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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
18/58

約束をしよう

 春がきた。

 凍てつくような夜が何度も過ぎ去り、春がきた。

 雪はすっかり溶けて消え、何処に隠れていたのか新しい緑が芽吹き始める。

 家の中で冬の厳しさをしのいでいた子どもたちも、我先にと駆け出していく。

 そんな気持ちが晴れ渡るような季節をドニは体いっぱいに感じていた。

 暖かな風に乗って、若い草木の香りが鼻をくすぐる。

 ぽつぽつと咲き始めた花々をまたひとつ見つけては喜んだ。

 春になったらお嫁にいくと言っていたお隣のベティは、馬車に乗ってやってきた青年に連れられて、バナーレ村から旅立っていった。

 ドニも彼女を見送ったが、新たに夫婦となったふたりは幸せそうに見えた。

 姉想いのシェリィは少しだけ涙ぐんでいたが、けっしてそれを認めようとはせず、気丈に姉の結婚を祝福していた。

 そんな生と別れの季節は、ドニの心をまっさらに洗濯していったようだった。


 この村にドニが暮らし始めてもうすぐ一年が経とうとしている。

 そのたった一年という時間は、ドニの人生において最も幸せな時のように思えた。

 ずっと怯えて暮らしていたことが嘘のようで、それはもうずっと過去のことのようだった。

 友達ができて、周囲のおとなから様々なことを学んだ。

 そして、タオーネという家族になりたいと思える人と出会えた。

 ドニは時々、この幸福な暮らしが夢の中の出来事のように思えて仕方なかった。

 目が覚めたら穏やかな日常は消え失せ、あの狭く湿った匂いのする暗い小部屋に戻っているに違いないと何度も考えた。

 だが、ドニは今もこうしてバナーレ村で生きている。

 その事実が嬉しくて、そしてなぜだか切なくて、その気持ちが収まるまでじっと耐えるのだ。




 風に揺れた若草が頬をくすぐる感覚に、ドニはパチリと目を開けた。

 日課の鍛錬が終わって、ヘンリーも巻き込んでアーサーと三人でじゃれあい、少しくたびれて誰ともなく草の上に転がったのだ。

 眠っている間に何処からか鐘の音が聴こえたよう気がしたので、もしかしたら春に訪れるという行商人がやってきているのかもしれない。

 そんなことをぼんやりと考えて自身の横に目を向けると、同じくうたた寝していたらしいアーサーが珍しく寝ぼけたように微笑んだ。

 その向こうではヘンリーが遠慮なく寝息をたてている。


「三人揃って寝ちゃったな」


 寝起きの少し掠れた声でアーサーが笑う。

 ドニもはっきりしない視界を拭うように目を擦り、友達へ微笑み返した。

 風はまだ冷たさを含んでいるが、太陽の光がぽかぽかと暖かい。


「こんな陽気だとつい眠くなるね。まだ明るいけど、今日はもう帰ろうか」


 そう言うとアーサーは起き上がって、隣でまだ暢気な寝顔を晒しているヘンリーの体を揺すった。

 ドニも彼に倣って体を起こすが、ヘンリーは変わらずに夢の世界にいるようだ。


「ほら、ヘンリー。こんなところで寝てるとまた風邪ひくぞ。昼寝の続きは家に帰ってからにしろよ」

「んあー飯ぃ?」

「お昼ご飯はもう食べただろ。ほら起きろって」


 寝ぼけていても食べ物のことから離れないのがヘンリーらしくて、ドニはクククと小さく笑った。

 それからアーサーとふたりがかりで、一向にぼんやりと眠りから覚めようとしない彼の体を強引に起こし、どうにかして立ち上がらせる。

 ふらふらとおぼつかないが、なんとか帰れそうだ。

 ドニとアーサーは苦笑しながら、別れを切り出した。


「じゃ、また明日ね」

「うん。また、明日」


 アーサーがヘンリーを引っ張っていくのを見送って、ドニも帰路についた。

 春らしい陽気が、本当に気持ちよかった。




※※※※※※※※※※




 家へ帰ると、同居人の魔術師が玄関先に立っていた。

 もうこんなにも暖かい陽気だというのに、年中変わらないローブ姿でいることが、今さらながらなんだかおかしかった。

 彼は自分の在り方をけして曲げようとしない。

