表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
17/58

お見舞いにいこう

 目を覚ますと、肌を刺すような寒気を感じた。

 体を丸めて暖をとろうとしても一向に冷え込んでいく。

 そこで思い切って起き上がり、少しは温さの残る布団の中で着替え、ドニは早足で暖炉に火が灯っているはずの台所へ急いだ。

 すると、やはり暖炉はすでに燃やされており、暖かい空気が身を包んだ。

 どちらかというと寒いくらいの気候を好むタオーネが窓際で本を読んでいる。

 まずは彼に朝の挨拶をしようと口を開いたが、ドニの瞳はタオーネのその向こう、窓の外に釘付けになってしまった。


 世界が白い。

 雪だ。


 夜中のうちに雪が積もって、辺りを真っ白く染め上げていたのだ。

 いくら世間知らずなドニであっても雪くらいはさすがに見たことはあるが、それにしても思わず感嘆してしまう景色がそこにはあった。


「ドニ、おはようございます。雪を見て喜ぶのはわかりますが、まずは朝食にしましょう。食べ終わったら、暖かい格好をして遊んでも構いませんから」


 やんわりとタオーネに注意され、ドニは恥ずかしさで頬を赤くした。

 それから彼に言われた通りに昨夜の余りの野菜煮込みとパンを食べながらも、何度もチラチラと外の様子を確かめてしまい、苦笑されてしまう。

 よその家では朝からこんなにしっかりと食べることは珍しいらしいが、タオーネはとにかく腹に隙間があれば何かしら食べさせようとする。

 本当は腹八分目がいいそうだが、ドニは成長期なのでたくさん食べてほしいということだった。


 やっと食べ終えてマントを羽織り、襟巻を首に巻くと、ドニはそろりと外に足を踏み出した。

 冬用の木靴の下で雪が固まるのがわかる。

 慎重にしゃがみこんで雪に手を伸ばす。

 人に比べて温かなドニの手から熱を奪った雪は、それでも体の芯が凍ってしまいそうなほどに冷たい。


「今年初めての雪はいかがですか」

「つめたい。すごい」


 変わらずに窓際に座って本を読みながらドニの様子を見守っていたタオーネの問いに率直な感想を返すと、やはり苦笑されてしまった。

 でもそれは嫌な笑い方ではないことを知っていたため、ドニは構わずに雪をすくっては両手で弄んだ。


「あまり触っていると、後で痒くなりますから、あまり手を冷やさないようにするのですよ」


 治療魔術師らしいタオーネの注意を聞いて素直に頷く。

 時々、雪から手を離して温めるように揉みながら、ドニは雪を使ったひとり遊びに興じた。

 そして雪に覆われた地面に足跡をつけたりして、体がポカポカとしてきた頃、道の向こうから誰かがやってくるのが見えた。

 目を凝らしてみると、金髪がキラリと光に反射し、それがアーサーだということがわかる。

 雪の上をうまく歩いてきた彼は相変わらず落ち着いた物言いで、ドニに挨拶した。


「ドニくん、おはよう」

「おはよう」


 ドニも手に握っていた雪を払いながら挨拶を返す。

 日課の鍛錬にしては迎えにくるのが早いなと考えていると、窓からタオーネが顔を覗かせた。


「おや、アーサーくん。随分とお早いですね」

「おはようございます、先生。今日は雪が積もってるから鍛錬はお休みだそうなので、それをドニくんに伝えにきました」

「わざわざありがとうございます」


 どうやら今日の鍛錬は中止らしい。

 確かに歩くのにも気を遣う雪の上を走ったりするのは至難の技だろう。

 休みが妥当なものだとわかり、それを伝えに来てくれたアーサーに感謝の眼差しを向ける。

 察しのいい友達はそれだけでドニの気持ちがわかったのか、ニコリと微笑み、話を続けた。


「あと、此処にくる途中、ヘンリーの家に寄ってみたんですけど、あいつ、風邪ひいたらしくて」

「それはいけませんね」


 アーサーの話とタオーネの不穏な相槌を耳にして、ドニは途端に不安になる。

 風邪をひいたことがないドニにはそれがどの程度のものなのかわからないが、病気であることは間違いないだろう。

