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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
25/58

王国騎士の詭弁

 バナーレ村を襲った事件は、幸いなことに大きな被害を出すこともなく、幕を閉じた。

 西の森にて凍りつかせた魔物の数は総勢五百匹余り。

 そのうち、指揮階級にある上位種はたったの四体であった。

 魔物たちはすべては勇士の手によって討ち取られ、村総出で死体を焼いたそうだ。

 どういうわけか魔物を操る術を持ち、今回の襲撃を計画した盗賊は全部で五十二人。

 ともに協力し合い、突然湧いて出たこの事件に対応した冒険者ギルドとウォルトン領騎士団はバナーレ村に辿りつくまで姿を見せなかったこの連中を不思議に思ったが、どうやら動物や魔物の皮でつくった隠れ蓑を用いて魔物の大群に紛れていたらしい。

 森の端に大量の生皮が打ち捨てられているのを見つけた、二級冒険者一団〈緋色の閃光〉に所属する女魔術師はその場で卒倒したという。

 魔物使いという特殊且つ稀少な能力を持った者の特定はまだできていないが、それは今後の騎士たちの仕事である。

 数日中にウォルトン領騎士団の手によって、盗賊団はすべて連行される予定らしい。

 少数精鋭とはいえ、ウォルトン領騎士団でも一目置かれるほどの実力者ニコラスを初めとした戦力が揃ったバナーレ村では死傷者が出ることはなかったが、国境近くの村がふたつ壊滅状態に陥り、そして進撃に巻き込まれた旅人が少なく見積もっても二十人程度は今も行方がわからないと言う。

 ウォルトン領を統治する領主はこの事態を重く受け止めており、予想の範囲ではあるが、王国も今回の襲撃事件の凶悪さには自ら対処せざるを得ないという話だった。

 おそらく、盗賊の一味は王国最大の罰則である公開処刑を免れないだろう。


 だが、問題はこの盗賊たちがどのようにして厳しい監視の目がある国境を越え、王国領地へ入り込んだかであった。

 大群の基盤はオークとゴブリンから成り立っており、そのどちらも帝国領では珍しくない魔物だ。

 王国領でも大河を越え、王都の間近では見かけることもあるが、今回の襲撃の道筋を辿ると帝国から侵入したと見るほうが自然だった。

 しかし、本来、帝国との国境は王国騎士団によって警備されているはずである。

 ならばなぜ盗賊たちはこの関門を潜り抜けることができたのか。

 この疑問について、バナーレ村に集った冒険者一団やウォルトン領騎士団の小隊が夜更けまで各々の推測を交えながら話し込んでいたが、そこに村の魔術師の姿はなかった。




 治療院として使用している自宅の一角に、思わず鼻を摘まみたくなるような強烈な臭いが充満している。

 外はすっかり日が落ちていたが、ランプに明かりを灯す時間も惜しくて、そこらへんに転がっていた粗末な蝋燭に火をつけただけの薄暗い部屋で、タオーネは膨大な作業をこなしていた。

 本来は即死であるバシリスクの猛毒に効果があるかは不明だったが、まず上級の解毒魔法をベッドに横たえたドニへかけてみると、毒を取り除くことはできなかったものの、その進行をわずかに遅らせることができた。

 その隙に自身の豊富な本棚から毒物に関する書籍を何冊か抜き取り、有効な治療法を探し求めた。

 だが、バシリスクの毒液は通常ならば即効性の致死毒である。

 どの書籍にも解毒方法が書いてあるとは思えない。

 しかし、タオーネはそれでも諦めることなく、若かりし頃から地道に積み重ねてきた自身の知識と旅の最中に収集したあらゆる書物を駆使し、治療を試みた。

 そして、ドニの体が毒と戦い、耐えているというのなら、症状に合わせて対応する対症療法でその生命力に力添えしようという考えに至った。


 ユニコーンの角、乾燥させたエルダーの花、乳香樹の樹液から抽出した精油、オークから寄生した宿り木ミスルトーの粉末……。

 そういった解毒の作用を期待できる素材を片っ端から煎じ、湯気とともに依然として気を失っているドニの体内へ流し込ませる。

 部屋の中には尋常ではない臭いが立ち込めたが、集中しているタオーネには苦にもならない。

 呼吸を楽にする塗り薬を調合してドニの胸元に塗ったり、低くなる一方だった体温が途中から高熱へ変化したために少しでも彼が安らぐように汗を拭いてやったりと懸命に働いた。

