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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
21/58

助けにいこう

 避難所である地下室は寒かった。

 もう春とはいえ、石造りのその部屋は夜になると冬のように冷え込む。

 集った者たちは持ち寄った毛布で体を包み、身を寄せ合ってお互いを暖めあった。

 ドニもヘンリーの祖母と妹を中心にするようにしながら、友達とくっついて眠れない夜を過ごした。

 タオーネは心配ないと頻りに言っていたが、やはりこの異常事態で心配しないほうが難しかった。

 だが、気丈にほかの子どもや年寄りを気遣うアーサーや時おり暢気な寝顔を見せるヘンリーを目にしているうちに、だんだんとドニの心に余裕ができてきていた。

 みんな不安なのはきっと一緒なのに、体の大きなドニだけがめそめそしているわけにはいかない。

 ドニは他人よりも幾分か高めの体温を活かすように、凍えてもとより悪い膝の痛みが強くなってしまったらしいヘンリーの祖母に近寄って彼女を暖めた。

 すると、老女に抱かれるようにして眠っていたサラの震えも少し治まったようだった。


 こうしてなんとか一夜を乗り越え、決戦当日の朝を迎えた。

 やはり今までになかった事態にみんな緊張しているらしく、あのお喋りなヘンリーさえも無口になっていた。

 誰が指図するわけでもなく静まり返っていた避難所だったが、しばらくすると幼いサラがぐずり始めた。

 どうやら人形を家に置いてきてしまったことに気付き、不安が頂点に達してしまったようだった。


「えーん、アミィがいないよぉ~」

「大丈夫だって。アミィは賢いから、ちゃんと何処かに隠れてるよ!」


 えぐえぐと泣きじゃくる妹を宥めようと、ヘンリーが兄らしくあの手この手で説得しようとしたが、緊急事態に張りつめていた緊張が決壊してしまったらしいサラは一向に泣き止まない。

 だんだんと大きくなる泣き声に焦ったヘンリーは少し考えてから、意を決して妹に言った。


「わかった。兄ちゃんがアミィを助けにいってやる」


 その決意に周囲で彼らを見守っていた者たちがぎょっとする。

 もうすぐ村の隣で戦いが始まるというのに、今さら避難所から出ていくなんて正気の沙汰ではない。

 おとなたちがどうにかヘンリーを説得しようとしたが、彼の意志は堅いようだった。

 同じく昨晩から避難しているお隣のシェリィがきつい調子で、そんなヘンリーに食って掛かる。


「あんた、自分が何言ってるかわかってるわけ? 今から此処を出るなんて馬鹿のすることよ」

「うん。でも、先生たちが言ってた時間まで多分まだ余裕あるし。それにこんなに大声で泣いてたら、外まで聞こえちゃうだろ。でも、ここまで我慢したサラにこれ以上、何か言うのは可哀想だからさ」