 だが、それにしてはアーサーもタオーネもそれほど深刻ではなさそうだ。

 判断がつかないドニは黙ってふたりのやり取りに耳を傾ける。


「ついでだから風邪薬を先生から貰ってくるように頼まれたんです。薬の代金はあとで何か届けるって言ってました」

「わかりました。ヘンリーくんがどんな状態だったかわかりますか?」

「えっと、熱があるみたいです。あとはけっこうだるそうにしてました」

「ありがとうございます。少し待っていてくださいね」


 患者の様子を確認したタオーネは窓から引っ込み、仕事部屋へ向かっていった。

 おそらく薬を選びにいったのだろう。

 ドニは具合が悪いという友達のことが心配で、思い切ってアーサーに訊いてみることにした。


「あっあの、ヘンリー、だいじょうぶ……?」

「大丈夫だよ。きっとただの風邪さ。あいつ、暑がりだからどうせお腹でも出して寝てたんだよ」


 あまりにあっさりした返答に拍子抜けしながらも、ドニは安心して表情を和らげた。

 ヘンリーの容態は心配するほどのものではないらしい。

 ほっと安堵している合間に、タオーネが仕事部屋から戻ってきた。

 手には薬が入った小さな布製の袋が握られている。


「お待たせしました。とりあえず熱冷ましの薬をお渡しします。ほかの薬は私があとで診察しにいってから決めますとお伝えください」

「はい。わかりました」


 治療魔術師から薬を受け取って言伝も引き受けたアーサーが頷く。

 それから彼はドニのほうを向いて、ある提案を持ち掛けてきた。


「ドニくんも一緒に行く? お見舞いってことで。きっとあいつも喜ぶよ」


 その魅力的な提案に思わず頷きそうになりながらも、ドニは自身の保護者に視線を向けて、彼の意向を伺った。

 タオーネはそんなドニに苦笑してから、真面目な顔をつくって諭すように注意事項を言いつけていく。

 ドニは彼の言葉を一字一句たりとも聞き逃すまいと、やはり真面目にそれを聞いた。


「ヘンリーくんは具合が悪いのですから、あまり長い時間はお邪魔してはいけませんよ。お顔を見て、すぐに帰ってきてくださいね」

「うん」

「それから、雪は滑りやすいですから、足元によく気をつけるのですよ。いいですね」

「うん」


 きちんと言いつけを理解しながら頷くと、タオーネは一旦また家の中へ引っ込んで今度は食器棚の中から何かを取り出して戻ってきた。

 小ぶりな壺に入れられたそれはお使いによく使用する籠にしまわれ、ドニの手に渡った。

 見覚えのあるその壺の中身は少し前にタオーネがつくった梨のジャムだ。

 治療の報酬として大量に貰った梨が傷んでしまう前に、最後の砂糖で煮詰めたのだ。

 ドニはもうすでに何度か舐めさせてもらっていたが、梨のさっぱりとした風味を残しながらもしっかりとした甘みが感じられ、おいしかった。


「この梨のジャムはお見舞いに持っていってください。くれぐれも、長居しないように」

「うん」


 もう一度、念を押すように注意され、ドニは律儀に返事をした。

 長居しない。足元に気をつける。ジャムを渡す。

 この三つの事柄を頭に刻んで、ドニの準備は完了した。

 タオーネも最後まできちんと話を聞いたドニの頭を撫でて、やっと送り出すための言葉を口にした。


「それでは、いってらっしゃい」

「いって、きます」


 神妙な顔で挨拶を返し、ドニは木靴をきゅっきゅっと鳴らして友達とともに家を出発した。

 雪に足をとられるが、一歩一歩しっかりと踏みしめていけば転ばずに済みそうだ。

 そうやって歩いていって、振り返ったときに家が少し小さく見えるくらいになってから、アーサーが小さな声でクククと笑って言った。


「先生って心配性なんだね。なんかお母さんみたいだ」


 そう言われてドニは頭の中に会ったことのある母親たちの姿を思い浮かべてみる。

 たしかにアーサーの母もヘンリーの母もお隣のスーザンも、ああいった細やかな注意をよくしているように思われる。

