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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
24/58

怒り

 空を駆け、村の上空へ辿りつく。

 耳を澄ますと、南門の方向が騒がしい。

 騒動の中心へ目を向けると、盗賊を村へ入れさせまいと男たちが奮闘していた。

 それぞれの家から家具や仕事道具を持ち寄ったのだろう。

 急ごしらえの防壁を築き、盗賊を門の外に足止めしようと格闘している。

 だが、バナーレ村の男たちは戦闘の訓練を受けていたわけではない。

 略奪を繰り返してきた盗賊相手では分が悪そうだ。

 粗野な身なりをした荒くれ者たちが今にも防壁を突き崩そうとしている。


 それを見たタオーネは、被害が大きくなる前に盗賊の足を止めようと魔力を練り上げた。

 地上の獲物に夢中な盗賊たちは空に浮かぶタオーネには気がついていない。

 この様子ならば此処から盗賊すべての命を刈り取ることも可能だったが、タオーネはその方法を選択しない。

 今回の事件の真相を探るにはやはり盗賊たちには生きていてもらったほうがよいと思われたし、昔の仲間が掲げていた"不殺″の信条をできる限りは模範としようと決めていたからだ。

 タオーネとしては害を与えてきた相手を殺したところで胸が痛むなんてことは一切なかったが、仲間の力になりたいと思って決意したことだった。

 そのため、あとで領主や国がどう判断を下すかはわからないが、この場では殺さないために生け捕りを目的として魔術を放った。


氷床アイスフロア


 先ほど魔物の足止めに用いたのと同じ魔術を大地に纏わせ、盗賊たちの足を凍りつかせる。

 魔物の大群よりかは圧倒的に規模の小さい盗賊団に放たれたその術は、範囲が狭いせいかついうっかり威力が高まり、野蛮な男たちの胸元あたりまで氷漬けにした。

 これならば日が暮れるまでは溶けずに、やつらを捕らえておけるだろう。

 もっとも得意とする水魔法からひとりも逃がしていないことを確認し、タオーネは風を操ってふわりと村の木陰へ舞い降りた。

 村人たちは突然凍りついた盗賊に目を奪われ、空を飛んできたタオーネには気付いていない。


「皆さん、ご無事ですか」


 タオーネが「ちくしょう!」とか「こんな上級魔術を使えるやつがいるなんて聞いてねぇぞ!」といった盗賊たちの喚き声を聞き流しながら木陰から姿を現すと、男たちが数人ほど駆け寄ってきた。

 見たところ、彼らに大きな怪我はなさそうだ。


「先生! 来てくだすったんですか!」

「遅くなって申し訳ありません。怪我人は?」

「ええ、見張りのやつが早く気付いてくれたもんで死人は出てねぇです。何人かちょっとばかし怪我しとるけど、大したことはありません」

「そうですか……よかった……」


 事前に油断しないで周囲に警戒するよう伝えたおかげか被害は小さそうだった。

 とりあえず現状を簡単に把握して安堵していると、牛飼いの青年が何やら心配そうな顔でタオーネに近寄ってきた。

 その顔を見て、タオーネの胸に魔物を狩っているときに感じたのと同じ嫌な予感が過った。


「先生」

「はい、どうかしましたか」


 ある懸念を抱えているといった表情の青年に、タオーネも真剣な顔で応える。

 すると、青年は少し悩むような素振りを見せてから、その気がかりを話し出した。


「それが……昼前にヘンリーが家に忘れ物を取りに行ったきり、帰ってきてないみたいなんです。盗賊がきたってわかって、それを追いかけていったドニとアーサー坊ちゃんも……」


