反撃しよう
高まる緊張。
じりじりと狭まる間合い。
鈍く光る刃が甦らせる、過去の記憶。
バトルアックスを握るドニの手に、じわりと汗が滲む。
それぞれが武器を手に、攻撃の引き金を窺っていた。
アーサーはいつでも思った方向へ動けるように剣を構えながらも、相手の動きから目を離さない。
後方では近距離戦には向いていない弓矢を握ったヘンリーが気配を殺し、ドニを挟んで敵を観察している。
しかし、ドニは恐怖に震える体を抑えるだけで手いっぱいだった。
まさしく勇猛というべき立派なバトルアックスを構えてはいるものの、その意識は盗賊の切っ先に奪われ、緊張で今にも倒れそうだ。
だが、友達を死なせるわけにはいかないと必死に自分の心に言い聞かせ、なんとか力が抜けそうな脚を踏ん張る。
緊迫した空気がピンと張りつめているように感じられる。
そんな中、先に動いたのは盗賊だった。
「オラァッ!!」
剣が振りかぶられ、横薙ぎに払われる。
ドニの体は硬直して動かない。
斬られる。
そう思ったドニの目の前にアーサーが盾になるように飛び出した。
刃と刃がぶつかりあう音。
アーサーの剣が盗賊の一撃からドニを守ったのだ。
しかし、初撃は防いだものの、力は圧倒的に盗賊が勝る。
ギリギリと着実にアーサーの剣が押し返される。
「おいおい、もっと楽しませてくれよなぁっとォ!」
楽しげに嘲笑った盗賊が剣を弾き、にわかにバランスを崩したアーサーの腹を蹴りつけた。
剣に意識を集中させていたために不意を突かれたことになったアーサーは自身の剣を落とし、後ろへ吹き飛んだ。
「うぐっ……!」
「アーサー!!」
吹き飛んだ勢いで生垣に突っ込んでいったアーサーの名を叫びながらも、ヘンリーが今まで標準を盗賊へ当てていた矢を放った。
ドニの真横を飛んだそれは真っ直ぐに盗賊へ向かっていく。
だが、盗賊は危なげなくその矢を剣で払い、叩き折った。
「おっと危ねぇ! だが、こんな小道具じゃつまらねぇ。おい、デカブツ! お前もちっとは相手になれやァ!!」
大声で怒鳴り散らす盗賊が剣を片手に襲い掛かってくる。
だがやはりドニの体は動かない。
生ぬるい血の感触と燃えるような痛みの記憶が足枷となって、ドニを地面に縛りつけていた。
ヘンリーがすかさず次の矢を放ったが、間に合わない。
盗賊の駆けた後ろを矢が飛んでいき、その向こうの家屋に突き刺さる。
惨忍な刃がドニの肩口へ振り下ろされる。
その切っ先が妙にゆっくりと向かってくるのを眺めながらも、ドニは今から襲ってくるだろう痛みを想像することくらいしかできない。
だが、その痛みは突如横から飛び出してきた金の影によって回避された。
アーサーだ。
彼はその金髪を生垣の葉や土で汚したまま、ふたたび盗賊の剣を瀬戸際で食い止めた。
目の前で止められた切っ先に、ドニのこめかみから汗が流れ落ちた。
またもや戦闘に戻ってきた少年に盗賊は獰猛に嗤った。
「いいねぇ……これだよこれ!」
獲物をただ体の大きい木偶の坊から、しぶとく食い下がる少年に移し変えた盗賊が、剣を引いてはまた振り下ろす。
力で完全に劣りながらもアーサーは刃を刃で受け、相手の隙を探った。
しばしの打ち合いによってアーサーの足の位置が半歩ずれた瞬間。
ヘンリーの矢がふたたび盗賊を襲った。
友達の髪を掠めたその矢じりは正確に盗賊の目を狙って飛ぶ。
だが盗賊はそれを間一髪のところで剣を弾き、体を屈めて交わした。
その隙をアーサーは見逃さなかった。
すぐさま反動で後ろへのけぞった体を引き戻し、低くなった盗賊の頭部へ叩き込む。
しかし、盗賊はその一撃を読んでいたらしく、間髪入れずに剣を盾にして防いだ。
「うおっとォ! へへ、やるじゃねぇか!!」
窮屈な姿勢でうまく力が込められないのか、アーサーの全力を込めた剣を盗賊は受け流せない。
そのまま盗賊を押し潰すように少年の剣の重みが増す。
