王都を目指そう
冒険者ギルドへの報告も終わり、ドニは無事に冒険者となった。
次はエルサリオンを待つという者に会いに王都へ向かうことになる。
だが、その前に準備が必要だ。
博識なエルフの魔術師によると、王都までは三ヵ月程度の旅路となるらしい。
そこで、ウォルトン領では最も栄えているというこの喧騒の街ヘイストルで長い旅のために支度を整えることになった。
食糧はもちろん、王都へ向かう道のりで魔物も増えていくということで、各自の装備もある程度は揃えたほうがいいとエルサリオンは主張した。
彼は何処で聞きつけたのか、比較的安価だが丈夫な品を扱う防具屋へふたりの仲間を引っ張り込み、それはもう楽しそうに装備品を吟味した。
ドニは体が頑丈なので防具は特にいらないと言ったのだが、服が破けていちいち縫っていたら大変だからと丸め込まれ、次から次へと鎧や盾を試着させられた。
時おり近接戦専門のフアリの意見も交えて散々試した結果、ドニの防具には飾り気のない革鎧が選ばれた。
多少は伸縮性のある素材なので、まだまだ驚異的な成長を続けているドニの体でもしばらくは使えるだろうということだ。
盾も候補に挙がったが、もとより頑強なドニには荷物になるだけで不要だろうという結論に至っていた。
さらに同じ素材の篭手とブーツも買ってもらい、ドニの旅支度は完了した。
エルサリオンもブーツを買い替え、フアリは特に必要ないと言って何も買わなかったようだ。
それから依頼達成の報酬金を山分けしてもドニの分はまだまだお釣りがくるから何か好きなものを買うといいとエルサリオンに言われたけれど、ドニはそれを断った。
特にほしいと思うものはなかったし、自分のことで金銭を使うのにまだ抵抗があった。
それからは必要なものだけを買い込み、馬車に詰め込むと、食事時を逃したこともあって三人ともすっかり腹ぺこになっていることに気付いた。
そこで手頃な料理屋へ入り、出発の前に腹ごしらえをすることになった。
席を取り、適当に料理を頼む。
すると、いくらも経たないうちにドニが見たこともないようなものが給仕に運ばれて出てきた。
それは特に珍しくもない麺料理の一種なのだが、もっぱらパンばかり食べてきたドニには初めての経験だった。
どうやって食べるものなのかすらわからないが、麺にも慣れているらしいふたりがフォークを使って食べ進める様子を盗み見ながら、覚束ない手つきで真似る。
なんとか口に運ぶと、薄っすらとチーズの風味を感じるが如何せん薄味だ。
だが、タオーネの自然派な食事に慣れてしまっているドニには特に不満はない。
慣れない料理をひたすら黙々と食していく。
しかし、フアリはお気に召さなかったようで、まずそうに眉間にしわを寄せて作業的に麺を飲みこんでから、唐突に相棒へ話を振った。
「それで? お前はどう思ってるんだよ」
急な質問にエルサリオンは麺をくわえたまま、キョトンという顔をした。
少しお行儀が悪い。
頭の回転が速い彼は麺を口から胃袋に収めると、フアリの言っていることに目星をつけて確認する。
「ん? 王都で僕を待ってるって人のこと?」
「そうだよ。そこに知り合いはいないはずなんだろ? お前の素性を知ってるやつってなると、罠かもしれねぇんじゃねぇか」
彼女の推測にドニは一瞬その意味を理解できなかったが、少ししてエルフという種族は稀少であるがゆえに悪人に目をつけられやすいと教わったことを思い出した。
それまでドニは王都で待っているという人はタオーネなのだと、ほとんど疑いの余地なく考えていた。
けれど、エルフを捕らえようとする良からぬ者が知り合いを装って罠を仕掛けている可能性もないわけではないのだ。