 自分たちも何か役に立ちたいと手伝いを買って出たアーサーとヘンリーも、湯を沸かしたり治療に用いた布を清潔なものに入れ替えたりとタオーネの手足となって働いてくれたが、彼らは完全に日が暮れる前に家へ帰した。

 ドニの友人たちは心残りであるという気持ちを素直に表現し、まだ此処にいると主張したが、タオーネがそれを許さなかった。

 怪我はないといっても、この二日の出来事は彼らの精神を疲労させているに違いなかった。

 家に帰って体を休め、家族を安心させるのも大切なことだと諭すと、ふたりとも渋々といった様子ではあったが、帰宅することを了承してくれた。

 彼らは最後にそれぞれドニへ労わりと励ましの声をかけ、涙ぐみそうになりながら帰っていった。


 ドニの容態はいまだに油断ならない。

 タオーネは少年たちが去ってからも休むことなく看病を続け、気がつくと外は暗闇に包まれていた。

 蝋燭の灯りだけを頼りにドニの様子を探ると、また熱が上がったようだった。

 あまり熱が高くなりすぎても肉体が耐えきれなくなるが、おそらくこの熱は体内の毒とドニの体が戦っている証拠のようなものだと考えられる。

 この峠を越えることさえできれば……と考え、タオーネは気合を入れ直した。

 熱から頭を守るために額へ冷たい水を含ませて絞った布を置き、時おりドニの体の汗を拭う。

 毒に関する対処は、これ以上は手の施しようがないというまでに手を尽くした。

 薬を含んだ湯気を切らさぬようにひたすらあらゆる素材を煎じ続け、あとはドニ自身の生命力に懸けるしかない。

 彼のどんな変化も見逃さないために、タオーネは集中して冴える頭で夜を過ごした。

 時たまうなされるようになったドニに声をかけ、彼の頬を撫でたり手を握ったりしてやりながら、長い夜の時間が流れていった。


 そして、沈んだ陽が反対側の空からまた昇り始めた頃。

 いまだに平常よりも幾分か高い熱が残り、時々うなされることもあるが、ドニの様子は少し落ち着きを取り戻つつあった。

 今後も気を抜くことはできないが、峠を越えた。

 その事実に無意識に張っていた肩の力が和らぎ、タオーネは細く安堵の息を吐いた。

 容態が急変することも考えられるが、とりあえずはひと安心だ。

 ドニは、致死性の猛毒に勝ったのだ。

 治療院に運び込んだ当初は意識もなく、人形のようにただ冷たくなっていくだけであったドニが、今ではやや高すぎるものの生き物らしい熱を帯びて眠っている。

 その寝顔を眺めると、深い安心感と達成感がタオーネを包んだ。


 すると、緊張が弛んだのか、夜通し休まずに動き続けていた疲労がズシリと体に降りかかってくる。

 一度それを自覚すると途端に眠気に襲われる。

 脳内が睡眠欲で占められていくのを感じながら、タオーネはもう一度ドニの様子を見てしばらくはこのまま安定していそうだと判断し、少しばかりの仮眠をとることに決めた。

 思えば魔物と盗賊による襲撃のために丸二日は眠っていない。

 道理で眠くなるわけだった。

 今後の治療のためにも今のうちに眠っておく必要があると改めて考え、ドニが横たわるベッドにもたれるようにしてタオーネは自身の体を縮こまらせた。

 そして、治療の前に香草を煮出した水を振りかけて清潔な状態にした愛用のローブに顔を埋め、じわじわと襲い来る倦怠感に逆らわずに瞼を落とした。

 すぐさま意識が遠のき、ふわふわと不安定な感覚に身を任せる。

 起きたらドニの額に乗せた布を取り換えてやらねば。

 最後にそれだけ考えて、緩やかに眠りの世界へ旅立とうとした。


 ガンガンガンガンガン!


