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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第3章 喧騒の街ヘイストル
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下調べしよう③

 ドニたちは貧民街を抜け、寂れた雰囲気の一帯へ足を踏み入れていた。

 そこは先ほどまでいた地区よりかは整備が行き届いているように見えたが、それでも何処か侘びしさを感じさせた。

 喧騒の街と呼ばれるヘイストルも、騒がしいのは表の大通りなど街の外から訪れた者たちで賑わう場所くらいなのかもしれない。

 それでも自然豊かな森のそばにあるバナーレ村に比べれば、人工的で十分に喧しい。

 村ではまず見かけないような店が点々と立ち並ぶ光景を眺めながら、ドニがそんなことを考えていると、目的の店を見つけ出したらしいエルサリオンが声をあげた。


「此処だね。まだお店は開いてないけど、誰かいるかな?」


 足を止めることなくそう言って、彼は錠のかかっていない扉から店の中へ躊躇なく進んでいく。

 そこは酒場であるとのことだったが、外観から見た限りは人の気配が感じられない。

 やや傾き気味の簡素な看板には《エリカの酒場》と書かれており、ドニはそれを目で追って黙読してからおとなたちの後ろに続いて、重たい脚で店の扉を潜り抜けた。

 店内は広いとは言えず、席もカウンターのみで十人も入ればいっぱいになってしまいそうだ。

 やはり今は店は閉まっているらしく、人は誰も見当たらない。

 しかし、カウンターの奥にひっそりと階段が続いているのを目敏く見つけたエルサリオンが、上の階に向かって声を張り上げた。


「すみませーん! 誰かいませんかー?」

「……どなたかしら。お店、まだ開けてないんだけど……」


 エルサリオンの呼びかけに反応した気だるげな声が、階段の先から降ってきた。

 それに続き、声の主もキシリキシリと僅かな音を立てて降りてくる。

 やがて姿を現したのは、小綺麗な女性だった。

 すらりとした長身は柔らかな寝巻に包まれており、まだ日は高いが、眠っていたところだったのかもしれない。

 急な来客を迎えるために肩掛けだけを羽織ってきたようで、長い睫毛に覆われた華やかな目元には眠気を伴う疲労が滲んでいる。

 きっと彼女が看板にあったエリカなのだろう。


「こんにちは! 急にすみません。僕らは冒険者ギルドから依頼を受けた者で、近頃、貧民街近くの墓地に出現する魔物について調べているんですけど、少しお時間いいですか?」


