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名づけ

 適当に入った服屋で適当に選んだシンプルだが生地の質がいい服を着て、目の前でもしょもしょと不器用そうにパンを食べている少年を視界に入れながら、タオーネは奴隷商から伝えられた情報を思い返していた。

 判明している範囲内で、売り物である奴隷のあらゆる情報をまとめて、購入した者に伝えているらしい。

 貴族相手に商売をしているだけあってしっかりしている。

 その情報によると少年の生まれた年は不明となっているが、おおよそ十ほどだと言う。

 奴隷商のテントではそんなに幼いのかと表情には出さずに内心だけで驚いたが、今でも少し信じがたい。

 歳の割には体が随分と大きいようだと、タオーネは村の子どもたちを思い浮かべて少年と比較し、考えた。

 この少年は人族だと思ったが、もしかしたら他種族との混血なのかもしれない。

 しかし、年端もいかないせいなのか伝えられた情報は少なく、彼の血筋については特に触れられなかった。

 それどころか前の飼い主のことすらもよくわかっていないようで、わかったのは歳と名前が不明なこと、身体は大きいが使役は不向きということくらいである。

 十ほどの子どもを働かせるほどタオーネも困っていないため、それは構わないが、元々は侍女を雇うつもりではあった。

 すっかり当初の考えとは異なってしまった状況だが、仕事のほうは何とかなるだろうとタオーネは考え、少年に視線を向ける。

 奴隷商での食欲不振は心労からくる胃の炎症が原因だと診断し、すぐに治療魔術で治したため、今は大きな身体を丸めるようにして何処か気まずそうな顔でパンを小さくちぎっては口に運んでいる。

 近くにある青豆のスープは手付かずのままだ。


「豆は苦手ですか」


 そう聞くと少年は困ったように目を泳がせ、躊躇するような仕草を見せてから横に首を振った。

 もしやと思い、少年のそばにあった匙を手渡すと、幼児のように拳で匙の柄を握り締め、タオーネとスープ皿を何度か交互に見てからそろそろと匙をスープへ突っ込んだ。

 豆がうまくすくえずにポチャポチャとスープの中へ戻っていき、僅かに残った匙の上の豆も身体をさらに丸めて口を皿に近付けたにも関わらず、少年の口から逃げるように落ちていく。

 不器用にも程がある。

 前の飼い主は匙の使い方を教えてやらなかったのだろうか。


「こうやって食べても美味しいですよ」


 タオーネがほとんど手を付けていない自分のパンをちぎり、少年のスープ皿に浸して彼の口元に運んでやると、しばらく躊躇したものの匙をスープ皿の横に置いて素直に口を開いた。

 そのままパンを放り込んでやるともそもそと咀嚼し、次からはそれに倣い、ちぎったパンをスープに浸して食べ始めた。

 その様子を眺めながら教えることが多そうだと考え、遥か昔に独り立ちさせた弟子を思い出す。

 彼もなかなか教え甲斐があったが、今も元気だろうか。

 そんな懐かしいことを思い出しつつ、少年の栄養面を考えるとスープの具材も食べさせたほうがよいと判断してタオーネは自分の匙でスープをたっぷり吸った青豆をすくい、少年の口元に運んだ。

