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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
32/58

覚悟を示そう

 獣人の女剣士フアリと戦い、攻撃を一発食らわせる。

 そんな試練を病み上がりに突き付けられたドニは気持ちが昂っているのか、なかなか眠ることができなかった。

 治療魔術師であるらしいエルサリオンの指示に従って、無理のない範囲でたっぷりと食事は摂ったが眠ることは難しい。

 それでも時間は構わず流れていくものである。

 ベッドに横になったまま、たっぷりと時を浪費して夜が明けた。

 睡眠を諦めてせめてもうひとつの言いつけを守ろうと、用意されていた朝食はしっかり食べきったが、緊張で味はわからなかった。

 不安を誤魔化すようにひたすらバトルアックスを磨く。

 タオーネから貰ったこの戦斧に縋りつきたいような気持ちだった。

 しかし、そうしている間にも刻限は迫り、ドニは今日も陽気に現れたエルサリオンに連れられて北の森へ向かったのだった。

 木こりたちの仕事場である森の少しばかり拓けた場所に連れていかれると、そこにはすでに大振りの剣を手にしたフアリが待ち受けていた。

 その後ろにはこの試験の立会人としてニコラスの姿も見える。

 彼はやはり心配そうな顔でドニが連れてこられるのを待っていたが、フアリの表情は随分と落ち着いたものだ。

 彼女の肩に担がれたその剣は、刃が真っ直ぐで切っ先は緩やかな流線を描き、ズッシリとした重量を感じさせる。

 それを目にした途端にドニの心拍数が跳ね上がった。

 だが、自分はこれから彼女と戦わなくてはならないのだ。

 ドニは此処まで担いできた布に包まれたバトルアックスの柄を握りしめる。

 絶対に、この試験に合格しなければ。

 その決意を噛みしめて、ドニはエルサリオンに連れられて彼女らのもとへ辿りついた。

 ニコラスの硬い表情と相変わらず鋭いフアリの眼光の前へおずおずと立つと、一段と明るく感じるエルサリオンの声が響いた。


「うん、それじゃあ始めようか!」


 その言葉にいよいよかとバトルアックスを握る手に力がこもる。

 少し離れた位置に佇んでいたフアリが近づいてくると、試験の発案者であるエルサリオンは変わらぬ笑顔で説明を始めた。


「ルールは簡単にいこうね。ドニくんがフーちゃんの攻撃に耐えて一発でも食らわせることができたら、ドニくんの勝ち。逆にドニくんが参った!って言ったり気絶したりして試験を続けることが難しくなったら、フーちゃんの勝ち。ふたりとも、わかったかな?」

