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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
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別れ

 静まり返った自室を見渡す。

 昨夜から地道に整理を始めた自宅は食堂とドニの自室を除き、随分とすっきりした。

 これからも必要になる書物や仕事道具は持ち前の魔道具に収納した。

 この魔道具は空間操作の魔術が仕掛けられており、見かけは普通の肩掛け鞄なのだが、見た目に反して膨大な容量を誇り、旅人や商人が垂涎する代物だ。

 タオーネが所有しているものならば、書物を本棚ごと突っ込んでもお釣りがくるほど容量に余裕がある。

 古くから使い込んでいるその鞄に必要なものを片っ端から詰め込むと、部屋の中はガランと物寂しい雰囲気になってしまった。

 長いこと旅を続けてきたタオーネはあまり私物を増やすことがない。

 バナーレ村に住んで十年という月日が流れてもそれは変わっていなかったようで、鞄にしまったものはすべて薬や治療に関するものばかりだった。

 食堂には調理器具や食器がそれなりに残っているが、それらはドニのためにそのまま置いていくことにした。


 村長とニコラスと話し合った結果、ドニの今後の生活は彼が目覚めてから自身で選択させようということになった。

 村の者たちの力を借りながら今までと同じくこの家に住み続けるもよし、ひとりが寂しいようならニコラスが引き取ると申し出てくれたのでそれもまたよし。

 とにかく、ドニがどの選択を選んだとしても不自由なく暮らせるように、タオーネは財産のほとんどを彼のために残していくことにしたのだ。

 まだ金銭の計算がおぼつかないドニに巨額な現金を持たせるのは不安があるので、信頼できるニコラスに財産のすべてを託す形となった。

 彼ならば誠実に金銭管理を請け負ってくれるという確信がタオーネにはあった。

 この十年、ニコラスがまだまだ年若い少年から青年へと移り変わる頃から彼を知っているのだ。

 この判断はおそらく間違っていない。

 タオーネ自身は今後の生活に必要な頭金だけあれば問題なかったし、何より金銭に関してそう頓着する質でもない。

 それに、次の仕事先はもう決まっているのだ。

 金ならまた自分で稼げばいい。


 もう一度、十年間ずっと睡眠と起床を繰り返してきた自室をぐるりと見渡す。

 空っぽのベッド、空っぽの本棚、空っぽの戸棚。

 寒々しいほどに何もなくなった部屋はこれからの別れを表しているようで、眺めていると気持ちが沈む。

 だが、もうそろそろ行かなければ。

 タオーネはいつものローブに身を包み、肩から鞄をかけ、愛用の杖を片手に部屋から出た。

 そして、ゆっくりと慎重に、今までの記憶を噛みしめるように扉を閉めて、併設された治療院へ足を向けた。


 廊下の突き当たりにある扉を開くと、整頓され、少々模様替えされた部屋が目に入った。

 ドニが眠っている治療用のベッドはそのままに、溢れかえっていた薬やその材料は整理し、当分の間に使いきれる量を残してタオーネの鞄の中へしまわれた。

 治療院に残される分は素人が見ても分かりやすいように分別し、それぞれに辞典で扱われる正式な名を書いた札を添えた。

 また、それらの使用方法やこの辺りで入手できるものは、まとめて羊皮紙に書き記し、数冊の小冊子にして新しく設置した小さな本棚に並べておいた。

 ほかにも麦などの植物や土壌に関する病気や家畜の病気・怪我の対処法など、この村にきてから地道に研究して普段から書き記してきたものも残していくことにした。

 これでタオーネがいなくとも、村は問題なく存続していけることだろう。


 その事実に安心しながら、タオーネは毛布に包まれたドニへ視線を向けた。

 この一年、衣食住をともにした子どもは頬を赤く上気させて静かに眠っている。

 数日もの間を目覚めることなく横たわったままでいる彼は少し痩せたようだったが、すぐに回復するはずだ。

 タオーネは血が通い、熱を帯びたドニの頬へ手を伸ばした。