 すると少年は何故か頬にパンクズをつけたまま、年相応のきょとんとしたあどけない表情を見せる。


「これも食べましょう。青豆は身体にいいんですよ」


 タオーネの言葉に行動の意図を理解したらしく、再び口を開いて差し出された青豆を匙ごと含んだ。

 匙を引き抜いてやるとゆっくりと咀嚼を始めたので、タオーネも自分のスープを口にする。

 適当に選んだ店ではあるが、なかなか味はいい。

 二口、三口と食べ進めたところでやっと少年が青豆を飲み込んだような仕草を見せたのでまた青豆をすくってやると今度は素直に口を開いた。

 そんな調子で食事を進めながら先ほど考えていたことを思い返す。


 名前が不明というのはあまりにも不便だ。

 本人に訊こうと思っても、奴隷商のテントから今の今まで言葉どころか声すら少年は発していない。

 言葉は多少、理解しているし、発声器官自体に問題がある可能性も考えられる。

 村へ戻ったら詳しく検査をしてみたほうがいいかもしれない。

 そう思いつつも元の名前があったら何かしら反応が返ってくるだろうと考え、タオーネの中でとりあえず名前を訊いてみることにした。

 そこでようやく自己紹介すらまだであったことに気付き、内心で苦笑する。

 まずは自己紹介だ。


「自己紹介がまだでしたが、私の名前はタオーネです。この街の西門から馬車で三日ほどのところにあるバナーレ村で治療院をやってます」


 少年と目が合うのを待ってからできるかぎり簡単な言葉を選ぶとなんだか神妙な顔をされた。

 理解してくれたのかいまいちわからない反応だが、とりあえず続けることにする。


「あなたにはひとまず私の家で一緒に暮らしてもらいます。そうなると、名前がないと何かと不便なのですが……普段はなんて呼ばれていたのですか?」


 微笑みながら出来る限り優しく問うと少年が困ったように眉尻を下げ、おどおどと上目遣いでタオーネを見たり、その周辺に目を泳がせた。

 もしかして元より名前がないのだろうか。

 それ以前に言葉を理解できなかったのかもしれない。

 どうしたものかと考えていると少年の顔が恐る恐るながらも意を決したような表情になった。


「……でく、のぼお……」


 それは消え入りそうなほど小さく、舌足らずで――久々に声を出したのであろう――掠れた声だった。

 なんだ喋れるじゃないかと内心で驚いていると、その言葉の意味を汲み取るのにやや時間がかかった。

 少年が不安そうに瞳を揺らしている。


「そう、呼ばれていたのですか?」


 やっとその言葉を理解して少年に念を押すように確認すると少年の顔が強張り、オロオロとタオーネの顔色を窺うような素振りを見せた。

 明らかにタオーネを怖れている様子に、タオーネは無意識に自らの顔をしかめていたことに気付く。

 慌てて謝り、少年を安心させるように微笑みながら応えを促すと少し間を開けてからこくりと頷いた。


 木偶の坊。

 そう呼ばれていたという少年は身体の大きさに反して幼く、酷く不器用だ。

 身体に見合った使役をさせるには無理があるだろう。

 しかし、それにしてもろくに名前もつけずに木偶の坊は酷すぎる。

 思わず溜め息を吐きそうになりそうなところを耐え、少年の口に青豆を含ませてやって誤魔化した。

 今は目の前の問題を片付けるのが先だ。


「それは名前にするにはあまりふさわしくありませんね。私が呼びやすい名前を考えてもいいですか?」


 平静を保ち、微笑みを浮かべたまま、ゆっくりとした口調で了承を求めると少年は目をパチパチと瞬かせた。

 意味がわからなかったのだろうか。

 そんな少年の反応にもう少し噛み砕いて説明しようかとも思ったが、それは杞憂に終わり、意味を理解したらしい少年がまた首だけでこくりと頷いた。

 当人からの了承も得て、タオーネは再び少年の口に青豆を運びながら考える。

 人族の多いこの地に暮らすのならば、やはり人族の流儀に沿ったほうがよいだろう。

 しかし、故郷である魔大陸を後にしてから長いといっても、タオーネにとって人族の名は慣れ親しんだものとは言いがたい。

 どうせしばらくは共に暮らすのだ。

 タオーネにも呼びやすいような名がいい。

 条件も決め、膨大な記憶を探っているとふと幼い頃に過ごした地でよく聞いた話を思い出す。

 何処にでもよくあるような英雄の物語だ。

 人族にして魔族の救世主となった男の名は、タオーネが求めている条件に合致しているように思った。

 それに人族や魔族だけでなく、古くから伝わる英雄の名を子どもに授けることは、どの種族においてもよくあると聞く。

 恐らくは人族の名前としてもおかしくはないだろう。

 そう結論付け、手に持っていた匙を置くと、少年も食べるのをやめてタオーネを見た。


「今日からあなたの名前はドニです」

「……ドニ」


 少年は告げられた名前を小さく復唱し、何か戸惑いながらも頷いてくれた。

 どうやら不満というわけでもなさそうである。

 その反応に安心しながら、スープ皿の中の残り少ない青豆をかき集めた。

 それを晴れてドニと名付けられた少年の口へ運んでから給仕をしている中年の女性に温めた牛の乳を頼む。

 食事を終えたら後は宿屋へ戻って眠るだけだ。

 家畜の乳を温めたものは安眠を促す。

 長らく心を削ってきただろうドニは勿論、タオーネも短くはあるが多少は旅の疲れがある。

 今晩はゆっくりと眠りたい。


「これを飲んだら宿屋に行きましょう。明日の昼には馬車でバナーレ村へ向かいます」


 給仕から牛の乳が入った椀をふたつ受け取り、片方を手渡すと、早速それに口をつけながらドニは真面目くさった顔でまた頷いたのであった。




※※※※※※※※※※




 宿屋に戻ってひとり部屋をふたり部屋に変更してほしいと宿屋の主に交渉したが、部屋に空きがないとのことで通常のふたり分の宿泊費からいくらか値引いてもらうという形でその場を収める。

 本来なら奴隷は奴隷価格というものがあるのだが、タオーネはドニを奴隷扱いしないことに決め、宿屋側にはそのことを伏せて交渉したのだ。

 そんなわけで昨夜と同じ部屋に戻り、タオーネはまず濡らした布で自分の身体を拭き――奴隷商のテントに備え付けられていた洗い場で洗ってはいたが――ドニの身体も簡単に拭いてやる。

 改めて確認すると傷痕や乱暴な治療痕に混じってまだ生々しい傷が残っている。

 秘かに眉を寄せながら然り気無く治療魔術を使うと幾分かマシになったが、ドニの脇腹に存在する――前の飼い主に刻まれたのだろう――奴隷であることを証明する焼き印は消えない。

 魔術や薬を使って薄くすることはできても、完全に消すことは難しいだろう。

 痛々しいその印に胸を詰まらせていると、手が止まったことを不思議に思ったのかドニが首を傾げていた。

 そんな感傷に浸りながらも眠る準備をしていると、ドニがおもむろに部屋の隅の床に寝転ぼうとしたため、慌てて止めてベッドで眠るように諭した。

 それでも困ったような仕草でふるふると首を横に振られたため、別々に眠りたいのなら私が床で眠るとタオーネが主張するとさらに困ったような様子を見せてから、しばらくして小さく共に眠ることに同意した。

 実際にふたりでベッドに潜り込んでみると窮屈ではあるが、眠れないこともないとわかったため、タオーネはそのまま蝋燭の灯りを消し、毛布を手繰り寄せてドニの肩にかけた。


「おやすみなさい、ドニ」


 就寝の挨拶をし、瞼を閉じるとじわじわと眠気が襲ってくる。

 しかし、冒険者の心得のあるタオーネは我が家のベッドでない限りは深く眠りにつくことはなく、隣りでもぞもぞと身動ぎしていたドニがやがて落ち着いて静かな寝息をたて始めたのを確認してから自らも浅い眠りについた。

 すると部屋は静寂に包まれ、時おり微かに遠くのほうから夜独特の喧騒が風に乗ってやってきたが、ふたりを邪魔することはなく、静かな時間が流れ始めたのであった。


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