 明らかに邪魔をしてしまったことに申し訳なさそうな表情をつくりながらも、エルサリオンは酒場の主人に伺った。

 すると、その女性は突然すぎる来訪に気を悪くすることもなく、そっと頷いてやや低めの掠れた声で囁いた。


「そう、あなたたちが、あれを解決してくれるのね……。いいわ……適当に座ってちょうだい。あたしにわかることは、答えてあげる」

「わーありがとうございます!」


 許可を得たことを無邪気に喜んで、勧められた席についたエルサリオンに続き、フアリも腰を下ろした。

 ドニも少し迷ってエルサリオンの隣りの椅子におずおずと座る。

 カウンターの向こうでは店主が飲み物を用意している。

 こういった店にきたことが一度もないドニは落ち着かない気持ちで、ジッとカウンターの木目を見つめた。

 早くも店と女主人から醸し出されるおとなの雰囲気に気後れしてしまっていた。

 まだ外は明るいのに、此処だけ夜の気配が潜んでいるようだ。


「まだお酒を飲むには早いから、お茶でいいかしら……?」

「あっお構いなくー」

「そうしたら、どうぞ……そんないいものでもないけれど」


 ドニがもじもじと俯いている間にそんなやり取りが交わされ、狭まっていた視界に店主の骨が目立つ白い手と湯気がたったカップが入り込む。

 見るからに温かなお茶はこの辺りではよく飲まれているものらしく、嗅ぎ慣れた匂いがする。

 カップを受け取ったものの、ドニには自分がもらっていいものなのか判断がつかず、そっと並びに座っているおとなたちへ目を向けた。

 少し離れた位置に腰かけているフアリがジッと自分の前に差し出されたカップを見つめ、ほんの少し口をつける。

 そして、彼女は何か意味を含んだ視線を相棒へ投げかけて頷く。

 それを見たエルサリオンも何やら頷き返し、自身もお茶を飲み始め、ドニに向かってニッコリと笑いかけてくる。

 彼の変わりない笑顔にお茶をもらってもいいのだと解釈し、ドニもカップの中身をコクリと飲みこんだ。

 香ばしさを感じるその香りは、バナーレ村でも時たま飲まれているものと同一らしい。

 覚えのある味だとぼんやり考えていると、全員に飲み物が行き渡ったことを確かめた女主人エリカがカウンターに肘をつき、三人と対面する形で口を開いた。


「それで……あたしは何をお答えすればいいのかしら……?」

「えっとですね、確かあの墓場に魔物が出るようになったのが一ヶ月ほど前ってことなんですけど、そのあたりの時期に何か異変を感じることはありませんでしたか? 些細なことでもいいので、何か思い出したことがあったら教えてください」


 エルサリオンが今日だけで何度も繰り返したであろう質問をそつなく口にする。

 彼のそばで同じ内容を幾度も耳にしていたドニは、此処では何か成果を得ることができるだろうかと少し緊張しながらエリカを見つめた。

 もしも彼女も知っていることはないと答えたら、今日一日何も得られなかったことになってしまう。

 しかし、そんなドニの心配を余所にエリカは思わせぶりに指で自らの唇をなぞり、心当たりがあることを示した。


「そうね……少し、心当たりがあると言えばあるわね……」

「本当ですか? 詳しく聞かせていただいても大丈夫です?」

「ええ……。少し長くなるけれど……」


 エリカの言葉に思わずといった様子で身を乗り出したエルサリオンに、彼女は曖昧な微笑みを返した。

 やっと掴めそうな情報の気配に、ドニは過去に触れてから沈んだままだった胸がドキドキと脈打つのを感じた。

 ずっと無言のフアリですら熱心に耳を澄ましている。

 三人の注目を浴びる中、エリカはふと寂しげな色を瞳に宿し、遠くを眺めるような所作を見せた。

 彼女の眼差しに、ドニの期待と緊張に満ちた心にふと影が過ったが、その正体はすぐに自覚することとなった。

 形のいい唇から、求めていた情報がゆっくりとこぼれ落ちる。


「あれは……去年の、冬の終わり頃だったわ。貧民街のあばら家で、ひとりの男が死んだの」


 冬の終わり。ひとりの男。

 そんな単語がドニの心の奥底に続く扉を叩く。

 まだ大したことも伝えられていないというのに、瞬時にとある鮮明な光景が脳裏に映し出される。

 胸の高鳴りが痛みに似た感触に変わり、こめかみがジンジンと疼く。

 それでも、これから語られようとしているものが依頼とは関係なしに大切なことのような気がして、ドニはより一層、耳を澄ませた。


「この店にもよく来てくれて、常連、だったのかしらね……。彼は多くを語らなかったから、よくは知らないんだけど……」


 吐息のように言葉を綴るエリカが頬杖をつき、眼を細める。

 彼女もまた、記憶を遡り、過去の朧気な形を見つめていた。


「彼は身寄りがなかったから、彼の死に気付いた近所の人たちが埋葬したのだけれど……彼の持ち物の多くは売ってしまったそうよ……。埋葬の手続きとか、家の後始末なんかにも骨を折ったから、その手間賃ってことでね。それで、その売り払った品物の中に、一振りの剣があったの」


