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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
33/58

お別れしよう①

 荷造りは思っていたよりも簡単だった。

 試験に合格して家へ戻ってきたドニは、エルサリオンに怪我を治してもらうや否やそのまま寝てしまった。

 そのため、荷造りを始めたのは翌日の朝食を食べてからだったが、ドニの荷物はそこまで多くない。

 タオーネに買い与えられた数少ない着替えをすべてといくつかの食器、それから毛布やニコラスが用意してくれた傷薬などを大きな鞄へ詰め込むと、それでもうおしまいだった。

 もしも荷物がしまいきれないようなら収納に特化した魔道具を貸すとエルサリオンが申し出てくれていたが、それも必要なさそうだ。

 ただ一着、昨日の試験でボロボロになったシャツだけが見当たらなかったが、それはどうやらドニが眠っている間にシェリィが持っていったらしい。

 彼女がなぜドニのシャツを持ち帰ったのかはわからないが、あとで聞きにいけばいいだろう。

 そんなことも考えながらもともと物が少ない自室を見まわしていると、同じことを考えていたらしいニコラスがそっと笑った。


「ドニは体の割に荷物が少ないな」


 その感想にドニも同意して頷く。

 この一年間で色々なものを与えられてきたと思っていたが、鞄に詰めてみるとかさばったのはタオーネが勉強用に残していってくれた数冊の本だけで、荷造り自体は特に苦労しなかった。