「ん」


 単純明快な決まりごとを聞いて、フアリがすぐに素っ気なく頷いた。

 それを見たドニも慌てて頷き、その内容について少し考えてみる。

 見るからに強そうな彼女へ攻撃を当てると聞いたときはとても難しいことのように思えたが、ドニの負けは降参か気絶のみだ。

 それならば諦めない限り何とかなりそうに思える。

 しぶとく頑張ればそのうち攻撃を当てることができるかもしれない。

 そう考えて気合を入れ直すと、相変わらず心配そうな様子のニコラスが遠慮がちに声をかけてきた。


「ドニ、無茶はするなよ。お前は病み上がりなんだからな」


 昨日はきちんと話し合わないまま別れてしまったが、彼がドニのことを心から心配していることは伝わってくる。

 しかし、ドニは頷くことはできなかった。

 もう一度、タオーネに会うためにはどんなこともするつもりなのだ。

 きっとたくさんの無茶を重ねることになる。

 ずっと世話になってきたニコラスに嘘をつくことがドニにはできなかった。

 そのためどう返事をすればいいか少し悩んだが、それはすぐにエルサリオンの張り切った声によって断念させられた。


「はーい、ふたりとも構えて~!」


 指示に従ってニコラスから離れ、フアリと向き合うように立ち、簡素に巻かれていた布を取り払ってバトルアックスを取り出した。

 それから恐々とこれまでニコラスから教わってきた通りに大斧を構える。

 すると、同じくして幅広な刃の剣を低く構えたフアリが片頬を上げて獰猛な笑みをつくった。


「へぇ。随分といいもん持ってるじゃねぇか」


 初めて目にした彼女の笑顔は、本当に笑っているか疑いたくなるほどに恐ろしい。

 ギラギラとした赤い眼に捉えられると、それこそ己が逃げ場を失った獲物のように感じる。

 狼そのものとしか思えない顔に怯みそうになるが、脚に力を込めて恐怖に耐える。

 幸いなことにすぐエルサリオンが口を挟んだため、視線だけで追いつめられるような苦しい時間は長くは続かなかった。


「フーちゃんくん! 私語は慎みたまえー!」

「うっせぇ。変な風に呼ぶな」


 こんなときでもおどけるエルサリオンに舌打ちし、フアリは笑みを消して黙り込んだ。

 だが、意識は先ほどよりも獲物ドニへ集中しており、突き刺すような空気に囲まれるのがわかった。

 緊張の糸が張りつめられる。

 まだ向かい合っただけだというのにドニの額にはすでに汗が滲んできていた。

 ゴクリと唾を飲みこむ。

 そして、ドニの緊迫とは裏腹に軽い声音がその時を告げた。


「そんじゃいっくよー。…………始めッ!」


 開始の合図とともに立会人たちは後方へ下がる。

 だが、それよりも速くに対戦相手の姿がぶれた。

 微かに地を蹴るような音が聴こえ、直後に感じる風。

 反射的にバトルアックスを振るう。


 すると、衝撃。


 硬く鋭い音が響き渡った。

 遅れて両手で剣を構えたフアリが目の前に迫っていたことを理解した。


「きゃーフーちゃん無謀! カッコいいー!」

「褒めてねぇ!」


 相方からの適当な声援にぞんざいに怒鳴り声で返し、フアリの剣の重みが増す。

 バトルアックスの間合いへと躊躇なく踏み込んできた彼女の剣に迷いはない。

 やはり先日の盗賊よりも遥かに強い。

 一撃でそれを察したドニの頬に汗が伝う。


 おそらく自分のほうが力は強い。

 だが、それだけではきっと勝てない。

 彼女の剣さばきは絶妙だ。

 ドニが持ち前の怪力を発揮する前に封じている。

 戦斧へ十分な力を送ることを阻止するように、剣が力の隙間を縫っている。

 それに彼女は速い。

 獣人族は身体能力が高い者が多いと教わってはいたが、想像以上の素早さだ。

 たくましい肉体に反する俊敏さで距離を詰められてしまった。

 少しでも目を離したら次の瞬間には追いつめられていることだろう。

 それでも、勝たなければならない。


 自分は足も遅い。

 取柄は常人離れした怪力だけだ。

 そう考え、半ば封じられてしまったバトルアックスへ無理やり力を乗せた。

 剣が、わずかに追いやられる。


「ただの力任せに負けるかよ!」


 フアリが吼える。

 剣を退かれ、一瞬、ドニの体勢が崩れた。

 バトルアックスが宙を薙ぐ。


 その感覚と同時に右腕への強い衝撃と微かな痛み。

 長袖のシャツが破け、肌に大気が触れる。