 淡々と物憂げな語り口で聞かされたその言葉に、ドニの体がズンと反応した。

 まるでこの短時間で自身の体重が倍になったようにさえ感じられる。

 それでも目と耳だけは感覚を研ぎ澄まし、何ひとつ逃しはしないと集中が高まっていく。

 今にも導き出されようとしている事実を否定したい自分がいた。

 だが、己の何処かに存在する獣じみた本能のようなものは、すでにある確信を得ていた。


「ここら辺ではまず見かけないような、不思議な形をしていたから、貴重なものかもしれないと言っていたけど、大した値段にはならなかったって聞いたわ……。随分と古びていたし、そう簡単に扱えそうになかったみたいだったから……」


 そこまで話したエリカは、勿体ぶるように息をつき、言葉を切った。

 続きを口にするのに少し躊躇しているようにも見える。

 けれど、その躊躇いもすぐに終わらせられ、彼女はふたたび口を開いた。

 女性にしては低めの掠れた声が、まだ眠っている店内に響く。


「でも、その剣が問題だったのよ」


 一度、言葉にしてしまえば、後に連なる事柄はすんなりと出てくるものらしい。

 彼女は感情の流出を最小に抑え、単調に話を続けた。

 だが、そんな彼女の様子とは裏腹に、その内容は背筋が冷たくなるようなものだった。


「最初に、剣を買い取った武器屋の主人が亡くなった。その亡骸の傍らにはその剣が転がっていたらしいわ……。そして、次はその剣を引き取った冒険者が死に、その次は武器収集を趣味としていた役人が死に……」

「その剣が呪剣だったのか」


 あまりにもあっさりと語られる人の死に、今まで黙って話を聞いていたエルサリオンも冷静なまま呟いた。

 ドニは話の内容が急に物騒なことになり、腰が退けそうになったが、知らない単語を耳にして興味がそちらに向いた。

 それをすぐに察知したエルサリオンが簡単に説明を挟んでくれる。


「呪剣っていうのは呪いがかかった剣のことで、たまにあるんだよ。持ち主に不幸をもたらしたりね。でも、人がそんな短期間で死ぬなんて相当強い呪いだ」


 初めて知る呪剣の恐ろしさにドニはゴクリと息を呑んだ。

 人が死んでいく情景を頭に描き、その恐怖に顔が強張る。

 しかし、何か違和感が胸に引っかかり、内心でこっそり首を傾げた。

 その間にも、途中で言葉を遮られたことを気にしていない様子のエリカが途絶えた話をまとめ、続きを語っていく。


「……結局、一年で七人が死んだわ。それで、この付近の人たちは怯えてしまって、件の剣を男のもとへ返すことにしたの……」

「それで、あの墓地に」

「そう……。魔物が出るようになったのは、それから少し経ってからだったわ……。みんな、すっかり怖くなってしまって……剣について話せば、自分たちにも祟りがあるんじゃないかって……」