 魔族の中でも特に体温の低い自身の手が彼に触れると、驚くほど熱く感じる。


「……ドニ」


 そっと頬を撫でながら名を呼ぶが、やはり反応はない。

 ドニが目覚めないことに安堵しながらも、そんな己を嫌悪する。

 怖いのだ。

 無邪気な少年の目が、ふたたび絶望に染まるところを見るのが、怖い。

 出会った当初、その純粋な翠の瞳を陰らせて彼は絶望していた。

 結局、タオーネは彼の生い立ちを知ることはなかったが、あれは世界に独り残されたことに絶望する眼だった。

 彼をその孤独から救い出し、ともに寄り添って暮らそうという意思を見せたのに、タオーネ自らがまたドニを独りにして去るのだ。

 これを偽善と言わずに何と言うのだろうか。

 タオーネは自身の無責任さに失望していた。

 きっと、ドニを深く傷つけることになる。

 彼のもとから去ると決めて以来、ずっと心の中でそう考えては謝罪を繰り返していた。

 その気持ちが、自然と口から零れていく。


「守ると約束したというのに、守ってあげられなくて、ごめんなさい」


 掠れた小さな声が、静かな夜の闇に滲む。

 悲しみと罪悪の意識がタオーネの心を蝕んでいた。

 ドニの枕元へしゃがみこみ、懺悔の言葉を紡ぎ出す。


「そばにいると約束をしたのに、あなたのもとから去る私を、どうか、許してください……」


 そう自身の気持ちをそのまま言葉にしてから、タオーネは頭を振ってそれを否定した。

 何が、許してくださいだ。

 裏切りと言われても仕方ない仕打ちをおこなう自分が許されるなんて、虫のいい話だ。

 タオーネはギリリと歯を食いしばり、己の罪を責めたてた。

 そして、自身に罰を与えるように、改めの言葉を口にする。


「……いいえ。許さなくてもいいのです。恨まれて、当然だと思います。私は、あまりにも、無責任すぎる」


 それまで頬に触れていた手で、くったりと力が抜けているドニの手をとる。

 そっと握りしめ、祈るように額を寄せて、タオーネは囁き続けた。

 償いと、この不幸な少年を想う純粋な気持ちを込めて、意識のない彼に別れの言葉をかけ続けた。


「私のことを憎んでもいい。呪ったっていい。ですが、どうか……どうか、幸せになってくださいね」


 それはタオーネの本心からの願いだった。

 ひどく厳しい幼少期を送り、今もなお深く傷つくことになるだろうドニの未来は幸福であってほしかった。

 今まで熱心に神への祈りを捧げたことのないタオーネだったが、ドニの幸せを祈らずにはいられなかった。

 人族の神でもいい。

 魔族の神でもいい。

 この村から無様に逃げ去る己に代わって、どうかこの子を幸せにしてほしい。

 本当は、自分がそばにいたかった。

 ドニと暮らした一年という歳月は、三百年以上もの年を重ねてきたタオーネにとって瞬きのように短い時間だった。

 だが、同時にこれまで生きてきた月日の中で、もっとも穏やかでささやかな喜びに満ちた時間でもあった。

 できることなら、この先もドニとともに生きていきたかった。

 けれど、タオーネの心はすでに人族との共存を諦めていた。

 魔族である己がこの国で生きることの難しさに直面してしまった。


 だから、せめて。

 タオーネは祈り続ける。


「いつでもあなたのことを想っています。これから先、ずっとずっとあなたの幸せを祈っています」


 瞼を閉じて、震えそうになる声で誓いをたてる。

 それからしばらく掌の中でドニの体温を感じていたが、それもそう長くはかからずに終わる。

 毛布の中に握っていた彼の手をしまい、一度だけ慣れ親しんだ茶色の髪を撫でると、タオーネは立ち上がった。

 ローブのしわを伸ばすこともせずに昏々と眠り続けるドニを眺め、そっと囁く。


「…………さようなら、ドニ」


 どうか、お元気で。


 消え入るような別れの言葉は、月明かりに溶けてすぐに静寂に飲み込まれた。

 これ以上、ドニの姿を映していると、無理やりしまいこんだ未練がまた顔を出してしまいそうで、タオーネは忍び足で治療院を後にした。

 そして、もうひとりに別れを告げるために食堂へ足を向ける。

 台所へ繋がる扉を開くと、蝋燭のか細い灯りがタオーネの青白い顔を照らす。