 妹には特段に甘いヘンリーが眉尻を下げてそう言うと、シェリィは睨むような目つきで彼を見据えた。

 だが、しばらくすると、小さなため息をついて呆れたような声をあげた。


「あんたって本当に馬鹿。大馬鹿よ」

「お前はこんなときにも口が悪いやつだなぁ」


 場違いなほど暢気にぼやくヘンリーにフンと鼻を鳴らし、シェリィはようやく引き下がった。

 やはり此処にいる誰しもと同じく驚愕していたアーサーも、無謀と思えるヘンリーの決意に何か言いたそうにしていたが、結局、口を開くことはなかった。

 それまで言葉を挟めずにいたヘンリーの祖母はオロオロと困りきった様子だったが、ようやく自分の孫に声をかけることが叶った。


「ヘンリー、お前、行くのかい。外は危ないって、みんな言ってるよ」

「大丈夫だよ、ばーちゃん。すぐ帰ってくるし、何かあったらそのへんの家とかに隠れるからさ。父ちゃんから気配の消し方とかも教わったし、心配いらないよ」


 心配して弱りきった顔をする祖母に優しい言葉をかけ、ヘンリーは立ち上がった。

 それから、念のために父親に作ってもらった弓矢を担ぎ、彼は顔を濡らした妹の頭をぐりぐりと撫でた。

 アーサーが出入り口に向かう彼に向かって、やっと口を開く。

 その顔はやはり心配そうだったが、親友の覚悟を否定するつもりはないようだった。

 彼はヘンリーの仕事を手伝うつもりで声をかけた。


「ヘンリー、俺も行こうか」

「お、おれも」

「大丈夫だって! みんなで行くと目立っちまうからな!」


 ドニも覚悟を決めて友達の手伝いをしようと名乗り出たが、ヘンリーは明るく笑ってそれを断った。

 確かに彼の言い分はもっともなことだったが、ドニもアーサーもやっぱり心配そうな顔を変えることはない。

 けれど、此処で止めても仕方ないことを悟っていたふたりは、ざわつく胸もそのままに友達を送り出すことにしたのだった。


「……気をつけて行けよ」

「おうよ! 俺がいない間、ばーちゃんとサラをよろしくな! ドニも頼むぞ!」

「う、うん」


 威勢よく肩を叩いてくるヘンリーに、その勢いでよろめきそうになりながらもドニは返事をした。

 ヘンリーはニカッと笑うと、出入り口の階段を駆け上っていった。

 小屋の床に紛れるような造りの扉がガチャンと閉まる音が響く。

 微かに聞こえる忙しない足音が遠のくと、部屋の中にはサラが鼻をすする音だけが残った。

 兄が行ってしまうのを呆然と見ていたサラに近付いて、シェリィが先ほどよりも幾分か和らいだ声で幼い女児をあやす。


「ほら、サラ。あんたの兄さんがアミィを迎えに行ったわ。だから泣かないで待ってなさい」

「ぐすっ……うん」


 まだ目に涙をたっぷりと溜めてはいるが、サラは健気に頷いた。

 きっと彼女にとって人形のアミィは目に見える不安のひとつでしかないのだ。

 此処にいる者はすべて、突然の凶報を受け、心の整理が終わらぬうちに不慣れな環境に閉じ込められている。

 おとなだって顔を青くしているのだから、幼いサラに耐えろというほうが酷だ。

 誰しもがふたたび静まり返った部屋の中で息を殺し、ただ平穏が戻ることを祈った。

 ドニも戦いに赴くタオーネたちと先ほど飛び出していったヘンリーの無事を祈る。

 そうやって重苦しい空気の中、一団となって耐え忍んでいると、外が徐々に騒がしくなってきた。

 まさか村の中に魔物が攻め込んできたのかと、皆が耳を澄まして目に見えない状況を探る。


 だが、事態はより深刻なものだった。

 外を警備していた男たちが声を張って村の危機を叫んだのが、この地下の部屋にも伝わってきた。


「敵襲だー!! 魔物じゃねぇ! 盗賊だー!!」


 遠くから叫んでいるのか、その声は小さくこもったように聞こえたが、確かに避難している者たちの耳にも届いた。

 張りつめていた空気が崩れ、途端にひどく騒めきたち、爆発的に恐怖が渦巻く。


「盗賊……!?」

「なんでまたこんなときに!」

「騎士団は何やってるんだい!!」


 恐慌状態となったおとなたちに釣られ、子どもたちもあちらこちらで泣き声をあげ始める。

 数名の気丈な女たちが声をかけ、泣き叫びそうになる子どもの口を塞いでその場を落ち着かせようと試みるが、この狭い部屋の中はすっかり混乱に飲み込まれていた。

 魔物の大群が迫っているというだけでも手一杯だったというのに、なぜ同じくして盗賊までがこの村を狙うのか。