 それが些細なことであっても彼は自分自身でいることを大切にしているようだった。


「あ、タオ……」


 タオーネの姿を見て声をかけようと近寄ったドニだったが、彼が難しい顔をしていることに気がついて、歩みを止めた。

 彼の視線の先、青白く筋張った彼自身の手には羊皮紙の立派な手紙が握られている。


「……タオ……?」


 今まで見たことないような、厳しい顔つきをしたタオーネに恐る恐る声をかける。

 もしかしたらよくない内容の手紙なのかもしれない。

 そんな心配がドニの頭を過ったが、彼はドニに気付くとすぐにいつもの柔らかな微笑みを浮かべた。


「ああ、ドニ。お帰りなさい。今日は早かったですね」


 穏やかそのものであるタオーネの様子にドニは曖昧に頷きながらも、その意識は彼が握る手紙へ注がれていた。

 この村の駐在騎士ニコラスが何度か仕事の手紙を書いているのを見たことがあったため、その存在は知っている。

 手紙というのは、遠くから知らせたいことを書いて知人に送るものだ。

 ドニはタオーネの過去も、バナーレ村の外の交友関係も、まったく知らない。

 自分の知らない者から送られてきた手紙は、ドニの心にもやもやとした気持ちを抱かせると同時に何か嫌な予感を芽生えさせた。

 急に襲ってきた不安にいてもたってもいられず、訊いてはいけないことかもしれないと思いつつも、手紙を指さし、タオーネに遠慮がちな疑問をぶつけた。


「……てがみ?」

「あー、ええ……昔の知り合いから、少し連絡がありまして」


 ドニからの質問に、タオーネは珍しく言葉を濁して誤魔化すような言い回しをした。

 そんな不審な彼の様子がドニの心配をより一層大きなものにする。

 やはりよくない内容の手紙なのだろうか。

 ドニの知らないタオーネの過去が、彼を連れ去ってしまうような、そんな漠然とした不安がドニの心に広がっていく。

 その手紙が前に話にあがった彼の昔の仲間という者からのものだとしたら、そしてそれが彼をその者のもとへ誘うような内容のものだとしたら。

 そんな考えが陽の光によって暖まっていたはずのドニの体を、じわりじわりと冷え込ませていった。

 ドニの気持ちを察したのか、はたまた手紙についてこれ以上は触れられたくなかったのか、タオーネはやや強引に話を切り替えた。


「それはそうと、台所にきてくださいますか。あなたに渡したいものがあるのです」


 その言葉に頷いて、ドニは家の台所に戻るために勝手口へまわった。

 もう手紙のことは聞き出せそうになさそうで、もやもやとした気持ちが胸に残ってしまった。

 浮かない顔のまま、勝手口から台所へ入る。

 すると、すぐにいつもの机の上に大きな銀色に光る何かが見えた。

 一瞬、それが何かわからずに確かめようと近寄ってみると、暗い気持ちが吹き飛ぶように心の片隅に追いやられ、ドニは思わず感嘆の声をあげた。


「わぁ……!」


 瞬く間にドニの心を独占したそれは、新品の斧のようだった。

 鍛錬でいつも使っている、木を伐るために造られた斧とは、似ているようで異なる形状をしている。

 普通の斧よりも遥かに大きく、片側でしか斬ることのできない斧と違い、これは双頭を模していて見目にも美しく感じられた。

 刃も厚く、並の人間では振るうことも難儀しそうなその斧を、ドニは知っていた。

 ニコラスが所有している数少ない書物のひとつである、武器や武具の図鑑で目にしたことがあった。

 確か、その武器の名は、バトルアックス。

 戦闘のためだけに造られた、戦うための大斧。

 絵で見たときには感じなかった、その雄大さにドニは圧倒された。


「……気に入っていただけましたか?」


 そっと後ろに控えていたタオーネに声をかけられ、ドニは頬を紅潮させて彼を見上げた。

 気に入ったも何も、こんな美しく立派な斧は初めて見た。

 キラキラと輝くドニの瞳を目にしたタオーネが閑やかな微笑を湛えて、ゆっくりと語り出す。


「あなたと暮らし始めて、もうそろそろ一年になりますね。本当は人族の慣習に則って、十歳のお祝いにお渡ししたかったのですが、こういったものは行商人の方に頼むしかないので遅くなってしまいました。受け取っていただけますか?」