 突然、激しく扉を叩く音が部屋に響き渡り、タオーネは慌てて飛び起きた。

 眠気で意識が散漫して事前に気づかなかったが、誰かが訪れたようだ。

 その扉を叩く激しさに、またもや村のほうで何か問題が起きたのかと半分ほど寝惚けたまま、扉へ向かう。

 全身から疲れが滲み出ているがそれを取り繕う暇もなく、来訪者が誰なのかも確認せずに――大方、ニコラスか村長だろうと考え――すぐさま扉を開いた。

 だが、想像したふたりはそこにはおらず、思いもしない者たちがそこに立っていた。


「おやおや……お眠りになっていましたか。朝早くから申し訳ない」


 その声に、その姿に、タオーネの眠気が吹き飛んだ。

 立派な装備に身を包んだ大柄な男たち。

 その鎧やマントに刻まれた、天に吼える獅子の紋章。


 王国騎士団だ。


 その中で以前にも村に訪れたことがある、身分の高そうな男が見覚えのある薄ら笑いでタオーネを見据えていた。

 なぜ、彼らが此処に。

 昨年の訪問による嫌な記憶が甦り、顔が強張りそうになるのをなんとか抑えつけ、タオーネは後ろ手で扉を閉めながら、やっとの思いで口を開けた。


「どうか、なさいましたか」


 徹夜明けに訪れた面倒事の気配に辟易しながらも、タオーネはくっきりと隈が浮いた青白い顔で、申し訳程度に微笑む。

 複数で自宅まで押し寄せてきたということは、いくら疲労で鈍った頭でも明らかにまずいことだとわかる。

 内心で冷や汗を流すと、王国騎士の中でもひと際ご立派な隊長と思われる男――以前の紹介では名を確かセオドールと言っていた――が緩慢な動作で簡略化された一礼をして用件を口にした。