 人々の心で拮抗していた何かが崩れ、それは大きな波となってこの場を支配していった。

 激しい喧騒に包まれる中、しばらくの間、身を硬くして固まっていたアーサーがハッと何かに気付いた顔で呟いた。


「ヘンリーが危ない……!」


 その言葉に盗賊と聞いて青くなっていたドニの顔がさらに青ざめ、血の気を失った白い顔になる。

 そうだ。

 ヘンリーは盗賊の襲来を知らないまま、家に戻っていってしまった。

 このままではあの小さな友達が危険な目に合うということを、ドニも瞬時に理解できた。

 思わず立ち上がると、すでにアーサーが壁に立てかけていた自身の剣をひったくるように引き寄せ、そのまま外へ飛び出そうとしているのが見えた。


「俺、ヘンリーに知らせてくる!」

「やめなさい! 外に出るのは許しませんよ!!」

「でも、行かなきゃいけない……!」

「アーサー!!」


 強い意志で友達を助けにいこうとするアーサーの前に、いつもは穏やかでまだ少女らしさも残る彼の母親が立ちふさがり、強く激しい叱責を飛ばした。

 だが、彼はそれに怯むことなく、真っ直ぐに母親の目を見抜き、静かにその覚悟を突き通す。


「母さん、行かせて。俺、ここで行かなかったら一生後悔する」


 ふたりの親子は視線を逸らすことなく見つめあう。

 ドニは息を飲んでその様子を見守った。

 アーサーの決意も母親の心配もヒシヒシと伝わってくる。

 だが、最後に折れたのは母のほうだった。

 彼女は自身の息子を強い眼差しで捉えたまま、ふっと息をついて許しの言葉を囁いた。


「……危ないと感じたら、まずは自分の身を守ることを考えなさい」

「! うん! ありがとう母さん! いってきます!」


 母に送り出され、アーサーが自分の少し長すぎる剣を背負い、急いで友達を助けるための準備をおこなう。

 すると、今にも倒れそうになっているヘンリーの祖母がよろめきながら近付いてきて、その枯れ木のような腕でアーサーに縋った。

 孫を見送ったばかりの老女はブルブルと震えて、後悔と恐怖の眼差しをアーサーへ向けた。


「アーサー坊ちゃん……ヘンリーは、ヘンリーはどうなってしまうんだい……?」

「おばあちゃん、大丈夫。すぐに連れ戻してくるからね。サラも何も心配いらないから、いい子にして待ってるんだよ」


 自分もこれから危険な状況に飛び込んでいくのにも関わらず、アーサーは優しい言葉を老女へかけ、そのそばでまた泣き出しそうになっているサラの頭を撫でて笑った。

 そしてすぐさま外へ飛び出そうとする彼を見て、ドニも慌てて壁に立てかけてあった自身のバトルアックスを手にとった。

 恐怖で今にも縮こまってしまいそうだったが、自分だけのうのうと此処でうずくまっている気にはなれなかった。

 もしかしたら激しい渦のようなこの騒動に興奮しているだけなのかもしれなかった。

 だが、友達を助けたいと思う気持ちは確かだった。

 ドニは出入り口に繋がる階段を飛ぶように駆け上がっていくアーサーを追いかけた。

 誰かが後ろで何か叫んでいたが、ドニの耳にはもう届かない。

 扉が閉められようとしているところをなんとか潜り抜け、外に飛び出すと、アーサーが驚いた顔をしてドニを凝視した。

 地下の避難所には届かない日の光に目が眩みそうになりながら、ドニは必死に彼へ自分の意思を告げた。


「あ、アーサー……おれも、いく……!」


 その言葉にアーサーは顔をくしゃりとさせて笑う。

 ドニは戻れと言われなかったことにホッと安堵して、すぐに気持ちを引き締めた。

 新品のバトルアックスを背負い、真剣な表情でアーサーに頷いてみせる。

 アーサーはそんなドニにやはり真っ直ぐな眼差しで頷き返し、「急ごう」とだけ言うと無駄口を叩く暇も惜しいというように走りだした。

 途中で村の中の警備を担当している男の誰かが「あっお前たち、何処に行く!?」と呼び止めてきたが、それにも応える暇はなく、ひたすらに駆け続ける。


「南のほうがうるさいから、北の橋を渡っていこう」


 こんな異常事態にもやはり何処か冷静なアーサーがわずかな情報を集め、状況を分析する。

 そう言われて耳を澄ましてみると、確かに村の南門のほうが騒がしい。

 きっと盗賊が迫ってきているのだろう。

 沈着そのものなアーサーの判断に感心しながら頷き、ふたりは村の北東にあるヘンリーの家を目指した。

 力のあるドニは重量のあるバトルアックスを背負っていても特に支障はないが、自身の体にやや見合わない長さの剣を担いだアーサーの脚はいつもよりも少し遅い。