 斬りつけられた。

 思わず怯みそうになるが、攻撃の重さの割に傷はとても浅い。

 足を踏ん張り、態勢を整える。


「チッ……硬ぇな」

「うーん。やっぱりただの人族じゃないかー」

「そういうことは先に言えっつの!」


 エルサリオンの呟きに反応したフアリがさらなる怒声を重ねた。

 彼女の一撃を耐えたドニは深く息を吐き、バトルアックスを構え直す。

 粗雑な言動に反して彼女の剣技は巧みなものだ。

 しかし、ドニの頑強さの前ではその刃も皮一枚を断つのみ。

 ドニは意外なほど冷静に過去の記憶を思い返していた。

 確かにフアリは強いが、死んだ飼い主のほうが上手うわてだったように思う。

 ほんの小さな頃のことだが、彼の後ろから何度かその戦いぶりを目にした記憶がある。

 獣も、魔物も、人すらも血で染め上げたその男の剣はドニの脳髄に染みついていた。

 剣技は死んだ男が上回る。

 単純な素早さはフアリに分があるが、それでもまったく見えないわけではない。

 問題はドニの力量だけだ。

 斬撃にも動じぬ肉体を持っているとしても、こちらの攻撃が当たらなければ意味がない。

 そんなことを考えていると、その通りのことをエルサリオンが言葉にして投げかけてきた。


「うんうん。防御はいい感じだね! でも、防ぐだけじゃ敵は倒せないよ~?」


 今はその言葉に答える間も惜しい。

 ドニは思い切って剣士の間合いへと踏み込み、バトルアックスを斜めに薙ぐ。

 だが、瞬発力のないドニの攻撃は楽々とかわされてしまう。

 標的を見失ったバトルアックスが地面へ衝突し、大地が抉れた。

 爆発したかのように飛び散る硬い土を見て、観戦しているエルサリオンがはしゃいだ声をあげた。


「おおー! すーっごい怪力!」

「だがそんな大振りな打撃を受けるほどアタシは遅くねぇ!」


 獣そのものの俊敏力で攻撃をかわしたフアリが剣を横に構え、体勢を低める。

 それからはあっという間だった。

 ドニがふたたびバトルアックスを構えるのを待たずとして剣が迫ってきた。

 ギラリと凶悪な光を放つ眼光に思わず身が竦んでしまう。

 すると、その隙を逃しはしないとフアリの刃が皮膚を斬り裂いた。

 視界に赤いものを捉え、遅れて痛みが襲ってくる。

 先ほどよりも傷が深い。

 ドニは肩口からだらりと垂れた血を目にして怯んでしまった。

 それを戦い慣れた獣人の剣士が見逃すはずもなかった。


 彼女は攻撃の手を休めることなく剣を振るい続けた。

 時にはバトルアックスを握る腕。

 時には踏ん張ることで精いっぱいな脚。

 狙いは一点に定めず、斬っては離れ、ひと息吐く前には追撃される。

 考える暇もなく繰り返される剣の進撃にドニの頭はもはや恐慌状態だった。

 剣に斬られているという状況に、抑えつけていた恐怖がこぼれ始めていた。


 そうしている間にも、頑丈な体に小さな傷が刻まれていく。

 剣の重みも段々と増してきて、体の内側まで衝撃が響いてくる。

 痛みよりも恐怖がドニの体を縛りつけていた。

 自然と溜まってきていた涙で視界が滲む。


 それがまずかった。

 ぼやけて狭まった視界からフアリの姿が消えた。

 ぎょっとして目で彼女を追おうとするが、遅すぎた。


 首筋に強い衝撃。

 頭がぐらりと揺れ、何をされたのか理解する。

 彼女はドニの死角から強烈な一撃を見舞ってみせたのだ。


「うぐっ……!?」


 視界が白く染まる。

 自身の呻き声を聞きながらドニは意識が遠退くのを感じた。

 こめかみがキュッと締まるような感覚。

 体からふわっと何かが離れそうになる。

 ああもう駄目だと何処かで諦めてしまいそうな自分の声が聴こえた。


 だがその時、突然ドニの脳裏にタオーネの姿が過った。

 白む意識の中で確かに彼の姿を見て、ハッと我に返る。

 慌てて力が抜けかけた両足で踏ん張って転倒を回避した。

 手元に目をやるとバトルアックスも落とすことなく握りしめられている。

 剣の柄でドニを殴打して間合いから離脱していたフアリが呆れたように呟いた。


「今のも耐えるか。さっさと気絶しちまえば楽なのに、難儀な体質だな」


 彼女の言葉に反応する余裕もなく、ドニはバトルアックスをさらに強く握った。

 まだ頭がグラグラと揺れているような気がするが、そんなことに構っている暇はない。

