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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第4章 魔王城の魔術師Ⅰ
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嫌味とご機嫌取り

 シュトルツに英雄物語を語り始めて数日が経った。

 まだあの傲慢な態度が軟化したとは言えないが、それでも興味のある話題を扱っているためか、子どもらしい素直さを感じることもある。

 英雄伝説を話題にしたことは、仕事をおこなう上での取っ掛かりとして、ひとまず成功と言えるだろう。

 小さな暴君と称される幼い王子を手懐けると言ってはおかしいが、共通の趣味を通じていくらか距離を詰めることに成功したタオーネは今日も自身が収集した書物を自室の本棚から何冊か選び取った。

 選んだ本を重ねるとそれなりの高さになったが、運べる範囲の量だ。

 そのまま本を職場へ運んでしまおうと考えて足を踏み出そうとした瞬間、タオーネの視線は無意識にとある書物へ注目していた。

 本棚に残されたその一冊は、おそらくシュトルツは読んでいないと思われる、魔大陸の英雄に関する内容のものだ。

 彼の母親にも貸し出したことのあるその本を知る者はほとんどいない。

 扱われている題材が魔族を救った英雄であるといっても、その英雄たちが人族や獣人族など他種族であるせいか、魔大陸ではあまり興味関心を惹かないのかもしれない。

 しかし、タオーネにとってその一冊は紛れもなく特別な意味を持っている書物だった。

 遠い昔、まだ幼かった頃に今は亡き師から聞かされた人族にして魔族を救ったとされる英雄。

 名もない幼子にその英雄と同じ名をつけた記憶すらも、今や手の届かない遠い過去のように感じられるのは、罪の意識から忘却に逃げようとしているせいなのだろうか。

 ジリジリと焼け焦げるような胸の痛みに、思わず本棚から目を逸らす。

 もうすぐ仕事の時間となる。

 この痛みを忘れることは己が許さないが、勤務中に私情を持ち込むわけにはいかない。

 そんな考えも何処か言い訳じみているように感じて、タオーネは自己嫌悪に陥りながら、それを振り払うようにして部屋を後にした。

 だが、意識を自分の内側に向けていたのがよくなかった。

 積み重なった本を抱えて足早に移動していると、廊下の曲がり角で誰かとぶつかってしまった。

 その衝撃でいくつかの書物が床に落ち、タオーネはハッとした。

 平常ならありえない失敗だ。

 自分の心の乱れがどれほどのものであるかを自覚しながら、慌ててぶつかった者へ頭を下げた。


「申し訳ありません。お怪我は……」

「……“沈黙の魔術師”殿は相変わらずおっとりとなされているようで」


 少し間をおいて返ってきた嫌味に聞き覚えがあり、タオーネは硬直した。

 六十年ほど前まで毎日のように聞いていた声。

 蘇る魔術研究室での惨めな日々。

 タオーネは思わず身構えながらその者の名を呟いた。


「……ケントニス殿」

「おやおや……そんなに呆けなくてもよろしいでしょうに。私もこの城の魔術研究室に勤めているのですから、たまたま出会うこともありましょう?」


 皮肉な微笑みを唇に乗せたその男は、タオーネよりも随分と低い位置にある緑色の顔をツンと上向かせた。

 リヒティニ・ケントニス。

 彼はタオーネの元同僚であった。

 なんでも代々魔王へ仕えてきた魔術師の家系らしく、その小柄な体に纏っているローブもタオーネのものとは比べ物にならないほど質がよく、光沢を放っている。

 対して長年使いこんで古びた暗い色味のローブを年中着ているタオーネは、引き攣りそうな唇を寸でのところで抑えつけ、礼儀に敵った態度を取り繕った。


「失礼致しました、ケントニス殿。お怪我はありませんでしたか? 私の不注意でご迷惑を」

「ご心配なく。私も魔術師の端くれですから、例え怪我をしたところで自分で治療くらいできます。……それよりも、ハイルクラオト殿。このたびはシュトルツ殿下が教育係へのご就任、おめでとうございます」


 丁寧な言葉の裏側に滲んでいる尊大な態度を感じ取りながら、タオーネは彼の祝福する言葉に嫌な予感を覚えた。

 かつて魔術研究室での彼から受けた皮肉の数々を忘れるほど、おめでたい頭を持ち合わせてはいないのだ。

 だが、そんな考えを厄介な本人に悟らせるわけにもいかず、タオーネは微笑を浮かべて頭を下げた。


「ありがとうございます。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。このたびからふたたび魔王城にて勤めさせていただくことになりましたので、今後も――」

