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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第3章 喧騒の街ヘイストル
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下調べしよう②

「こんにちはー! 冒険者ギルドの者なんですけど、ちょっとお時間もらってもいいですかー?」


 墓地からそう離れていない民家に、エルサリオンが臆することなく訪ねていく。

 そんな彼の後ろで、ドニはオドオドとその様子を見守っていた。

 魔物出現に関して聞き込みをおこなうと決めた一行は、二手に分かれて行動しているのだった。

 言葉通りに一匹狼の気があるフアリは単独で、そしてドニは一緒に行こうと誘われてエルサリオンに連れられている。

 最初こそ頑張ろうと意気込んでいたドニだったが、やはり知らない者と話すことはまだ難しく、結局エルサリオンに任せきりになってしまっていた。

 挨拶すら満足にできない自分が情けなくてしょんぼりと肩を落とし、愛想よく質問している彼を待つ。

 この家で訪問は十数軒目となるが、少しして戻ってきた彼は別段残念そうな様子は見せずに、成果はないと首を横に振って示した。


「特に知ってることはないってさー。ここから先は貧民街スラムだからちょっと危ないみたいだけど、どうしよっか?」


 そう言ってエルサリオンが指さす方向へ目を向けると、数軒先の路地あたりから侘びしげな光景が続いている。

 民家というには粗末な小屋や薄汚れた道は、奥に進むごとに貧しい印象が強まっていくように感じられる。

 確かに荒っぽいその地帯は危険が潜んでいそうだが、ドニは不思議と懐かしさを覚えた。

 ドニが以前、この喧騒の街ヘイストルで暮らしていたことは確かなことだったが、何処の区域に住んでいたかまではわからない。

 もしかしたら、この先に……。

 郷愁のような感情と今すぐ此処から逃げ出したいという直感が入り混じり、身の内で暴れる。

 脚が震えそうになるが、それに気付かなかったふりをして、ドニはエルサリオンへ視線を戻した。

 今回の依頼でまったく役に立っていないというのに、これ以上、足を引っ張るわけにはいかない。

 意を決して息を呑みこみ、首を縦に振る。


「……い、行く」

「オッケー! そしたら僕のそばを絶対に離れないでね!」


 快活にそう言ったエルサリオンが先行して薄汚れた路地へ足を踏み込んでいく。

 ドニは彼の後ろにくっつくようにして歩き、固い表情で辺りの様子を見まわした。

 表の大通りのにぎやかさとは裏腹に、この付近は妙に静けさに満ちている。

 様々な人々が行き交う喧騒の街の中で、此処だけ時間が止まってしまっているようだ。

 人が暮らしていると思われる家屋はどれも古びていて、必ず何処かが壊れていた。

 時たま地面にボロボロの敷物を引いて横たわり、動かない者も見かけたが、エルサリオンが構わず奥へ進んでいくので慌ててそれを追った。

 しばらく歩き、幾分か生活感のある小屋が立ち並ぶ地帯へ出る。

 エルサリオンはこの辺りから聞き込みを始めることに決めたらしく、またもや先ほどと同じような調子で民家を訪ねていった。

 ドニもその後についてまわり、ふたりで数軒ほど尋ねてみたが、やはり成果は芳しくない。

 何処でも知ってることはないと言われ、それでおしまいだ。

 それでもめげずに次の家に行こうと歩むエルサリオンに続こうとしたそのときだった。


「…………?」


 足を止めたドニは一本の細い路地へ目をやった。

 ほかの道と特に変わりのない不潔な路地だ。

 けれど、ドニの目にはどうしてか明確にほかと違って見えた。

 根拠など何もない、一種の本能のようなものがドニの心身を支配していく。

 背後から吹いた風が道の奥へ吸い込まれていく。

 その風につられたのか、気がついたときには足が勝手にその路地へと歩み始めていた。

 ふらふらと幽霊のような足どりの己を何処か遠くから見つめるが、もはや周囲のことを気にかける頭は残っていなかった。

 途中には幾重にも分かれ道が存在していたが、ドニは誰かに導かれるようにして、その中からただひとつの道を迷うことなく選んでいく。

 それを不思議に思うこともできずに、小路の先に待ち受けるものを求めて彷徨う。

 そして、それはついに姿を現した。


 そこは貧民街の中でも特に寂れていた。

 家というには粗悪な掘っ立て小屋が所狭しと建てられている。

 そんなまるで家畜小屋のような家屋の中のひとつ。

