村での暮らし②
西門で猟師トーマスと騎士ニコラスのふたりと合流したタオーネはトーマスの案内で森の中へ進んだ。
村からけして遠くはない見慣れぬ魔物の発見場所へ赴くと既にそこから離れたのか、魔物らしき気配は見当たらなかった。
しかし、餌を喰らったらしく、いくつかの動物の骨と複数の足跡が残されている。
「この様子だと遠くへは行っていないようです」
「じゃあそのへんを見てくるか。タオーネ先生とニコラスはここで待っててくれ」
「ああ、わかった」
「見つけても深追いはしないように気をつけてください」
獣道に消えたトーマスを見送り、タオーネは食べ尽くされた後に残った骨をいくつか拾って調べた。
骨の形や大きさからして兎だろうか。
「肉食か……村に近づかれると厄介だな」
まだ青年の面影が残る騎士はタオーネと並んで骨を拾い、眉を寄せた。
彼――ニコラスは領主のもとで騎士の経験を積み、家庭を持つと同時に故郷であるバナーレ村への配属をわざわざ希望して里帰りを果たしたほど村への愛が深い。
愛する故郷が魔物に荒らされるのはやはり許しがたいようだ。
それはどこの村の住人でも同じであるだろうが。
「食べ残しと足跡を見る限りでは数も少ないようですし、小型の動物を狙ったところから考えるとランクも低いと思われます。ですが、この森に居ついて数を増やされたり、家畜を狙われたりすると厄介ですね……」
「やっぱり討伐したほうがいいか」
「そうですね……魔物の性質や繁殖力にもよりますから、やはり姿を確認してからの判断になります」
「そうか……。何事もなけりゃいいんだが……」
しばらくふたりで話し込んでいると獣道からトーマスが帰ってきた。
どうやら例の魔物を見つけてきたらしい。
トーマスを先導に気配を消して森の中を進むと村の木こりが木を切り倒してできた、やや拓けた場所にそいつらはいた。
げぎゃぎゃぎゃ!と蛙を潰したような不快な鳴き声をあげる緑色の小さく醜い魔物が三匹。
粗末な棍棒を握り、汚い布切れを腰に巻いている。
「あれは……ゴブリンか?」
「ええ。間違いないでしょう」
魔物から見て風下の木陰に隠れ、小声で確認しあう。
その緑色の肌をした小さな子どもにも見える魔物はバナーレ村周辺ではまず見かけることのないゴブリンであった。
知能は低く、新米の冒険者でも何とか倒せるほどにはランクも低い。
「タオーネさん、どう思う?」
「妙ですね……。ゴブリンがこの森へくるには王国領ならば大河を越えなければなりませんし、帝国領からやってこようとしても国境の騎士たちが通すはずがありません。上位種が指揮をとる群れならともかく、ただのゴブリンが三匹だけとなると……一体どこからやってきたのでしょうか……?」
別段珍しくもない魔物ではあるが、生息域から遠く離れたこの土地に現れるとなると少々奇怪だ。
力のない魔物が住み慣れた住処を離れることはまずない。
新天地を目指しても道中でより強い魔物や冒険者たちに狩られるのが目に見えているからだ。
つまり、タオーネたちがたったいま目にしてるゴブリンたちは特異な存在なのだ。
その不可解さにタオーネの胸に何やらもやもやとした、居心地の悪い妙な予感のようなものが過る。
「ふむ……まぁそのへんは後で街のギルドに報告して調べてもらうとして、あいつらは討伐しちまったほうがいいか?」
ニコラスの言う通り、この一件は冒険者ギルドに任せるのが無難だろう。
このような魔物に関する不可解な出来事の調査は冒険者ギルドの管轄だ。
小さな村のいち魔術師であるタオーネでは討伐ならともかく、調査となると治療院の仕事もあるため、持て余してしまう。
やはりギルドに報告するというのが妥当だろう。
タオーネは嫌な予感を振り払うように考えを逸らした。
「……そうですね。ランクの低い魔物とはいえ子どもたちが襲われると厄介ですから。……特に女の子は」