「ああ、いえ。そのことはいいのですよ。お気になさらず。殿下も随分とハッキリなさっていてご自分に自信がおありになる方なので、あなたもさぞかしご多忙なのでしょう?」


 無難な挨拶を最後まで言い切る前に重ねられた言葉は遠回しにシュトルツの暴君っぷりを表現するもので、彼に直接仕えているわけではないリヒティニも相当ひどい目にあってきたことがわかった。

 しかし、彼の高慢さをそのまま形にしたような唇はまだ何か言いたげで、タオーネは己が感じた嫌な予感が当たっていることを確信した。

 そして、それは間違いではなく、リヒティニはツンと小生意気に尖った鼻でタオーネを指すと、澄ました顔で本題に入った。


「私が申したいことはですね、ハイルクラオト殿。先日、あなたは殿下を追われる際に窓から飛び出されましたね?」


 鋭い視線とともに向けられた言葉の内容に、タオーネは内心でしまったと苦い顔をした。

 授業開始日に早速逃走したシュトルツを捕まえるために空を駆けたときのことを言っているのだろうが、それはどうやら目立つ行動だったらしく、彼の耳にも届いてしまったようだ。

 目立つといえども駆けていったのは城の裏庭なのだから見ている者もそういないだろうと思っていたのだが、甘かった。

 よりにもよって一番面倒な人物に知られてしまったことで、タオーネは秘かにあのときの自身の行動を後悔しつつあった。

 そして、思った通りにリヒティニはそのことについて糾弾したくて仕方がなかったようで、小さな貝殻を思わせる唇から次々に言葉を滑り出していく。


「まぁ、あなたは教育係としての任務を全うせねばならないのでしょうが……少々お行儀がよろしくないように思ったので、今後は扉を使われてはいかがでしょうか? 此処は由緒ある魔王城。野蛮な冒険者が駆けまわる地ではございませんから……ああ、失礼。別にあなたのことを非難したわけではないのですよ。今のあなたは冒険者ではなく、ハイルクラオトの名を継いだ、魔大陸きっての魔術師ですので……」


 そう言ってクスリと笑ってみせるリヒティニに、頬がカッと熱くなる。

 言っていることは正論であるのだが、その小馬鹿にするような言動が無性に気に障る。

 彼は昔から何かにつけて出自に関する話題に触れては、タオーネを見下すような態度をとってきた。

 それも直接的な言葉は使わずに、嫌味ったらしく遠まわしに伝えてくるのだから質が悪い。

 当時のことも思い出し、思わず微笑が崩れそうになったが、頬の内側を噛んでなんとか耐えた。

 此処で乗ってしまったら相手の思うつぼだ。

 タオーネは改めて微笑みをつくると、大げさなまでに仰々しく一礼した。


「ご忠告、ありがとうございます。二度とそういうことがないように気をつけます」

「忠告だなんて、そんな刺々しい……。私は当たり前のことを申したまでです。魔王さまに仕える者ならば、それ相応の品性というものをいつでも心に留めておくものです。それでは、私も暇ではありませんので、ごきげんよう」


