ始めた矢先、楽しげなエルサリオンが指さす方向に視線を向ける。

 もうそろそろ辿りつきそうな丘のてっぺんのさらにその向こう。

 小さなコボルトたちと対峙して地べたばかりを見ていたときには気がつかなかった景色。

 (ほろ)の隙間からドニが今まで見たこともないような広大な水流が現れ、視界いっぱいに広がった。


「あれが王国を跨ぐ大河、オークロス川。あれを越えたら王都だよ」


 荷台から半ば身を乗り出し、目を見開いて驚きを顕にするドニの隣りまでやってきたエルサリオンが次第に近付いてくる大河を眺め、弾んだ声でそう教えてくれた。




※※※※※※※※※※




「うわーこんな大きな橋、僕、初めてだよ!」


 丘を越え、川に近付き、対岸を繋ぐ巨大な橋を見上げたエルサリオンがウキウキと感嘆の声をあげた。

 その橋は本当に長大で、仮に向こう岸で人が立っていてもきっと小指よりもずっと小さく見えるように違いなかった。

 ドニはポカンと口を開いたまま、今まさに渡り始めた橋を眺めた。

 それは見るからに頑丈そうで風に揺れることもないだろう。

 だが、その下に流れる大河はごうごうと唸っており、もしも落ちてしまったらひとたまりもないことが容易に想像できる。

 それにドニはあまり泳ぐのは得意でないのだ。

 万が一、橋が崩れたり足を踏み外してしまったりしたらたちまち魚の餌となってしまう。

 そんな不安を覚えてドニが恐る恐る大河と橋を見比べている合間に、おとなたちは会話を進めていく。


「お前、魔大陸から王国に渡ってきたんだろ? 地図で見たらこの川を渡らねぇと他所の国に行けねぇみたいだが、此処を通ったわけじゃねぇのか」

「そうそう。僕と師匠はもっと上流で渡ったんだよね。あの時は馬車なんてなかったし、小舟で十分だったんだけど、今は馬車があるからね。馬ごと渡るなら此処が一番安全なんだよ」


 エルサリオンは相棒からの質問に答えると、ドニのほうを振り返り、膝立ちのまま近くに寄ってきた。

 その様子を気配で感じたドニがおずおずと彼の顔へ視線を向けると、そこにはいつもと同じ花のような笑顔が咲いている。


「だから大丈夫だよ、ドニくん。この橋は崩れないから安心して! 見た感じ材料もちょっと特殊みたいだし、建設の一部に魔術を用いているみたい。さすがは西大陸最古の国だねぇ。立派だなー」


 そう言われ、ドニがふたたび橋を見上げた。

 確かにこの橋はバナーレ村にかけられた小橋とは違い、何やら鉱石のようでありながらも滑らかな質感を持っている。

 それなりの重量があるはずの馬車が通ってもビクともしていない。

 エルサリオンが言うように特殊な素材や魔術が用いられているおかげだろうか。

 小難しいことはさっぱりわからないものの、ドニは賢い同行者の言葉に安堵した。

 けれど、橋を眺めるのに気をとられていたせいで、エルサリオンが極々小さな声で呟いた「まっ橋の建設には魔族の奴隷を使ったんだろうけど」という言葉はドニの耳には届かなかった。

 そうやってふたり一緒になって外を見ていると、御者台で手綱を握っているフアリが大河の険しい流れに負けぬよう、声を張ってエルサリオンへ相談を投げかけてくる。


「観光気分はいいけどよ、検問があるみてぇだぞ。どうする?」

「別に隠すようなことはないし、このまま行っちゃっていいでしょ。どうせギルドに行けば僕がエルフだってわかることだし、ならず者ならまだしも国の騎士に知れたところで問題なーし!」


 高らかに宣言するエルサリオンの言葉を聞いたフアリは肩を竦め、特に言及することなく前へ向き直した。

 だが、騎士という言葉はドニの胸にまたひとつの不安を灯した。

 王都への道中に騎士がいるということは、おそらく王国騎士団の者だろう。

 ドニにとってかの組織は凶兆そのものだった。

 何せタオーネがドニのもとを去る元凶となった者たちだ。

 王国騎士たちがバナーレ村でニコラスやエルサリオンと揉めていた記憶もまだ色濃く脳裏に焼き付いている。

 不安になるなと言うほうが難しいものだ。

 しかし、ドニの目の前で鼻歌混じりに外を眺めているエルサリオンから警戒するような様子は窺えない。

 彼が今言ったようにこれから出会う騎士に関しては問題ないようだ。

 賢く長い時を生きているエルサリオンを信頼しているドニは少しばかり安心して、馬車の揺れに身を任せることにした。

 そのまま長い橋の上を馬に運ばれていくと、すぐに検問に辿りついた。

 すると、馬車の行き先を塞ぐようにして通行者を待ち受けていた騎士がふてぶてしく声をかけてくる。


「止まれ。検問だ。身分と橋を渡る目的を述べろ」


 騎士の言葉に、もともと止まる準備をしていたらしいフアリがすぐさま馬の足を止まらせる。

 妙に偉ぶった騎士の語調は小心者のドニの胸を跳ねさせたが、肝が据わっているフアリは澱みなく問われたことへ返答する。


「全員、冒険者ギルドに登録している冒険者だ。王都に待ち人がいる」

「待ち人……?」


 訝しげに答えを反芻する騎士に何やら嫌な予感を覚えるが、間髪入れずにエルサリオンが動いた。

 移動の際には三人の資金や旅するにあたって必要となる持ち物をまとめて管理してくれている彼は迷うことなく三枚のギルドカードを懐から取り出し、荷台から顔を出して眉を顰めている騎士に提示した。