 その言葉に驚いて、ドニは改めてタオーネの顔を見つめた。

 彼はこんな素晴らしいものを自分に授けるために用意したというのか。

 行商人に頼んだということは、秋の頃にマントや飴玉を買い与えてくれた際に頼んだことになる。

 つまり彼は何か月も前から、このドニのための贈り物を考えてくれていたのだ。

 素直な喜びと驚愕が混じりあうなか、気弱な自分が躊躇するのをドニは感じた。

 金銭の基準にはあまり詳しいとは言えないドニでも、このバトルアックスが高価なものであることがよくわかった。

 こんな価値あるものを自分なんかが貰ってしまっていいのだろうか。

 そんな心配が顔を覗かせ、口から滑り落ちていく。


「でも、こんな、すごいの……」

「いいのですよ。私がドニに渡したいと思ったのです。あなたが使うことを考えて、刃も研がずに斬れないまま、造っていただきました。まだこのバトルアックスを使うことはないでしょうが、あなたが大きくなったときのために、送らせてください」


 躊躇するドニの言葉を途中で遮って、タオーネはそう言った。

 胸がドキドキと高鳴る。

 掌がじわりと湿っているが、それを不快に思う暇もないまま、ドニは今の言葉を反芻した。

 タオーネがわざわざドニのためだけにこのバトルアックスを新しく造ってもらった。

 そして、ドニが大きくなったらそれを使うといいと言う。

 彼が言う大きくなったときには、自分は一体どうなっているのだろう。

 その頃もこうやってタオーネとともに暮らしているのだろうか。

 そう考えて、ドニの脳裏に先ほどの手紙のことが思い出された。

 一抹の不安が甦ったときには、ドニはすでにタオーネへ問いかけていた。


「……おれと、タオ、ずっと、いっしょ……?」


 全身がバクバクと波打っている。

 手足が震えそうになるのをグッと堪えて、ドニはタオーネを見上げた。

 思わず訊いてしまったが、もしも否定されてしまったらどうしよう。

 ドニを置いて昔の仲間のもとへ戻ると言われたら、ドニはきっと絶望して今度こそ暗闇の中をずっと彷徨うことになるかもしれない。

 緊張に全身を強張らせてタオーネの答えを待つ。

 すると、彼はドニの隣に寄り添うように立ち、優しく包むような眼差しでドニを見つめた。

 そして、やはり優しい、本当に優しい声音でドニの求める答えを言葉にしてくれる。


「……ええ。あなたが大きくなって、私から離れてもいいと思う日がくるまで、私はドニのそばにいますよ」


 ずっと求めていたその言葉が、ドニの心の奥にまで染み渡っていく。

 この言葉をずっと聞きたかった。

 そばにいることを赦される、その言葉を。

 うっすらとぼやける視界でタオーネが笑い、その暖かい声だけが耳に届けられる。


「私はこのバナーレ村を気に入っているので、できれば此処にずっと住んでいたいのですが……もしも、この村を離れなくてはいけない日がきたとしても、あなたが一人前になるまでは、此処で暮らしたいと思っています。そうしたら、一人前になったあなたとふたりで、何処へでも行けますね」


 ああ、とドニは胸の内で呟いた。

 彼は待っていてくれるのだ。

 ドニが大きくなって、自分の脚で何処へでも赴けられるようになるのを、待っていてくれるのだ。

 彼と暮らすだけではなく、彼の隣に並ぶことまでも赦してもらえている。

 その事実は一対の翼となって、ドニの心を軽やかに飛び立たせた。

 今なら何処にだって飛んでいけそうだと、確かな幸せをドニは感じていた。


「ドニ。あなたが巣立つその日まで、私はあなたを守り、あなたのそばにいます。これを、約束しましょう」


 肩にそっと乗せられた手にドニは何度も頷いた。

 今までタオーネから貰ったものは、何だってドニの宝物だった。

 毎日の食事も、暖かな衣服や寝床も、この立派なバトルアックスも、すべてが彼から貰ったかけがえのないものだった。

 だけれど、こんなに嬉しいことは、今までにあっただろうか。

 どんなに美味しいものも、綺麗なものも、そのひとつの約束には敵わない。


 ドニがずっと欲しがっていた安心できる巣を、その約束が与えてくれたのだ。


「……ありがとう」


 掠れて、涙を含んだその感謝の言葉は、本当に小さなものだったが、ドニは何度も心で囁いた。

 ありがとう。

 本当に、ありがとう。

 ドニの大きな瞳から、堪えきれなくなった雫がポロリと落ちた。

 それを優しくすくい上げ、タオーネの手がドニの髪を愛しげに梳く。

 ふたりはお互いに微笑みあい、何度も何度も心を交わした。

 その合間にタオーネがローブの下で例の手紙を握り潰したが、ドニは気付かずにただ今の幸福に身を浸し続けたのだった。


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