違和感
「風刃」
魔力によって生み出された風の刃がいくつものオークやゴブリンの喉笛を切り裂く。
血飛沫が舞い、その濃い死の香りが、奥底に眠った獣性を呼び覚ましそうになる。
だが、今はその時ではない。
タオーネはすぐに昂ろうとする気持ちを抑え、淡々と小さな魔術で魔物に致命傷を負わせていく。
効果の高い上位魔術は、木が密集する森の中では禁物だ。
あくまでも初級呪文の威力を上げて、周囲に飛び火させずに敵を殲滅させる必要がある。
まだ本隊に辿りついていないのか、ランクが低く弱い魔物たちを一撃で沈めていくタオーネの姿に、派遣されてきたウォルトン領騎士団の誰かが呟いた。
「ほう、詠唱省略か!」
感心したようなその声に、タオーネは内心で苦笑いを浮かべた。
長ったらしい詠唱は面倒で好まないため、つい省略してしまうのだが、やはり物珍しいらしい。
同じくタオーネの魔術を目にしていた〈緋色の閃光〉の女魔術師も興奮したような声をあげた。
「詠唱省略した初級呪文でその威力はすごいことだわ! タオーネさんったら冒険者時代に昇級の申請をしなかったのね!」
その言葉にタオーネは微笑みを返すだけに留めた。
昔から階級に興味はなかったし、階級が上がるほど面倒ごとに巻き込まれることが多くなると考えて、昇級は必要最低限しかおこなわなかった。
だが、それも今や過去のことだ。
タオーネは必要以上に昔のことを語りたくはなかった。
そうしているうちにも徐々に魔物の数が増えていく。
まだ個々の実力はこちらが優っているものの、魔物も賢くなってきているのか、隙あらばひとりを狙って袋叩きにしようと企んでいるようだった。
今も剣士という役職柄、より前線で戦おうとする冒険者のリーダーが複数の魔物に囲まれつつあった。
持ち前の素早さを活かして敵の一撃を避けては斬り伏せていく彼の背後に、その伸縮自在の体を目いっぱいに引き伸ばしたポイズンスライムが迫る。
やつらの体に触れると毒に侵されてしまう。
厄介な敵を視界の端に捉えたタオーネは大地に魔力を流した。
「石壁」
呪文の名を呟くとともに堅強な石造りの壁がジェフリーの背後に現れ、ポイズンスライムの一撃を受け止める。
次の瞬間にはポイズンスライムの体にいくつもの亀裂が走り、爆破するように飛び散った。
愛剣にこびりついたポイズンスライムの残滓を払い、男が愛想よく笑う。
「っふー、助かったぜ! タオーネさん!」
「風魔法だけでなく土魔法の詠唱省略も可能なのか……四級っつーのはとんだ詐欺だな」
もうひとりの剣士の独り言のような呟きに、タオーネは聞こえないふりをした。
本来、魔術師には魔術の属性によって得意も不得意も出てくるのだ。
大抵はひとつの属性に特化し、それに準ずる魔術は詠唱省略も可能となるが、不得意な属性に関してはさっぱりという魔術師も珍しくない。
そんな中で、すでにふたつの属性の魔術の詠唱省略を披露しているタオーネは稀有な存在に映るらしい。
こういったふうにいちいち感心されてはやりにくくて仕方ないと内心でひとりごちて、タオーネのは自身の熱が冷めていくのを感じた。
やはり今後も面倒なことに巻き込まれないために、実力は多少隠したほうがいいと改めて考え、この場はどうにか誤魔化そうと決意する。
そのままタオーネは風魔法の初級呪文のみを使い、総がかりで増えていく魔物を倒し続けていると騎士のひとりが呟くように言った。
「しかし、できる限り森を傷つけるなというのは骨が折れるな」
「この森は村の生命線だからな。村を守っても森が無事でないなら暮らしていけないやつも多い。だからそこは頼むよ」
「ああ、任せとけ。任務には忠実でなけりゃな」
ニコラスに諭された騎士はそう言って、次の瞬間には獣臭いオークの体を斬りつけた。
それからは皆一様に木や大地を傷つけぬよう、慎重に力を加減しながらの戦闘を黙々とこなしていった。
村に被害が及ばぬように、魔物を殲滅しながら森の奥へ進んでいく。
少数精鋭の勇士たちが通った後には多量の魔物の亡骸が重ねられているのにも関わらず、先に進むほど魔物の数が増えているようだった。
ぼちぼち上位種であるホブゴブリンやオークリーダーといった魔物も見かけるようになってきたが、この程度ならばまだまだ強敵とは言えない。
危なげなく着実にトドメを刺しながら、奥で待ち構えているだろう、この群れの指揮をとる最上位種を目指す。