「はい、僕らのギルドカードだよ。これで身分証明はできるでしょ?」


 しかし、騎士がギルドカードを受け取ることはなかった。

 恐る恐る荷台の陰から様子を窺ってみると、年若そうな騎士がフードを被ったエルサリオンへ冷たい一瞥を向けており、さらには見下すように鼻を鳴らした。


「ふん、そんなものは見る必要もない」

「……どういうこと?」


 あくまでも冷静にエルサリオンが騎士の本意を問いかける。

 ドニの胸の音がドキドキと大きくなってきた。

 頼りになるおとなたちがついているのだから大丈夫だと己に言い聞かせようとするものの、嫌な予感に限って当たるものらしく、騎士は傲慢な態度のまま嫌味な笑みを顔に浮かべ、言い放った。


「何処の馬の骨かもわからぬ冒険者風情を通すわけにはいかんだろう。即刻立ち去れ」

「うわぁ……」


 そのあまりに不遜な物言いにエルサリオンが小さく呟いたが、騎士には聞こえていないようだ。

 ドニは不安が的中したことで自分の顔が強張るのを感じた。

 心臓が激しく波打って体中がドクドクと音を立てている。

 目の前の騎士にすっかり恐れを抱いてしまったドニだったが、隣りのエルサリオンは緊張感の欠片もない少し困ったような表情をつくると、臆することなく騎士へ異議を唱えた。


「えーと、それは君たちが所属する王国騎士団の総意って判断でいいのかな? 待ち人っていうのは冒険者ギルドからの呼び立てで、ついでにヘイストル支部の支部長さんからも依頼を請け負ってるから、王都に行けないと僕たち困っちゃうんだけどなー。これは近くのギルドに相談しないとかなー」

「なっ……」


 まだ少年の面影が残る青年の言葉に騎士はあからさまに動揺する。

 わざとらしい大声は検問に配置されているほかの騎士の耳にも届いたらしく、その場の空気がざわりと揺れた。

 エルサリオンはその様子を見て、追い打ちをかけるようにさらに言葉を重ねた。


「それに僕らは王国騎士団第三支部の内情にもちょーっぴり詳しいんだけど……やっぱり君たちのその意見は、国王陛下にお仕えする誉ある王国騎士団の総意ってことでいいんだね?」


 念を押すような響きを持つ問いかけに、一瞬、辺りがシンと静まり返る。

 無言の騎士たちを前にエルサリオンは微笑みを湛えたまま、根気よく待つ姿勢を示している。

 静寂が一帯を支配し、影から彼らの様子を窺っているドニもその緊迫感に息を呑んだ。

 しかし、永遠に続くかと思われた沈黙にも終わりはやってくるものだ。

 先に折れたのはやはり王国騎士のひとりだった。

 仲間内で言葉なく目配せし合った男は苦々しい表情で、重く閉ざしていた口から言葉を捻り出した。


「…………ギルドカードの提出を。今すぐ確認する。それから、荷台の中を見させてもらう」

「はいはーい! 君たちが聞き分けのいい子で助かっちゃったよー」


 どうやら事が収まったようだった。

 にこやかなエルサリオンの声音を聞き、ドニはおとなしく馬車の中に首を引っ込めた。

 事態が大きくならなくて本当によかったと緩やかな安堵が胸に広がる。

 外では「お互い様にね」とエルサリオンが牽制を続け、騎士たちは顔を引きつらせていたが、ドニがその様子を目にすることも耳にすることもなかった。

 荷台の隅にできるだけ場所をとらぬように座り込み、自分の戦斧と形見の剣を抱え、荷台の確認をする騎士の邪魔にならないように縮こまる。

 するとすぐに騎士のひとりが荷台を覗き込み、不審なものがないか点検を始めた。

 何か話しかけられたりしたらどうしようとドニはドキドキしてしまったが、すでにギルドカードでドニの存在を閲したらしく、特に何も言われなかった。

 そうしてしばらく念入りに馬車を調べられ、特に不備を見つけられなかった騎士が恨みがましそうな眼を荷台に乗り込んできたエルサリオンへ向けた。


「……どうぞ、お通りください」

「はーい、ありがと! お仕事頑張ってねー!」


 またもや黙り込んでしまった騎士へエルサリオンがひらひらと手を振る。

 それを合図に御者のフアリが馬に指示を出し、停車させられていた馬車がふたたび動き出す。

 だんだん小さくなっていく検問所の騎士たちを見届けながら、エルサリオンは元気よく喜びを顕にした。


「さー王都はもう目の前だよー! 僕、何かおいしいものが食べたいな!」

「……お前だけは敵にまわしたくねぇな」


 いつもと変わらぬ相棒の姿をチラリと見て、御者台のフアリがぼそりと呟いた。

 だが、その言葉がどういう意味なのか理解できなかったドニは首を傾げ、当の本人(エルサリオン)は朗らかに笑うだけだった。

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