 剣に斬られたことで冷静さを欠いてしまっていた。

 しかし、ドニはこんなところで足止めされている場合ではないのだ。

 タオーネにまた会うために、勝たなければならない。

 まだ一歩も進めていないのに、剣ひとつに動揺しているようでは彼の後を追うことはできないだろう。

 目的を思い出したドニは幾分か落ち着きを取り戻した。

 特に防具を身につけることをしなかった体は傷だらけだが、どれも細かい傷ばかりで痛みも大したことはない。

 自分の体が人よりも丈夫なのだということはわかっている。

 何も恐れることはない。


 ドニは秘かに息を吐くとジッとその場に佇んだ。

 それから先ほど自身が地面を抉った箇所を見て、すぐに対戦相手へと視線を移した。

 足が遅いドニが獣人族であるフアリを捕らえられることはまずない。

 集中を高め、彼女の動きに注目した。

 そんなドニの様子にフアリも警戒したのか安易に近づくことはせず、こちらの観察を始めたようだった。

 両者の動きが止まり、空気が拮抗する。

 だが、ドニもフアリもじりじりと足を擦り、お互いの間合いを探っていた。

 言葉もなく相手の出方を窺う。


 そして、その時はやってきた。

 フアリの足がドニの間合いに一歩踏み込んだ。

 ドニはすかさずバトルアックスを振り下ろす。


「て、ていっ!!」


 思わず飛び出た声は轟音に飲み込まれた。

 フアリの姿を捉えたバトルアックスが地面へ深く突き刺さったのだ。


「ハッ……当たるかよ!」


 確かに間合いへと足を踏み入れていたフアリは、持ち前の瞬発力を活かして後方へと跳び退いていた。

 しかし、ドニはそれも気にすることなく地面へ食い込んだバトルアックスに渾身の力を込めた。

 すると、ピシリという音が何処からか聴こえてきて、ドニは自分の思い描いたことがうまくいったのだと悟る。

 フアリがその異変に気付いたときにはもう遅い。


 バトルアックスによって割られた大地の亀裂は瞬く間に広がり、ドニを中心に四方八方へ走っていった。

 それは、後ろへ跳んで逃げたフアリの着地点にも及び、そして。


「っあ!?」


 亀裂に足をとられ、フアリが思わず声をあげた。

 それを見るや否やドニはバトルアックスを手放し、必死に駆ける。

 足の遅いドニではあったが、彼女が体勢を整える前にはその場に辿りつくことができる。

 そして、焦った様子の彼女を尻目に、ドニはその肩にそっと手を乗せた。


「はいっそこまで~! ドニくんの勝ち~!」


 審判役のエルサリオンによって高らかに宣言されたその言葉に、ドニはほっとしてその場にへたり込んでしまう。

 最初に抉った地面を見て思いついた単純な作戦であったが、うまくいって本当によかった。

 動きを止めない限り、ドニにはフアリへ一発喰らわせることなんてできやしないのだ。

 もしもこれが失敗していたら次の機会が訪れていたかはわからなかった。

 うまくいったことへの安堵と自分がやり遂げたことへの驚き、そしてタオーネへと続く道に一歩進むことができた歓喜が入り混じり、馬鹿みたい泣き出したい気持ちだ。

 だが、亀裂から足を引っこ抜いたフアリは不満をありありと顔に表し、審判を下したエルサリオンへ食って掛かった。


「ああ!? 今のは攻撃って言えねぇだろ!?」


 牙を剥き出しにした狼人の剣幕に驚いて、ドニは不安げにおとなたちを見まわした。

 確かにフアリを傷つけるつもりがなかったため、軽く肩に触れるだけだった。

 けれど、異常に怪力なドニが攻撃してしまったら怪我をさせてしまう。

 人を無闇に傷つけたくないというドニの考えによる行動は、どうやら彼女の琴線に触れてしまったらしい。

 ビクビクと身を縮こまらせて雲行きを窺っていると、まったく動じていないエルサリオンが元気よくフアリへ物申した。


「ぶっぶー。一発は一発でーす。見苦しい言い訳は聞き入れませ~ん。この勝負はドニくんの勝ちで~す!」

「こんの野郎……!」


 ふざけたようにも思える相方の言葉にフアリの表情がさらに厳しくなるが、エルサリオンはやはりまったく気にしていない。

 彼はくるりとドニのほうを振り返ると、ニッコリと笑った。


「ドニくん、おめでとう! まさか地面をかち割るなんて思わなかったから、とーっても面白かったよ! 君が勝ったということで、僕が責任持って君をタオーネ師匠のもとまで連れていくからね!」