ゴブリンなど一部の魔物が時たま異種族の女を拐い、孕ませるという事例は少なくない。
群れとも呼べない三匹のゴブリンでは大人の女性を拐うことは難しいだろうが、小さな少女たちには十分な脅威である。
タオーネの遠回しな言葉にトーマスがぴくりと反応し、ゴブリンを見つめる視線に剣呑な色が宿った。
幼い娘の父親としてそのような話を聞けば心穏やかでいられるはずがない。
トーマスは気配を殺したまま、猟師の仕事道具である矢に手をかけた。
「弓で射っちまうか」
「三匹とも確実に仕留めたいな。トーマスが弓で奇襲を仕掛けてやつらの動きが止まったところを俺が叩き斬ろう。タオーネさんはやつらの死体を焼いてくれ」
「わかりました」
ニコラスの策ならばゴブリン相手にはまず苦戦はしない。
今回はタオーネの出番はなさそうだ。
トーマスが弓に矢をつがえ、標的に狙いを定める。
ゴブリンたちは辺りをきょろきょろと見回し、物珍しそうに調べている。
何やら話し合っているのかお互いに耳障りな鳴き声をあげて顔を見合わせているが、こちらに気付いた様子はない。
トーマスが息を殺し、まるで野生の山猫のように獲物を見据える。
ニコラスも腰に差した愛剣の柄に手を添え、姿勢を低く構えた。
そして、一匹のゴブリンがこちらに顔を向けたその瞬間。
――――ヒュオッ
トーマスが放った矢が風を斬り、ゴブリンの眼孔を捉えた。
矢尻が濁った色の眼球を抉り、頭を突き破って血液を撒き散らす。
矢の勢いに巻き込まれたゴブリンの身体が後ろに倒れる。
そして突然、命を刈り取られた仲間を他のゴブリンたちが認識するよりも早く、ニコラスが地を蹴り、鞘から剣を引き抜く。
息つく暇もなくゴブリンとの距離を縮め、その剣筋が残ったゴブリンの片方の首を胴から斬り離したところで残る一匹がやっと敵襲であることに気が付いたようだが、もう遅い。
身を翻したニコラスが粗末な棍棒を振りかざすゴブリンの肩から刃を斬り込み、その胴体をふたつに裂いた。
緑色の肉の塊が地面に転がる。
ゴブリンの身体は時おりピクピクと動いたが、やがてその濁った眼から光を失い、絶命した。
そのことを確認し、ニコラスが剣の血を払って鞘にしまった。
「お見事ですね」
「たまには何か斬らないとなまっちまうからな」
隠れていた木陰から姿を現し、剣技を称賛するタオーネにまだ若々しさの残るニコラスが照れたような顔をする。
その間にニコラスよりも幾分か年を重ねているトーマスがナイフでそつなくゴブリンの死体から耳を切りとった。
ギルドに報告する際に魔物の一部をともに提出することで信憑性が高まるため、今回もゴブリンの耳を提出するのである。
三匹の両耳を切り落とし、トーマスが死体から離れてそれらに紐を通すための穴を開けるのを確認して、タオーネは杖を軽く掲げた。
「火球」
タオーネの魔力を練って放たれた火の玉が死体を包み、その肉を焦がしていく。
死体を放置しておくと稀にではあるが、自然の魔素を吸い、厄介な死霊となって蘇るため、燃やしておく必要があるのだ。
小さいが極めて高温である炎の塊は時おり弾けながら、ゴブリンをただの炭へと変えていく。
炎が自然に勢いをなくす頃には先ほどまでゴブリンであったものは黒く小さな炭と化していた。
「ひとまずはこれで解決だな」
「ええ。ですが、一応しばらくは見回りをしたほうがいいかもしれませんね。ほかにも仲間がいたら厄介ですし」
「そうだな。村に戻る前にこの辺りの見回りをして、今後のこともあとで村長に相談しておく。ギルドには早いうちに報告しにいくとしよう」
原形を失ったゴブリンの亡骸を見て安心したような顔をするニコラスに、タオーネは頷きながらも今後の対策を提案した。
異変が起きた時にはそれがどんなに小さなことでも周囲への警戒を怠らないことが大切なのである。
ニコラスはタオーネの提案に頷き、トーマスから紐に通したゴブリンの耳を受け取って腰に吊り下げた。
