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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
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村での暮らし①

 ドニがバナーレ村で暮らし始め、十日ほどの時が流れた。

 タオーネも自宅の一室で営んでいる治療院の仕事があるため、一日中そばにいてやるわけにもいかないが、食事は三食すべてふたり揃っておこなっている。

 栄養不良で青ざめていた顔色も幾分かよくなったようだ。


 仕事が一区切りつけば一緒にお茶をしたり、文字の書きとりをさせたりしている。

 やはりまともな教育を受けていないようで文字の読み書きや簡単な計算は疎か、日常的な会話も少々怪しいが、それについては教え甲斐があるというものだろう。

 タオーネは人に何かを教えるということに関しては苦にならない質であった。

 文字の書きとりについては力の加減がうまくいかないらしく、白墨を三本ほどへし折られてからは、木箱に入れた砂に指をなぞらせ、文字の形を学ばせている。

 ドニはけして物覚えがいいとは言えない上に、なぜそのようなことをさせられているのかあまり理解していないようだが、極めて従順な性格のようで言われたことを懸命にこなそうとする様子が伝わってきた。

 タオーネが治療院で薬の調合をしている今も、見本として白墨で文字を記した黒板を見ながら砂をなぞり、文字を練習していることだろう。


 また、やはり他者に対する恐怖心は根強いようで、相変わらずびくびくと怯えるような仕草を見せてはいるが、数日前からは文字の練習の合間にこっそりと窓から外の様子を伺っているようだ。

 そろそろ家の外に関わらせるように働きかけてみてもいいかもしれない。

 夜ならば人目を心配することもなく、ドニも少しは安心するであろう。

 この村の夜はとても静かだ。

 今夜あたり散歩に誘ってみようか。

 そんなことを考えながら調合した薬を袋に包んでいると、外へ通じる扉に仕掛けられた鈴がチリンと鳴り、来客があることをタオーネに伝えた。


「せんせー!こんにちはー!」

「こんにちは、サラさん。そろそろ来られる頃だと思っていましたよ」


 元気よく扉を開いた幼い少女はこの村の猟師の娘でサラといい、毎日欠かさず昼前に彼女の祖母のために調合している関節痛を和らげる薬を受け取りにやってくる。

 タオーネはちょうど包んでいた薬を手渡すと、サラが腕に抱えていた籠を受け取った。

 清潔な布を被せられた籠の中には薬の対価となる食料が入れられており、内容は日によってまちまちだが、金銭の代わりとして受け取っている。


「今日はね、たまごと塩漬けのお肉だよ。あとお母さんがパンを焼いたから持ってけって!」

「いつもありがとうございます。お母さまにもよろしくお伝えくださいね。おばあさまの具合はいかがですか?」

「最近はあったかくなってきたし先生の薬もよく効くからだいぶ調子がいいって言ってたよ」

「そうですか。それはよかった」

「ねぇ、それより先生のとこに男の子が来たんでしょ?どんな子?」


 サラの言葉に安堵しながらも念のため近いうちに彼女の祖母を診察しにいこうと決め、頭の中で予定を組み立てようとすると、サラが大きな瞳をキラキラさせてタオーネに尋ねてきた。

 どうやら村長からドニのことを聞いたらしい。

 この村では珍しい新参者に興味津々といった様子だ。


「おとなしい男の子ですよ。ちょっと怖がりなのでまだ皆さんと会うことは難しいみたいですが、会えた時にはお友達になってあげてくださいね」

「うん、いいよ」


 身体の大きさこそ違うが、年齢的にはドニと近いであろうサラが彼のよい遊び仲間になってくれる可能性を考え、お願いするとサラはにっこりと笑って了承してくれた。

 タオーネはサラの素直さに思わず微笑み、そのぴょこんと元気よく跳ねているおさげ頭を撫でた。


「ありがとうございます。さて、そろそろお家に戻らないと昼食を食べそびれてしまいますよ」

「はーい!また明日ね、先生」

「はい、また明日」


 大事そうに薬を抱えたサラを外まで見送り、扉に休憩中と記された札を掛け、念のために鍵をかける。

 村人は顔見知りばかりとはいえ、治療院の中には扱いに気を付けなければならないものもある。

 万が一のことを考え、タオーネは短い時間であってもその場を離れる時には扉に鍵をかけることを欠かさない。

 きちんと鍵がかかっていることを確認し、治療院として使っている部屋から自宅へ戻った。


 そのまま台所も併設している食堂へ赴くと、大きな影がもぞもぞと控えめに動いていた。

 どうやら幼い同居人は今日もまた窓から外の様子を伺っているようである。


「ドニ、勉強の進み具合はいかがですか」


 驚かせないように低く柔らかな声音で問いかけるとドニは窓からタオーネへと視線を移し、ばつの悪そうな顔をしてのそのそと机に戻った。

 最初に外を眺めているドニを見かけた時には、言いつけられた勉強を放置していたことで叱られると思ったらしく、可哀想なことにひどく怯え、狼狽させてしまい、多くの時間を消費し、宥め続けた。