「だから誰に聞いても知らないの一点張りだったのか……なるほど」


 重い吐息とともに語られた現状を聞き、エルサリオンが今日の出来事を振り返って得心がいったように独りごつ。

 ドニも自身の中に引っかかる違和感や確信を一旦置いておき、これまでに訪問した者たちの反応を思い返して納得を得た。

 確かにそんな恐ろしい事情があるならば、知らないと嘘をついても仕方ないのかもしれない。

 人に死を招く呪いの剣。

 そんなおぞましいものがあるなんて、今まで思いもしなかった。

 けれど、その存在にやはり何処か釈然としないものを感じるのも事実だった。

 それはドニがエリカの話を聞き始めたあたりから抱いていた、とある確信に反するものだ。

 だが、そもそもその確信というものが気のせいである可能性もある。

 何が正しいのかわからなくなったドニがひとりで頭を悩ませていると、エリカがふと控えめに微笑んで、話を締めくくった。


「あたしが知っているのは、これだけよ。お役に立てたなら、いいのだけど……」

「ご協力ありがとうございます! すっごく助かりました!」


 にこやかに感謝を述べるエルサリオンは何やら手応えを感じているようだが、ドニの頭の中はいまだに答えが出ない。

 そのままもやもやと考え込んでいると、エリカが心配そうなため息を吐いて、そっと話しかけてきた。


「……あなた、少し顔色が悪いわ……。話を聞いて、怖くなっちゃったかしら……?」


 突然、声をかけられたドニはビクッと驚きながらも、ふるふると首を横に振った。

 怖かったことは合っているが、今はそれよりもその呪剣の存在がどういったものなのかが気になるのだ。

 ドニの確信が正しいのならば、自分たちも街の者たちも、何か勘違いのような行き違いをしている気がする。

 その予感が間違っていなければ、もしかしたら、その剣は……。


「……あら……?」


 突如、エリカが何かに気がついたような声をあげ、ドニの顔をまじまじと覗き込んできた。

 また自身の思考に意識を向けそうになっていたドニはその視線にドギマギして、思わず少し身を引いてしまう。

 それでも彼女は気にすることなく見つめ続けてくる。

 居心地の悪さにどうしていいのかわからず目を泳がしていると、彼女がようやくポツリと呟いた。


「あなた……なんだかあの子に似てるわ」

「あの子?」


 誰に聞かせるわけでもなくこぼされたその言葉に、ドニは虫の知らせのようなものを感じた。

 咄嗟にエルサリオンとフアリにはこの先のことを聞かれたくないと思ったが、人当たりがよく好奇心旺盛なエルフはすぐにエリカへ疑問を返した。

 この場から逃げ出したいという気持ちが急激に高まるが、体は凍りついたように動かない。

 ただもう終わったと思っていた過去が大口を開け、己を飲みこもうとしているのだということは理解できていた。

 処罰を待つ罪人のごとく、ドニは耳を傾け、次の言葉を待った。


「さっき、死んだ男の持ち物は売り払われたって言ったでしょう? その中にね、ひとりの男の子がいたのよ」


 ふたたび語られる彼女の話にドニの心臓がひと際大きくドキリと跳ねる。

 だが、それと同時にストンと合点がいった。


 その男の子というのは、自分のことだ。

 間違いない。

 冬の終わりに倒れたまま動かなくなった男。

 その傍らで呆然とするしかない自分と、放り出された変わった形の剣。

 ドニが忘れることのできない、絶望の光景。


 やはり己の確信は間違っていなかった。

 死んだ男というのはあの恐ろしい飼い主であり、何度も目にしてきた凄まじい切れ味のあの剣が事件の発端である呪剣なのだ。

 この街に足を踏み入れてからずっと付き纏っていた予感が、ようやく確かな形をもってドニの前に姿を現した。

 しかし、初対面だと思われるエリカがなぜ自分のことを知っているのだろうか。

 自身でも判断のつかない複雑且つ強大な感情に、薄っすらと顔を青褪めさせながらそう考えるが、エリカはさらに話を続け、その疑問に意図せず応えてくれた。

 

「その子は奴隷だったようなのだけど……主人を亡くしたことで、心が壊れてしまったのかもしれないわね。男の亡骸のそばでぼんやりするばかりで、碌な反応も返ってこなかったから、奴隷商に売ったそうよ……。でも、いい値にはならなかったみたい……。あたしもあまりよく見たわけじゃないけど、あなたはその子に似ているわ」