 ドニの脚が真っ直ぐにそのあばら家へ向かっていく。

 ぼやけていた頭が急速にハッキリと澄みきっていった。

 立てつけが悪く、開きっぱなしになっている窓から部屋の中を覗き込む。

 今まで薄らいでいたようにも思える記憶が鮮明に蘇り、目の前の光景と重なった。


 間違いない。

 此処だ。


 部屋は少し様変わりしているようだが、ドニは確信した。

 天井の染みも、風がごうごうと入り込んでくる壁のひび割れも、そのままだ。

 此処が、ドニの家だった。

 この狭い一室でドニは生きていたのだ。

 恐ろしい飼い主とともに、此処に住んでいたのだ。

 そう理解し、ドクンと胸が鳴る。

 小さく震える体を押さえつけるように自分を抱きしめ、縋るような眼で室内を見渡す。

 そこは家具の配置などは多少変わっているようだが、最後に過ごしたときとそう変わらないように見えた。

 乱雑に置きっぱなしにされた空き瓶が、外から差し込む微かな光を反射して鈍く光っている。

 それを目にし、いつも酒瓶で溢れかえっていた部屋の片隅で、小さく身を丸めるようにして眠っていた己の姿が脳裏を過る。

 すると、それが皮切りとなったのか、ドニの意識が急速に過去へ遡っていった。


 凍えるような隙間風に震えた冬の夜。

 幾度にも渡って瓶を投げつけたせいで歪んだ壁。

 半端にしか閉まらない窓から差し込む弱々しい光。

 割れた瓶の破片が散らばり、朝日に淡く煌く剥き出しの床。

 殴られ、蹴られ、燃えるような痛みで動けず、ただ見上げるしかなかった天井の染み。

 夜中に出かけ、いつの間にか帰ってきていた男の無精ひげにまみれた険しい寝顔。

 そんな小さな記憶の欠片がいくつもいくつも浮かび上がり、瞬く星のように次々と視界を照らす。

 そのあまりの明瞭さに、ドニの心は時の流れを忘れ、当時の記憶と完全に繋がった。


 あの人はいつも明るいうちは眠っているのに、何処へ行ってしまったのだろう。

 たまにふらりといなくなることは今までにもあったけど、今回も数日は帰ってこないのかな。

 ひとりで夜を過ごすのは怖いけど、殴られずに済むから少し安心。

 でも、外に出てたなんてバレたらお仕置きをされてしまう。

 早く家の中に戻らなきゃ!


 ドニの足がふらりと動き始める。

 顔は恐怖に引き攣っていたが、心の奥底では安堵にも似た喜びがほのかに灯っていた。

 それは実に奇妙な感覚だった。

 そこが地獄だとわかっているというのに、その地獄に帰ることが本当に嬉しいのだ。

 一歩踏み出すごとに頭がふわふわと舞い上がり、手足の先にまでジンと痺れるような幸福感が迸る。

 満ち足りた心の片隅で、まだ冷静さを保っている自分が何かを伝えようとしてくるが、それには目をつむってドニは自らを閉じ込める檻の中へ戻ろうと脚を動かし続ける。

 ああ、やっと帰ってこれた。

 まるで長い旅を終えた者のように、ずっと抑え込んでいた懐旧の念が今、解き放たれようとしていた。

 だが、そんな幻想の世界はそう長くは続かなかった。


「なんだぁ? オメェ……人の家に何しようってぇんだ?」


 突然、背後から酒に焼けた声を投げかけられ、ドニはハッと正気に戻った。

 家に入ろうとしていた足を止め、恐る恐る振り返ると、そこには貧相な身なりの男が立っていた。

 一瞬、その姿があの人・・・と重なったが、よく見るとまったくの別人だ。

 ただ昼間から酒の匂いを纏わせているところだけが似通っているだけで、顔つきも服装もすべてが異なっている。

 男は酒臭い息を撒き散らし、悪意に満ちた目でこちらを見据える。

 そんな不穏な雰囲気の男を前にしながらも、不意に夢から引きずり出されたドニは動くことも言葉を口にすることもできず、その場に立ち尽くしてしまう。

 何も応えないドニにさらなる猜疑心が募ったのか、苛立ちを顕にした男が自身の懐に手を忍ばせながらにじり寄ってくる。

 このままでは危険だと脳内で警鐘が鳴るが、やはり動けない。

 背に担いでいるバトルアックスに手を伸ばすことすらできないまま、恐怖に凍りついた瞳で近寄ってくる男を見つめるしかない。


 しかし、その時。

 ドニの視界に茶色の何かが飛び込んできた。

 突如、ドニと男の間に割って入るようにして人の形をした布の塊が転がり込んできたのだ。

 それがエルサリオンのローブだとドニが気付くよりも早く、エルフの魔術師は大きな声でまくしたてた。


「おーっとぉ!! お兄さん、ごめんね! この子、迷子になっちゃったらしくて! 僕らは冒険者ギルドから派遣されてこの辺りの調査をしてるんだ! 忙しいからもう行かなきゃ!! バイバーイ!!」