 それでも、そのすべてのものひとつひとつに思い出が詰まっている。

 タオーネと出会った街で初めて買ってもらった衣服。

 いつも勉強の時間にたどたどしく読んでいたおさがりの本。

 慣れ親しんだ治療院の匂いがする傷薬を詰めた、飴玉の空き容器。

 それぞれ全部が大切で、手に取って眺めていると少し胸が苦しくなる。

 時たま手を止めてその苦しみが過ぎ去るのを待つドニを、ニコラスは急かすことなく待ち続け、根気よく旅立ちの準備を手伝ってくれた。

 彼はさらに寂しくなったドニの部屋をぐるりと見まわし、訊ねた。


「ほかに持っていくものはないか?」


 その確認も含んだ問いかけにドニは壁にかけられたバトルアックスと緑がかった毛皮のマントを目にし、ゆるゆると首を横に振った。

 あとはこのマントを着て、バトルアックスを背負えばいいだけだ。

 マントと一緒に買ってもらった襟巻も、ちゃんと鞄の中にしまい込んだ。

 そうやって頭の中で確かめると、ドニは急に悲しい気持ちになった。

 もうすぐこのバナーレ村とお別れなのだ。

 そのことを実感すると寂しくて、ドニは泣きそうになってしまう。


「そんな顔するなよ。戻ってきたいと思ったら戻ってくればいいんだから」


 ドニの泣きそうな顔を見て、ニコラスは笑ってその頭をわしわしと撫でた。

 だが、そう言う彼の顔も笑っているのにまるで泣いているように見えた。

 タオーネの遠慮がちな冷たい手とは異なる、大きくてゴツゴツとした熱い手がドニの頭を乱雑に何度も撫でる。

 彼はきっとドニにこの村へ残ってほしいのだろう。

 旅立ちを許してくれてからも、何度もいつでも戻ってくるように言ってくれていた。

 けれど、ドニはタオーネを見つけるまでは帰ってこないつもりなのだ。

 そもそも魔大陸という遠いところへ旅立ち、帰ってこられるかもわからない。

 そして、それはきっとニコラスも分かっていた。

 ふたりでお互いの泣き顔を見つめあう。

 しばし言葉を発することもできず、重い空気に捕らわれていたが、それもやがて終わりを告げた。

 誰かが外から控えめに窓を叩く音が聞こえた。


「……誰だ?」


 微かに鼻をすすって誤魔化したニコラスが来客に応える。

 すると、少々躊躇うような聞き慣れた声が閉じた窓の向こうで名乗った。


「……俺だよ、父さん」

「アーサーか。どうした?」


 もう一度すんと鼻を鳴らしたニコラスが努めて明るい調子で用件を問う。

 そういえばアーサーときちんと落ち着いた状態で会うのは久しぶりかもしれない。

 毒による気絶から目覚めてすぐは気が動転していて、とてもまともに話せる状態ではなかった。

 そんな中で彼とももうすぐ別れるのだと思うと気が重かったが、ドニは黙って耳を傾けた。

 思慮深い少年は何やら躊躇し、少し間をおいて用事を口にする。


「……ドニくんが行っちゃう前に話したいんだけど、今いいかな」


 そう言われ、ドニはドキッとしながらもニコラスの顔を見た。

 自分のわがままによって別れが間近に迫っていることに後ろめたさはあったが、何も言わずに別れたいわけではないのだ。

 友達にはきちんと話しておきたい。

 そう考えてニコラスを窺うと、彼はほんのりと赤く染まった目元で微笑み頷いた。


「行ってきていいぞ。もう荷造りもほとんど終わってるしな。俺も一度帰るからゆっくりしてこい」


 背中を軽くポンと叩かれ、ドニはおずおずと玄関へ向かった。

 躊躇いがちに外へ出ると、日が少し傾きかけていた。

 その太陽の光に金髪を煌かせながら、アーサーがすぐに歩み寄ってきてドニを迎える。

 薄暗い部屋の中で旅の準備をしていたドニにはそれがとても眩しく映り、目を細めて彼を見つめた。

 アーサーは少し気まずげな様子を見せながらも、真っ直ぐな強い眼差しを和らげて気遣いの言葉をかけてくれた。


「ドニくん、体の調子はどう?」

「へ、へいき」

「そっか、よかった」


 ドニの返答を聞いてホッとしたアーサーが本心から自分を心配してくれたのだとわかり、なんだか嬉しくなる。

 それと同時に、これからの別れがさらにつらいものになりそうな予感も抱く。

 知らず知らずのうちに暗くなってしまうドニの顔を見て、アーサーは健気に微笑みを浮かべた。


「ヘンリーがあっちで待ってるんだ。行こう」


 幼い子にそうするようにそっと手を握られ、労わるようにその手を引かれる。

 体の大きさはドニのほうがずっと大きいのにアーサーはいつだって兄のように気遣ってくれる。

 そういえば彼はニコラスがドニを引き取ると言ったときに喜んでいたと聞いた。

 この小さな友達がそこまで自分のことを想っていてくれたことが嬉しい。

 だが、その気持ちに応えることはできないのだ。

 そう考えてドニの悲しみはより深いものになった。