 彼女たちと違ってひとり者の男性であるタオーネが母親のようだと言われると、なんだか面白くてドニも一緒になってちょっと笑った。

 それと同時になんだか嬉しいような気持ちがして、心が弾んだ。

 少し歩いていくと、前方に見覚えのある後ろ姿が見え、雪に足をとられているらしいその子に近付く。

 すると、お馴染みの長い赤毛の三つ編みが二本ぶら下がっていた。

 お隣のシェリィだ。

 彼女だと気付いたアーサーが声をかける。


「あれ。シェリィ」

「あら、朝から会うなんて奇遇ね」


 愛想のひとつもない顔でシェリィはふたりを見た。

 彼女はヘンリーには特に厳しい態度をとるが、アーサーに対してはそうでもないことをドニはつい最近になって気付いていた。

 きっと彼がおとなっぽい、落ち着いた性格であることが関係しているのだろう。

 確かにアーサーはヘンリーと違って思ったことをそのまま口に出すことはあまりない。

 子どもらしからぬ思慮深さのある彼はシェリィとの相性が悪くないようだった。

 だが、それでも無愛想に変わりない彼女は何も面白いことはないといったような顔で、会話を続けた。


「あんたたちもお見舞い?」

「うん。シェリィも?」

「うちのお父ちゃんがヘンリーの家に頼まれてた薪を届けに行ったら、ヘンリーが風邪ひいたらしいからお前はお見舞いに行けって言われちゃったのよ」


 そう言ってブスッとした顔をしているが、言葉ほど不機嫌そうには感じない。

 いつもヘンリーにきつい物言いをする彼女だが、彼のことが嫌いというわけではないらしい。

 そんなことを薄々感じていると、アーサーが極々自然にシェリィに誘いの言葉を投げかけた。


「それじゃあ、シェリィも一緒に行かない?」

「いいわよ。でも、あんたたちが先に歩いて。雪が積もってると歩きにくいから、あたしはあんたたちが踏み固めたところを通るわ」

「わかった。気をつけてついてきて」


 人によっては無礼だと怒られそうなシェリィの言葉にも、アーサーは当然のように頷いて歩き出した。

 ドニはそんな彼が妙に格好良く見えて、感心と尊敬の眼差しをその小さな背中に注いだ。

 シェリィも彼のそういう点を評価しているようで、満足げにドニへ言い聞かせてくる。


「アーサーはレディの扱いをよくわかってるわね。ドニも見習いなさいよ」


 素直にコクコクと頷いてアーサーの後ろに続くと、彼女も慎重にドニたちの後ろをついてくる。

 雪で足を滑らせないようにゆっくりと進んでいく。

 だが、すぐにシェリィの足どりが遅れ、距離が少し離れてしまった。

 立ち止まって振り向くと、彼女は苛立たしげに足元の雪と格闘していた。


「シェリィ、大丈夫?」

「靴が雪に埋もれて嫌になっちゃう! ドニ、手を貸してちょうだい。早く」

「は、はいっ」


 有無を言わせぬシェリィの命令に慌てて近寄ると、腕を組まれ、ドニはなされるがままそれに従う。

 いくつかの組み方を試してやっと納得がいったらしい。

 しっかりと腕をドニの肘あたりに絡ませて、シェリィは顎をしゃくった。


「これで少しはましだわ。行きましょう」


 その横暴さにさすがに苦笑いを浮かべつつ、アーサーはふたたび先に進み始めた。

 ドニも緊張しながら、自分を支えにするこの少女の歩調に合わせて不器用な動きで雪の上を歩く。

 そうしていると、彼女がドニの歩行の妨げにならないように気を遣っているのがなんとなくわかった。

 つまるところ、ドニは雪に足がとられた際のただの杖代わりなのだ。

 シェリィの歩みが遅れそうになったときに少し立ち止まって、彼女の足が雪から出しやすいように少し力を貸してやると礼こそ言われないものの、何度か小さく頷かれた。

 きっとそれで正解だということだろう。

 最初はこまめに振り返ってふたりの様子を確認していたアーサーも、うまくいってるふたりを見て安心したように道に降り積もった雪を踏み固める作業に専念し始める。


 そうやって三人で力を合わせて進んでいくと、いつの間にかヘンリーの家の前に辿りついていた。

