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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第2章 魔大陸の魔術師
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王子シュトルツ

 事務室を出て、奥へと続く廊下を進む。

 目的地へと距離を縮めるごとに泣き声は次第に大きくなっていき、ある境から今度は小さくなっていった。

 トロイのあとに続いて歩を進めるタオーネは、そのことに不安を感じながらも黙って前の若者についていく。

 やがて泣き声が嗚咽へと変わり、押し殺すような途切れ途切れの呻き声が聞こえるようになった頃、前を歩いていたトロイが足を止めた。

 どうやら目的の場所へ辿りついたらしい。

 彼は簡単に服装を整えると、なんてことはないといった調子でタオーネへ囁いた。


「此処が例の王子さまのお部屋なんですよ」


 そう言われ、タオーネはやはりそうかと目の前の扉に視線を向けた。

 少女の嗚咽はこの扉の向こうから聞こえてくる。

 そして、その場所は件の王子の部屋だという。

 その子どもがかなりの暴君だと聞いていたタオーネは嫌な予感が当たったことで、改めて気を引き締めた。

 この様子だと教育係としての仕事も一筋縄ではいかないだろう。

 そんな覚悟を決めたタオーネをよそに、トロイは変わらず悠長な調子で扉を叩いた。


「シュトルツ殿下、失礼致しますね」


 声だけかけて返事は待たずに重々しい扉が開かれる。

 自分たちの事務室とは一線を画す装飾を施された扉が開くと、やはりあの事務室よりも広い部屋が続いていた。

 内装は一目で高貴な身分の者が暮らしているとわかるほどに上質。

 家具や絨毯も毎日きちんと掃除されているらしく、埃ひとつ見当たらない。

 しかし、そんな高級感溢れる雰囲気にそぐわない景色がそこで繰り広げられていた。


 部屋の中央、厚手の絨毯の上にふたりの人物。

 ひとりはこの城の侍女が身につける規則にあるエプロンドレス姿の少女。

 おそらく彼女が同僚となるリーリエだろう。

 その豊かな白い長髪はうなじの辺りでふたつに分けられ、胸元に垂らすように結ばれているが、それに対して前髪は無残な姿となっている。

 長さすら揃わず、見目というものをまったく考慮されずに切られた毛髪が絨毯の上に散っている。

 彼女はさっきまで自分とともにあった残骸のような髪たちを、真っ赤に泣き腫らした眼で見つめていた。


 そして、もうひとり。

 魔王城の中でも特に質のいい衣服を着こんだ幼い子ども。

 母親譲りの真っ赤な髪に、その隙間からまだ小さく顔を覗かせている漆黒の双角。

 人族でいえば五つか六つといった年の頃だろうか。

 幼児独特の庇護欲を誘う可愛らしい風貌に不釣り合いな、意地悪く光る不機嫌そうな瞳が印象的である。

 その子どもの小さな手には、やはり不相応に思える大きな鋏が握られており、此処で何が起きたかは明白だった。

 まだ幼い暴君は侍女のふたつに結んだ髪の片方を手にとったまま、むっつりと突然の乱入者を睨みつけた。


「…………誰が入っていいって言った」


 横暴な態度がそのまま込められた言葉は威嚇するような響きを感じられる。

 だが、若い教育係のトロイは気にすることなく暢気な声音で言葉を返した。


「いやぁさすがにこの状況を放ってはおけないでしょう。それで、今回はいかがなさったんです?」