「いやぁ昨日この村を襲った盗賊たちを連行しに参ったのですよ。それが我々騎士団の仕事ですからな。……それとも、我々では不服だとでも?」


 既視感のあるその不穏な眼差しにげんなりしつつも、タオーネはそれをおくびにも出さず、ゆったりとした微笑で構える。

 下手な動きをすれば足をとられかねない。

 慎重に言葉を選んで会話を続ける。


「いえ、そんなことはありません。ただ、こんな村の隅にある、しがない魔術師の家までわざわざ足をお運びになるには何か理由がおありになるのかと」

「確かに、それもそうですな。実際、我々は貴殿に用件があって赴いている。……ところで、この臭いは一体、何なのだろうか」


 突然替えられた話題に不審なものを感じる。

 具体的な用件をはぐらかすような態度だ。

 その不誠実な態度に苛つきを感じながらも、やはりその感情を表に出さぬように気を遣ってタオーネは律儀にもその問いに答えた。


「昨日の襲撃による怪我人がおりまして、その治療を中でおこなっております。これはそれに用いた薬の臭いですよ」

「ほう、怪我人が……。それは災難でしたな。王国を守護する騎士として、見舞いをさせていただいてもよろしいかな?」


 王国騎士のあまりにも非常識な言葉に驚き、タオーネは一瞬思わず言葉に詰まった。

 清潔第一である治療院に、野を駆けてそのままこの家に向かってきたと思われる、お世辞にも衛生的とは言えない男たちを入れるわけにはいかない。

 それに痛ましいドニの姿を知らない者に易々と見せるのは、彼の尊厳を考えると絶対にあってはならないことだ。

 タオーネはこの治療院を担う者として、これだけは絶対に譲れないとキッパリとした態度で騎士たちに立ち向かった。


「まだ意識も戻っていないので、申し訳ないのですが、それはご遠慮願えますか」

「いやなに……少し顔を拝見させていただくだけでよいのです。王国騎士として、どれほどの被害が出たのか、把握しておかねばならぬのですよ」

「……患者の容態が安定しないうちは、外部からの刺激を極力少なくする必要があるのです。どうか、ご理解ください」


 しつこく食い下がる王国騎士に根気よく説明を続け、何を言っても此処を通すことはないと言外に伝える。

 すると、男は髭を生やした自身の顎を撫で、わざとらしい困ったような顔をつくった。


「それは参りましたなぁ……そういった態度をおとりになると、後々お困りになると思いますがね」

「それはどういった意味でしょうか」


 困るも何も、此処で彼らを通してしまったら一番困るのはドニだろう。

 男の言うことの意味がよく理解できず、タオーネは眉を顰めて冷静に切り返した。

 王国騎士たちの嘲笑うような冷ややかな目に、自身が置かれているこの現状が厳しいものなのだということを改めて認識した。

 現にこの小隊の隊長の口から続けられた内容は、タオーネにとって虚をつかれたものだった。


「大変申し上げにくいことなのですが……実際に怪我人の存在を騎士が確認しないとなると、その存在を疑う者も出てくる可能性があるのですよ」


 その言葉に一瞬、タオーネの思考が止まった。

 こいつは一体何を言っているのだ。

 突然向けられた疑惑に、タオーネはかろうじて声を振り絞ることしかできない。


「……それは、どういう……」

「まぁなんだ。つまりは、怪我人ではない、騎士に見られたら困るようなものを貴殿が隠しているのではないかという意見が出る可能性がある、ということです。後ろめたいものを所有しているから部屋を見せない。よくある話ですな」


 よくある話ではあるが、それは今のこの状況には当てはまらない。

 実際に部屋の中には毒と必死に戦ったドニが眠っているのだ。

 中に通すことはできないが、見られて困るようなものは何もない。


「そんな、私はただ怪我人の治療を」

「口先ではどうとでも言えるでしょう。……証拠をお見せいただかないことには、疑いは晴れませんでしょうなぁ?」


 不当な言いがかりに弁解しようと口を開いたが、王国騎士は構うことなく自分らの言い分を押し付けてくる。

 そんな一方的でこちらの言葉に一切耳を貸さない連中の態度に、タオーネの糸がプツンと切れた。

 こういった輩は何を言ったところで無駄なのだ。

 そもそもどういった用事でタオーネのもとへ訪ねてきたかは知らないが、顔を見るなり粗探しのような言いがかりをつけていたぶるような真似をするのは無礼にも甚だしい。

 こみあげてくる怒りに気がついたときには、すでに抑えがたい苛立ちを含んだ言葉が口から飛び出していた。


「あなたがたは、一体何だと言うのです」


 怒りに震えそうになる声に、何処か冷静な自分が落ち着けと己に語りかけてくるが、もう止まらない。


「用件があるとそちらから訪れたというのに、いきなり人のことを疑って難癖をつけて。無礼にも程があると思います。私はこの村で十年以上も治療魔術師として働いて参りました。それ以前のことも、冒険者ギルドに問い合わせれば、私の記録が残っているはずです。私のことで何かお調べになりたいのならば、まずはそちらにいらしてください。ですが、今、此処を通すわけには参りません」