 先行していたアーサーは、ドニたちが追いつくのを待ってから扉を叩いた。

 すると、扉はすぐに開かれ、中から素直そうな幼い少女が顔を覗かせた。

 ヘンリーの妹であるサラだ。

 サラは訪れた三人を見るや否や、顔をパァッと輝かせて笑った。


「あっアーサーお兄ちゃんが帰ってきた! それからシェリィお姉ちゃんとドニお兄ちゃんもいる!」

「ただいま、サラ」


 年上らしくアーサーがおさげに結ったその頭を撫でると、サラは嬉しそうにまた笑う。

 それから嬉しさを体いっぱいで表現したように奥の部屋へ駆け出した。


「えへへ。お兄ちゃーん! みんなお見舞いにきてくれたよ!」


 元気のいいサラに微笑みながらアーサーが開いた扉を押さえて、ドニとシェリィも家の中に入る。

 勝手知ったる他人の家といったように、そのままサラが駆けていった奥の部屋に進んでいく。

 部屋に入ると、両親は留守なのか、小さなベッドで何枚もの毛布に埋もれたヘンリーと、その枕元に置かれた椅子に腰かけた彼らの祖母がいた。


「お邪魔します」

「お、おじゃま、します」


 すっかり小さくなった背中を曲げて編み物をしている老女に礼儀正しく挨拶し、ヘンリーが横たわるベッドに近付く。

 古い毛布の中で顔を赤くしたヘンリーは、けだるげに目を開けると、へにゃっとした笑顔を浮かべて友人たちを歓迎した。


「おー……みんなきてくれたのかぁ」


 三人を出迎えたヘンリーの掠れた声にドニは少し動揺する。

 顔は真っ赤だし、喉はガラガラだし、厳重に毛布に包められている友達は見るからに具合悪そうだった。

 だが、アーサーはあくまで軽い調子でそんなヘンリーに声をかけた。


「ヘンリー、やっぱり苦しそうだな」

「雪、積もってんだろ……? 食べたかったな……」

「馬鹿ね。雪なんて食べたら余計に風邪ひくじゃない。あんたはどうせすぐ治るからどうでもいいけど、サラとおばあちゃんにうつさないでちょうだいよ」

「お前には俺への優しさがないのか……」


 覇気はないがいつも通りの食い意地が込められた言葉に、シェリィがやはりいつもと変わらぬきつい言葉を浴びせると、ヘンリーがふざけて嘆くようにぼやく。

 そんな三人のやり取りを聞いて、風邪はすぐに治る病なのだと改めて知り、ドニは秘かに安堵した。

 アーサーがヘンリーの祖母に手渡したタオーネの薬もあることだし、安心していいのだろう。

 老女はしわくちゃな顔で穏やかにニコニコと笑って子どもたちを見渡した。


「みんな、わざわざありがとうねぇ。ヘンリーにお見舞いにきてくれるような友達がいて、おばばは嬉しいよ」


 老女の口からお見舞いと出て、ドニはタオーネに梨のジャムを持たされていたことを思い出した。

 ジャムの入った小さな壺を籠から取り出して、おずおずと差し出す。


「あっあの、これ、おみまいの、ジャム、です」

「そうだった。私もお見舞いに林檎を持たされてたんだったわ」

「あらあら、ありがとうねぇ」


 子どもたちからお見舞いの品々を渡され、老女はさらにニコニコと笑う。

 枯れ木のような細腕はすぐにいっぱいになってしまった。

 それを見たアーサーがお見舞いされている張本人のヘンリーに向かって話す。


「俺も後で何か持ってくるよ。手ぶらで出てきちゃったから、一回、家に帰らないと」

「そうだぞ、アーサー……。病気で痛々しいヘンリーくんに、何か貢がないと……」


 ふざけて調子づいたようなことを言うヘンリーが、祖母に「これこれ」とたしなめられる。

 アーサーの苦笑いにも、シェリィの白い目にも、ヘンリーは悪びれない。

 熱でだるいのは本当なのだろうが、体調を崩しても冗談を忘れない友達に、ドニはちょっぴり呆れながらも尊敬にも似た気持ちを抱いた。

 彼の祖母は孫の友達が訪ねてきてくれたことが本当に嬉しいようで、ジャムの壺と真っ赤な林檎を腕に抱えて椅子から立ち上がった。


「せっかくだから、お見舞いの林檎を剥きましょうかねぇ。みんなも食べておゆき」