 それでも自分よりも先行して走る彼の後ろを必死についていく。

 そして、村の中を流れる小川の北側に架けられた橋を走り抜け、そろそろヘンリーの家が見えてくる頃だと思ったその時。


 道の向こうから木の人形を片手に、必死な形相で疾走してくるヘンリーの姿が見えた。

 彼の少し後ろを見知らぬ男が剣を片手に追いかけている。

 その姿にドニが思わずビクリと体を跳ねさせて立ち止まってしまうと、アーサーも走るのをやめて背負っていた剣を鞘から抜いて構え、友達の名前を叫んだ。


「ヘンリー!」

「あ、アーサー!? ドニもいんのか!」


 こちらに気付いたヘンリーは驚いた顔をしながらもふたりのもとへ駆け寄り、即座に弓矢を構えた。

 すると、ヘンリーをしつこく追ってきた粗野な男がドニたちの武器を目にして立ち止まり、その血走った黄色い目をギョロリと動かした。

 ドニがバトルアックスを振るっても届かないほどの絶妙な距離だ。


「なんだ、餓鬼か」


 男は大柄なドニを見て一瞬怯んだようだったが、その体に見合わず幼い顔に馬鹿にしたような態度で嗤った。

 ドニはなんとかバトルアックスを握ったが、その男の身なりに嫌な既視感を覚え、手が震えてしまう。

 対して散々追いかけられたのか、息を弾ませているヘンリーは怯えを見せずに、弓に矢を番える手にギリリと力を込めて言った。


「あのおっさん、知らないやつがいると思って危ないぞって声をかけたらいきなり斬りかかってきたんだ」

「ヘンリー、あいつは多分、盗賊だ。さっき南門のほうで騒いでるのが聞こえた」

「マジかよ……なんでこんなときに……!!」


 やはり盗賊の襲来に気付いていなかったらしいヘンリーは舌打ちをして、いつもは無邪気にくるくると動くその眼を鋭く尖らせる。

 三人の間を緊張が走る。

 だが、盗賊はそんな子どもたちを鼻で嘲笑って一蹴すると、下卑た声音で話しかけてきた。


「おうおう。相談ごとは終わったかよ、坊ちゃんたち。まぁ逃がすつもりはねぇけどな。女は見つけたやつが好きにしていいって言われてるが、男の餓鬼か。剣の錆にはなってくれるかねぇ」


 そう言って盗賊が幅広く厚い刃の剣を構え、ベロリと舌を見せる。

 アーサーは鍛錬で何度も繰り返した型で剣を構えながら、けして男から目を離さぬように集中を高めている。

 ヘンリーの弓矢がさらに引き絞られ、ギリギリと音をたてる。

 しかし、ドニは自身に向けられた剣と男のみすぼらしい風体に体が凍りついてしまったようだった。


 記憶の奥底に染みついた恐怖が這い上がってくる。

 黒づくめの無精ひげの男。

 鈍く光り、血をすする凶悪な刃。

 もうドニを苦しめたそれらは消えたはずなのに、目の前の男が記憶の中の恐怖と重なっていく。

 そんなドニの様子に男がせせら笑う。


「そっちのデカいのはいい得物を持ってるが、脚が竦んでるぞ。ちっとは楽しませてくれよなぁ? せっかく柄にもない斥候役を引き受けたんだ。ちょっとくらい楽しまねぇと損ってもんだぜ」

「うるさい! この悪魔!! こんなときに村を狙うなんて卑怯だぞ!!」


 ハッハッと荒い息を吐くドニを庇うようにヘンリーが声を張り上げる。

 アーサーがさりげなくドニの前に半歩ほどにじり寄り、自分よりも大きな友達を守る陣形をとる。

 だが、どんなに大声を出したところで村の男たちは南門に集まっているらしく、周囲に人の気配はない。

 そのことをよく理解している盗賊は変わらずに嫌な笑みを顔に貼りつけたまま、三人を舐めるように見渡した。


「おいおい、悪党に卑怯っつーのは褒め言葉にしかならねぇよ。それに、何も俺たちはドブネズミみてぇに横から掻っ攫うだけが能じゃないんだぜ。獲物のためにゃ罠だって仕掛けられるのさ。お前らの村の騎士さんや魔術師の野郎も今ごろ苦戦してるだろうよ」

「どういうことだ」


 盗賊の言葉に、今まで黙って睨みつけていたアーサーが低く唸るように詰問した。

 村の内情をよく知っているかのような口ぶりをした盗賊は、すぐにベラベラと気分よくそれに答えた。


「なぁに、簡単なことだ。まず魔物を操って標的の情報を探らせる。こいつがけっこう大変なんだ。この村の魔術師やら猟師やらの鼻がやたらと利くもんで、何匹か無駄になっちまった。だが、情報さえ掴んじまえばこっちのもんよ。あとは頃合いを見て大群をけしかけりゃ、そっちに目を向けるしかなくなるってわけだ」