 その甲斐あってか、今ではそれが叱られる類いの行為ではないと理解したようで過度な反応はなくなったが、やはり言いつけを守らないことに居心地の悪さを感じるらしい。

 タオーネとしては外の世界に興味をもってくれることは喜ばしいことであるが、もとの性格が真面目なのだろう。

 勉強はきちんとおこなっているようなので、正直なところ、そこまで気にしないでよいのではないかとタオーネは思っているが。


「さて、それでは昼食の前に午前のおさらいをしましょうか」


 そう言ってタオーネがドニの横に椅子を運んで座ると、やや緊張しながらもドニはおずおずと砂の入った木箱を自らの前に引き寄せた。

 それを確認し、タオーネは自ら手本としていくつかの単語を記した黒板を手にとって書いてある文字がドニからは見えないようにして、その中のひとつを適当に選ぶ。


「ではまずは“パン”と書いてみてください」


 文字の書き取りは実際に知っているものを題材にしたほうが覚えがいいだろうと考え、今日の午前の勉強時間では身近な食べ物の名前を書き取らせていた。

 そのタオーネの考えは合っていたようで、毎日のように食べているパンは覚えやすかったらしく、問題なく書けている。


「よく書けてますね。次は“アスパラガス”を書いてください」


 今朝の食卓にあがった野菜はあまり馴染みがなく、その文字列もやや長いためか、ドニはしばらく考え込み、迷いながらも砂に指を走らせた。


「ここの綴りが少し違いますよ。正しくは――」


 タオーネはその後もドニの学習の進行具合を確認しながら、間違いは正し、午前中に提示していた単語をふたりで復習した。

 やはりドニの学習能力はあまり高いとは言えず、勉強の進み具合も非常にゆっくりとしている。

 それでもタオーネの言いつけを守ろうと懸命な姿勢を見せているため、問題ないだろう。


 難しいことができなくとも生きるために必要な最低限度のことさえ身に付けさせればいいのだから焦ることはない。

 世の中には読み書きや計算が全くできない者もいるのだ。

 その者たちの多くは立場が弱く、搾取される運命にある。

 ドニがそうならないように知識や技術を教え、学ばせることが彼を引き取った者としての義務であるとタオーネは考えているため、例えどんなにペースがゆっくりだとしても確実に身に付けてもらえたらそれでいいのだ。


「それでは午前の勉強はここまでにしましょうか。昼食にするので手を洗ってくださいね」


 一通りの確認を終え、タオーネが手にしていた黒板を部屋の隅へ片付けるとドニもそれに倣って砂の入った木箱をその隣へ置き、タオーネの言葉に頷いて洗い場の水瓶から水を汲んで手を洗う。

 その様子を視界の端で捉えながらタオーネは鍋の中身を温めるために火を起こした。

 鍋の中を覗くと豚肉とともに煮込まれた豆がとろりととろけている。

 それを焦がさないように時おりかき混ぜながら先ほどサラから貰ったパンを切り分け、籘を編んで作られた籠に盛りつけ、今しがた勉強机として使っていた食卓を濡らした布巾で拭く。