「ううん、おばあちゃん。あたしたち、もう帰るわ。病人がいるのに長居するのはよくないことだもの」


 老女の提案をシェリィがいつもよりも幾分か柔らかい声音で断った。

 彼女は年寄りと自分よりも小さな子どもには割かし優しいのだ。

 そんな彼女の思いやりが込められた言葉に、ヘンリーが不満げな声をあげる。


「えー……もう帰るのかよ……暇だから相手してくれよう……」

「馬鹿。そんなに暇なら寝るなりなんなりしてさっさと風邪を治しなさいよね。あんたが風邪ひいてるとサラも暇なんだから」


 つっけんどんな言い方だが、シェリィなりに労わりを込めているのだろう。

 ヘンリーも素直に頷いて、それ以上は口にしなかった。

 シェリィは自分とそんなに変わらない背丈になってしまっている老女のほうへ向き直ると、また優しげな声音で彼女に別れを切り出した。


「おばあちゃん、雪が積もってるからあまり外を出歩いちゃだめよ。転んだら大変だもの。サラも風邪ひかないようにしなさいね」

「はい、はい。シェリィちゃんは優しいねぇ」

「はーい!」


 シェリィの気遣いに満ちた言葉に、老女はやはり嬉しそうな笑顔で何度も頷き、サラも元気よく返事をする。

 そしてさっさと部屋から出ていくシェリィを追いかけるようにして、残された男ふたりも別れの挨拶を口にした。


「俺はまたくるよ。ヘンリーはちゃんと寝てろよ」

「あ、お、おじゃま、しました」


 ヘンリーに釘を刺したアーサーのあとにドニはどもりながらもなんとか挨拶して、部屋を後にした。

 それからヘンリーの家から出ると、やってくる際に通った道がまだ雪でキラキラと光っているのが目に入った。

 そんな様子を見たアーサーがこともなげに紳士らしくシェリィに申し出る。


「シェリィ、雪で危ないから家まで送ってくよ」

「別にいいわよ。あんた、家に戻ってまたくるんでしょ。そんなことしたら二度手間じゃない。ドニもいるし平気よ」


 突然、名前があがったドニはビクッと体を跳ねさせて、思わず彼女に視線を向けた。

 確かにアーサーの自宅はヘンリーの家を挟んでドニの家とは真逆の方向にあるため、此処で別れたほうが彼にとっては効率的だろう。

 だが、ドニはシェリィとふたりっきりで家まで戻ることに対して、強い不安を感じずにはいられなかった。

 はっきり言ってしまえば、彼女のことが怖いので、ほかに誰かがいないならばふたりになることを避けたいのだ。

 そんなドニの気持ちなんて察するつもりもないであろうシェリィは構わずに話を進めていく。


「どうせ帰る方向は一緒なんだし、いいでしょ? それとも男のくせにレディをひとりで帰らせるつもりなわけ?」


 もともと怖いシェリィに威圧的な態度で迫られ、ドニは慌てて何度も頷いた。

 彼女に言いつけられたら気の弱いドニが断れるわけがないのだ。

 シェリィはその返答につんと澄ましながらも、自身の思惑通りにことが運んだことに納得したような顔をした。


「そ。じゃあ行きましょ。アーサーもあの馬鹿から風邪をうつされないように気をつけなさい。じゃあね」


 あっさりとした別れを告げられたアーサーは苦笑いを浮かべて「シェリィたちも気をつけて。またね」と言うと、自身の自宅の方向へ歩いていく。

 それを見送りながらドニも、こうなっては仕方ないと覚悟を決めて行きと同じようにシェリィに自分の腕を差し出す。

 すると彼女は満足そうにほんの少しだけ口元を和らげて笑った。


「あんたも少しはレディの扱いがわかってきたんじゃない」


 褒められたような気がしてドニはどぎまぎとシェリィを見たが、彼女はもうすでにいつもと変わらぬ仏頂面だ。

 差し出した腕に彼女の細い腕がまわされるのを待って歩き始めると、すかさず先の言葉に関連する質問が飛んできた。


「タオーネ先生からはそういうことは教わったりしないの?」


 そういうことというのは彼女が言っていたレディの扱いというものだろうか。