「……随分と物わかりの悪い方だ」


 明らかに対立する意思がこもった言葉を浴びせられ、王国騎士たちも不穏な気配を漂わせる。

 その顔はまだ薄ら笑いを帯びてはいるが、剣呑な眼が頑固な魔術師を射貫こうと光っている。

 まさに一触即発といった緊張がその場を支配する。

 だが、それはすぐに破られた。


「王国騎士さま!」


 突然、張り上げられた声の方向へ皆一斉に視線を向けると、随分と慌てた様子のニコラスが駆けてきた。

 おそらく誰かの知らせを受けてすぐに駆けつけてきてくれたらしく、朝日に反射してキラキラと煌く金髪にはちょっとした寝癖がつけられたままになっている。

 王国騎士はその若い騎士を目にすると、片眉を上げて完全に意識をそちらへ向けた。


「おや、貴殿はたしかこの村の……」

「ウォルトン領バナーレ村駐在騎士、ニコラス・バートンであります! 早朝からご足労いただき、ありがとうございます! 何か問題でもございましたか?」


 ニコラスがいつもに増して一層明るく陽気な笑顔で先手を打った。

 彼の思惑通り、人好きのするその笑顔に調子を崩されたのか、王国騎士は苦々しい顔で唸るように答えた。


「……今回のこの一件は王国騎士団がすべて請け負うこととなった。そのため、我々は盗賊の身柄確保、そして調査をしに参った」

「お言葉ながら、そういった伝令は何も耳にしていませんが……」

「急遽決まったことだ。遅れてウォルトン領騎士団からの連絡があるだろう」


 王国騎士の言葉に何やら言いたげな顔をしたニコラスだったが、この場で詳しく問い詰めるのは得策ではないと判断したようで、物わかりがよい風体を装ってとりあえず頷いた。


「では、それは後ほど確認しましょう。それで調査ということですが、タオーネ先生にはどういったご用件で……?」

「調査のために決まっておるだろう」

「ああ、先生に実際の様子をお聞きになられたのですね! いやー今回は先生のおかげで大助かりでした! 襲撃前日から付きっきりで色々と助けていただきましたが、さすがは治療魔術師ですな。おかげで前線でも死傷者が出ることはありませんでした。盗賊に狙われた村のほうでは、残念ながら負傷者が一名出てしまいましたが、タオーネ先生の迅速且つ懸命な治療で必ずや回復することでしょう!」


 不遜な受け答えをする男にも特に反応することなく、載せられた情報が少なすぎる言葉をあえて都合のいい方向へ捉え、ニコラスは好き勝手にひとりでペラペラと喋り続けた。

 簡潔に村の状況を伝えながらも、礼儀知らずな王国騎士に対してタオーネの立場をしっかりと保証し、さらにはタオーネが秘密にしておきたい魔術のことも伏せ、戦闘そのものに参加したことはぼかしてくれている。

 三十にも満たない彼の手腕に感心し、三百を越える自分の短気を反省したタオーネは少しの冷静さと余裕を取り戻しつつあった。

 しかし、王国騎士たちは諦めることなくしつこい追撃を放とうとしているようだった。

 粘着質な視線をタオーネに絡みつかせ、男たちは意味深げに含み笑いする。


「本来ならば、無事に解決できてよかったと祝うところなのだろうが……」

「……何か、新たに問題でも起きたのですか?」


 ふたたびニタニタと嫌な笑みを浮かべた王国騎士に、ニコラスがキョトンとした顔で首を傾げる。

 実直な様子を見せているが、彼の胸にはおそらく言い知れぬ不快感が生じていることだろう。

 タオーネも纏わりついてくる不愉快な注目に、この連中がよからぬことを考えているのだということを改めて実感せねばならなかった。

 そして、その予感の通り、髭面の男は勿体ぶるようにそれを口にした。


「困ったことに、我が小隊の中からとある推測が提言されたのだ」


 冷たい眼が嘲笑の意味を持って、タオーネを映す。

 皮肉げな笑みを湛えた唇が明らかな攻撃性を持って、その言葉を紡ぎ出す。


「今回のこの襲撃事件を、魔術師殿が裏から糸を引いているのでは、と……」

「は……?」


 思わず、といった様子でニコラスが間の抜けた声を上げた。

 王国騎士の言葉に理解が追いつかないらしく、唖然とした顔で男たちを眺めている。

 対するタオーネも、突拍子もない妄言に動けないでいた。

 頭を強く殴られたような衝撃が、タオーネをその場に縫いつけていた。

 そんな魔術師を見た王国騎士は勝ち誇ったような顔をして、饒舌に喋り続けた。


「冒険者ギルドに問い合わせたところ、魔術師殿はこのバナーレ村に訪れる以前には帝国にいらっしゃったそうで……。この度、捕縛した盗賊団は帝国から侵入したという報告から、両者に何らかの関係があっても不思議ではないと考えたのだ」


 得意げに自分たちの推測を話し続ける男に、衝撃からなんとか立ち直ったニコラスが食らいつこうと口を切った。

 その顔は温和な微笑をつくってはいたが、思わぬ横槍による動転から青ざめている。


「しかし、先生が村にいらっしゃったのは十年以上も昔のことですよ? それに、帝国の者と何か企てをするにしても先生が留守にすればすぐわかることですし、よそ者にもすぐ気がつきます。正直なところ、その説にはかなり無理が生じると思うのですが……」