そのことにやっと気付いたドニは不安げにエルサリオンへ目を向けた。
だが、当の本人はすぐにその可能性を否定する。
「んーそれは多分ないんじゃないかな。曲がりにも冒険者ギルドを通してるみたいだしね。さすがにギルドが人身売買に加担はしないでしょ」
「……だったら……」
悪人以外に残された選択肢を頭に思い浮かべたフアリが、チラリとドニを見た。
彼女も相棒の口から時おり聞かされる彼の師に辿りついたのだろう。
おそらく三人とも同じ人物に至っているが、ぬか喜びになるかもしれないと直接は口に出して示さなかった。
エルサリオンも件の魔術師の名を出すことなく、待ち人が師であるとする際に至る矛盾点を突いた。
「うーん、どうだろうねぇ……。此処から王都まで行くとなると、馬を潰すつもりで走っても二月はかかるし……ちょっと計算が合わないんだよね」
その話を聞いて、ドニは不安もあるが期待に膨らんでいた自分の心が萎んでいくのがわかった。
色々と忙しなかったせいで細かい日付などはもはや覚えていないが、タオーネがバナーレ村を去ってからまだ一月と経っていないはずだ。
つまり、待ち人が彼である可能性はないということだろう。
しょんぼりと肩を落としたドニの姿を見て、可哀想に思ったのか、エルサリオンが付け足すように言った。
「でも、可能性はゼロではないかなって感じかな? あの人も色々と規格外だし、空間移動の術を手に入れてても僕は驚かないけど……まっ行ってみればわかるよ!」
「暢気だな……」
雑に話を締めくくった相棒にフアリがぼやく。
ドニとしても、結局のところ待ち人がタオーネなのかそうでないのかが気になって、無意識のうちに浮かない顔になってしまう。
彼の言う通り、王都へ行ってみればわかることなのだが、もやもやとした感情が胸に漂っていた。
エルサリオンはそんな反応の良くないふたりの仲間に明るい笑顔を見せ、話を打ち切った。
「まーまー。腹が減っては戦はできぬと言いますし、今はしっかりご飯を食べよ! 食べ終わったら出発だからね!」
そう言って、彼はまたしても美味しそうに麺を口に運んだ。
その様子を見たドニもぎこちなく食事を再開し、目の前の皿を空にすることに専念しようと決めた。
どちらにせよ、王都へは向かうのだ。
答えを知るまで気になることには変わりないが、今はできることをしよう。
ドニはフォークから滑り落ちる麺に苦戦しながら、束の間の休息を味わったのだった。
※※※※※※※※※※
ガタゴトと馬車の車輪が音を立ててまわっている。
来た道と同じようにフアリが御者を務める馬車の荷台から顔を覗かせると、壁に覆われた街が見えた。
数日前と異なるのは、もう近付くことはなく、その姿が遠退いていく一方ということだけだろうか。
ドニは少しずつ小さくなっていく喧騒の街をじっと眺めていた。
きっともう戻ることはないかつての居場所。
もはやあそこにドニを縛るものは何も残っていない。
色褪せた巨大な過去の抜け殻が、自分のもとからどんどん離れていく。
そんなものを目にしながら物思いに耽っていると、腹を満たして上機嫌なエルサリオンが構わずにニコニコと笑いかけてきた。
「いやー旅立ちから初めての街なのに、色々とあったねぇ」
のほほんとした調子の彼に、ドニはコクンと頷く。
本当に色々なことがあった。
他人の手に渡った小屋を見つけ出して絶望し、すべてを終わらせたがっていた呪剣に呼ばれ、そして、もっとも長い時をともにしていた主人の最期を看取った。
たった数日間の滞在とは信じられないほど、濃密で大切な時間。
目まぐるしい事件は幕を閉じ、ドニと過去を縛りつける鎖は砕け散り、残されたのは珍しい形をした一振りの美しい剣のみ。
