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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第4章 魔王城の魔術師Ⅰ
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勉強の理由

 穏やかな風に豊かな緑が薫る。

 豊穣の地とは決して言えない魔大陸であるが、短い夏の季節を前にして貴重な自然の恵みがそこかしこで声をあげていた。

 もっとも此処は魔王城の庭先なのだから、一年を通してほかの地域ではなかなか見ることのかなわない美しい光景を目にすることができるのだが。

 タオーネは数日前にシュトルツを追いかけた裏庭を、その張本人と一緒に散策している。

 現在は逃げる彼を捕獲した蔓薔薇のアーチを潜り抜け、その先の生垣で仕切られた区域へと足を踏み入れていた。

 来客の目に止まる庭の表部分は美しく手入れされたトピアリーや凝った模様が刻まれた石畳によって人の手を強く感じる趣きとなっているが、裏庭に当たる部分は現魔王シャルラハロートの意向によって――もちろん手入れは欠かさずにおこなわれているが――自然に近い状態だ。

 その中でもまず城の者しか足を踏み入れないだろう庭の奥、つまり今タオーネたちが歩んでいる一帯は特に人の手を最小限に抑え、何処か懐かしい田舎の情景を感じさせる造りになっている。

 カントリーガーデンと呼ばれるその様式は、シャルラハロートの一部、魔王となる以前の彼女が根付いているようで、今の華麗な姿の中に変わらぬものがあるのだと思わせる。

 そんな庭園の持ち主の息子はおそらくそれを知らないままに、腕を伸ばして一本の木を指した。


「あれは僕が生まれた時に植えた木だ。冬になると赤い実が生る」

「ああ、あれはナンテンの木ですね。あの葉は咳止めの薬にもなりますよ」


 なぜ彼がタオーネの誘いを受けてくれたのかはいまだわからないことであったが、どうやら機嫌は悪くないようで、先ほどから近年で変化した庭の様子をタオーネに教えてくれている。

 それを――自分から言い出したことであるのに――戸惑いつつも喜ばしく思いながら、タオーネは頷き、時おりこうしてちょっとした知識を挟みこんだ。

 そこに何かシュトルツの興味を引けるものがあればいいという考えはあったが、あくまでもさりげなく物のついでのように草木について語った。

 そのほかに子どもの喜ぶような話題を振れるわけでもなく、反応がなくても仕方がないという気持ちでいたが、尽きることなく出てくる小話のような知識に彼はニコリともせずタオーネを横目で見た。


「お前は本当に色々なことを知ってるな」

「これでも三百年以上生きていますから……。勉学だけが取り柄なのですよ」

「変なやつ」


 王子は何処か呆れたようにそう言うと、への字に曲げた口を閉じて黙った。

 タオーネも無理に喋ろうとする質ではないため、彼に倣って静寂に身を任せた。

 そのまま申し訳程度に慣らされた地べたを道なりに歩いていく。

 しばらく行くと、遠目に柘榴の木が毒々しい朱色の花を咲かせているのが見えた。

 その花は傷薬となり、花のあとに生る果実の皮は虫下しにも用いられる。

 また、口に入れるとプチプチと弾ける独特の果実は美容に有効らしく、昔から高位の女性たちは好んで食したと言う。

 もちろん美容には興味の欠片もないタオーネであったが、美味な果物としてそれなりに好んでいる柘榴を目にすると、口の中にあの甘酸っぱく爽やかな味が甦るようだった。

 そうやって道中の草木を黙って眺めていると、不意にシュトルツがポツリと呟くように口を開いた。


「……お前は勉強しろってうるさく言わないんだな」


 困惑の色を含んだその言葉に視線を彼のほうへ向けたが、その表情はいつもと変わらず、むすっとしている。

 しかし、そこに変調の兆しを見たタオーネは此処が勝負所だと直感した。

 もしかしたら望んでいた一歩を踏み出せるかもしれない。

 そう思い、穏やかな調子で口火を切る。


「前にも申したように、勉学というものは嫌々おこなったところで身につくものでもありません。ですが、殿下はすでに勉強をなさっているのですよ」

「……僕は勉強なんてした覚えがないぞ」

「このところ毎日のように英雄についてお話していますね? あれも勉強と呼べますよ」

「あれがか?」


 タオーネの言葉にシュトルツは訝しげな目を向けてくるが、その反応も予想通りのものだった。

 だが、タオーネとて嘘をついているわけではない。

 好きなものについて話すだけでは勉強とは言えないのではないかと雄弁に語る視線を感じながら、それに応えるためにゆっくりとさらに言葉を重ねていく。


「はい。あれらは昔にあった事実をもとに記されていますから、歴史の勉強にもなるでしょう。そのほかにも本日でしたら、殿下はエルフについてご質問なされましたので、それもまた他種族への理解を深めるために必要な勉強と言えますね。それからこのお散歩で私がお話したことをひとつでも殿下が覚えていてくださったら、これも勉強です」