 そうだった。

 前の主人が死んで、幼い頃から当たり前だった世界がなくなって、ドニは一度、心を閉ざしたのだ。

 何も見たくなくて、聞きたくもなくて、しばらく自分の内側に閉じこもっていたときの曖昧な記憶が蘇る。

 あのときのことはあまり覚えていないが、奴隷商に引き渡されたことはなんとなく思い出せる。

 彼女はそのあたりのドニを見かけたのだろう。

 けれど、どんなに苦しくても時間の流れは何ひとつ変わらない。

 やがて心がいくらか落ち着き、周囲の現状を多少理解できるようになってきた頃に、ドニはあの奴隷商の薄暗いテントの中でタオーネと出会ったのだ。

 あの優しい魔族の魔術師との出会いを思い出し、胸がキュッと締め付けられるような何とも言えない気持ちになる。

 ドニにとって大きな存在であったふたつの世界は、今はどちらも遠く手が届かないところにある。

 現実へ意識を向けると、今度は胸がチクリと痛み、ドニは目を伏せた。

 その様子を見たエリカが勘違いをしたらしく、申し訳なさそうに眉を顰め、やはり気だるげに謝罪した。


「……あら……ごめんなさい……。奴隷に似てると言われて、いい気分はしないわよね。それに、あの子はもっと小柄だったもの……。お兄さんとはまるっきりの別人よね」


 謝る彼女には悪いが、ドニはその勘違いの影に自身の本心を隠すため、黙って首を振るだけに留めた。

 奴隷であったことはエルサリオンとフアリも知っているからいいとしても、他者の目を通してハッキリと色づいた過去に触れることがやはり怖かった。

 だから、ドニは心の中で謝った。


 ごめんなさい、お姉さん。

 その奴隷の男の子っていうのはおれのことなんです。

 この一年で背もいっぱい伸びたからわからないかもしれないけど、間違いなくおれなんです。


 一年と少し前にヘイストルを出たときよりも、随分と高くなった目線からカウンターに置かれたエリカの指先あたりを眺めながら、ドニは秘かに謝り続けた。

 嘘をついてしまったことへのきまりの悪さと、そこはかとない悲しみで顔を上げることはできなかった。

 そんな気詰まりな空気の中、エルサリオンが遠慮がちだが愛想のいい笑顔で、ふたりの間に入るように口を挟む。


「えーっと、そしたらその亡くなった剣の持ち主の方のお墓の位置を教えてもらってもいいですか? これから詳しく調査をおこないたいので……」

「あ……ええ。お忙しいのに、妙な話で引き留めてしまってごめんなさいね。今、紙に書いてお渡しするわ」


 エルサリオンの言葉にドニから意識を逸らしたエリカが店の奥に引っ込んでいく。

 視線が外れたことでホッと息を吐き、両手で包むように手にしているカップへ目をやった。

 すっかり温くなってしまったそれはドニの情けなく眉が下がった顔を映し出している。

 わざわざ淹れてもらったものを残すのも忍びなくて、カップを持ち上げて中身を一気に飲み干した。

 人肌程度の温度のお茶が乾いてカサカサになっていた唇に染み渡る。

 ごちゃごちゃと混ざり合った厄介な感情も、自分の情けない顔もまとめて全部飲みこんでしまえ。

 そうやってドニがお茶を飲み終えたとき、ちょうどエリカが戻ってきた。

 彼女は簡素な紙切れをエルサリオンの手に握らせると、その手に触れたまま、そっと微笑んで独特の吐息のような言葉を彼にかけた。


「よかったら、またいらしてちょうだい……。今度はお茶じゃなくて、お酒をおともにお話ししましょう……?」

「はい、ぜひ! では、また来まーす!」


 しなだれかかるような魅惑的な誘いに、エルサリオンは快活に返事をして席を立った。

 彼のカップはいつの間にか空になっていた。

 すぐさまフアリも立ち上がり、ドニも慌てて彼らに倣おうとした。

 しかし、ふと思い立って体をカウンターの向こう側に立っているエリカのほうへ向き直し、お茶をご馳走になったことの礼も含めてペコンと頭を下げてから出口に向かった。