「別に。ただ見苦しい前髪を切ってやっただけだ」

「ひっく……うぐぅ……」


 高飛車にそう言ってのけた、王位継承権を一手に受けるこの大陸の王子シュトルツは、手に持っていた髪の房をグイッと乱暴に引っ張った。

 べそべそと涙をこぼし続ける少女は抵抗することもできずにされるがままだ。

 髪を結っている辺りに咲かせている小ぶりな百合の花も、彼女の心に呼応するかのように、しなりと萎れていた。

 そんな若い侍女を一瞥し、王子はさも愉快そうに冷たく笑う。


「ふん。サッパリしてよかったじゃないか。でも、これじゃあ不細工な泣き顔が丸見えだから泣くなよ」

「ひ、ひどい……!」

「うるさい。僕に文句をつけようっていうのか」

「す、すみましぇん……なんでもないです……」


 あまりの言いぐさに思わず抗議の言葉を漏らしたリーリエだったが、掴まれている髪を強く引かれ、小さい悲鳴をあげて謝罪した。

 絵に描いたような暴君っぷりにタオーネは唖然としながらも、すぐに止めさせなければと一歩踏み出した。

 だが、タオーネが口を開くよりも早くに慣れた様子のトロイがやんわりと、それでいてしっかりと言い聞かせるように注意の言葉を口にした。


「殿下、女性にそのようなことを仰ってはなりませんよ。もっと優しくして差し上げないと……」

「だから髪を切ってやったろ」

「女性の髪を無闇に触ることもマナー違反です。髪は女性の命だと言いますし……」

「うるさいうるさい。それよりお前の後ろにいる暗そうなやつは誰だ。見たことないぞ」


 一切の余地もなく教育係の言葉を拒絶するシュトルツに、トロイが「弱ったなぁ……」とぼやく。

 それから遠慮がちに数歩横へずれると、王子の刺すような視線が真っ直ぐに魔術師へと注がれた。

 睨みつけられていい気はしないが、致し方ない。

 鋭い警戒の眼差しのもとに晒されたタオーネは腹に力を込め、横暴な王子と対峙する。

 胸に手を当て、腰を緩やかに傾けて正式な王宮での一礼。

 曲がりにも魔大陸でもっとも高潔な血を引く彼に、最大限の敬意を見せつける。


「お初にお目にかかります、シュトルツ殿下。私はタオーネ・ハイルクラオトと申します。シャルラハロート魔王陛下からあなたさまの教育係へ指名していただきました。どうぞお見知りおきください」


 無難で、なおかつ難癖をつけにくい当たり障りのない挨拶をして、タオーネは王子の動向を探る。

 おそらく何かしら因縁をつけてくるだろうという予想していたが、幼い彼はその考え通りに不満をありありと浮かべた顔でタオーネを見下した。

 しかし、そのへの字に歪められた口から出てきたのは意外にも的を得た意見だった。


「ただの魔術師がどうして僕の教育係になるんだよ」

「確かに私はしがない魔術師ですが、もとはこの城の魔術研究所に在籍させていただいておりましたし、勉学についてはお教えできることも多いかと」


 タオーネ自身もただの魔術師である己に教育係が務まるのかと不安に思っているところがあったため、内心でもっともだと考えながらもそれをおくびにも出さず、やんわりとそれらしいことを述べていく。

 間違ったことは言っていない。

 若い頃から勉学は人並み以上に勤しんできたタオーネは、実際に家名もない身分でありながら王宮へ仕えるだけの能力があるのだと自負している。

 お貴族さまの作法や教養といったものには疎いかもしれないが、魔術や薬学はもちろん、気象や生物の理、算術に西大陸語など勉学に関してはさまざまな分野にそれなりに造詣が深いつもりだ。

