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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第3章 喧騒の街ヘイストル
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下調べしよう①

 冒険者ギルドを訪れたドニたちは一旦、宿屋に戻り、休息することになった。

 近場の店で出来合いの食糧を買い込んで部屋に帰る。

 その頃にはとっくに陽が沈みかけていて、蝋燭の心もとない灯りを頼りに質素な夕食が始められた。

 ドニは目をしょぼしょぼさせて、ゆっくりと手元のパンをちぎっては口に運んだ。

 指先まで岩になってしまったかのように重く、体を動かすのがひどく億劫だ。

 慣れない旅路、忙しない人々の往来、挙句の果てには魔物討伐の依頼受諾……これまでの疲れがどっと押し寄せてきたようだった。

 あまり食欲が湧かないまま、作業のように食べ物を飲みこんでいく。

 元からしゃべることを苦手とするドニだったが、今はいつも以上に沈黙に包まれていた。

 食卓をともにするエルサリオンだけが陽気にしゃべり続けており、それに時おりフアリの素っ気ない相槌のような言葉の形にすらなっていない声が挟まれた。

 そうして淡々と食事を終わらせると、安宿の狭い部屋ではやることがあるわけでもなく、あとは眠るだけとなった。


 三つ並んだうちの一番奥の硬いベッドに寝転がると、体の節々がギシギシと痛む。

 薄っぺらい毛布に包まり、眼をつむる。

 疲労感が体にのしかかって寝返りさえも億劫だ。

 そのままただ静かに横たわっていると、やがて思考が昼間に感じた予感へと辿りついた。

 あれは、一体何だったのだろうか。

 ドニは無意識に拳を胸元に当てて考え込んだ。

 その予感は根拠もないというのに確かなものとして、いまだにドニの心に付きまとっていた。

 一時的に過ぎ去っていた感情の波がうねり、胸をざわつかせる。

 誰かがこの街の何処かで呼んでいる気がする。

 冒険者ギルドでその存在に気付いたときよりも、それは強く感じられた。

 何に呼ばれているのかはドニ自身にもわからない。

 だけれど、その者のもとへ行かねばならないという焦燥感が少しずつ募っていく。

 いつの間にか閉じていた瞼を開いて、ジッと声なき声に耳を澄ましていると、不意に暗い室内で遠慮がちな囁きが耳に届けられた。


「……ドニくん、まだ起きてる?」


 小さく掠れているが可憐なその声は、隣りのベッドで眠っているはずのエルサリオンだった。

 急に声をかけられたことでビクリと体を跳ねさせたドニは、彼に応えるためにもぞもぞと毛布から顔を出し、コクリと言葉なく頷いた。

 すると、夜目が利くらしいエルフの青年は横たわったまま、ドニと目線を合わせて微笑んだ。

 日中の明るさを幾分か抑え、落ち着いた様子の彼は小声で話し始める。


「フーちゃんは寝てるみたいだね。こうして三人揃って眠るのは初めてだから、なんか面白いな」


 エルサリオンが楽しげにそう言って目を細める。

 彼の向こう側で眠っているらしいフアリは静まり返り、寝息も聞こえてこない。

 本当に眠っているのかドニには判断がつかないが、彼女とそれなりの時間をともにしているエルサリオンはさらに相棒の話題を続けた。


「本当はフーちゃんも女の子だし、ふたり旅の最初は別室にしようかとも思ったんだけど、フーちゃんが無駄にお金を使うのを嫌がってね。それから宿屋さんに泊まるときは一緒の部屋なんだ」