「そんなこと言ったら、何でも勉強になるじゃないか」

「そうですね。勉学というものはいわば知識や経験を自分の力にすることですので、そんなに難しく考えることはないのですよ」


 自分以外の真っ当な教育者の考えは知らないが、子どもの頃から机の前にいることが多かったタオーネにとって勉強というのはそういうものだった。

 知らないことを知ること。

 己の見聞を広め、世界の形を様々な視点から見定めること。

 それがタオーネの知る勉学の姿であった。

 そういった偽りのない自分の考えをシュトルツに伝えたが、彼はまだ何か納得いかないような顔をしている。

 その様子を見て、タオーネは少し話の方向を転換し、何を納得できていないのか聞き出そうと優しげに問いかけた。


「殿下はお勉強がお嫌いですか」

「……お前の話を聞くのは嫌じゃない」

「そうですか。そう言っていただけると、教育係冥利に尽きます」


 予想していたよりもずっと素直な返事に頭を下げて微笑むと、王子は何やら考え込むようにふたたび黙った。

 彼の心の内を聞き漏らすまいとタオーネはジッと耳を澄まして次の言葉を待った。

 すると、少ししてシュトルツが今度はハッキリと困惑する気持ちを表に出して真っ直ぐにタオーネを見上げ、己の中の疑問を投げかけてくる。


「……なあ、急に僕を散歩に連れ出したりして、何がしたいんだ? てっきり勉強しろって言われるのかと思ったんだけど、お前は何を考えているんだ? 庭を見てまわりたいとか芝居までして」

「おや、バレていましたか」

「下手くそだったからな。お前、役者には向いてないぞ」


 遠慮のない返答に苦笑する。

 だが、やはりシュトルツはご機嫌取りに気付いていたのだ。

 その上でなぜだかわからないけれど、タオーネの誘いに乗ってくれたのだ。

 その理由を聞いてみたい気持ちもあるが、何よりも今この時の王子が今までにないほどに己の話に耳を傾けてくれていることが伝わってきて、この機会を失うわけにはいかないという考えが勝った。

 そして、タオーネは幼い彼の歩み寄りに応えるため、誠実であることを心掛け、正直に自身の魂胆を明かすことを決めた。


「殿下が仰るように私は下手な芝居を打ちましたが、この散歩はそうですね……親交を深めるためのもの、と申せばいいでしょうか」

「……僕と仲良くしたいのか?」

「はい。こうして殿下の教育係となったのも何かのご縁。私はまだ殿下のことを何も存じておりませんし、今日はお好きな花でもひとつ知ることができればと思い、お誘いさせていただきました」


 つまるところ距離を縮めたいと言われたシュトルツが面食らったような顔になる。

 けれど、その瞳にはまだ疑うような感情が見え隠れしており、どうやら目の前の教育係を見定めている最中のようだった。

 タオーネはそんな彼を安心させるように柔らかな微笑を湛えながら、話を続けていく。


「もちろん私も教育係ですから、いつか殿下にお勉強への興味をお持ちになっていただけたらとも思っていますが、何度も申しておりますように、それは殿下のお気持ち次第なのです。ですから、何かお好きなものがわかればそのことについて詳しくお話できることもあるかもしれないと……」

