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木偶の坊と魔術師が家族になったら  作者: 小峯ゆたた
第1章 バナーレ村
16/58

お使いにいこう②

 時おり冷たい風が吹き抜ける中、ドニはのんびりと木こりのジョゼフの家に向かって歩いていた。

 首には先ほどタオーネに買ってもらったばかりの毛糸の襟巻が巻かれている。

 濃い緑色の染料で染められたその襟巻は触ると少しチクチクとしたが、暖かかった。

 これでいくら風が吹いてもへっちゃらだ。

 一緒に買ってもらえたマントはもっと寒くなってきたら着るものらしい。

 だが、それを真夏でもローブを纏っているタオーネが説明してくれたことがおかしくて、笑いそうになってしまう。

 それがなくともタオーネが自分のことを気にかけてくれただけでドニは自然と笑顔になってしまうのだが。


 荷物をまとめてもらった籠の中を覗くと、お使いの砂糖が入った器と飴玉の容器が見える。

 そっと飴玉の容器の蓋を外してみると、やはりそこには綺麗な琥珀のような飴玉が入っている。

 それが自分のものだということが嬉しくて、こうやって何度も覗いているのだ。

 さっき数えたら飴玉は全部で七個だった。

 何度も数え直したから間違いない。

 タオーネはこのすべてを好きなときに食べてもいいと言ったが、すぐに食べてしまうのはもったいない気がした。

 むしろひとりで全部を食べてしまうのももったいない。

 こんなに甘くておいしいものならみんな喜んで食べてくれるはずだ。

 あとでヘンリーとアーサーにも分けてあげよう。

 それから仲間外れにしたら可哀想だから、ヘンリーの妹であるサラにもあげないと。


 そんなことを勘定しながら歩いていると、やがて木こりの家が見えてきた。

 この村では平均的な、広いとは言えないその家は夏の夜にヘンリーと一緒に光虫を見にいったとき、ドニが怖がった小屋の向かい側にある。

 夜はあんなに不気味にそびえ立っていたはずのその小屋は、昼間に見ると少しボロではあるがごく普通の小屋だ。

 なのでドニは日が明るいうちならこの辺りを歩いてまわっても平気なのだ。

 小屋を横目で見ながら木こりの家の前に立ち、開けるたびにギィギィと不満そうな音をたてる扉を何度か控えめに叩いた。

 するとすぐに家の中から物音が聞こえ、幾ばくもないうちに扉がやはりギィギィと不平を言いながら開く。


「はいはい。どちらさまだい……っとぉ、ドニじゃないか。今日はひとりかい?」


 出迎えてくれたのはジョゼフの妻であるスーザンだった。

 さっぱりとした性格の彼女は案外タオーネと相性がいいらしく、よくふたりで井戸端会議を開いているのを見かける。

 彼女は夫と並んでも見劣りしない大柄な体を揺らしてとにかくよく笑う。

 ヘンリーは怒らせるとシェリィよりも怖いと言っていたが、今のところドニは彼女に叱られたことはない。


「うちの人は留守だけど、うちの娘に何か用でもあるのかい? ベティは嫁入り前だから無理だけど、シェリィならいつでもデートに誘ってやっておくれ」


 そう言って明るく笑うスーザンの後ろから「お母ちゃん! 余計なこと言わないでよね!」と鋭い声が飛んできた。

 どうやらシェリィは家にいるらしい。

 ドニは頭の片隅でデートって何だろうとチラッと考えてから、慌てて首を横に振った。

 とにかくただでさえ怖いシェリィを怒らせるわけにはいかないのだ。


「あの、オノ、もらったから……お礼の、おさとう」


 おずおずと籠の中から砂糖の入った器を取り出して差し出す。

 舌足らずな言葉だったが、スーザンはちゃんと理解してくれたようで何やら慌てた顔をした。


「いやいや、あの斧は錆びてもう使えなかったもんだからお礼なんていいんだよ。どうせ捨てたも同然だったんだからね! それにあのオンボロ斧と砂糖じゃ釣り合いがとれないよ!」

「いいじゃない。くれるって言うんだから貰っておけば」

「馬鹿。世の中はなんでも相応じゃないといけないんだよ。砂糖なんて高級品じゃないか。使えないものを引き取ってもらった挙句にそんなものを貰うなんて恥だよ、恥。筋が通らないよ」


 スーザンは早口でまくしたて、また後ろから飛んできた娘の言葉に勇ましく反論した。

 その勢いに少し腰が引けながら、ドニはすっかり困ってしまって砂糖を手にしたまま、オロオロとその場に立ち尽くすほかなかった。

 そんなドニの様子に、威勢はいいが母親らしい気遣いのあるスーザンが気付き、慌ててふたたびドニと向き合った。


「ああ、ごめんよ。ドニを困らせちまったね。……そしたら、こうしようじゃないか。いま、この砂糖で甘いお茶を淹れて、あんたにも飲んでもらう。そんで今年の薪をいくつか色つけておけば、これでやっと対等に近くなるだろう?」