「そしたら今日はとりあえず解散としよう。後のことは俺とトーマスでやっておく」
「私もお手伝いしますよ」
「いや、タオーネさんは帰ったほうがいい。家に小さい子がいるんだろう?あまりひとりにさせるのも可哀想だ」
自身もひとり息子がいるニコラスは、不幸な身の上の小さな男の子が心配らしい。
タオーネが村にやってきた当初はどこか頼りない青年だったニコラスの父親らしい一面に、感慨深いものを感じながら、タオーネは頷いた。
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきますね。ドニもまだ生活に慣れたとは言い難いので助かります」
「ああ。ドニくんが村に慣れたら、うちのアーサーと友達になってくれるといいんだがなぁ」
ニコラスのひとり息子であるアーサーは他の子どもたちと遊ぶことが滅多にないらしく、父親としては心配らしい。
タオーネとしてもおとなしく引っ込み思案なドニに友達ができることは喜ばしいことではあるが、こればかりは当人たちの問題だろう。
だが、アーサーは真面目でしっかりしているため、もしドニの友人になってくれたならば安心だ。
近いうちに顔を合わせる場をつくってもいいかもしれない。
「そうですね。今度、うちに遊びに来ていただけるよう、アーサーくんにお伝えください」
「ああ、ありがとう。しかし、アーサーにも困ったもんだ。昔はヘンリーともよく遊んでたんだがなぁ……。喧嘩したってわけでもないらしいんだが……トーマスはヘンリーから何か聞いてないか?」
先ほどの精悍な顔つきはどこへいったのか、困り顔のニコラスに話を振られると、サラの兄、ヘンリーの父親でもあるトーマスが肩をすくめる。
どうやら何も聞いていないらしい。
タオーネもふたりの子どもたちを知っており、村に同年代の子どもが少ないこともあって、数年前はよくふたりでいるところを見かけたが、いつからかお互いにひとりでいることが多い。
ニコラスはそのことが気がかりらしく、ひとりの父親らしく心配しているのだ。
そんな彼を見たトーマスはもうほとんど消えかけている炎に足で土をかけながら、溜息をついた。
「……子どもにも子どもの都合ってもんがあるんだろうよ。自分たちでなんとかさせればいい」
「それはわかってるんだが心配なんだ」
「あんたは少し過保護なんだよ。あいつらだって考える頭はあるんだ。本当に困ったら相談してくるんじゃねぇか」
「だといいんだがなぁ」
意見を交わすふたりの父たちの様子を微笑ましく感じつつ、自身もひとりの子どもを抱える立場となり、この手の問題はもう他人事ではないと心に留め、タオーネは杖を振るって炎を消す。
トーマスが土をかけたので燃え広がる可能性は既に低かったが、念のために炎の魔力を拡散させ、完全に消滅させたのだ。
跡に残った炭は放っておいても土に還るだろう。
「それでは私はお先に失礼します。また何かあったらお知らせください」
「ああ。今日はありがとう、先生。後日また協力をお願いすることになるかもしれないが、その時はよろしく頼む」
「もちろんです。トーマスさんもお疲れさまでした。それでは」
これから周囲の見回りをおこなうふたりに挨拶し、タオーネは村に向かって来た道を戻り始めた。
魔物の動向を気にしなければ己の脚なら村まではそうかからない。
そう考え、早く帰って仕事や家事を片付け、今夜こそドニを家から連れ出してみようと算段をつけながら、足早に歩を進め、タオーネはドニが待つ自宅を目指した。
※※※※※※※※※※
結局、タオーネが自宅に戻れたのは日が傾いてからだった。
帰り道の途中で子どもが体調を崩したと声をかけられ、その子の家まで診察しにいったのだ。
幸い重篤な病ではなく、簡単な処置をして明日になってもよくならないようなら薬を出すと言って帰ってきたのだが、思っていたよりも遅くなってしまった。