そんな中、やや体が大きくより凶悪な姿をしたゴブリンソルジャーの首を風の刃で跳ね飛ばしたとき、タオーネは胸のあたりがざわりと蠢くのを感じた。
「……?」
「タオーネ先生? どうした?」
気難しげに首を傾げたタオーネを目にしたニコラスに声をかけられる。
しかし、直感のような嫌な気配を感じながらもその正体を掴めないタオーネはすぐに首を横へ振る。
「……いえ、何か胸騒ぎが」
「ふむ。まあ、こいつらはいわば先鋒だろうからな。これから上位種も増えてくるだろう。みんな! 気を弛めるなよ!」
ニコラスが改めて皆を鼓舞し、気合の入った返事が飛び交う。
戦士たちの士気が高まる中、タオーネは胸に蔓延る不吉な予感が強まるのを感じた。
虫の知らせともいうべきそれは、タオーネの長年の経験からするとそれなりに的中する。
だが、魔物が自分たちの目を逃れて村へ向かっている様子はない。
これから戦いが苛烈なものになるだろうが、それでも此処ですべての魔物を食い止めることさえできれば、特に心配はいらないとタオーネは考えていた。
今のところ心配するようなことは何も起きていない。
そう考え直して、タオーネは目の前の敵に集中しようとしたその時。
ガサリと音をたてて頭上から何かが降ってきた。
それまで気配を感じなかったそれに一瞬、警戒するものの、それは杞憂に終わった。
樹上から飛び降りてきたのは村の狩人トーマスだった。
正体が判明し、警戒を解いたが、彼はすぐさま険しい声音でこの場の指揮をとる騎士の名を呼んだ。
「ニコラス!」
そのただならぬ様子に、一瞬にしてその場に緊張が走る。
トーマスの声にやはり厳しい顔つきとなったニコラスが間髪入れずに状況を訊き返す。
「トーマス、どうした!」
「今、村から使いが! 村に盗賊が攻めてきたそうだ!」
「なっ……!?」
狩人からの報告に、その場の空気が唖然としたものに変わった。
予兆もなかった盗賊の出現は、ここにいる誰しもの心に疑問と混乱を与える。
ざわりと波打つ空気を察したのか、途端に魔物たちの攻撃が激しくなる。
慌ててそれぞれが対応し、突然の襲撃にも恐慌状態とならずに目の前の敵を倒していくのはさすがだった。
だが、盗賊襲来の衝撃は消え去らず、皆の意識を集めている。
タオーネは自身の胸騒ぎの正体を理解したと同時に、なぜ気付かなかったと己に歯痒い想いを抱いた。
「おい、どうする!? もう魔物の本隊がそこまできてるぞ!?」
魔物の血を浴びながらも、それを振り払う余裕がなくなってきたらしいジェフリーが頬にべったりと返り血をつけたまま叫んだ。
彼の言う通り、大群の本隊に近付いているためか、厄介な上位種が急激に数を増していた。
それもすでに村からはだいぶ離れてしまっている。
タオーネは瞬時に思考を巡らせた。
もっとも最適な答えが導かれていく。
そして、わずかな時間を費やして、誰よりも早く声をあげた。
「私が行きましょう。此処も足止めをしていくので、皆さんは後始末をお願い致します」
「いや、足止めってあんた、何するつもりなんだよ……!?」
その声には直接は答えず、小さく呟く。
いちいち説明している時間も惜しい。
「森が傷むのでこの策は避けたかったのですが……」
自身の魔力を大地に流し込み、自然の魔素を取り込んでいく。
そして脳内で導き出されたイメージをそのまま魔力を駆使して具現化する。
「氷床」
呟かれた呪文とともに、森の地表を強硬な氷の絨毯が覆いつくし、敵の足場を完全に奪う。
魔力で練り出された氷は味方の足元を避けて、タオーネの目の前に広がるすべての大地を凍りつかせた。
せっかくの新芽が傷んでしまうため、この技を使う予定はなかったのだが、緊急事態となってしまったのだから仕方ない。
おそらくこれですべての魔物の脚を奪えたはずだ。
近場にいる魔物が凍りついて動けなくなっていることを確認し、タオーネは呆然としている味方たちに構うことなく簡単に今後の策について話した。
「この氷の礎は一時間ほどで消えますので、それまでにすべての魔物にトドメを刺してください。策を講じられると厄介なので、最上位種は私が始末していきますね」
「始末ったって……此処から大将格のところに向かってたら間に合わねぇんじゃ……」