 面白かったと言われて少し困ってしまったドニだが、その後に続いた言葉にまたしても喜びが胸に咲いた。

 本当に、タオーネを追いかけることができる。

 自分はその権利を得たのだ。

 そのことが嬉しくて身が震えるようだったが、ドニはふと最初からずっと反対していたニコラスの存在を思い出し、今も黙っている彼のほうへ視線を向けた。

 少し離れた位置でドニたちの様子を眺めていたニコラスは、難しい表情で突っ立っている。

 そんな彼の様子にドニは狼狽えてしまう。

 こうして試験にも合格できたようだが、彼はまだ反対なのだろうか。

 タオーネにまた会うためにはどんな険しい道でも進むのだと決めたドニではあったが、この一年間でとても世話になり、感謝しきれないほど優しくしてくれたニコラスの意に反するのはやはり悲しく感じる。

 ニコラスの顔を真っ直ぐに見つめることができずに俯く。

 すると、エルサリオンが柔らかな声音でニコラスへ語りかけるのが聴こえてきた。


「ね、ニコラスさん。彼は覚悟を示したよ。だったらそれに応えるのが騎士道ってものじゃない?」


 優しく諭す彼の言葉にも、ニコラスは答えない。

 やっぱりニコラスは反対しているのだ。

 そう思い、堪らなくなって目をきつく閉じる。

 そして、一瞬の間。

 少ししてニコラスの重く長いため息が耳に届き、ドニはさらに体を強張らせてしまう。

 それからしっかりとした足音が徐々に近づき、ドニの目の前で止まった。


「ドニ」


 訊き慣れた声で名前を呼ばれ、恐る恐る瞼を開く。

 上目になって声の主の顔を覗き込むと、意志の強そうな瞳と目が合った。


「どうしても、行くんだな?」


 真剣な眼差しがドニの真意を確かめるように向けられる。

 その確認にドニはすぐに頷いた。

 もしも此処でニコラスに反対されたらきっとひどくつらくなる。

 けれど、絶対にタオーネに会いに行くと決めたのだ。

 ドニは一切の躊躇もなく、涙の溜まった瞳で彼を見つめ返した。

 ニコラスはほんの少しの合間だけ瞼を閉じ、それから静かに自身の考えを告げるために口を開いた。


「……無茶はしないこと。それから、少しでも戻りたいと感じたのなら、道半ばでも絶対に戻ってこい。いいな?」


 彼の言葉に、ドニはすぐには応えることができなかった。

 今、彼は何と言ったのだろう。

 しばらく言葉の意味を考え、遅れて理解する。

 ニコラスは行ってもいいと言ってくれたのだ。

 それも、最後まで自分の身を案じてくれている。

 胸がカアッと熱くなる。

 色んな感情がごちゃ混ぜになって、言葉が出てこない。

 口を小さくパクパクと動かして微かに頷く。

 ニコラスの大きな手が髪をぐしゃりと撫でまわした。

 黙って気持ちを確かめ合ったふたりのもとに、エルサリオンの明るい声が飛んでくる。


「だいじょーっぶ! これでも僕はけっこう強いからね! もしもドニくんが途中で断念したときも何とかするから安心してよ! まさか師匠が気に入った子を見殺しにするわけにもいかないしね!」


 胸を拳でドーンと叩くエルサリオンは軽いが、信用に値するもののように思える。

 普通はこんな出会って数日の者と長い旅をするなんてことはないだろう。

 このタオーネの弟子が親切な性質であって本当によかった。

 彼がこの村へ立ち寄ってくれたことが何よりも幸運だったと改めて考えさせられる。

 そうして場の空気が和やかなものに変化していく中、やはりフアリは納得していないようでふたたび不機嫌そうに口を挟んできた。


「おい、アタシはまだ反対だからな」

「えーフーちゃんのいけず~。往生際が悪いぞ!」

「うるせぇ! 覚悟を示したとか言うけどな、仮にも敵なんだから全力を持って挑むのが筋ってもんだろ。それなのにあんな中途半端なことをされたんだ。侮辱されたと言ってもいい」