 背中に背負った巨大なバトルアックスが引っかからないように扉を潜り、外へ出る。

 最後に店を出たドニが扉を閉めると、エリカが緩やかに手を振る姿がその向こう側に消えていった。

 エルサリオンがぐーっと体を上へ伸ばして背伸びをし、朗らかに笑う。


「いやーいい情報を教えてもらえてよかったねぇ」

「やっぱりその剣が原因なのか」

「んーどうだろ。でも、十中八九はそうじゃないかな。呪術も魔法道具も僕の専門じゃないから、断定はできないけど……」

「直接見たわけでもないしな。これからまた墓場に行って確かめてみるか?」


 善は急げとばかりのフアリの提案にエルサリオンは「あー……」と曖昧な反応を示す。

 ふたりが酒場でおまけのように語られた自身の過去に触れないことへ、秘かな安堵を覚えていたドニは彼が自分を気遣ってくれていることを察した。

 もしかしたら言葉にしないだけで、話の中に出てきた奴隷がドニであると気付いているのかもしれない。

 それをあえて口にしないのは、きっと彼らの優しさなのだろう。

 ドニは胸の内で感謝の言葉を呟き、ふたりに報いるための覚悟を決める。

 悩んでいる様子のエルサリオンの袖を控えめに引き、あまり呼んだことのない彼の名を口にする。


「あの、リ、リオン……?」

「ん! なぁに、ドニくん」


 思いのほか小さくなってしまったドニの声に合わせるように、エルサリオンがひそひそと返事をした。

 ドニは少し口籠ったが、すぐに自らの決断を言葉にして彼へ伝えた。


「おはか、行こう。 おれ、へいき」


 声が小さくとも震えなかったのは、自分にしては上出来だとドニは思った。

 墓地へ戻ったら、きっともう終わったはずだった過去と対峙することになる。

 恐怖はある。

 逃げ出したいという気持ちもある。

 けれど、自分は行かなければならない。

 この街に入ってからずっと感じている、誰かに呼ばれているという感覚。

 それは気のせいなんかではなかったのだ。

 一度は抜け出したように思えた因果の鎖は、まだ解き放たれてはおらず、ドニの帰りを待ちわびていたのだ。

 ドニはエルサリオンのような知識や魔術も、フアリのような剣技も持ち合わせてはいない。

 それでも貧民街の墓地で起こっている問題は、きっと自分にしか解決することができない。

 そんな予感がドニの背中を後押しした。

 エルサリオンはジッとドニの眼を見つめ、そこに無理がないことを確かめ、幼い少年の覚悟に応えるように力強く頷いた。


「……よし、わかった。じゃあ行こっか!」


 一瞬、真面目な顔をした彼は次の瞬間にはニッコリといつもの陽気な笑顔に戻り、高らかに次の方針を宣言した。

 図らずして内緒話のようになっていたふたりの会話を、少し離れた場所から傍観していたフアリがフンと鼻を鳴らす。


「ふたりで何こそこそ話してるんだよ。丸聞こえだけどな」

「やだー男の子同士の内緒話を盗み聞きするなんて、フーちゃんのえっち!」

「わけわかんねーこと言ってんじゃねぇよ!」


 ケラケラと笑って相方を茶化したエルサリオンが、肩のあたりをフアリに拳骨で殴られて「痛い! 暴力反対!」と叫んだ。

 そんな通常通りのふたりの様子を、ドニは自分でも意外に思うほど落ち着いた心持で眺めていた。

 思い切って過去と対峙する決意をしたせいもあるだろうが、己を呼ぶ声なき声が不思議と恐ろしく感じないことも大きかった。

 それが死んだ飼い主のものなのかはわからない。

 でも、誰かがドニを必要としているのは確かだった。

 緊張かはたまた今までにない事柄に興奮しているのか、高揚する気持ちを細く長い息に含ませて逃がすと、ドニは手招きするエルサリオンに促されて歩き始めた。

 ドキドキと体中が脈打っていたが、もう逃げようとは思わなかった。

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