 はつらつたる調子で男が口を挟む隙もないうちに、強引に話を終わらせた彼はドニの腕を掴むと敏捷な動きで駆けだした。

 そのまま引っ張られる形でドニも走りだすが、急なことで足がもつれそうになる。

 けれど、エルサリオンが何やら呪文のようなものを呟くと、体が軽くなり、もたついていた脚も軽快に風を切り始めた。

 今までにない速度で入り組んだ路地を飛ぶように駆け走り、わけもわからぬまま導かれ、人気ひとけのない路地裏に飛び込む。

 随分な距離を逃げてきたが、ふたり揃って息が乱れるということもない。


「此処まで来れば大丈夫でしょ」


 そう言って、建物の影から様子を窺い、追われていないことを確かめたエルサリオンがホッとしたように笑った。

 彼は聞き込みの最中に姿を消したドニを叱ることもなく、ニコニコと笑ったまま言葉を続けた。


「ドニくんったら、途中でいなくなっちゃってびっくりしたよ。冒険したくなっちゃったかな? まぁ男の子はいつでも冒険心ってやつが…………ドニくん?」


 陽気にしゃべっていたエルサリオンが途中で言葉を切る。

 しかし、ドニはもう彼に応える余裕を失っていた。

 溢れ出る涙が視界を滲ませる。

 次から次へと頬を伝い、ボタボタと顎から落ちて地面を濡らすそれは止まることを知らないようだった。

 勝手にいなくなったことや迷惑をかけたことを謝らなければという考えも浮かんだが、心も体も言うことを聞いてくれなかった。

 力なくしゃがみこみ、身を縮こまらせてボロボロと泣きじゃくる。

 そんなドニを目にしたエルサリオンがそっと寄り添うようにドニの肩に手をまわし、涙でぐしゃぐしゃになった顔を覗き込んでくる。


「どうしたの? さっきのやつに何かされた? それとも走ったときに何かにぶつかった? 何処か痛いところがあるの?」


 自分を心配する問いかけにも答えることができず、かろうじて首を横に振り、ドニは物言えぬ赤ん坊のように泣き続けた。

 いくつもの感情が入り混じり、意味のない嗚咽となって漏れ出していく。

 もう暴力に怯えなくてもいいというのに、あの家に戻ってこれたという束の間の喜び。

 かつて己のすべてであった小さな世界は失われ、他人の手に渡ってしまったという現実を知った悲しみ。

 もう二度とあの場所には帰れないのだという絶望。

 そんな感情の渦に飲み込まれ、ドニはひたすら涙を流し続けた。

 自身の奥底にしまい込んだ大切なものを失った喪失感が、ドニを苛める。

 目が焼けそうに熱い。

 このまま瞳も、体も、心も溶けて、涙とともに流れ出ていってしまえばいいのに。

 けれど、その願いは叶わない。

 泣いて、泣いて、泣き続けても、ドニが擦り減ることも消えることもない。

 そして、すべての物事に終わりが存在するという道理は、もちろんドニにも当てはまる。

 どんな大雨もいずれは降りやむのと同じように、涙は少しずつ静まっていった。

 まだ胸にポッカリと穴が空いたような虚無の中にいることに変わりはないが、荒れ狂っていた感情の波も少しずつ凪いだ状態へと収束していく。

 やがて涙も枯れ、足元に広がった染みをぼんやりと見つめる頃には、周囲へ意識を向ける程度のゆとりが戻ってきていた。

 ドニは泣いている間に、エルサリオンがそばでずっと背中を撫でていてくれたことにやっと気がついて、真っ赤に腫れた眼をしょぼしょぼとさせながら、ようやく謝罪の言葉を口にした。