ドニは荷台の床に横たえている剣へ手を伸ばし、包んでいる布越しにそっと触れた。
これからの旅路で、この剣は一体どのような道を辿るのだろうか。
未来への希望を必死に掴もうとしているドニと異なり、剣は静かに己の世界を閉じている。
その行く末はきっと誰にもわからない。
胸を締め付けられるような気持ちにこっそり息を詰まらせている間にも、エルサリオンの明るい声音が馬車の中に響いていく。
「ヘイストルはこの辺りでは一番大きな街だから、僕も久しぶりに色々と見てまわっちゃった!」
彼はいつの間にかヘイストルの街中を散策していたらしく、屋台で買った甘茶が美味しかったとか偽物も多く並ぶ魔道具の店が面白かったというようなことをペラペラとひとりで喋り続けた。
そんな他愛無い話を聞いていると、静かで薄暗い場所へ沈んでいった心が緩やかにすくい上げられていくような気がした。
ドニはエルサリオンの話に遠慮がちな相槌を打ちながら耳を傾けた。
時おり身振り手振りを交えて賑やかに喋り続けるエルサリオンの話は留まることを知らず、やがて軽快な調子を崩すことなく、ドニが特に注目する話題へと移り変わった。
「そうそう、聞き込み調査でお世話になった酒場にも行ってきたんだよね。ドニくんが眠ってる間にもう一度ね。そしたら、そこの店主のエリカさんが色々と教えてくれたんだけど……」
覚えのある場所が話題となり、そういえばあのほっそりとした女店主がもう一度訪れてほしいというようなことを彼に言っていたのを思い出す。
多くを知るわけではないそうだが、生前の主人と面識のあった彼女が何を語ったのか少し気になり、そのままエルサリオンの言葉を待つ。
すると、彼の口からは思わぬ事実が、どうということはないと言うように飾らない姿で飛び出してきた。
「あのレブナントになっちゃった人は、ローさんって言うんだって。多分、本名ではないらしいんだけど、あの酒場ではそう呼ばれていたみたい」
一瞬、息が止まる。
彼は今、なんと言った?
ドニは頭の中でエルサリオンの言葉を繰り返した。
死んでふたたび死霊となって蘇り、天に昇っていったあの男の名。
赤ん坊の頃からずっとそばにいたドニですら知りえなかった彼の名が、いとも簡単に世間話の中から現れたのだ。
ようやく事実を理解することができたドニは、湧き上がる衝動のままに一度は視線を外した荷台の隙間へ目を向けた。
先ほどよりも幾分か小さくなった街の姿がそこにある。
ロー。
声に出すことなく、胸の中でその名を呼ぶ。
何度も、何度も、もう届くことのない名前を呼ぶ。
街の外観を捉えているはずの眼に、血に濡れたおぼろげな旅路が、そしてむっとする酒の臭いがこもった、狭く暗く湿った小部屋が映り込んだ。
痛みと恐怖に満ちた記憶の中、いつだってその中心にいた男のやつれて黄ばんでいる顔がこっちを向いている。
ロー。
もう一度、彼の名前を呼ぶ。
男は口を閉ざしたきり答えない。
ドニを木偶の坊と呼び、虐げてきた彼は、ドニを呼ぶ名を持ち得ていなかった。
最期に誰かを呼んだ声も、ドニを呼ぶものではなかった。
けれど、ドニもまた、男の名を知ることはなかった。
ずっとずっと一緒にいたのに、お互いを知ることのないままに訪れた別れだった。
それでいい。それでいいのだ。
ドニは真っ直ぐに喧騒の街を見つめた。
遠い日々、暴力とひもじさと孤独に包まれたあの日々が、ひっそりと息絶え閉じていく。
昼も夜も途切れることのない喧騒はもはや聴こえない。
王都を目指して走り続ける馬車の荷台で、エルフの魔術師に暖かく見守られていることに気付かぬまま、ドニはひとつの終末を静かに見届けたのであった。
第3章 喧騒の街ヘイストル 完結。