 ドニはすぐに村にきてからの記憶を辿ったが、そういったことは特に教わっていないので素直に首を振る。


「ふぅん。まっ先生も奥手っぽいわよね。綺麗な顔してるのに浮ついた話ひとつないし。……こんな村で浮つくのも難しいか」


 言いたい放題のシェリィだが、ドニには意味がよく理解できない言葉が多く、黙ってそれを聞いた。

 それでもなんとなくタオーネが褒められているようでそうでもないことが察せられ、複雑な気分だ。

 もちろん彼女はドニの気持ちなんてまったく気にしせず、自分の好きに話を続けていく。


「でも、先生が新しいお手伝いさんを雇いに行くって街に出かけて、まさか男の子を連れてくるとは思わなかったわ。どうせならお嫁さんを連れて帰ってくればいいのにって話してたのに、あたしと同じくらいの年の子を連れてきてさ。最初はどうなることかと思ったけど、あんたと先生、案外うまくやってるわよね」


 彼女の話にじっと耳を傾けていたドニは、そこでふとある考えが頭に浮かんだ。

 シェリィはドニとタオーネがうまくやってるように見えると言う。

 そう言われると、どうしても彼女に訊いてみたいことが生まれてしまったのだ。

 ドニは思い切ってそれを訊いてみようかと思い、口を開いた。


「あの……」

「何?」

「あ……えっと……なんでも、ない……」


 とりあえず声を出してみたものの、それまで前を向いていたシェリィの鋭い眼差しがこちらに向けられ、ドニはしどろもどろになって言葉を濁そうとしてしまう。

 ほかの者ならばそれで話が終わってしまってもおかしくはないが、いまドニが相手にしているのはあのシェリィだった。

 彼女ははっきりしないドニの態度に眉を顰めると、それをしっかりとたしなめてきた。


「言いたいことははっきり言いなさい。そういうの、よくないわよ」

「う、うん」


 はっきりと遠慮なく指摘され、慣れないあしらいに戸惑いながら、ドニは頭の中で考えをまとめる。

 焦ってうまく言葉にすることが余計に難しいが、じっとドニの言葉を待っているシェリィの姿に思わずまとまりきらないままの質問が口から飛び出した。


「おれと、かぞくに、見える……?」

「それはあんたと先生がってこと?」

「う、うん」

「あんたは先生と家族に見られたいの?」


 拙いドニの言葉を正しく受け取ってくれた彼女は反対にドニへ質問を返してきた。

 その質問にドニはふたたび考え込む。

 少し前からタオーネと家族になりたいとずっと考えていた。

 だから家族というものを知っていて、ふたりがうまくやってると言ったシェリィに訊いてみたのだが、他人からそう見られたいのかと言われると何か少し違う気もする。

 だが、自分でも何が違うのかよくわからないし、タオーネが家族になってくれたらいいなぁとは思っているので、それをそのまま口にしていく。


「おれ、かぞく、いいなって、思う。シェリィの、かぞく、いいと、思った」

「ふぅん」


 真面目なドニの返答にも、シェリィはまるで興味がないように素振りを見せる。

 しかし、それは見せかけだけなのだということがすぐにわかった。

 シェリィはしばらく考えて何でもないといった調子でドニに質問の応えを返した。


「まあ、家族なんてわざわざ人にそう見えるか訊くもんじゃないと思うわよ。あんたが家族って思ってるならそれでいいんじゃない」


 彼女の返答にドニはハッとした。

 ドニが先ほど感じていた違和感はこれだったのだ。

 家族というのは自分たちの問題なのだから、周囲がその形を決めることはできないはずなのだ。

 そのことに深く納得しながらも、ドニの生まれついての性分である気弱さがすぐに顔を覗かせてくる。

 周囲が決めることではないとしても、だからといって自分が勝手にあの魔術師を家族だと思うのは、あまりにもおこがましいことだ。

 矛盾しているようだが、タオーネに出会うまで自分というものを認められずに生きてきたドニには、自身が家族でもいいと相手に思わせる自信も、自分だけで家族だと思い込むほどの図々しさもなかった。