 その魅力的な提案にドニは少し考えてから頷いた。

 それで彼女が砂糖を受け取ってくれる気になるなら、ドニには何も言うことはない。

 薪については少しためらわれたが、自分では釣り合いというものがよくわからず、判断ができないのでそれは後でタオーネに任せたらいいかと考えたのだった。

 ドニが頷いたことを確認し、スーザンは歯を見せて笑うと、大きな体を少しずらしてドニが家の中に入りやすいように気を遣った。


「そんじゃ、お上がりよ。狭い家だけど少しゆっくりしていきな」


 飾り気はないが親しみのこもった言葉にもう一度こくんと頷いて、ドニは遠慮がちに木こり一家の家へ入った。

 すると、部屋の中央にどんと置かれた、武骨で大きな机を中心にしてふたりの姉妹が腰かけていた。

 妹のシェリィはチラリとドニのほうを見て、すぐに興味がないといった様子でつんと澄ました顔をする。

 そうすると少しきつめの顔立ちも相まって冷たい印象になるが、その顔の上にちょこんと乗っている鼻のあたりに散らばるそばかすがそれをほんの少し和らげていた。

 対して、そんな妹の奥に座った姉のベティは見るからに温和そうな顔に柔らかい笑みを浮かべて急な来客を歓迎していた。


「ドニくん、いらっしゃい」


 ヘンリー曰く、村でも美人と評判らしいベティに微笑みかけられ、ドニはもじもじしながら頷く。

 自分よりも少し背丈が小さくていつも穏やかな彼女に優しくされるのは、いつになっても気恥ずかしい。

 そうやって照れている間にも、彼女たちのたくましい母親がテキパキと指示を出していく。


「ベティ、あんた、お茶を淹れてくれるかい。私はちょっと行商を覗いてくるけど、すぐ帰るからドニの相手も頼むよ」

「うん、わかった。いってらっしゃい」


 もとから出かける予定だったらしい彼女は手にしていた籠を持ち直し、長女に指示するとドニに向かって「娘たちの話相手になってやっとくれ」とだけ言ってさっさと家から出て行ってしまった。