「人族ならばそうだろう。だが、魔術師殿は人族に比べ、遥かに長寿の者が多い魔族だ。十年という年月は魔族にとってそう長い時間でもなかろう。さらに魔術や魔道具があれば長期に渡る密通も可能だ」

「そんな……」


 無茶苦茶な、という言葉は出てこなかった。

 妄想とも言える、そのあまりにも稚拙な推測に、ニコラスもタオーネ自身も開いた口が塞がらない。

 こいつらは証拠もないのに魔族の魔術師が黒幕だと信じて疑っていないようだ。

 その妄信にタオーネは背筋がうすら寒くなるのを感じた。

 脳裏には魔族と人族が平等とされる以前の、血に濡れた時代の記憶が思い出されていた。

 問答無用で魔族は悪とされ、弱い者から死んでいったあの時代。

 あの頃に目にしてきた人族たちと目の前の王国騎士たちは、ともに己のない正義を宿して濁った瞳をしている。

 タオーネが過去の記憶を現状に重ねて恐怖している間にも、ニコラスは必死に村の魔術師を守ろうと食い下がる。


「ですが、この十年、先生はこの村で尽力してくださったのですよ。先生が訪れてくれなかったらこの村は十年前に疫病で壊滅していた……。村を襲おうという者が、わざわざ救いの手を差し出すことはしないでしょう」


 ニコラスがもっともな正論を突きつけるが、王国騎士はそれは取るに足らないことだというように鼻で笑って一蹴した。

 その瞬間、タオーネは諦めた。

 何を言っても無駄だということをはっきりと理解したのだ。

 やるせない気持ちが細かい欠片となって胸を刺したが、もう何を言う気にもなれなかった。

 そんなタオーネに反して、王国を守護する立場にある男はどんどん饒舌になっていく。


「それも計算のうち、とも考えられるのではないか? 村の内部に入り込んで信頼を勝ち取り、あとは安心して身を預けた獲物を食らうだけ。実に狡猾だが、ありえない話ではあるまい」

「ちょっと待ってください。それなら魔物や盗賊を倒す必要がないではないですか。現に先生は前線に立って村を守ったんだ。いくら何でも戦いに赴いた者を貶めるのは騎士道精神に反するのでは?」


 さすがに頭に血がのぼってきたのか、半ば喧嘩腰にもとれるニコラスの言葉に、隊長の周囲でただ嫌な笑みを浮かべていた取り巻きたちが色めき立つ。

 自分たちの無礼極まりないおこないが騎士団や主の品格を貶めていることには気付かないくせに、騎士としての自尊心だけは相当に高いことがわかるその反応を、タオーネは何処か冷めた目つきで眺めた。

 だが、小隊の隊長である男は軽く手をかざして部下たちを制止し、余裕ある態度で話を続けた。


「やはりそれも企ての一環なのだろうなぁ……。盗賊に味方しながらも土壇場で裏切り、村が完全に油断したところを襲って旨みを独占する……もしくは、これからさらにお仲間・・・が弱った村を襲いにくる、ということもありえますな」


 証拠があるわけでもなく、ひたすらこじつけをおこなう王国騎士に、さすがのニコラスも堪忍袋の緒が切れたようだった。

 先ほどまで笑顔を貼りつけていた彼の顔が、見る見るうちに怒りによって赤く染まっていく。

 自身の保身をすっかり諦めていたタオーネは止めたほうがいいかと考えたが、それは間に合わなかった。

 素の感情をそのまま乗せた、低く唸るような声音でニコラスは王国騎士たちをはっきりと非難した。


「それはあんたたちの憶測だろう。いや、妄想と言ったっていい。その無礼な口を開く前に証拠のひとつでも探してきたらどうなんだ。もっとも、そんなものは何処にもありはしないだろうがな」