そろそろ夕食の準備に取り掛かったほうがいいだろう。
直接、台所に入ることができる勝手口にまわり、ローブとブーツの汚れを払ってから扉を開く。
「ただいま帰りました。……ドニ?」
家の中に入ったが、食堂で勉強していると思われたドニの姿が見えない。
さっと部屋の中を見渡すと台所の隅で縮こまっている、見慣れた後ろ姿が目に入った。
何やらしゃがみ込んでこちらを振り向こうとしない。
「ドニ?どうかしましたか?」
不審に思って声をかけると、丸くなった肩がびくりと跳ねた。
それから恐る恐るといった様子でゆっくりと振り向いた顔は真っ青だ。
もしや体調が悪いのではと思い、ドニに近付くとその大きな体に隠されるようにして床に散らばった陶器の破片を発見した。
それはタオーネが結局は手つかずにしてしまった昼食の際に使用した皿の欠片に見える。
「皿を割ってしまったのですか?」
「ごっごめんなさ、い、ごめんなさい……ごめんなさ……」
事実の確認をしようと質問しただけなのだが、気弱なドニはすっかり動転してしまったらしく、青褪めた顔を強張らせて何度も謝罪の言葉を繰り返している。
よく見るとその手には大きな皿の残骸が握られており、このままでは怪我をしてしまう。
静かにドニの前まで歩んで立ち止まると今にも泣きだしそうな翠の瞳がタオーネを映した。
タオーネはこれ以上ドニを怯えさせないために、緩慢な動作で自身もしゃがみ込み、彼と目線を合わせた。
「ドニ、どうか落ち着いてください。私は怒っていませんよ」
「ごめんなさい……」
「いいんですよ。皿はこれしかないというわけでもありませんし、今度から木の皿を使えば割れる心配もないでしょう?私も壊れやすいものを置きっぱなしにして申し訳ありませんでした」
少しでも伝わりやすいようにゆっくりと言い聞かせ、反対に謝罪をすると、ドニの視線がどうしたらいいのかわからないとでも言うように宙をさまよう。
しばらく困ったように視線を辺りに巡らせ、最後にそれがタオーネを捉える。
そして、再び小さく「……ごめんなさい」と呟くと顔を伏せてしまった。
理解してくれたかどうかは置いておくとしても、とりあえず表面上は落ち着いたようだ。
そのことにタオーネは安堵し、驚かせないようにそっとドニの肩へ手を置く。
「とにかくまずは掃除をしてしまいましょう。その破片も危ないですからこちらに渡してください。それから、怪我はありませんか?どこか切ってしまったところがあったら教えてくださいね」
落ち着いた声音で優しく語りかけられる言葉にドニは恐る恐るといった様子で顔を上げ、戸惑ったような視線をタオーネへ向けた。
それから、やはり少し躊躇しながらもそろそろと握っていた陶器の破片をタオーネに手渡し、シャツの胸元を掴んで落ち着かない様子を見せる。
怪我の有無の確認に対する応えはなかったが、どこかを切っているということもなさそうだ。
タオーネはできるだけ優しげに見えるように微笑み、ドニに触れていた手で彼の肩を擦った。
「ここを片付けたらすぐに夕食の支度をするので椅子に座って待っていてください」
そう言ってこの場から移動するように促すと、ドニは素直に立ち上がり、食卓の椅子に座ったが、やはり落ち着かなさそうにそわそわとしている。
今夜こそドニを家の外に連れ出そうと考えていたが、これでは到底無理そうだ。
しかし、こればかりは慣れるまで気長に待つしかない。
今回は少しタイミングが悪かっただけだ。
せめて自分がいま彼にしてやれることは、少しでも気持ちが安らぐように温かい食事を用意することぐらいだろう。
そう胸の内で結論付け、ドニに背を向けて割れた皿を片付け始めたタオーネは、彼がどのような想いを心に宿し、自身の背中を見つめているかには気付かなかった。
ふたりの気持ちが通じ合うには、もう少し時間が必要なようである。