 スーザンのこの気兼ねのなさがタオーネとうまく付き合えている要素のひとつであったが、ドニはいまだに慣れることなく、目を瞬かせて半ば呆然と見送る。

 母親から来客の相手を任されたベティはやはり武骨な堅い椅子から立ち上がり、壁にかけてあったエプロンを身につけた。


「じゃあ、ドニくんは好きなところに座ってて。いまお茶を淹れてくるね」


 今度は台所に向かっていくベティを見送り、ドニはこの広い机の何処に座ろうか考えた。

 その結果、正面がちょうど姉妹の真ん中になる位置に腰かけることに決め、丈夫な椅子に腰を下ろして前を向くと、鋭い猫目がドニをじとりと捉えていた。

 アーサーとはまた違う空色の瞳は、長い三つ編みにしている赤毛と相まってなかなか見事なものであったが、今はただ怖い。

 狼狽して思わず身を捩ると、への字を描いた唇から低い声がねじり出された。


「……勘違いされるのも嫌だけど、デートじゃないってすぐに否定されるのも腹が立つわ」


 彼女の母親がデートと言った際に彼女が怒ったため、慌てて否定したことが裏目に出たようだ。

 でも、きっと肯定していたとしても気難しいシェリィは怒ったに違いない。

 理不尽でしかないのだが、ドニはそんなことも思わずに何と返事をすればいいのかわからず、オロオロしながらこれ以上シェリィの怒りに触れない道を考えた。

 だが、答えが出る前に台所から救いの声が投げ込まれてくる。


「シェリィ。あまりドニくんを困らせないの」

「はーい。わかってまーす」


 姉からの注意にわざと間延びさせた、気取った声音で返事をして、シェリィは肩肘をついてドニの顔を覗き込んだ。

 その瞳はまだ尖ってはいるものの怒りは感じられない。

 それでもいつも物言いの厳しい彼女はやはりきつく上から物を言うような調子で問いかけてくる。


「そもそもあんたって、デートがどういうものかわかってるわけ?」


 そう訊かれ、デートの意味を知らないドニは素直に首を横に振る。

 すると少女はその応えにふてぶてしい態度のまま、呆れたような声を上げた。


「しょうがないわねぇ。そんなんじゃお嫁さんを貰えないわよ」

「シェリィ」

「虐めてないわ。これは世間話よ」


 お茶を淹れたカップを運んできた姉に注意されるものの、シェリィは悪びれずに言葉を返す。

 世間話にしても、とにかく態度が怖すぎる。

 そんなことを口にするとさらに怒らせるだけということをドニは知っているため、言葉にはしないでただ神妙な顔をしてじっとしているしかないのだが。

 いつも素直に何でも言葉にする傾向があるヘンリーが火に油を注いでシェリィに食って掛かられているのを思い出しながら、湯気がたっているカップをベティから受け取る。

 気の優しい彼女は辛辣な妹の額を指で軽く弾いて、申し訳なさそうにドニを見た。


「もう。ドニくん、ごめんね。この子ったらちょっとませてるのよ」

「そんなことないわ。若いうちから将来のことを考えるのはいいことだって、タオーネ先生も言ってたもの」


 やはり姉の言葉に対してもしれっとしているシェリィだったが、それは確かにタオーネが言いそうなことであった。

 いつか将来のことで頭を悩ませていたアーサーにもそんなことを話していた記憶がある。

 シェリィもアーサーもヘンリーも、みんな大きくなったときのことを考えている。

 それに比べ、ドニはまず自分がおとなになるということですら、あまりピンとこない。

 そんな自分に若干の焦りを感じながらも、みんなすごいなと常々思うドニだった。

 だが、ベティはそう思わないようで、妹の発言にやや渋い顔を見せた。


「それにしても早すぎます。あなたはまだ十歳でしょう」

「だってあたしも早くお姉ちゃんみたいなお嫁さんになりたいんだもの」


 たしなめられてもシェリィは依然としてしゃあしゃあと言葉を返す。

 彼女は否定的な姉がそれ以上なにか言う前に、ドニを会話に巻き込んだ。


「うちのお姉ちゃんは雪が溶けて春がきたら、お嫁にいくのよ。結婚するの」


 結婚ならドニにもわかる。

 好きあった女の人と男の人が一緒に住むことだ。

 つまりお嫁さんというのは、結婚する女の人のことなのだろう。

 ベティが結婚することは人伝に聞いてなんとなく覚えていたドニであったが、お嫁さんという言葉の意味がわかってそのことをやっとはっきりと理解した。

 好きな人と一緒にいることはいいことだから、優しいベティがそうであることを知ってドニはなんだか嬉しかった。

そんなことを感じている間に、シェリィはその結婚する相手について話してくれる。


「相手の人はね、お兄ちゃんの仕事仲間なんだけど、とっても素敵な人なのよ。うちにわざわざ挨拶しにきたときに会ったけど、背はまあまあ高いし、なかなか気が利いて優しいし、けっこう格好いいし、あたしもああいう人と結婚したいわ」

「シェリィ、もう、恥ずかしいからやめてちょうだい」


 シェリィの説明にドニがふんふんと頷きながら聞いていると、真っ赤になったベティが顔を両手で隠してしまった。

 どうやら好きな人の話をされることは恥ずかしいらしい。

 その気持ちがドニにはいまいちよくわからないが、いつも落ち着いている彼女が狼狽えているのは珍しかった。

 だが、シェリィはそんな姉を意に介さず、平然としている。


「いいじゃない。事実なんだから。あんな人と結婚したらうまく暮らせると思うもの」

「確かに私にはもったいないくらい素敵な人だけど……結婚とか夫婦ってそんな簡単なことじゃないと思うわ」

「ふうん?」


 自らの結婚に対して否定的と捉えられるベティの返答に、片眉を上げてシェリィは疑問を顕にした。

 ドニも思わぬ彼女の考えにきょとんと目をパチクリさせた。

 好きな人と一緒に暮らすのはそんなに難しいことなのだろうか。

 思うように他人と話せないドニでさえ、タオーネとそれなりにうまく暮らせている。

 といっても、ドニとタオーネは男同士であるし、男女の好きとはまた違うのかもしれない。

 無意識にタオーネを好きな人に数えていることを自覚しないまま、ドニはベティの話の続きに耳を傾けた。


「だって、それまで違うところで生まれ育った他人が一緒に暮らすのよ。何かの拍子でぶつかることも、もちろんあるだろうし、お互いに歩み寄るのって本当に大変なことだわ。うちはお父さんもお母さんもよくぶつかって喧嘩をするけど、ふたりともすぐにケロッと平気になっちゃう質だからうまくいってるほうね」