「…………ごめんなさい」

「んーん。僕は大丈夫。泣きたいときは泣いたほうが健康的だし、謝らなくていいよ」


 彼は優しくそう言って柔らかな微笑を湛え、汚れたドニの顔にそっと触れた。

 ヒヤリと冷たいその感触を心地好く思うや否や、涙に濡れた目元や頬からピリピリとした痛みが消える。

 どうやら治療魔術を用いたらしいエルサリオンは、目的を達成したあともそのまましばらくドニの頬を撫で続けた。

 そうしているうちに何とか日常へと紛れ込める程度には心を持ち直したドニは、さりげなく差し出されたエルサリオンのもう片方の手を遠慮がちに握り、立ち上がった。

 体には鉛のような疲れが重くのしかかり、気分もまだ暗然とした最中にあったが、これ以上、彼に迷惑をかけたくなかった。

 棒と化した脚を踏ん張り、なんとか体を持ち上げる。

 よろよろとおぼつかない足取りのドニを支えて手助けしたエルサリオンは、優しげな眼差しでその様子を見守るだけで、特に何かを問いただすということはなかった。

 ただジッと澄んだ瞳で見つめられる。

 その視線に少しドギマギしてしまったドニが無理やり作り上げた下手くそな笑顔を返すと、彼は是とも非とも言わずにふわっと笑んだ。

 それからドニを日常へと引っ張り込もうとしたのか、意図して話題が変えられ、彼の口から今は此処にいない相棒の名があげられた。


「そしたら、一回、墓地に戻ろうか。フーちゃんと合流しなきゃ……」

「アタシなら此処にいるぞ」

「へぁ?」


 この場にはいないはずだったフアリに言葉を返され、エルサリオンが間の抜けた声を漏らす。

 ドニも心臓が飛び出るのではないかというほど驚いて、すぐさま声が聞こえてきた方向へ振り向く。

 すると、死角となっていた物陰からマントに身を包んだフアリがふたりの前に姿を現した。

 急な彼女の登場にドッドッと胸を鳴らしているドニの横で、エルサリオンが目を丸くしながら首を傾げ、相方へ当然の質問をした。


「あれー。フーちゃん、なんで此処にいるの?」

「匂いを辿ってきた」

「すごく野性的だなぁ」


 簡潔な答えを返され、ぼやく彼の瞳が楽しげに光る。

 フアリの言葉にドニがそんなに匂うだろうかとスンと鼻を鳴らすと、その光はますます強まった。

 彼女がやってきたことで、それまでの空気にひびが入り、にわかに重く暗い雰囲気が流れ出ていったようだった。

 それでもまだ残っている湿っぽさにフアリは訝しげな顔を見せたが、それを口にすることはなく、ふたりを追ってきた理由について触れた。


「情報を掴めそうなところを教えてもらったから、お前の意見が聞きたくて追ってきたんだ」

「えー何処何処ー?」

「貧民街近くの小せぇ酒場だとよ。此処からそう遠くねぇし、今から行ってみるか?」

「うーん……そうだなー……」


 相棒が持ち込んだ有益な情報を前に、エルサリオンは迷っているようだった。

 ドニはすぐにそれが自分のことを気にしているからだと気付いた。

 きっと先ほどまでの尋常ではない様子を心配しているのだろう。

 だが、ドニとしては自身が原因となって彼らの行く先を邪魔することは不本意だ。

 やっと手に入った手掛かりを見逃すわけにはいかないだろう。

 最後に小さな音をたてて鼻をすすり、ドニは思案するエルサリオンへ自分の意見を述べた。


「お、おれ、へいき。行く」

「……よし、それじゃあ行ってみようか!」


 自ら考えを示したドニの顔を見たエルサリオンはその意志を受け取るように頷き、件の店へ足を運ぶことを決定した。

 結論を聞いたフアリが早速ふたりを先導するように、さっさと先へ進んでいく。

 そんな彼女を追おうとするエルサリオンに促され、ドニも重たい足を動かした。

 疲労からか、危なっかしい足つきではあるが、問題なく歩けるようだ。

 しかし、ドニは数歩進んだところで脚を止め、さっき駆けてきた道を振り返った。

 迷路のように入り組んだ路地を何度も曲がってきたため、通った道筋は覚えていない。

 それでもこの道の先の何処かに、あの粗末で狭いあばら家があることには間違いなかった。

 もう戻ることはできない過去がまだ手招きしているような感覚に、胸がざわざわと波立つ。

 でも、それはきっとただの幻想に過ぎない。

 主人を失い、他人の手に渡ったあの家にドニの居場所はない。

 今は前に進むしかないのだ。

 こみ上げてくる気持ちを振り切るように向き直り、ドニはまたおとなたちを追って歩み始めるのだった。

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