「つまり、英雄のほかに知りたいことはないかってことか」

「ええ、その通りです。もしも余計なことをしているのでしたら申し訳ありません」


 もしかしたら打算的とも思える行動がふたたび彼の琴線に触れているかもしれないと考え、先に謝ったが、シュトルツは特に気にする様子を見せなかった。

 むしろ少し躊躇してから小さく首を横に振り、謝る必要がないことを示した。


「……いや、お前の話を聞くのは嫌じゃないからな」


 先ほどとまったく同じの、小さな声で繰り返されたその言葉は、彼が初対面のときのような敵意を失くし、タオーネをある程度信用しつつあることを表しているように思える。

 少なくともこの数日間おこなわれた諸国の英雄たちに関する“授業”はお気に召しているようだ。

 そのことを秘かに安堵していると、まだ疑問を抱えているらしいシュトルツがさらに問いかけてくる。


「だけど、そんなのでいいのか。お前は何でも勉強だって言うけど、これまで城のやつらが言ってたものと全然違うぞ。僕には次の魔王として必要な勉強があるって言ってた」


 そう言ってタオーネを見上げてくる小さな王子の瞳は、何処か不安そうな色をしていた。

 きっともっと幼い頃から次期魔王として周囲からあれこれ言われていたのだろう。

 タオーネはそんな彼の境遇を想像して、内心でそっとため息を吐いた。

 まだ未知の世界を知ることの楽しさに気付かぬうちから勉学を強制させてしまったら、学ぶことを嫌うのも無理ないことだ。

 どんなに楽しいことでも強要してしまったら嫌気が差すものである。

 頑なに勉強を拒否する現在のシュトルツの姿からおとなたちにどれほど口うるさく言いつけられてきたのかを想像し、それを気の毒に思いながら、タオーネは教育係一同の気持ちが彼に届くことを祈って口を開いた。


「私が(まつりごと)に疎いせいもあるでしょうが……私どもとしましては、まずは殿下に何か楽しめるものを見つけていただきたいと思っているのです。私も本業は治療魔術師ですが、各地の英雄譚を調べることを趣味としておりました。そういった趣味や生きがいというものは、心を豊かにしますし、それは誰しもが必要とするものでもあります。ですから、殿下にも楽しみというものを持っていただきたいのです。それに、何かひとつでも興味を惹くものがあったのなら、そこからほかの物事への関心の輪が広がるかもしれません。本日の英雄からエルフという種族を知ったように」


 そう語りながら、タオーネは脳裏に冒険者時代の記憶を蘇らせていた。

 やむを得ず望まない流浪に追いやられ、その日一日を生き抜くためだけに生きていたあの時代。

 敬愛する師も居場所もすべてを失い、ただ流れ者のように生きた灰色の日々。

 やがて仲間ができて気持ちにもいくらか余裕ができた頃、心に色彩を取り戻したのは今考えてみれば子どものときから好んでいた英雄たちの冒険譚であったように思う。

 そのように趣味や生きがいというものは時として心の拠り所になり得るのだ。

 たとえそこまでいかずとも興味関心というのは重要なもので、少し大袈裟かもしれないが、好きなものを追求するということは己の知見を広げることに繋がるのだとタオーネは考えている。

 だからこそ、まだ幼く、魔王城という狭い世界に生きているシュトルツには何か楽しみを持ってほしい。

 タオーネはそんな考えをもとに、優しげな微笑みを添えて語りかける。


「殿下はお勉強をお嫌いということでしたが、英雄たちの冒険譚はお好きですね? そのほかにも色々とお好きなものがございますでしょう。でしたら、そういったものから勉強を始められたらいいのです。どうせならお勉強も楽しいほうがよろしいでしょう」

「お前、やっぱり変なやつだな」


 決して押しつけがましいわけではないタオーネの提案を聞いたシュトルツはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

 けれど、彼は口をつぐんで少し考え、それからすぐに顔を逸らしたまま、タオーネを確かめるように自分の中の返答を言葉にしていった。


「僕は別にお前たちと仲良くなりたいなんて思わない。でも、知りたいことは何でも教えてくれるんだな?」

「はい、私たちが知りうることならばお答えしますよ」

「じゃあ、ほかの国の言葉とかはどうなんだ。書庫に読めない本がいくつかあるんだ」

「でしたら、トロイ殿が適任かと思います。確か彼は獣人語も堪能だったはずですから。西大陸語ならば私もお教えできますよ」

「そうか……」


 当たり障りのない質問にタオーネが答えると、彼はふたたび黙り込んだ。

 さりげなくトロイの名を出したけれど特に反応がないことで、シュトルツが彼を嫌っているわけではないのだと少し安心したタオーネだったが、今度はその沈黙が気になった。

 王子の横顔からは何か躊躇うような、迷っているような様子が見て取れる。

 おそらくほかに訊きたいことがあるのだろう。

 タオーネは思い切って、年長者らしく彼の喉元で詰まっている言葉を促すように声をかけた。


「何か、ほかにお知りになりたいことがあるのですか」

「…………笑うなよ」


 ジロリと横目で睨まれて、わけもわからないまま頷く。

 けれど、タオーネはもとより人が真面目に言うことを無闇に笑うのを嫌っているため、その約束が嘘になる心配はなかった。

 シュトルツはそんなタオーネを見て、やはり少し迷うような素振りを見せたが、視線を自分の足元に向けるとうっかり聞き逃してしまいそうなほど本当に小さな声で胸の内を吐露した。