 そういったことを自覚すると、なんだか八方塞がりになってしまったような気がして、無意識に眉尻が情けなく下がってしまう。


「そんなに気になるなら本人に訊いてみれば……って、先生に訊けるなら最初からあたしに訊かないか」


 そんなドニの憐れな顔を目にしたシェリィが思い切った提案をぶつけてこようとしたが、それはすぐに撤回された。

 彼女の言う通り、ドニには直接タオーネに自分たちの関係について訊く度胸も持ち合わせていなかった。

 自信か、図々しさか、度胸か。

 どれかひとつでもあったらきっとこんなに悩むことなんてなかっただろう。

 ドニはもはや常と化している自己嫌悪に陥りそうになったが、意外なことにその間にもシェリィは真剣な面持ちで解決の糸口を探っていたようだ。


「そしたら、遠回しであたしはそういうの好きじゃないけど、まずは相手に意識してもらえばいいんじゃないかしら。恋愛と一緒ね。相手をその気にさせればいいのよ」


 年齢の割りにませている彼女の言葉に、目から鱗が落ちるようだった。

 恋愛はさっぱりわからないが、つまりタオーネにドニを家族にしたいと思わせるということだろう。

 積極性が致命的に欠けているドニにとって、その考えは天からの啓示のように思えた。

 途端にドニにとって救世主となったシェリィは具体的な次の天啓を続けた。


「例えば、呼び方を変えてみるのもいいかもしれないわね。あんた、普段は先生のことをなんて呼んでるの?」


 救世主にそう問われて、ドニは目を泳がせた。

 実を言うと、ドニはあの魔術師のことを出会ってから一度たりとも呼んだことがなかった。

 何か用があれば察しのいいタオーネが先にドニの様子に気がつくし、今まで呼ぶ機会がなかったのだ。

 こちらも鋭い観察眼を持ったシェリィも、狼狽えるドニを見て、すぐに状況を理解したようだった。


「……呼んだことないの?」


 訝しげな眼に見上げられ、おずおずと頷く。

 すると、シェリィは呆れたような激しい調子で声をあげた。


「もうっ本っ当に仕方ないわね! こういうことは自分が動かないと変わらないのよ!」


 もっともなお叱りを受け、ドニはしょんぼりと身を縮めた。

 思い切りが足りなすぎるという己の欠点は、友達と遊んでいるうちに自覚したが、すぐに直すのはなかなか難しい。

 でも、そんな誰でもやっていることさえできていない自分が情けなくて、ドニの大きな体がどんどん小さくなっていくように感じた。

 シェリィはそんなドニを叱咤するように一度大きくため息をつくと、幼い子どもに言い聞かせるような口調に変わった。


「じゃあ、まずは名前で呼ぶことから始めないとじゃない。みんなみたいに先生はだめよ。先生は家族の呼び方じゃないわ」


 彼女の意見にそれもそうだなと思って遠慮がちに頷く。

 確かに先生というのは家族っぽくはなく、まるで患者か生徒だ。

 実際に勉強を教えてもらっているので教師と生徒の関係ではあるのだが、ドニが求めているのはそれではない。

 しかし、そのままタオーネと呼ぶのもなんとなく心配であった。

 どうしても舌足らずになってしまうドニにとって、タオーネという名前は発音が難しく、言い間違えてしまうかもしれない。

 そんな心配を察したわけではないだろうが、ちょうどいいところでシェリィがとてもいい提案を口にした。


「どうせなら愛称で呼んでみれば? タオーネって名前はこのへんじゃ珍しいし、愛称だったら少しは呼びやすいんじゃない?」

「あいしょう……」


 つまりはあだ名ということだろうか。

 これはドニにも覚えがある。

 ヘンリーが時々シェリィのことを姫さんと呼ぶことがあった。

 そのあだ名は彼女の澄ました態度からつけられたようだが、シェリィ本人は満更でもなさそうだったどころか、そう呼ぶヘンリーに対してもいつものような攻撃性を見せなかった。