刃が悲鳴を上げるような音をたてる。
このままでは絶対絶命である盗賊は、それでも目を細め、ニヤァと嫌な笑みを浮かべた。
「お前、いいなぁ……センスっつーもんがある。だが、実戦は訓練とは違うんだぜェ!」
ひと際大きく叫び、盗賊が動いた。
次の瞬間には、無防備なアーサーの足元が盗賊の脚によって払われる。
彼の軽い体が宙を舞い、倒れる。
「っ!?」
「貰ったァ!」
大きな隙を見せたアーサーの体に盗賊の刃が迫る。
ヘンリーが叫び、矢を番えるが位置が悪く、放てない。
ドニは目の前で友達に押し迫る剣を目に映し、濃い死の気配を嗅ぎ取った。
アーサーが死ぬ。
体を裂かれ、血飛沫をあげて、冷たく動かない肉の塊になる。
それを想像した瞬間、あれほど凍りついていたドニの体が勝手に動いた。
――――ッキィイイイン…………
硬いものに刃を打ちつけた音が響いた。
誰の血も、流れてはいない。
「ああ?」
思わぬ感触に盗賊が不満げな声をあげた。
その刃は咄嗟にアーサーを庇うように差し出されたドニの腕で、止められていた。
その腕は、斬れていない。
それどころか血も流さず、皮膚すらもとの形を保ったままだ。
友達を失う恐怖によって無意識に力のこもった腕が、剣を弾いていた。
「っチィ!何なんだよお前はよォ!!」
思わぬ展開に苛立ったように喚く盗賊を見ながら、ドニは思い出していた。
今まで自分に血を流させたのは、一振りの刃のみだということを。
手の中で割ってしまった器の破片も、パンを切り分けるためのナイフも、ドニを傷つけることはできなかった。
そうだ。
自分を傷つけるのはあの男の一撃のみ。
そのことを思い出して、ドニは目の前の盗賊を見た。
さっきまで似ていると感じていたのに、よく見てみると全然似ていないことに気付いた。
無精ひげを生やした顔は苛立ってはいるが、何処か安っぽい。
ふたたび振り下ろそうと掲げられたその剣も、ドニの記憶にあるものと比べればとんだなまくらだ。
その剣を振るう腕も随分と遅く感じられる。
見える。
今度は手に握ったバトルアックスで剣の軌道を阻む。
特注のその大斧は傷ひとつ受けることなく、盗賊の剣を弾いた。
ドニはもう一度、盗賊の男をまじまじと眺めてみる。
やはり、似ていない。
あの人はもっと絶望に染まった瞳ですべてを呪っていた。
あの刃はもっと研ぎ澄まされ、すべてを斬り裂いて血を求めていた。
あの斬撃はもっと鋭く、もっと速かった。
あの男は、目の前の盗賊なんかよりもずっとずっと怖かった。
ドニは力を込めてバトルアックスを薙いだ。
その勢いで盗賊が後方へ吹き飛ぶ。
体勢を整えたアーサーがふたたび剣を構える。
鈍い光を放つそれに少し胸がドキリと鳴るが、その剣は今までドニを守っていてくれた剣だ。
足手まといにしかならないドニを必死に守ってくれたアーサー。
非力ながら、この窮地を切り開く一撃を射ち込む機会を探ってくれたヘンリー。
ふたりとも、ドニの大切な友達だ。
今度はドニがふたりを助ける番だ。
この大きな体と異常な力でこの苦境を乗り越え、三人揃って家に帰るんだ。
そう決意し、ドニは力強くバトルアックスを握りしめた。
この戦斧はドニの怪力にもびくともしない。
タオーネから贈ってもらったその斧を握ると、此処にはいないあの魔術師も力になってくれているように感じた。
過去の恐怖は依然としてドニの心に居座っているが、さっきまでとは何かが違った。
記憶の中の男はやはり怖くて仕方ないけれど、彼に比べたら目の前の盗賊は怖くも何ともなかった。
身に染みついた恐怖が、現在の恐怖を越えたのだ。
それに、此処には友達もいる。
タオーネがくれた立派なバトルアックスもある。
ドニの体の震えはいつしか治まっていた。
「オラァアアアアアアア!!」
吹き飛ばされながらもうまく着地した盗賊が駆けてくる。
その手に掲げられた剣がドニを狙って振り下ろされる。