 最後に眉を顰めて棘の含んだ言葉を放ち、リヒティニはくるりと身を翻してタオーネの目的地とは反対に続く廊下を歩いていった。

 その後ろ姿、床に引きずりそうなほど丈の長いローブの裾からトカゲのような尾が覗き、それが少しずつ遠退いていくのを眺めて、タオーネはそっと重たい息を吐いた。

 どうにも馴染めない貴族社会の職場に嫌気が差して城を飛び出した昔の記憶が蘇る。

 もともと愛想がいいとは言えない性質の自分にも原因はあるのだが、それにしても家柄や出自ばかりにこだわられるのにはうんざりだ。

 もうひとつため息を吐いて、タオーネはしゃがみこみ、ぶつかった拍子に落としてしまった本を拾い集めた。

 これから仕事だというのにすでに疲労を感じながら、のろのろと腕を動かしていると、ふと背後に誰かが近寄ってくる気配を感じ取った。


「……あの」

「はい?」


 控えめな声をかけられ、立ち上がって振り向く。

 すると赤い髪が視界に入り、一瞬ドキリとしたが、すぐにそれが近頃よく見かける真紅よりも幾分かくすんだ色合いをしていることに気がついた。

 それから視線をその下へ向けていくと、六つの眼差しが遠慮がちにタオーネへ注がれていた。

 タオーネの双眸と同じ位置にある、いわば主眼と呼ばれる瞳の脇に、それぞれふたつずつ小さな目玉が寄り添っているのだ。

 まるで蜘蛛を思わせる特徴的な眼であったが、短く刈られた髪によって丸裸になっている彼の耳も蛾の触覚のように柔らかな毛に覆われており、目を惹いた。

 そんな特徴的な容姿の青年は六つの三白眼でタオーネを注目しながら、一冊の書物を両手で持って差し出してきた。


「先ほどぶつかられた時に落とされたようなのですが、こちらの書物はハイルクラオトさまのもので間違いないでしょうか」


 そう言われて彼の手の中にある本へ視線を落とすと、それは確かにタオーネのものだった。

 どうやら親切なことにわざわざ拾ってくれたらしい。

 タオーネは少し驚いて、それから慌ててその本を受け取って頭を下げた。


「ああ、はい、そうです。わざわざ拾ってくださったのですね。ありがとうございます」

「いえ、当然のことをしたまでですから……。では、失礼します」

「はい。本当にありがとうございました」


 名乗りもせず、あくまで当たり前のことであるといったふうにあっさりとした様子で去っていく青年を見送って、タオーネは腕の中で本をきちんと積み直した。

 そして、彼の上着の胸元に美しい紫色のリボンが金のピンで留められていたことを思い出し、あの者が数日前にも見かけたヘルシャフト卿の関係者であることに気付いた。

 おそらくはヘルシャフト卿の私兵のような立場なのだろうが、先日の羊のような角を持った青年と言い、よく教育が行き届いているようだ。

 さすがは魔王城でも有数の貴族だと考えながら、タオーネは仕事場へ向けてふたたび歩き始めた。

 先ほどの憂鬱な気持ちはいつの間にか忘れ去っていた。




※※※※※※※※※※




「――――……以上がエルフ族が英雄、求道者エルサリオンの伝説です」


 シュトルツとふたりで話し合って決めた書物に記されているひとつの逸話を読み終え、タオーネはその本を閉じた。

 本日取り扱った英雄は魔大陸で活躍した者ではなかったが、もはや神話と言えるほど古いその伝記はどうやらお眼鏡に適ったらしく、わがまま王子は最後まで真剣に耳を傾けてくれた。

 彼は史実にほとんどその姿を現さないエルフという種族に興味をそそられたようで、すぐにそれを話題にする。


「戦争を止めたエルフか……。エルフは人前には出てこないって聞いたけど、そのときは普通にそのへんにもいたのか?」

「いくつかの文献を読んだ限りでは、確かに現在よりも詳しい記述が残されているようですね。しかし、稀少な種族であったことは変わりないでしょう」


 このところすっかり定着しつつある朗読後の質問に、タオーネは己の持つ知識から答えた。

 毎日のように投げかけられる質問からは子どもらしい好奇心が窺える。

 彼もすべての疑問をタオーネがきっちりと答えるためか、はたまた持ち前の遠慮のなさからか、思いついたことはすぐに口に出してくる。

 そんなシュトルツに応えるように、タオーネも関連する知識や雑学をできる限り話すことにしていた。


「ちなみにエルサリオンというのはエルフの英雄という意味だそうですから、もしかしたら本名は別にあるのかもしれませんね」

「ふぅん。なぁ、お前はエルフについてやけによく知ってるけど、会ったことはあるのか?」

「はい。冒険者時代に一度だけですが……」


 嘘はついていない。

 己が知っている唯一のエルフである弟子とは数十年ともに旅をしていたが、旅の途中で一度別れてからはこれまで再会していないのだ。

 年月ではなく回数を答えるのならば一度で間違いはない。

 相手が王子と言えど、稀少なエルフである弟子の安全を祈るならば噂する口はひとつでも少ないほうがいいに決まっている。

 そうやって手にしている書物の中の英雄と同じ名を授けた弟子のことを想っていると、そんなタオーネの思惑には気づかないシュトルツがさらなる質問を重ねた。


「やっぱり魔術が得意なのか?」

「そうですね。種族柄、特に土魔術と相性がいいようでした。幼い頃から植物について学び続けていたら、プフランツェの里の者たちのように森や山では敵なしとなっていたかもしれませんね」


 今度の答えは何も隠すことのない真実だ。

 初めてとった弟子に魔術を教えるということで、古い書物に記してあるエルフに関連する記述を読み漁ったところ、彼らの種族は自然と深い関わり合いがあり、魔術も土を始め、水や風などの扱いに長けているらしいということがわかったのだ。