 それぞれの専門家に敵うとは思ってはいないが、幼い子どもへ教える分には申し分ないだろう。

 それにおそらくタオーネに期待されている役割は知識を教えること自体ではない。

 この目の前の小さな独裁者を更生させることを望まれているはずだ。

 そう考えたタオーネは、へりくだることなく堂々とした態度で王子へ向き合った。


 だが、タオーネの言葉を聞いたシュトルツの目が意地悪く光る。

 その幼子には不似合いな感情を垣間見たタオーネは嫌な予感に心をざわつかせた。

 そして、その予感は的中し、嘲笑うような笑みとともに言葉の刃が容赦なく胸に突き刺された。


「ああ、お前が城の者たちが言ってた根性なしか。一度逃げ出したくせによく戻ってこられたな」


 苦い記憶を引きずり出す言葉に、タオーネは思わず凍りついた。

 しかし、にわかに体を強張らせたタオーネが表情までも硬くしてしまうよりも早くに、横に控えていたトロイが素早く反応した。

 彼は柔らかな表情がよく似合う顔をわずかにしかめ、驚愕からか幾分か厳しい声音をシュトルツへ向ける。


「王子! タオーネさまに何ということを……!」

「僕は事実を言ったまでだ。その何が悪い」


 いつになく慌てた様子の青年に、シュトルツは気にすることなく腕を組んで偉ぶった。

 きっと彼は元の職場の同僚やその繋がりの者たちから、タオーネへの誹謗中傷を長いこと聞かされてきたのだろう。

 頭の上から足先まで注がれるその視線には侮蔑の色がはっきりと表れており、それは噂を信じて疑わない頑ななものだった。

 腕を組んだ拍子に髪から手を離された侍女が、濡れた顔のままよろけるようにして王子から距離をとる姿を横目に確認しながら、タオーネは心のうちで深く嘆息した。

 まったく見覚えがないとは到底言えないが、事前に偏った評判で染められている王子はこれまで以上に強敵に見える。

 それでも引き受けた以上はどうにかして彼と向き合わなければなるまい。

 感情をギリギリのところで表に出さず、取り繕った仮面の下で強張った気持ちを整えて、タオーネは穏やかな微笑を湛える。

 幼い子ども相手に感情的になることは己の良識に反することだ。

 三百以上の年齢を重ねたおとならしく、冷静且つ寛容なあるべき姿でやんわりとした言葉をシュトルツへ返す。


「……私もこの城を去ったときはもう二度と戻ることはないと思っていました。ですが、魔王さまのご温情により、今はこうして殿下の教育係として此処におります。ご縁とは不思議なものですね」


 挑発的な仕打ちを取り合わず、ただ場違いなまでに悠然と微笑んでみせる。

 動揺を打ち消し、気を病んだ様子もないタオーネの様相に、小さな暴君はつまらなそうに顔を歪めた。

 思い通りにならなかったことで気分を害したらしい彼は、ギロリと母親によく似た、しかしまったく異なる性質をもった強い眼差しで、遥か頭上に位置する魔術師の顔を睨み上げた。


「……僕はお前が教師だなんて認めないからな。根暗の魔術師が調子に乗るなよ」

「そう仰られましても……先ほど魔王陛下よりあなたさまのことを頼まれたばかりですし……」


 とにかくこれからよろしくお願いしますと続け、今日のところはさっさと引き上げたほうがいいだろうと考えたタオーネだったが、その無難な言葉が発せられることはなかった。

 事を荒立てないために選んだ言葉であるはずだったが、それを聞いたシュトルツの顔色が明らかに変わったのだ。

 彼は鋭い眼をさらに尖らせ、怒りとも憎しみともとれぬ複雑な色を灯した。

 それから、わなわなと震える唇から低く唸るような呟きを漏らす。


「…………母さまは帰ってきてるのか」


 その呟きに、タオーネは自身が目の前の子どもの地雷を踏み抜いたことをようやく自覚した。

 ローブの下でたらりと冷や汗を流し、焦りからか反射的に王子へ呼びかけてしまう。


「殿下……」

「っお前ら全員あっちにいけ!! お前らなんて大っ嫌いだ!! みんな出ていけ!!」

「王子、どうか落ち着いて……」


 思わず伸ばした手を弾くようにシュトルツが後ずさり、大声で喚く。

 ギラギラと光る大きな目は、炎が燃え上がっているのではないかと思うほどに紅い。

 まるで人嫌いの山猫のように全身で威嚇する彼はこの場にいるすべての者を拒絶していた。

 激しい感情を剥き出しにする王子へ、半ば諦めたような様子のトロイが一応は落ち着かせてみようと試みる。

 けれど、やはりシュトルツが平静を取り戻すことはなかった。

 幼い独裁者はさらに大声を張り上げて、癇癪を炸裂させた。


「うるさい! うるさい!! 此処は僕の部屋だ!! 出ていけーーーー!!」


 その他者を一切受け付けようとはしない様子にトロイが肩を竦め、タオーネへ向けて小さく頷く。

 そして、これ以上、王子を刺激しないように静かに扉を開き、同僚たちを促した。

 シュトルツの剣幕にまたもやシクシクと泣き始めた侍女を先に行かせ、タオーネもそつのない身のこなしでその後へ続いた。

 最後に部屋をあとにしたトロイがふたたび扉を閉ざす際に、もう一度、狭まる隙間から王子の姿を目で追った。

 小さな拳が振りあげられ、柔らかそうなクッションへ沈んでいく。

 しかし、そのやり場のない苛立ちをぶつけた音がタオーネのもとへ届く前に、重々しい扉が完全に閉じる。

 生温い風が頬を撫で、王子の姿とともに消え去った。

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