 力なくアーサーに連れられてトボトボと歩いていくと、ふたつの道が交わる辺りにヘンリーが待っている姿が見えた。

 彼は地面をジッと見つめていたが、向かってくるドニたちに気付いてすぐに大声で待ち人の名を叫んだ。


「ドニ!」


 名を呼ばれ、どういう顔をしたらいいのかわからずにオドオドしていると、ヘンリーがすぐさま駆け寄ってくる。

 せっかちで活動的な彼はじっとしていることが苦手だ。

 けれど、友達になってからずっとその行動力でドニに様々な世界の姿を見せてくれてきた。

 いつもキラキラと好奇心旺盛に輝いてるどんぐり眼が印象的なヘンリーだが、今はその片鱗すら感じられない。

 不安そうに揺らめく瞳が上目にドニを覗き込んだ。


「先生を探しに行っちゃうんだってな」


 開口一番に直球で旅立つことを確かめられ、ドニはオロオロしながらもなんとか頷いた。

 すると、ヘンリーは顔をぐしゃぐしゃにしかめて半ば責めたてるように言い募ってきた。


「お前、大丈夫なのかよ。人見知りで怖がりなのに……旅なんてできるのかよ。それも魔大陸って怖いところなんだろ? なんで行くんだよ……」

「ヘンリー」


 今までにないヘンリーの様子に動揺すると、すぐにアーサーが制止するように彼の名を呼んだ。

 しかし、彼は涙をいっぱいに溜めた瞳で友達ふたりを見比べて俯いてしまった。

 それから震える声で呟かれた言葉は、ドニの心に突き刺さるものだった。


「……だって、せっかく友達になったのに……」


 消え入りそうなその声に、ドニは胸がキューッと苦しくなった。

 ヘンリーとアーサーはドニにとって生まれて初めての友達だ。

 できることなら別れたくない。

 でも、そういうわけにはいかないのだ。

 何と言えばいいのかわからなくなったドニは服の裾を握って、彼と同じように俯いてしまう。

 すると、アーサーが少しばかり硬くなった声音でヘンリーを諭した。

 

「ヘンリー、今日は湿っぽい話はしないって決めただろ」

「だって……だってさ……俺、ドニがいなくなったら寂しいもん……。……お前は寂しくないのかよ」

「寂しいに決まってるだろ」


 ヘンリーの湿った声に返されたアーサーの言葉には、僅かな棘が含まれているようだった。

 今までにないアーサーの様相に驚いて、ドニは顔をあげた。

 だが、彼が苛立ちを顕にしたのはその一瞬だけだった。

 常に落ち着きを忘れない彼は淡々とした調子で話を続けた。


「でも、ドニくんが決めたことだから。自分の手で堂々と掴み取ったものなんだからさ、俺は笑って送り出してあげたいと思う」

「……そう言ってお前も泣きそうじゃんか」


 ヘンリーが指摘した通り、アーサーの眼は潤んでいた。

 きっと自身の感情を制御しようと必死だったのだろう。

 しかし、それももうヘンリーに指摘されたことで崩壊してしまったらしい。

 アーサーは顔をくしゃりと歪ませて、ポロリと涙をこぼれ落とした。

 それを見たドニとヘンリーもふたたび俯き、友達の悲しみを理解した。

 重たい空気が三人に纏わりつく。

 その中で、ヘンリーがまるで独り言のようにポツリと呟いた。


「……もっといっぱいこの村のいいとこ、教えてやりたかったな」


 その言葉を最後に三人の少年たちは黙り込んだ。

 お互いの気持ちを理解しながらも、だからこそ何も言えなかった。

 この一年、三人は毎日のように揃って遊んでいた。

 それはドニにとって生まれて初めての少年らしい時間だった。

 惜しくないわけがない。

 この三人でもっともっと遊んで、笑いあっていたい。

 けれど、ドニは旅立ちを覆すわけにはいかなかった。

 そのことをこのふたりの友達もよくわかっていた。

 そうやって皆がジッと地面を見つめ続けていると、少ししてつっけんどんな声がかけられた。


「……何よ、あんたたち。辛気臭い顔しちゃってさ」


 その声が聞こえてきた方向へ顔をあげる。

 そこには長い赤毛を几帳面に編んだシェリィが呆れた顔で立っていた。

 普段とまったく変わらぬぶっきらぼうな彼女の態度に、同じくして顔をあげたヘンリーがボソボソと歯切れ悪く言葉を口にする。


「シェリィ……だって……」

「うるさいわよ。あたしはあんたの泣き顔を見に来たわけじゃないの。ドニに用事があるんだから」


 涙ぐんだヘンリーも気にせず、シェリィはつんと澄ました顔でズンズンとドニのもとへ歩み寄ってきた。

 そして、腕にかけていた籠から何やらきちんと畳まれた布が取り出されたと思ったら、それはすぐさまドニの目の前に突き出された。

 急なことに困惑すると、彼女はフンと鼻を鳴らし、言葉を付け足してくれる。


「ほら、昨日預かっておいたあんたのシャツよ。何やったかは知らないけど、あちこち切れたシャツなんて着てたら恥ずかしいわよ。あたしはあまり裁縫は得意じゃないんだけど、冬の間にお姉ちゃんから教わったから少しはマシでしょ?」