 その光景を何度か目にしていたドニにもあだ名で呼ぶとなんとなく距離が近くなるように思えたし、何より呼びやすい名前ならば言い間違える心配もなくなる。

 あだ名で呼ぶという案は非常に優れた案に思えた。

 意外と面倒見のいい発案者は、それだけに留まらず、さらに細かい策を頼りないドニに提供してくれるらしかった。


「そうねぇ……安直すぎるけど、名前を縮めてタオとか? ……あまりセンスはよくないわね」

「タオ……」


 考案したシェリィ自身はあまり気に入らないようだったが、ドニはその呼び名がふさわしいように感じられた。

 名前からとったものだとすぐにわかるし、実際に呼んでみた際にタオーネも自身が呼ばれたのだと気付きやすいだろう。

 それに短く簡潔にまとめられたその名は言い間違えることがなさそうだ。

 自身の頭に刻みつけるように復唱するドニを見て、シェリィは彼女らしい傲然とした態度で鼻を鳴らした。


「あんたが気に入ったらそれでいいんじゃない? でもちゃんと本人の前で呼ばないと意味ないんだからね。わかった?」

「うん……おれ、がんばる」


 念を押すような彼女の言葉に、ドニは決意してうずうずと弾みそうになる心で応えた。

 まずはあだ名で呼んでみるというとっつきやすい課題は、小胆なドニにもどうにかできそうだった。

 そして、そんな解決の糸口を示してくれたシェリィに感謝と尊敬の念を込めて頷くと、彼女もチラリとドニを見て立ち止まった。

 いつの間にかシェリィの家の近くまで戻ってきていたのだった。


「まあ、頑張りなさいよ。送ってくれてありがと。ほかの女の子にもこうやって優しくするとモテるわよ。あんた、最近ちょっとがっしりしてきて少しは男らしくなってきたし、そういうのも大事にしなさい」

「うん」

「じゃあね。足元に気をつけて帰るのよ」


 珍しくドニのことを率直に褒め、おまけに気遣いの言葉もかけてシェリィは自身の自宅へ戻っていった。

 彼女が家の中に入るのを確認して、ドニも帰路につく。

 この短い時間のやり取りで、ドニは彼女のことがそんなに怖いとは思わなくなっていた。

 雪の上をザックザックと踏みしめて、木こりの家からそう離れていない自宅に辿りつくと、治療院として使っている仕事部屋と出入り口から、ちょうどタオーネが出てきていた。

 その手にはいつもの杖と薬が入った籠が下げられている。

 彼はすぐに帰ってきたドニに気付いて、穏やかな笑顔を見せた。


「ああ、ドニ。お帰りなさい。私も薬を煎じ終わったので、これからヘンリーくんのところへ、診察をしに行ってきます。台所で本でも読んで、待っていてください」


 タオーネからの言いつけにこくりと頷いて、そのまま彼を送り出そうとしたドニは先ほどのシェリィとのやり取りを思い返した。

 どんなに簡単なことでも思い切りが足りなすぎる自分は、意識しなければそれを達成することができないだろう。

 そう考えて、今まさに出かけようとしているタオーネを呼び止めようと、咄嗟に声を出した。


「あ……あの……」

「はい? どうかしましたか」


 すぐに立ち止まって振り向いてくれたタオーネが柔らかく聞き返してくる。

 その視線に言葉が詰まって、胸がドキドキと鳴る。

 それでも、此処で言わないときっとこれからも変わることなんてできないと自身を叱咤し、なけなしの勇気を振り絞って言葉を絞り出した。


「い……いって、らっしゃい……タオ……」


 消え入るような小さな声。

 だが、人族よりもよく音を拾える耳を持った魔族の魔術師には届いたようだった。

 彼は一瞬、その整った顔いっぱいに溢れかえるような喜びをのせて、笑った。


「いってきます。すぐに、帰ってきますね」


 何でもないような言葉に込められた、確かな喜びを聴きながら、ドニは彼を見送った。

 勇気を出して本当によかった。

 胸がわくわくとするような満足感に頬を染め、噛みしめるようにそう考えた。

 冬の厳しさなんて、何処かに去っていってしまったようだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