「田舎騎士が生意気な口を……!」


 明確に自分たちを咎めるニコラスに、取り巻きたちが殺気立つ。

 何人かの男たちが自身の剣へ手を伸ばした。

 ニコラスはこの場にも愛剣を持ち込んできていたが、柄に手をかけることはせずにただ相手を睨みつけた。

 おそらく彼は怒っている今も、言葉で解決できる可能性を信じているのだろう。

 タオーネはそんな彼の気持ちを汲み取りながらも、いざというときに備えてこっそりと魔力を練り上げ始めた。

 たとえ防衛のための反撃であっても、タオーネが彼らに牙を剥ければ、確実に自分の立場が悪くなることはわかっていた。

 だが、こんなことでこの青年を傷つけさせるわけにもいかない。

 それに扉のすぐ向こうにはドニが眠っているのだ。

 此処で暴れさせるようなことは絶対に回避しなければ。

 そう考えてじりじりと炙られるような緊迫感の中で、お互いの動きを読みあう。


 しかし、それまで部下たちとともに駐在騎士を睨みつけていた小隊の隊長が突然その緊張を破った。

 彼は大声を張り上げ、演技がかった調子で唐突に謡い始めた。


「ああ、困ったことになった! どうやらニコラス騎士は悪徳なる魔術師に洗脳されてしまったようだ!」

「は?」


 突如、始まった演劇の一幕のような台詞に、ニコラスが困惑と不信を含めた声を漏らす。

 思いがけぬ展開に理解が及ばないようだった。

 だが、タオーネはこれまでの経験からこの男の根源を瞬時に理解できた。

 いや、理解できてしまったのだ。

 人族に長らく絶対的な悪役であることを強いられてきた魔族だからこそ、王国騎士たちの中に根を張る狂気に気付いてしまった。

 幼い頃より何度も目にしてきたそれは、百年以上も経った今でも此処にある。

 その事実にタオーネは、もうすでに諦めの境地に達していたはずの心がポキリと折れるのを感じた。

 王国騎士はさらに追い打ちをかけるかのように、取り巻きたちを見渡しながら力に満ちた声で演説する。


「その呪いから我が王国騎士団が必ずや救い出してみせよう! 卑劣な魔族から民を救出するのだ! 我ら王国騎士団こそが真の勇者なり!」

「でたらめばかり言いやがって……!」


 突然、気が触れたように騒ぎ立て始めた王国騎士に呆気にとられていたニコラスが我に返り、全身の肌を真っ赤にして怒りを顕にした。

 この騒動にさすがの彼も言葉の通じる相手ではないと悟ったのか、激昂した勢いで愛剣の柄を握る。

 それを見て瞬時にまずいと判断したタオーネがその手を封じるように、自らの手でニコラスの動きを抑えつけた。


「いけません……!」

「先生っ?」

「あなたが此処で手を出したら事態は悪くなる一方です……! そうしたら村にまで被害が及ぶ……!」


 王国騎士には聞こえぬように囁かれるタオーネの必死な説得に、ニコラスは苦しげに顔を歪めた。

 自身の無力さに歯痒い想いを抱いているのだろう。

 しかし、タオーネはこの狂気的な喧騒をじっと耐え忍ぶことが騒ぎを最小に抑える術だということを知っていた。

 そして、こういった輩には、こちらの言葉は届かないということも。

 自身の歪な正義に酔いしれる王国騎士は高らかに断罪を宣言する。


「だがしかし! 我らには呪術の知恵はない! 一旦、砦へ戻り、我が王国の正統な魔術師へ救援を要請するのだ! 決戦は三日後! 魔族よ! その場で貴様の悪徳を暴き、引導を渡してくれる!!」


 王国騎士たちは宣戦布告を言い渡し、マントを翻して道に繋げていた馬に飛び乗った。

 それから悪しき者と固く信じ込んでいる魔族の魔術師へ侮蔑の視線を投げかけ、馬のわき腹を蹴った。

 馬は大きく嘶くと、勢いよく来た道を駆け戻っていく。

 やがて男たちの嘲笑が聴こえなくなると、辺りは途端に静けさを取り戻した。

 それでも、残されたニコラスはしばらく王国騎士たちが去っていった方向を鋭い目つきで睨みつけ、動かなかった。

 強引に罪を被せられたタオーネ本人もその場から動けずにいたが、その頭の中には負の感情がぐるぐると渦巻いていた。

 扉越しにドニの存在を感じながら、タオーネは厳しくつらい決断を迫られていることを自覚する。

 凍えるような極寒の心とは裏腹に、柔らかな朝日が村を照らしていた。


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