 僕だからいいけどちょっと危ないよねと笑うエルサリオンの言葉に、ドニは小さく首を傾げた。

 バナーレ村では避難所で男も女もみんな一緒に過ごしたけれど、異性が一緒の部屋に泊まることで何か問題があるのだろうか。

 今まで女性という存在にあまり縁がなかったドニにはよくわからない。

 時たまシェリィがレディの扱いとかいうものを教えてくれたことがあったが、そういったものと関係があるのだろうか。

 そんなことを考えていると、優しげな眼差しでドニを見つめるエルサリオンがふたたび囁くように問うてきた。


「……ドニくんは、此処で眠れそう?」


 その問いの意図をドニは理解できずに、曖昧な頷きで返す。

 いくらベッドが硬いと言っても馬車の荷台で眠るよりは快適だ。

 それに、タオーネと出会う前はずっと床で寝ていたのだ。

 安宿の粗末な寝具ならば十分すぎるほどである。

 しかし、エルサリオンが気にしているのはそういうことではないのだと、彼が続けた言葉を耳にしてドニはやっと気付いた。


「なんか、ヘイストルに入ってから元気がない気がしてさ。僕の気のせいだったらいいんだけど……」


 微笑みを保ちつつも心配そうなエルサリオンに、ドニはすぐに応えることができなかった。

 彼の言うことは鋭い。

 だが、ドニにはこの複雑な胸の内を言葉にすることはできそうになかった。

 他者に触れられると何かが崩れることになりそうで、この街に住んでいたことも含めて過去のことは話したくない。

 一年ともに暮らしたタオーネにだって、自身がどういった暮らしをしていたか話したことはない。

 けれど、その封じたはずの暗い記憶の一片が、この街の何処かで確実に待ち受けているのだ。

 それはきっと避けることはできない。

 一緒に旅するふたりの前で因縁ある何かに出会ってしまったら、自分はどうすればいいのだろう。

 答えがわからない不安を抱えたドニは僅かに口を開いたが、結局はそれも閉じてしまった。

 自身の心を話すことを選択肢から消して、もっとも簡潔な応えを言葉にしてエルサリオンへ返す。


「おれ、ねれる」

「そっか。じゃ、もうそろそろ眠ろうか。明日の朝は少しゆっくりでいいから、いっぱい眠ってね。おやすみ」


 的外れともとれる言葉にも、長い時間を生きてきたエルフは特に意見することなく優しい挨拶をかけるだけに留めてくれる。

 ドニは深く聞き出そうとせずに枕へ頭を沈める彼の様子にホッとして、自らもふたたび毛布の中に潜り込んだ。

 恐怖と苦しみの記憶はこれからもずっと自分の中に閉じ込めておきたかった。

 うまく説明はできないけれど、それを外に出してはいけないような気がして、とにかく己の奥底にしまい込んで蓋をしてしまいたかった。

 そんなドニの気持ちを察してくれたのか、そっとしておいてくれるエルサリオンに感謝しつつ、瞼を下ろす。

 それからしばらく様々な考えや感情が体の中で渦巻いていたが、大した時間を必要とせずとも、まるで果実が木から落ちるようにドニはストンと眠りについたのだった。




※※※※※※※※※※




 ドニが目覚めたのは、東の空に日が昇りきってからだった。

 髪に寝ぐせをつけたまま寝惚け眼を擦って周囲を見渡すと、エルサリオンもフアリも支度を済ませていることに気付き、慌ててベッドから抜け出した。

 どうやら彼らはとっくに起きていたらしく、エルサリオンに至っては朝からもう一度、冒険者ギルドへ顔を出しにいったようだ。

 そんなに急がなくていいと言われながらも、ドニはできるだけ早く支度を終わらせる。

 着替えと朝食を済まし、最低限必要な荷物を背負う。

 ドニの準備が整ったことで、三人は揃って宿屋を後にした。

 まだ数日は世話になる予定のため、荷物の大半は部屋に置いたままだ。

 今日は受けた依頼の下調べをしようと昨日のうちに決められたので、昼間から魔物が出るという墓地に向かっているのだ。

 話によると魔物は日が出ているうちは活動しないということだったが、三人とも武器は手放さずにいる。

 ドニは地図の見方がいまいちよくわからないので、先頭を行くエルサリオンに任せっきりだが、冒険者ギルドへ向かう際に用いた大通りではなく、細い路地をいくつも歩いていく。