「僕は母さまのことを知りたい」


 風に攫われて消えてしまいそうな言葉にこもったその想いに、タオーネの胸にギュッと締め付けられるような感覚が走る。

 地面を見つめているシュトルツの表情は見えない。

 しかし、そのあまりに幼く小さな姿は痛ましさを感じさせる。


 本来ならば、彼はまだそばに母親や信頼できるおとなが寄り添っているべき年齢だ。

 だが、彼の実母は魔王としての激務に追われており、城を留守にすることが多いと言う。

 六十年前に魔王城を飛び出して最近戻ってきたばかりのタオーネには城内の詳しい様子はわからないが、彼にとっては新参者である己に母親のことを知りたいと願っているのだ。

 幼くしてすでに暴君と陰で囁かれている王子にとって、周囲のおとなたちがどのように見えているのかは少なからず予想できた。

 父親は誰かわからず、母親も多忙、身近なおとなたちとも距離があり、ずっと城内で暮らしているがために同じような年頃の友人もいない。

 こんな環境では多少攻撃的になっても仕方ないだろう。

 タオーネが小さな王子の置かれた環境に心を痛めていると、彼は返事がないことで不安になったのか、それまで下を向いていた視線を上げてタオーネの顔を覗き込んできた。


「……教えてくれるのか」


 いつもの傍若無人な態度は鳴りを潜め、相手の顔色を窺うような表情をしているシュトルツはタオーネの心をさらに強く揺さぶった。

 不安げな彼の眼差しが、別離を余儀なくされたあの幼子と重なって見えた。

 容姿も性格も言動も、すべてが異なるはずなのに、タオーネはこの小さな王子に体ばかりが大きく気弱な少年の姿を見出さずにはいられなかった。

 孤独の中で誰かを必要として、救いの手を待っている幼気な子どもたち。

 タオーネはその幻影が胸の奥底に根付く疼きを呼び起こすよりも早く、力強く頷いて半ば本能的に目の前の子どもの願いを聞き入れた。


「ええ、ええ、もちろんです。私が記憶しているすべてをお話します。彼女が何を思い、何を築いてきたのか。それから、魔王さまがまだ少女だった頃のお話も。私の知っていることはすべてお話致しましょう」


 心からの慈しみと庇護欲を込めてそう約束すると、それまで硬く強張っていたシュトルツの表情が弛んだが、すぐに顔を逸らされてふたたびタオーネからは見えなくなってしまった。

 まだ心を許しきるには早いと思っているのかもしれない。

 だけど、今はそれでもいい。

 彼が己の母親のことを知りたいと願い、その指南役にタオーネを選んだことに変わりないのだ。

 まずはそのささやかな願いを叶えることに尽力し、少しずつ距離を縮めていけばいい。

 いずれ教育係として、彼の身近なおとなとして、シュトルツの横暴さに隠された寂しさを少しでも埋められるような存在になれたらいい。

 タオーネはそう考えて、小さな王子に寄り添うことを改めて決意した。

 その決意の源には王国の辺境に置き去りにしてしまった少年への罪の意識が潜んでいたけれど、タオーネ本人もそれに気付いていなかった。

 無意識のうちにシュトルツの孤独を癒すことがあの少年への贖罪に繋がると考えていたのかもしれない。

 何にせよ、自分でも見えないほど心の奥深くにあるそれを知る由もなく、タオーネはこれから長い時間をともにする王子へ柔らかな微笑を向ける。

 彼ともうひとりの子どもの姿を重ねていることは確かだったが、王子の教育係として、また彼の母親の古くからの仲間として、孤独の中で寂しがっているシュトルツに温かな手を差し伸べたいという気持ちに嘘はなかった。

 僅かに夏の熱気を含んだそよ風が、しばし言葉なく佇むふたりを包み込むように流れ、タオーネの頬の鱗をそっと撫でていった。

 魔大陸の豊かな夏がすぐそこまできていた。

第4章 魔王城の魔術師Ⅰ 完結。

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