 今まで勉強や食事に用いてきた机には、タオーネを待ち続けてくれていたニコラスが腰かけていた。

 回復に向かっているとはいえ、まだ意識の戻らないドニのために夜通し番をすると申し出てくれた彼は、村を去ることを告げた日に比べると随分と落ち着いているようだった。


「先生、行くのか」

「……はい。今まで、お世話になりました」


 確認の言葉に頷いて手を差し伸べると、すぐに分厚く熱い手で握り返される。

 そして、真っ直ぐで意志の強い眼差しが向けられる。 


「タオーネ先生」


 改まり、はっきりとした調子で名を呼ぶその声は心なしか滲んでいるようにも思えたが、タオーネはそのことに気付かないふりをした。

 握りあった手に、力がこもる。

 ニコラスは十年来の仲間を見つめ、下手くそな微笑を浮かべて言った。


「本当に、ありがとう。先生がいたから、俺は騎士の務めを果たせていたんだと思う。だけど、これからもちゃんとこの村を守ってみせるから。ドニのことだって責任もって一人前にしてみせる。だから、安心してくれよな……」


 最後は涙を含んだのか、湿った声音になるニコラスの誓いと労わりに、タオーネの胸に熱いものがこみ上げてくる。

 たったの十年。

 それはタオーネが昔の仲間と過ごした時間よりも遥かに短い月日。

 けれど、彼と協力して村を支えたことを、タオーネはけして忘れないだろう。

 タオーネは誠実な騎士に応えるように力強く手を握り返し、感情に身を任せて激情的に励ましを送った。

 

「ニコラスさん。後のことを、どうかよろしくお願い致します。私は情けなく逃げるような真似をすることになりましたが、あなたは立派な騎士です。これからも誇りをもって、どうかみんなのことを守ってあげてくださいね」


 村では常に冷静でいようと努めていた魔術師の、剥き出しの感情に打ち震える言葉に、ニコラスは顔を伏せ、肩を震わせた。

 その様子にタオーネもたまらなくなって、ふたりはしばらくの間、固く手を握り合ったままその場に立ち尽くした。

 それでも、時間が有限であることに変わりなく、タオーネは意を決して握っていた手をするりと振りほどいた。

 名残惜しいが、行かなければ。


「本当にお世話になりました。……さようなら」


 別れを告げ、住み慣れた我が家を後にする。

 火の気が絶えない暖かな台所。

 幾人もの患者を診てきた、使い勝手のいい治療院。

 そして、大きな背中を丸めてひたむきに勉強する、ドニの後ろ姿。

 そんな、タオーネの幸せを象ったものたちが足を一歩踏み出すごとに遠退いていく。

 ローブのフードを深く被り直し、タオーネは村の外を目指した。

 押し殺したような嗚咽が、何処からか聴こえてくるようだった。




※※※※※※※※※※




 バナーレ村の北に広がる森は、夜の寂しい静けさに満ちていた。

 結局、王国騎士たちが連行することのなかった盗賊たちを拘束し、監視を続けることになった見張り番の目を盗んで村を抜け出すのは、そう難しいことではなかった。

 北の森の中を進み、辺りの気配を探る。

 聴こえるのは梟の独り言や風の嘶きぐらいだ。


 タオーネはローブの懐から、一通の手紙を取り出した。

 それは、春先に届いた仲間からの手紙だった。

 一度は応えることができないと握り潰したが、今のタオーネには必要なものだ。

 手紙に同封されていた一枚の羊皮紙を広げ、足元に置く。

 そして、そこに描かれた魔法陣に己の魔力を流し込む。

 すると、極めて複雑な紋様を描いた陣が鈍い光を帯びて煌き始める。


 タオーネはもう一度、バナーレ村の方向へ目を向けた。

 すでに此処からは見ることができないその村をしばし見つめ、瞼を閉じる。

 足を一歩、踏み出す。

 魔法陣が放つ光が強まり、辺りを照らす。


「………………さようなら」


 その囁きが、森の木々の隙間を駆け巡る風に掻き消される頃。

 森はふたたび静寂を取り戻し、時おり獣や魔物の密やかな息遣いが聴こえるだけとなった。

 東の空が、ほんのりと朝焼けで滲み始めていた。


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