 つまり西の森に押し寄せようとしている魔物の大群は、盗賊団が操っているということなのか。

 それもバナーレ村を虎視眈々と狙い、長期に渡って探りを入れていたと言う。

 とてもじゃないが信じがたいその情報に、アーサーが奥歯をギリッと噛みしめる。

 信じがたいが、此処でこの盗賊がわざわざ嘘をつく必要性も感じないと判断した彼は、鋭い瞳に怒りの炎を燃やし、敵に吼えかかる。


「この外道……!」

「何を今さら。ホントはこういう手の内は隠しとくもんだが……まぁ関係ねぇな。俺の話を聞いちまったお前らを此処で殺しちまえばいいだけの話だもんなぁ?」


 盗賊が獰猛な笑みで剣の刃を舐め、手始めにどの子どもの血を浴びるか思案する。

 高まる緊迫感にさらに体をカタカタと震わせるドニを横目で見て、ヘンリーができる限り小さな声で囁いた。


「どうするアーサー……! あいつ、かなり足が速ぇぞ……!」


 彼の言う通り、この三人の中で一番走るのが速いヘンリーすらも振りきることができなかったこの男から逃げるのは、どう考えたって難しいとわかる。

 しかも、相手は略奪と殺戮に手慣れている盗賊。

 ドニの立派なバトルアックスを見て、相手が子どもだからといって無闇に間合いへ踏み込んでこない狡猾さも持ち合わせている。

 いくら鍛錬を積んできたといっても、実戦経験のない三人には分が悪すぎる。

 だが、騎士の子アーサーは冷静に状況を分析していた。

 彼は敵の耳に入らない程度の小さい声で盗賊から目を離さずに、ふたりの仲間に囁いた。


「ふたりとも、聞いて。今ここで逃げても、あいつはきっと追ってきて避難所の場所がバレちゃうと思う。そうなったらこの村はおしまいだ。盗賊がどれくらいの数かはわからないけど、父さんや先生が気付かないってことはないはずだ。だから、誰かがこっちにきてくれるまで俺たちで時間を稼ごう」


 彼の言っていることは、この状況下では一番適切な選択だと思えた。

 問題があるとすれば、ドニに彼が言うようなことを成し遂げる自信がまったくないことぐらいだった。

 凶悪な目つきの男と血を求める刃の姿によって、過去の鎖に囚われてしまったドニには体の震えを抑えることすらできない。

 その脳裏には痛みと怒号に支配された記憶が甦り、体中を縛りつける鎖となって今も色濃くドニを苦しめる。

 そんなドニと異なり、今も恐怖というものをほとんど見せていないヘンリーでも友達の案に対しては自信なさげな声をあげた。


「俺たちにそんなことができるのか……?」

「わからない。でもやらなきゃ。三人の力をあわせてなんとかしよう。ドニくん、父さんの話を覚えてる? 盾役の役目とかそういうの」


 急に話を振られ、ドニは恐怖に凍りつき、鈍くなっていく頭を精一杯に絞ってその記憶を割り出した。

 体格もよく、体力のあるドニには盾役が向いているとニコラスが頻りに言っていた。

 盾役の役割というのは敵の攻撃を一手に引き受け、仲間を守ることである。

 どんなに優れた攻撃手がいたとしても、敵の攻撃を受け流す者がいなければ敗北することも珍しくない。

 相手の注意を引きつけ、仲間が攻撃する機会をつくるのが盾役だ。

 もしかしたらアーサーはこの状況で自分にそういった機能を求めているのかもしれない。

 だが、そんな重要な働きをする盾役がドニに務まるだろうか?

 そんなドニの不安に答えるようにアーサーが話を続ける。

 盗賊が目を光らせて間合いを探っているのに合わせ、じりじりと後退するのも忘れない。


「無理にやれとは言えないけど、あれを参考にすれば足止めくらいはできると思うんだ。だから、ドニくんはあいつの攻撃を防ぐことだけ考えて。隙を見て俺とヘンリーでどうにかするから」


 頼もしいその言葉に、ドニは小さく頷いた。

 本当は脚が竦み、逆らおうとすることすらも難しいように思える。

 だが、立ち向かわなければドニだけではなく、アーサーとヘンリーも殺されてしまう。

 そんなことになるのは絶対に嫌だった。

 友達の存在がドニの心にほんの少しの勇気を灯しつつあった。


「よし、いこう!」


 ドニが頷いたのを気配で察したアーサーが、力強く幕開けを宣言した。

 それを合図にヘンリーがドニの後方へ跳ぶように下がり、ドニもバトルアックスを握る手に力を込めた。

 やっと動き始めた子どもたちを見て、盗賊が愉快そうに嗤い、舌を舐めずる。


「おっ作戦会議が終わったか。そうだよなぁ、抵抗もしないやつを斬ったって面白くも何ともないもんなぁ。せいぜい足掻いて楽しませてくれよ」

「うるさい! そうやって余裕ぶっていられるのも今のうちだぞ!!」


 ヘンリーが吠えるのを後ろに聞きながら、ドニは震えそうになる体を叱咤する。

 いつも助けてくれる魔術師がいない今、自分自身が抵抗しなければならない。

 だが、幸いなことにドニはひとりではなかった。

 勇ましく敵を見据えるアーサーの姿を視界に映し、激しく盗賊を罵りながらも意外なほど落ち着いているヘンリーの息遣いを背中に感じ、ドニも襲い掛かる恐怖と戦った。

 ふたりを死なせたくないという一心で、ドニは敵に立ち向かう覚悟を決めたのだった。



 こうして、もうひとつの戦いが幕を開けた。

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