 ドニにも部屋を割り当ててはいるが、家の中では一番広く、タオーネの目も届きやすい食堂で勉強することにしているのだ。

 タオーネは勉強で使用した砂が一粒も落ちていないことを確認し、温まった豆の煮物を皿へ盛ってパンを乗せた籠とともに食卓に運ぶ。

 そして手を洗ったドニが湿った手で匙を並べるのを待って椅子に座る。


「魔族の神よ、与えられし恵みが我が糧となり、血肉となることを感謝致します。……では、いただきましょうか」


 食前の祈りを捧げ、食事の開始を告げると向かい側に座ったドニが木の匙を手にした。

 放っておくと籠のパンには手をつけずに目の前の皿に盛られた煮豆ばかりを食べ続けるため、タオーネがすかさずドニの手元に取り分けたパンを置く。

 どうやら許可なく手をつけてはいけないと思い込んでいるらしく、目の前に出されたもの以外にはいつも手を出さない。

 これも時間をかけて改善していくべき問題だろう。

 ドニが匙を置いてそろそろとパンに手を伸ばすのを見届け、タオーネも自身の食事を済まそうと匙を持つ。


 その途端、台所に面する裏口の扉が外からダンダンダンと叩かれた。

 食事の真っ最中だというのに来客のようだ。


「タオーネ先生、いるか?」

「はい。今行きます」


 驚いてちぎったパンを煮豆の中に落としたドニを落ち着かせるために穏やかな声音で気にせず食事を続けるように告げ、さりげない動作で家の中を来客に見られないよう外に出る。

 扉の前にはこの村の猟師であり、午前中に治療院を訪れたサラの父親であるトーマスが立っていた。


「どうされましたか?サラさんなら先ほど薬を受け取って帰られましたが……」


 普段はあまりない時間帯の訪問に、もしやあの幼い子の身に何か起きたのではないかと眉をひそめるとトーマスが首を横に振る。


「ああ、そのことじゃねぇんだ。さっき西の森に入ったらちょっと妙な感じがしてな。様子を見にいったら見かけない魔物がいたんだ。昼時で悪いけどちょっと一緒に行って見てもらえねぇかな」


 その魔物の強弱はともかく、この辺りでは見かけない魔物が見つかったとなるとこの時間帯の訪問にも納得がいく。

 飢えを凌ぐために群れで移動してきたランクの低い魔物に小さな村が飲まれたという事例もあるのだ。

 村を守るには様々な事柄に対して少々過敏になるくらいがいい。


「それは構いませんが、そのことをニコラスさんには?」


 そう考えつつタオーネがこの村の用心棒である騎士の名前をあげるとトーマスが答えた。


「もう報告しといたよ。そしたら討伐するかどうかの判断も含めてまずは様子を見たいからタオーネ先生を呼んでこいって」


 確かに魔物によっては討伐せずに済むものも存在する。

 そして冒険者歴が長く、専門の書籍もいくつか所持しているタオーネは村の中でも特に魔物に詳しく、その判断を見極めることに関して適役と言えるだろう。


「わかりました。すぐに支度をしてきますね」

「すまねぇな、先生。そしたらニコラスと西門の前で待ってるから」

「はい。それでは後ほど」


 トーマスと別れ、支度のために家の中へ戻るとドニが緊張した面持ちで匙を手にしたまま固まっていた。

 どうやら言いつけ通りに食事を続けようとしたが、来客が気になってそれどころではなかったらしい。

 硬い表情のままタオーネに視線を向けてくる。

 もう来客は去ったことを伝えると細く息を吐き、豆を乗せた匙を口に運ぼうとして、ドニが首を傾げた。

 タオーネが自分の皿を下げて手つかずの煮豆を鍋に戻したことを不思議に思ったようだ。


「ドニ、申し訳ないのですが、急に仕事が入ってしまったので昼食はひとりで食べてしまってください。食べ終わった後の皿は机の端に寄せておいてくだされば結構です。午後は午前と同じ言葉の勉強を続けてください。よろしいですか?」


 そんなドニに出掛ける旨を伝え、これからの行動を指示すると困惑しながらも頷いてもらえた。

 食事をひとりでさせるのは初めてだが、留守番は何度か経験があるので大丈夫だろう。

 そう考え、タオーネは使い古しているがよく手入れをされているローブを羽織った。

 それから愛用の杖を手にしてローブのフードを被る。

 その姿はどこからどう見ても魔術師である。


「それでは留守番をよろしくお願いしますね」


 匙を手にしたままぽかんと呆けているドニに微笑みかけ、タオーネはこの村でたったひとりの魔術師としての役目を果たすべく、裏口から西門へ向かった。




※※※※※※※※※※




 部屋にひとり残されたドニはタオーネが言っていたことを頭の中でおさらいして、とりあえず目の前のものを食べてしまおうとパンを手にとり、動きを止めた。


「…………」


 視線の先にはタオーネが結局は汚しただけになってしまった皿を置いた洗い場。

 そしてドニの頭の中に浮かぶ先ほどのタオーネの忙しそうな姿。


 ドニはしばらく考えてから、ゆっくりと食事を再開させた。


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