 茶化したエルサリオンを一喝し、フアリはギロッとドニへ視線を向けた。

 その怒りに満ちた燃えるような目つきにビクリと怯え、無意識のうちに身をできるだけ小さくなるよう縮めてしまう。

 戦う者の気持ちというものをよく知らないドニは、それでも自分が彼女の矜持に関わることをしでかしてしまったのだと理解した。

 いくらエルサリオンがよいと言っても、その仲間であるフアリが承諾しなければついていくことは難しいだろう。

 どうしようとドニは必死に考え始めたが、彼女はすぐに眼に宿した強い憤慨の色を少し和らげた。

 そして、変わらず不機嫌ではあるが、幾分か平静を取り戻した調子で話が続けられた。


「だが、約束を覆すことは恥の上塗りだからな。とりあえずついてくることに文句は言わねぇ」

「きゃーフーちゃん男前ー!!」

「お前は少し黙ってろ!!」


 性懲りもなく茶化すエルサリオンをさらに激しく一喝し、フアリはまたしても険しい顔をドニへ見せた。

 彼女は声を低め、へたり込んでいるドニに言い放った。


「けどな、旅の途中でまた甘ったれたことをしてみろ。すぐに叩き出してやる」


 そう厳しく忠告したフアリは眉間にしわを寄せたまま、肩を怒らせてツカツカと歩き始めてしまった。

 どうやらこのまま村へ戻るらしい。

 ドニは彼女から向けられた手厳しい言葉に項垂れてしまう。

 これから一緒に旅をすることになったが、彼女とうまくやっていけるだろうかと暗い気持ちになる。

 だが、それを察したのか、フアリの怒号にもビクともしないエルサリオンが陽気な笑顔でドニを励ました。


「フーちゃんはいつもあんな感じだから気にしなくていいからね~。勝負事になるとカリカリしちゃうみたい。でも、実力は僕が保証するよ! まぁちょーっと夢中になりすぎて注意が獲物に集中しちゃうこともあるから、たまにはさっきみたいに失敗しちゃうけどね!」

「聞こえてるんだよ!!」


 ふたたび飛んできたフアリの怒声にエルサリオンはカラカラと笑う。

 彼はどうやらフアリをからかうのが好きなようだ。

 しかし、ドニはこの状況で笑うなんてとてもできず、オロオロしてしまう。

 エルサリオンはひとしきり笑うと、機嫌よく手をパンパンと叩き合わせ、その場の空気を入れ替えた。


「さぁ、そしたら旅立ちの準備をしようか。出発は少し伸ばして三日後くらいにしようかな。その間に準備して、お友達とのお別れを済ましておいてね! フーちゃんもそれでいいよね?」

「……勝手にしろ」


 テキパキと今後の予定をまとめるエルサリオンの確認に、フアリは振り返ることなく素っ気ない態度で答えると、さっさと来た道を戻っていった。

 ドニは彼女が去った方向をチラリと見て、やっと立ち上がった。

 彼女は怖いけど、同行を許可してくれたことには感謝しなければならない。

 そう考えて無理やり旅立ちへの不安を掻き消す。

 すると、後ろからいきなり頭を撫でられた。

 にわかに驚いて振り向くと、そこにはニコラスがぎこちない微笑みを取り繕って立っていた。

 目が合うと彼はもう一度、ドニの髪をくしゃりと撫でて言った。


「荷造り、手伝ってやるよ。ひとりじゃ大変だろ?」


 ドニは手伝いを買って出てくれたニコラスからすぐに目を逸らして小さく頷いた。

 彼の顔はとても寂しげで、別れの時が近付いてきているのだと実感しなければならなかった。

 胸がギュ―ッと締め付けられる。

 ドニだってわかっていた。

 タオーネを探すために村を出るということは、同時に皆との別れなのだと。

 それでもあの魔術師に会いに行きたいと決めたのは覚悟あってのことだった。

 今も自分が決めたことに対して後悔なんてない。

 けれど、やっぱりさよならは寂しくて、悲しい。

 唇を噛みしめて胸の疼きを抑え込み、ドニは重い足取りで村へ続く道を歩み出す。

 バナーレ村での楽しい思い出が、今はとても苦しく重たい枷となってドニの心にのしかかっていた。


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