 青年の口からドニの名があげられて、タオーネの胸がドキリと鳴る。

 だが、すぐに頭の中で情報を整理し、冷静であることに努めた。

 昼前ということは、おそらくタオーネたちが魔物と戦い始めた頃合いだろう。

 そして、避難所からヘンリーの家までの距離を踏まえ、いまだに彼が戻っていないこと、そして友達を追いかけたドニとアーサーの現状についていくつかの可能性を考える。

 瞬時に最悪の状況を推測し、タオーネはすぐさま青年へ答えた。


「わかりました。すぐに見てきましょう。一旦、此処を離れますが、まだ警戒を続けておいてください」

「うっす! お気をつけて!」


 青年の大きな返事に見送られ、タオーネは村の北側に続く道を急ぎ足で進み、周りに人がいないことを確かめると、ふたたび風魔法を駆使して空に舞い上がった。

 風の力を借り、己の脚で大地を蹴るよりも速く北へ飛ぶ。

 足を踏み出すたびに不穏な胸騒ぎが強くなっていくのを感じる。

 はやる気持ちを抑え、小川に架けられた橋が見えてくる辺りまで駆けると、その向こうに複数の人影が見えた。

 小さな影がふたつに対峙する、大きな影がふたつ。


 そして、地面に伏している見慣れた姿。


「ドニッ!!」


 思わずその少年の名を叫び、直感的に敵だと認識した男ふたりへ向かって渾身の風刃ウィンドカッターを叩き込んだ。

 だが、術を発動させる直前に大声を張り上げたことで、タオーネの存在に気がついた男たちはその風の刃を間一髪のところでかわす。

 それでも衝動のままに放たれた見えない刃は大地を大きく抉りとり、その衝撃で男たちをさらに弾いた。

 なんとか着地する際に体勢を整えた盗賊の一味と思われし者たちは宙に佇むタオーネを見上げ、動揺を顕に不平の声をあげた。


「おいおい……こんな化け物がいるなんて聞いてねぇぞ……!」

「報告じゃあ大した働きはしてねえと聞いたんだがな……こんな辺境にこんな魔術師がいるとは……」


 心なしか顔を青くさせた男ふたりの言動に、こいつらが盗賊であることを確信する。

 タオーネは倒れた友達を庇うように敵に立ち向かおうとしていたアーサーとヘンリーの前に降り立つと、そのままふたりの盗賊をジッと見据えた。

 腹の底がふつふつと燃えている。

 身を焦がすようなその怒りは、今にもタオーネの体から飛び出て目の前の男たちを焼き殺してしまいそうだ。

 だが、タオーネはそんな激情を表には出さず、底冷えする低い声音で静かに問うた。


「…………あなたがた、ですね?」


 何が、とは言わない。

 いや、言えなかった。

 幼気な子どもを傷つけた男たちを目の前に、怒りを抑えるたがが今にも外れそうで、そんな余裕はとうに消え去っていた。

 一瞬、脳裏に仲間の信条やともに目指そうと決意した理想が過ったが、それもこの憤怒を前にすべて流れ去っていく。

 額に青筋を張らせ、その特徴的な眼を吊り上げ、それでも喚き散らすことはせず、静かに怒気を纏わせる。

 今も動く気配のないドニを背後に感じながらも、もとより頭に血が上りやすい性質のタオーネは狂気めいた殺意に飲み込まれていた。

 この卑劣な連中を生かしておく道理などないように思えた。

 ドニに危害を与えた者を生かしてはならないとまで考えた。

 気付いたときには、ピクピクと戦慄く唇から身の内を暴れまわっていた殺意が漏れ出していた。


「死んで償え」


 静かな、しかし、ぞっとするような声だった。

 同時にタオーネの周囲にボッボッと炎が灯った。

 何を糧にするわけでもなく、ひそやかに己だけで燃えるその炎は、青い。

 ゆらりと宙を彷徨う青き炎へ、一枚の葉が何処からかひらひらと舞い落ちてきた。

 春の水気をたっぷりと吸い込んだその葉は、粛然たる炎に触れたと思うや否や、燃えることなく炭となってさらりと崩れ去った。

 人をも世に残すことなく焼き殺すその青い炎を、怒気とともに身に纏い、タオーネは標的を睨めつける。


 盗賊の顔が恐怖に歪む。

 そうだ。怯えるがいい。

 きっとあの優しい少年ドニはもっと怖かったはずだ。

 せめて命が潰える恐怖の中で死に絶えるといい。


 いくつもの青い炎が一斉に激しく燃え盛る。

 おどろおどろしい殺意に身を沈めたタオーネを止めるものは何もないと思われた――――……が、


「せっ先生!!」


 怯えたような、必死な叫びにも似た呼び声にタオーネの理性がほんの一瞬、わずかに戻ってきた。

 その一瞬を逃しはしないというように、勇気を振り絞ったアーサーが今まで見たことがないほどに怒り狂った魔術師を呼び戻そうと言葉を続ける。


「あの、ドニくんの意識が……!」


 ドニ、と言われてタオーネは頭の片隅が冷えていくのを感じた。

 怒りに支配されていた心を、ドニを心配する気持ちが染めていく。

 そうしていくらか取り戻した理性が、殺戮よりも先にやるべきことがあると訴えてくる。

 まずは倒れたまま動かないドニの容態を確認するべきだ。

 それに子どもたちの前で、感情のままに殺しをおこなうのは褒められたことではない。

 途端にスッと冷えた頭で、とりあえず周囲の炎をかき消した。

 炎が魔素に解体され、自然へ戻っていく。

 それを確認しながらも、タオーネは逃げ出すことも忘れて突っ立っている盗賊へ、冷酷な眼差しを向けた。


「……あなたたちはそこで凍ってなさい」


 本日三度目の氷床アイスフロアで男たちを拘束する。