 そう言われ、押し付けられた布らしきものをまじまじと見ると、それは確かに昨日着ていたドニのシャツだった。

 そういえば昨日ドニが眠っている合間に彼女がシャツを持って帰ったと聞いていた。

 まさかわざわざ繕ってくれていたとは思いもせず、ドニは驚いて直されたシャツを眺めた。

 フアリの剣でいくつもの傷を受けたそのシャツはきれいに縫い直されている。

 よく見ると布地と糸の色が少し異なっているため、縫われた箇所がうっすらと模様のようになっているが、それも遠目にはまずわからないだろう。

 彼女の姉である、嫁に行ったベティは裁縫がうまいことで有名だったが、ドニにはシェリィの腕前も素晴らしいものに感じられた。

 感嘆した様子のドニを見て、お隣の小さな仕立て屋さんはやはりあっさりと別れを告げた。


「それじゃ、あたしはもう帰るから。あんたたちも暗くなる前には帰りなさいよ」

「あ……シェリィ……!」


 すらりとした体を翻し、来た道を戻ろうとするシェリィを、ドニは思わず呼び止めた。

 彼女はすぐに立ち止まり、振り返ってドニの顔を真っ直ぐに見た。

 その鷹のように鋭い視線にドギマギしながらも、何とか言葉を捻りだす。


「えっと……ありがとう」


 口から出てきたのは簡単な感謝の言葉だったが、それを聞いたシェリィの瞳が微かに柔らかなものになったような気がした。

 彼女は仁王立ちとなって腰に両手を当て、湿っぽい男たちを見渡した。

 それからドニへ視線を戻すと、いつもと同じ尊大な調子で言葉を返してきた。


「本当はお礼に送っていきなさいとか言いたいところだけど、今回はいいわ。そこの情けない顔した男たちに譲ってあげる。やるべきことはきっちりやっておきなさい。……じゃーね」


 言いたいことをずけずけと言い切って、シェリィは今度こそ自宅へ続く道を戻っていった。

 三人はしばらくどんどん小さくなっていく彼女の背中を眺めた。

 やがてその姿が声の届かない距離まで遠退いた頃、いつの間にか涙を拭ったヘンリーが肩の力を抜いて呟く。


「……姫さんは相変わらずきっついなぁ」


 そう言う彼の目元はまだ赤いが、その言葉にはいつものヘンリーらしい暢気な調子が戻ってきている。

 どうやらシェリィの遠慮ない言いぐさが、彼の頑なになっていた心をほぐしたようだ。

 ヘンリーの呟きを皮切りに、三人の間に滞っていた重く沈んだ雰囲気が風に乗って流れ去っていった。

 珍しく涙を見せたアーサーも小さく笑って友達の言葉を補足した。


「そこが、シェリィのいいところでもあるけどね」

「そうだな。……ドニ」


 名を呼ばれ、おずおずとヘンリーの顔を見る。

 彼はまだ寂しげではあるが、子犬のようなどんぐり眼でドニを見上げると、大きな口で笑みを描いた。

 そして、いつも家までやってきては遊びにいこうと連れ出してくれたように、気軽な調子で誘いの言葉を口にした。


「散歩、行こうぜ」


 友達の誘いに、ドニは小さく頷く。

 きっと、これが彼らとの最後の時間となるだろう。

 そんなことを考えて滲んだ涙を拭う。

 せめてこの時間は泣かないでいよう。

 別れるならば、この友達たちに心配をかけずに旅立ちたい。

 ドニはきれいに畳まれたシャツを胸に抱き、不器用な笑顔をつくって涙を誤魔化した。


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