開いた口が塞がらないといった様子で元四級冒険者の実力を目の当たりにした一団の中では、かろうじてタオーネの言葉に反応することができたジェフリーが遠慮がちに呟いた。
その様子を見て、少々やりすぎたことに気がついたタオーネだったが、次の手を実行しようとしてあることに気付き、もう考えることが面倒になってきたため、この場は開き直ることに決めた。
周囲の反応にまで気を遣うのは時間がもったいない。
適当に口止めしておけばいいかと考え、タオーネは此処までともに戦った勇士たちに微笑みかけた。
「そういえばこの技に名をつけるのを忘れていましたが……皆さん、どうか此処で見たことは秘密にしておいてくださいね。それでは、行って参ります」
そう言ってもう一度、魔力を練り上げ、自身の周囲に風を生み出す。
柔らかな風で身を包み、それを上方へ巻き上げる。
すると、タオーネの軽いとは言えない体が、ふわりと浮いた。
それを目にした者たちが目を見開き、息を飲む音が響く。
だが、タオーネは気にすることなく、ふたたび微笑むと、次の瞬間には鷹のように空へ舞っていた。
森を見渡せるほどの高さまで上昇し、鋭い瞳で様子を探る。
そして、そう長くはない時間を消費して得た情報に、つい眉を顰めてひとりごちる。
「おかしい……思っていたよりも上位種の数が少ない……」
いくら森が豊かで木が生い茂っているといっても、特に力の強い魔物は上空から眺めていても目立つ。
そうやって確認してみると、この大群が異様な形態をとっていることがよくわかった。
群れの規模に対して、指揮をとる大将の役割を担う最上位種が存在しないのだ。
本来はその下に従っている上位種――せいぜいゴブリンジェネラルやオークジェネラルといった程度のもの――は何匹か確認できるのだが、それだけだ。
それはこの巨大な軍勢を率いることを考えると、まさに異様だ。
様々な種の魔物が入り混じってはいるが、これまで戦ってきて感じた通り、この群れの基礎はゴブリンとオークである。
観察した結果、異なるふたつの種による、いくつかの群れが統合されてここまでの規模となったと考えられる。
そのため、それらを統治するゴブリンキングやオークロードといった最上位種が存在すると踏んでいたのだが……。
タオーネがいくら凍りついた大群の中を探しても、見つかるのは規模に対して妙に少ない数のゴブリンジェネラルやオークジェネラルだけだった。
やつらだけではたとえ協力しあったとしても、この大群を捌ききれるはずがない。
では、こいつらはどうやって此処まで攻め込んできたというのか。
どうやって誰にも見つかることなく国境を越え、群れのすべてを真っ直ぐにこの森へ向かわせることができたのか。
これではまるで、人の知恵を借りたようではないか……。
そこまで考えたタオーネの頭の中で、盗賊襲来という新たな情報がこの違和感ある状況に組み合わさり、とある仮説を導き出す。
信じがたいがそうとしか思えない自身の憶測に、タオーネはギリッと拳を握り、己の未熟さを恥じた。
おそらくは魔物を操る術を持った者が盗賊の中にいるのだ。
そういえば、若い頃に魔物使いという者たちの話を少し耳にしたことがあった。
半ば御伽噺のような話だったとはいえ、なぜもっと早く思い出せなかったのか。
土壇場まで気付かなかった自身を責めながらも、タオーネはまず目の前のことを片さなければと思い直し、鬱憤を込めるようにして風の刃を作り出す。
「風刃」
もはや癖となった、省略されているとはいえ、そもそも必要のない詠唱を言葉に出すと同時に複数の特大の刃が放たれる。
配慮をなくしたその風の刃は逃げようもない魔物たちを切り裂き、血潮を撒き散らした。
タオーネはリーダー格の魔物たちが上体や頭を吹き飛ばされ、疑いなく絶命したことを確認し、すぐさま身を翻して足元に風の道を練り上げた。
バナーレ村に向かって伸ばされたその見えない道を飛ぶように駆け、タオーネは思わず願う。
「ドニ……どうかご無事で……!」
村に残してきた少年の無事を祈り、魔術師は夢中で駆け続けた。
そんなタオーネの様子を地上から呆然と見上げていた、残された者たちが誰ともなく呟く。
「詠唱破棄……」
「あんな魔術、見たことないわ……」
「あの人は一体、何者なんだ……」
その驚愕と畏敬が込められた呟きは、タオーネの耳には届かずに、森の中へ消えていった。