 理性は取り戻したが、怒りが消えたわけではない。

 侮蔑の視線とともに込められたその怒りが術を強力なものに変化させる。

 小規模に凝縮されたその氷の礎は、盗賊たちの顎のあたりまでガッチリと捕らえた。

 先の二回に比べて拘束時間も長くなっているだろうが、たとえやつらの体が凍傷によって壊死してもそれはタオーネの知ったことではない。

 捕まったことに気付いて何やら喚き始めた盗賊を無視して、タオーネは子どもたちのもとへ駆け寄った。


「ドニ、聞こえますか」


 力なく横たわるドニに声をかけるが、反応はない。

 何やら赤いものが付着している首筋にまさかと思って目をやると、やはりそれは極めて少量だが血であった。

 見たところ、ほかに外傷はなく、呼吸を確かめようとわずかに開いた口元に手をかざした。

 だが、その呼吸は微弱で、今にも消え入りそうだ。

 タオーネのもとより青い顔から血の気が引き、白く染まる。

 傷口と症状から毒物を用いた攻撃を受けたと判断したタオーネは身を翻して、毒の持ち主と思われる男たちのもとへ詰め寄った。


「この毒はあなたがたのものですね? これはどういった毒なのですか」

「答える義理はねぇよ、くそったれ!」


 氷漬けにされながらも口汚く罵る男に、タオーネの表情が冷え込む。

 怒りが強まってはいるが、先ほどの燃え盛る憤怒とは異なり、それはより沈着に頭が澄みきるようなものだった。

 タオーネはその感情を抑えることなく瞳に乗せ、うっすらと冷たい微笑を薄く青白い唇に浮かべた。

 そして、男の喉元あたりを指でなぞり、子どもたちに届かぬような声音でそっと囁いた。


「私としては、今すぐその首を跳ね飛ばして差し上げてもよろしいのですけど……。……それで、この毒は、一体どのようなもので?」

「…………バシリスクの毒液を薄めたものを針に微量、塗りこんで血に交えさせた。薄めたとはいえ、アウルベアも即死する代物だ。人族の餓鬼じゃひとたまりもねぇよ」


 酷薄なタオーネの笑みに恐れを為したのか、盗賊の片割れが顔を歪めて自白した。

 だが、その救いのない真実がタオーネの胸に鋭く深く突き刺さる。

 その通った跡に残った毒液ですら人を死に至らしめるという魔物の名が、心にズシリと重くのしかかる。

 強靭な肉体をもったアウルベアですら即死すると言うならば、いくら体が大きいといってもまだ幼いドニが耐えられるはずもなかった。

 タオーネは衝動的に倒れたドニのもとへ駆け戻り、その動かぬ体へ縋りついた。


「ああ、ドニ!」


 絶望と悲しみを取り繕うこともできず、タオーネは悲痛な叫びを漏らした。

 まだ幼さの残る頬に触れると、いつものような温かさがなく、着実に死に向かっていることを感じさせられる。

 この健気で懸命な少年を失くす。

 その耐え難い事実が受け入れられず、タオーネは抗うように両腕を伸ばした。

 そして、にわかに震える手でドニの顔を包む。

 すると、かすかな細い息が指先に触れた。

 まだ、生きている。

 それを確かめることになったタオーネがハッと何かに気付くような顔をした。

 盗賊の男はアウルベアでも即死だと言った。

 だが、ドニはその強力な毒を受けてなお、虫の息ではあるが生きている。


 絶望という暗闇に一筋の光が差し込んだようだった。

 まだ生きているのならば、そこに生きようと必死に抗う者がいるのならば、治療魔術師は諦めてはならない。

 かつて師に教わった信念とわずかな希望が、タオーネの体を動かした。


「まだ……息がある……!」

「そんな馬鹿な……!」


 信じられないと言った様子で呻く男の言葉も、もはやタオーネの耳には届かない。

 ぐったりと力の抜けたドニの体をできる限り動かさぬように抱えあげ、タオーネは立ち上がった。

 この一年でしっかり肥え、凄まじい勢いで成長を続けた肉体はかなり重たく感じたが、己に身体強化の魔術をかけてそれを誤魔化す。

 それから凍りついて動けない男たちを無視して、自身の治療院へ向かおうと脚を急がせる。

 急ぎ足のタオーネを追いかけるようにアーサーとヘンリーも走り出し、その腕に抱かれたドニを泣きそうな顔で見つめた。


「先生……ドニ、助かる?」


 ずっとドニを心配してオロオロと見守っていたヘンリーが、涙を含んで震える声で問うてくる。

 タオーネはそんな彼を安心させるように、そして自分に言い聞かせるようにしっかりと頷いてみせた。


「助けてみせます。とにかく今は急ぎましょう」


 腕の中でドニの体温が徐々に低くなっていくのを感じながら、タオーネは己に誓った。

 治療魔術師としての誇りとドニの保護者としての使命感、そしてほかの何者でもないタオーネ自身の偽りのない懸命な慈愛が、タオーネの心に強い決意の炎を宿らせる。

 この子を絶対に救ってみせる。

 今まで得てきたすべての知識、技術に懸けて必ず治してみせる。

 そんな気持ちで己を奮い立たせながら、タオーネはやはり目を覚ますことのないドニへ向かって小さく、だが力強く励ましの言葉をかけた。


「ドニ、頑張ってください……! 必ず助けます……!」


 その囁くような声はきっとドニの耳には届いていない。

 それでも、タオーネは何度も声をかけ続けた。

 何度も、何度も。

 それは自身が営む治療院へ辿りつくまで、途絶えることはなかった。


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