 色々な道を行ったり来たり曲がったりしていると、段々と人気ひとけが少なくなっていく。

 現在地が何処なのかさっぱりわからなくて不安になるが、先導するエルサリオンはギルドで受け取った地図を見ながら迷いなく進んでいく。

 そんな彼の姿に安心してついていくと、やがて目的の場所へと辿りついた。


「此処が例の墓場らしいよ」


 そう言うエルサリオンの後ろから恐る恐るその場所を覗き込む。

 すると、そこはまだ昼間ということもあって思っていたようなおどろおどろしい雰囲気ではなかった。

 死体が埋まっていることに変わりはないので少し怖い気もしたが、初夏に差し掛かっている陽射しに照らされた墓地は平穏そのものだ。

 なんだか拍子抜けして、先を行くふたりの後に続いて足を踏み入れる。

 ざっと辺りを見渡したフアリも同じようなことを思ったようで、ポツリと独り言のように呟いた。


「昼間は静かなもんだな」

「やっぱりアンデッドは夜にならないと動けないからねぇ。みんなお昼寝中なんだよ」


 暢気なエルサリオンの言葉はこれから魔物退治をする者とは思えない。

 それを聞いたドニは、無意識に張りつめていた肩の力が抜けるのを感じた。

 のほほんとした調子を崩さない彼はフアリと同じように辺りをキョロキョロと見渡し、その少年らしさの残る容姿とは裏腹に多くの知識や知恵が詰まった頭を働かせて、自分たちの現状を確認していく。


「うーん……結構広いなー……。しらみ潰しに調べてもいいけど、専門家ってわけでもないし何かわかることあるかな?」

「やっぱり夜を待って片っ端から片付けちまったほうがいいか」

「いやー、それだとどうして魔物が湧いたかまでわからないでしょ。死霊アンデッドも種類によって色々あるけど元は死体ってことが多いんだし、もしかしたら今いるやつらを討伐したところで問題の根本を解決しないと、新しい死体が糧になってまた出てきちゃうかもしれないから……」

「あーそういう小難しいことは全部お前に任せる。斬るときは言え」

「んもー、フーちゃんの脳筋ー。ムキムキ脳みそー」

「うっせぇ」


 早々に理解を放棄したフアリをエルサリオンが囃し立て、お約束のように小突かれる。

 ドニも彼が何を言っているのかはよくわからなかったが、このまま墓地を調べまわってもあまり意味がないことだけはわかった。

 フアリのように戦うのは任せろとも言えないドニは、自分にも何かできることはないかなぁと思ってそわそわとエルサリオンの決断を待った。

 仮にも自身の本登録のための依頼なので、ふたりにすべてを任せきりにするのは気が退ける。

 なんだか落ち着かない気持ちでいると、彼はすぐにひとつの案を提示した。


「そしたら、まずは聞き込みでもしてみる? 魔物が出るようになる前に何か異変があったかどうか、近くの住人さんたちに聞いてみたら何かわかるかもしれないよ。三人で宛てもなく墓地を調べるよりよっぽど効率がいいし」


 つまり近くに住む者たちに質問をしていくということだろうか。

 その提案を聞いたドニは、その方法を実行するにあたって自分が役に立てるとは思えず、少し気落ちした。

 けれど、せめて決まったことは一生懸命にやらなければと考え直すと、フアリも肩を竦めて同意を含む言葉を口にした。


「アタシはそういったことは苦手なんだが……仕方ねぇか」

「支部長さんからギルド職員の証を借りてきたから、これを見せたら大抵は協力してくれるって言ってたし、とりあえず行ってみよ!」


 エルサリオンが懐から取り出した木の札のようなものを示して笑う。

 ドニもコクリと頷いてふたりの意見に同調した。

 これからの行動が定まったことで、三人はひとまず墓地を後にして町中へ歩を進める。

 墓場を囲う頼りない木の柵を越え、足を一歩、外へ踏み出す。

 すると、ドニはわき腹にピリッとした痛みというには微弱な違和感を感じて、脚を止めた。

 そこは今までほとんど痛むことがなかったはずの、奴隷の焼印が刻まれている箇所であった。

 その事実を認識した頭に、この街にきてからずっと片隅に根付いているあの予感がちらついた。

 背筋が、ぞわりと粟立つ。

 ドニの意識がまたもや己の心の深部へと潜り込みそうになる。

 だが、今は依頼をこなさなければ。

 沈みかけた知覚を半ば強引に現実へと引き戻し、ドニは軽く頭を振った。

 そして、急に立ち止まった自分に気付き、どうかしたのだろうかと視線を向けてくるおとなたちのもとへ追いつくため、小走りに墓地を去ったのだった。

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