 実際にあのエルフの少年も土魔術を特に得意としていた反面、火魔術についてはからっきしであった。

 だが、別れる頃にはコツコツと続けた反復練習のおかげで苦手な属性も人並み程度には扱えるようになっていた。

 明るい性根で根気よく自分の教えについてきてくれた弟子を思い出し、懐かしさを感じながら、タオーネはもう質問がないことを確かめてこの時間に区切りをつけることにした。


「さて、本日は此処までにしておきましょう。続きはいつに致しますか?」

「明日のこの時間でいい」

「かしこまりました。明日も精いっぱい務めさせていただきます」


 恭しくそう言うと、シュトルツも横柄な態度で頷いた。

 昨日までは彼の機嫌を損ねないように話が終わり次第すぐに退室していたのだが、今日のタオーネにはちょっとした考えがあった。

 思い付きにも思えるような考えではあったが、試す価値はある。

 時間はいくらでもあることに変わりないけれど、いつまでも教育係としての任を全うせずにいるわけにもいかない。

 特にこうして特別な時間を設けて王子と話す機会のあるタオーネと、王子専属侍女として日常的にシュトルツのそばに控えているリーリエと違って、もうひとりの若い教育係トロイは今も暇を持て余している。

 彼は出会って間もないタオーネのことをすっかり信頼しているらしく、何も言ってくることはなかったが、いつ出番があるかもわからないままにひたすら授業の準備をしているその後ろ姿からは寂しげな雰囲気が伝わってくるような気がするのだ。

 そのため、タオーネは駄目でもともとだと己に言い聞かせると、思い切ってソファーに体を沈めているシュトルツに向かって口火を切った。


「それで、殿下。このあとのことなのですが……」

「勉強はしないぞ。そういう約束だろ」


 すべてを言い終える前に、にべもなくきつい物言いで拒絶されてしまった。

 だが、これしきのことでタオーネは諦めない。

 それにもとから彼の予想とは違ったことを提案するつもりだったのだ。

 警戒心からこちらを睨みつけてくるシュトルツを気にすることなく微笑み、タオーネは穏やかに頷いた。


「もちろんです。殿下のお好きになさって結構ですよ。ただ、もしよろしかったら一緒にお庭をお散歩なさらないかと思いまして……」

「僕がお前と? なんでだよ」


 唐突な申し出にシュトルツが訝しげな表情を浮かべる。

 この反応は予想の範囲内だ。

 タオーネとしても突拍子もないこの提案が受け入れられるかどうかは五分五分だと思っている。

 けれど、ここ数日間をシュトルツと過ごしたことで、とある策を思いついていたタオーネは退くことなく、さらにあえて暢気な調子で言葉を続けていく。


「いえ、せっかくいいお天気ですし、城内にこもっていてはもったいない気がしまして。六十年ぶりに戻ってきてみたら、お庭のほうも少し様変わりしたように見えましたし、よろしかったら私に色々と教えてくださいませんか」

「だったらリーリエとでも行ってくればいいじゃないか。なんでわざわざ僕が……」

「先日、殿下がお庭の中を走られていたときのご様子がこの魔王城の広いお庭をよく知られているように見えたので、私としましてもお庭について詳しい殿下に教えていただきたいと思ったのですが……いかがでしょうか」


 あからさまに嫌そうな顔をしたシュトルツに、タオーネは機嫌を窺うような言葉をかけた。

 さすがにわかりやすすぎるご機嫌取りであるために端からうまくいくとは思っていなかったが、やはり王子もその意図を読み取ったらしく、ジロリと鋭い視線を向けられる。

 こうなっては仕方がない。

 タオーネはシュトルツが怒りだす前に発言を撤回し、退室しようと考えを改めた。

 教育係としてもう一歩踏み込んだ関係づくりをしたかったのだが、まだ時期が早すぎたようだ。

 これに懲りず、また次の機会を探っていけばいい。

 ただ慣れない太鼓持ちはもうしないでおこう。

 内心で苦笑しながらそう考えたタオーネだったが、少しの間をおいて返ってきたシュトルツの反応は意外なものだった。

 わがまま王子は紅い瞳に含んだ疑心を和らげると、ソファーから降りて顎をしゃくった。


「ふん……まぁそこまで言うなら付き合ってやってもいい。おい、リーリエ! 僕の靴を持ってこい! 散歩に行く!」

「ひゃっひゃい!」


 いつも通りに偉ぶった調子で部屋の片隅に控えていた侍女に言いつける彼に驚いて、タオーネは一瞬、唖然とした。

 同じくどうせ断るだろうと思っていたようで、シュトルツに出すお茶の準備をしていたリーリエもびっくりした面持ちでおたおたと王子の靴を取りに行った。

 先ほどまで剣呑な光を宿した眼で睨んでいたというのに、どういうつもりなのだろうか。

 シュトルツは確実にタオーネの言葉がご機嫌取りであることに気付いていた。

 それなのにどうして提案を受け入れたのか不思議でならない。

 彼の思わぬ態度に困惑したが、自分から言い出したことであるのに相手を待たせるわけにもいかない。

 なぜかはわからないが彼の気が変わらぬうちにと思い直し、遅れて椅子から立ち上がると、タオーネは先を行くシュトルツの後を追っていったのだった。

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