だが、やはり遅い。
ドニはその斬撃をバトルアックスで受け止め、押し返そうと力を込めた。
盗賊は脚を踏ん張り、それに耐える。
その隙にアーサーが横から斬りかかる。
盗賊は腰のあたりから大振りのナイフを引き抜き、その剣を受け止めた。
両腕が塞がった盗賊は子どもたちを睨みつけ、苛立ちを顕にしている。
それに怯むことなく、ドニがバトルアックスに体重をかける。
途端に盗賊の体がにわかに沈む。
その足は少しずつ着実に地面へめり込んでいた。
盗賊の剣が悲鳴をあげる。
アーサーが一旦剣を引き、ふたたび斬りかかる。
それを盗賊はナイフ一本でどうにか捌いていく。
だが、その表情からはどんどん余裕が消え失せ、焦りが生まれ始めていた。
ドニがさらに力を込めて盗賊の剣を押し返す。
すると、あまりの力にバランスを崩したのか、盗賊の体がわずかによろめいた。
その瞬間、ドニの後方から風を切る音をたてながら複数の矢が飛んできた。
その矢じりは小柄なヘンリーでも扱えるほどの小さく軽いものだったが、それは弧を描いて盗賊の頭上から降り注ぐ。
ふたりの子どもの攻撃を捌くことに必死になっていた盗賊が、それに気づいたときはもう遅い。
三本放たれたうちの二本は外れ、地面に突き刺さったが、最後の一本が盗賊の肩を抉り、深く刺さる。
「ぐっ……!」
「今だ!!」
痛みに思わず力が抜け、剣を落とす盗賊にアーサーが叫ぶ。
ドニのバトルアックスとアーサーの剣が同時に振り上げられる。
幾分か素早いアーサーの斬撃を盗賊がなんとかナイフで受け止める。
だが、剣を取り落とした半身ががら空きだ。
少し遅れてドニのバトルアックスが隙だらけの盗賊の半身に打ち込まれる……はずだった。
「…………あえ?」
突然、地面が眼前に広がり、ドニは間の抜けた声をあげた。
その声も舌がうまく動かせずに不明瞭なものになっている。
倒れている、と自覚して混乱しながらも咄嗟に起き上がろうとするが、体に力が入らない。
顔や手足が痺れ、首筋にチクチクとした痛みを感じることに気付く。
今まで手にしていたはずのバトルアックスが自分と同じように地面を転がっているのを目に映しながら、ドニは思考がぼんやりと霞がかってきたのを感じた。
「ドニ!?」
「ドニくん!!」
急に倒れ込んだドニにアーサーとヘンリーが名を叫び、そばに集まってくる。
彼らに何か言いたくても、舌が痺れて動かせない。
顔を歪ませた友達ふたりをただ眺めていると、ガサリと物音をたてて何処に隠れていたのか男がひとり現れた。
即座に動けないドニを庇うように剣を構えるアーサーを意に介することなく、男はバランスを崩して尻餅をついている盗賊を見てため息をついた。
「……やれやれ。戻ってこねぇと思ったら、こんな子どもに手こずってたのかよ」
どうやら新たに現れたこの男も盗賊の一味のようだった。
男は手に持っていた筒のようなものを懐へしまい、盗賊に手を貸して起き上がらせた。
足を地面から引っこ抜いた盗賊は肩に刺さった矢を引き抜き、忌々しそうにそれを叩き折る。
肩のあたりが血に染まっているが、致命傷にはなっていない。
「へっ助かったぜ。あのデカブツさえ倒しちまえばこっちのもんよ」
「早くしろよ。遊んでる暇はねぇんだ」
「わーってるよ」
軽口を叩くように言葉を交わし、男たちは子どもたちに向き直り、それぞれ武器を構えた。
だが、ドニの視界はもう随分とぼやけてきていて、もはや男たちの姿もよく見えない。
体の感覚がどんどん遠くなり、意識も緩やかに暗がりへ向かっていっている。
ついにまともに働かなくなった頭で、ふたりとも早く逃げないと危ないよと考えるが、やはり声は出ない。
友達の盾になろうと剣を手に立ち向かうアーサーの勇敢な後ろ姿と、ドニの顔を覗き込んでは何やら叫んでいるヘンリーの泣きそうな顔を目にしたのを最後に、ドニは意識を失った。