 そこまで言うと、ベティは頬に片手を当てて何やら考え込んでしまった。

 ドニも彼女の意見を頭の中で反芻しながら、誰かと一緒に暮らすということについて考えてみる。

 自分がタオーネとぶつかることはまずないが、それはきっと彼の心が広いおかげなのだろう。

 実際に前の飼い主のもとにいたときは、ちょっとしたことですぐに暴力を振るわれていた。

 不機嫌なときには目が合っただけで気を失うまで殴られたこともあった。

 だが、タオーネは何度も失敗を繰り返しても根気よく待っていてくれる。

 いまだになんで自分を引き取ってくれたのかわからないが、彼はとにかく優しい。

 極端ではあるが、今までの人生でこの違いを経験してきたドニにはなんとなくベティの言っていることがわかるような気がした。


「家族になるって本当に大変。私にそんなことができるかしら」


 ふうとため息をついて、ベティは悩ましげな眼差しを机に向ける。

 彼女の不安を理解しながらも、ドニはどうしたらいいものかと視線を彷徨わせることしかできない。

 生まれてこのかた家族というものを知らないドニでもその難しさはわかったが、知らないことだからこそ解決する方法もわからないのだ。

 こんなときにタオーネがいたら何と応えるだろう。

 そんなことを考えながらひとりで焦っていると、それまで黙って姉の言うことを聞いていたシェリィが口を開いた。


「……お姉ちゃんはあたしの自慢のお姉ちゃんよ。あたしと違って優しくて美人で、お料理もお裁縫も得意だし、お掃除だって大好きな働き者なんだから」


 急に褒められたベティは顔を上げて、自身の妹を見た。

 その顔は突然のことに困惑しながらも、照れ臭さからか頬を赤く染めている。

 シェリィはそんな姉を眼差しがきつくなりすぎるほど真剣に見つめて、言葉を続けた。


「だから、もし、うまくいかなくてもそれはお姉ちゃんのせいじゃないわ。お姉ちゃんという完璧なレディとすらうまくいかない相手が悪いんだわ」


 ハッキリと端から相手の非を断定するその言葉に、ベティの目が僅かに見開かれる。

 さらにシェリィはフンッと鼻を鳴らし、いつもの高飛車な態度で過激なことを言う。


「それに、うまくいかなかったら帰ってくればいいのよ。あの人と家族になれなくても此処にもう家族がいるでしょ。だから、帰ってくるための馬車代のへそくりだけはちゃんと取っておくのよ。いい?」


 言っていることはかなり過激ではある。

 しかし、彼女の真剣な瞳には姉への心配や労わりをありありと見て取れた。

 シェリィはそれだけベティのことを想っているのだ。

 そんな妹をしばし静かに見つめ返して、ベティは優しく穏やかな、彼女らしい微笑みを浮かべた。


「……ふふ。私はこんなに優しい妹がいて、幸せね」

「別に優しくなんてないわよ」


 さっきまで散々ベティのことを褒めていたのに、自身が褒められることはこそばゆいらしく、シェリィはつんとした顔で強がる。

 ドニはそんな姉妹のやり取りを、羨ましい気持ちを抱きながら眺めていた。

 今まで家族というものを知らなかったドニであったが、実際に目の前で見ていると、それがとても尊くて美しいもののように思えた。

 自分にもこういった想いを交し合える人がいたら、どんなに幸せなことだろう。

 そう考えて、ふとタオーネの姿が脳裏に過った。


 結婚すると家族になるらしいが、シェリィは今この家に住んでいる者たちも家族だと言った。

 それは父であり、母であり、夫婦であり、娘であり、姉妹だ。

 ならば、ドニにとってタオーネは一体何だというのか。

 彼はドニを奴隷として扱うのを嫌がり、自身を主人だと思わぬよう何度も言い含められてきた。

 だから、少なくともふたりは飼い主と奴隷といった関係ではない。

 ともに同じ家に暮らし、同じものを食べ、同じ屋根の下で眠る。

 どちらかに危険が迫れば、もう片方が慌てて駆けつけようとする。

 そんな関係のふたりは家族と言えるのだろうか。

 だが、家族だと言葉にするのは、ドニにははばかられた。

 今まであまり考えてこなかったが、もしかしたらタオーネにもこれまでに家族と呼べるような者たちがいたのかもしれないのだ。

 それなのに、奴隷商で買われたに過ぎず、彼と暮らし始めてまだ一年も過ぎていない自分が家族だと言うのは、おこがましいような気がして躊躇われた。

 そんなことを考えながらボーっと目の前の姉妹を眺めていると、シェリィがギロリと睨みつけてきた。


「……何見てんのよ」


 その威嚇のような言葉に慌てて目を逸らすと、ベティが彼女をたしなめる。

 頭上で飛び交う姉妹のやり取りを聴きながらドニは、それでもやっぱり、タオーネが家族になってくれたらいいのになと考えてしまう。

 すっかり温くなってしまったお茶に口をつけると、じんわりとした甘みが口の中に広がった。




※※※※※※※※※※




 その後、ベティの嫁ぎ先である街の話を聞いたりしているうちに夕方となり、暗くなると危ないからと家へ帰らせられた。

 別れ際に思いついて、タオーネに買ってもらった飴玉を姉妹に分けると、ベティは嬉しそうにその場で口に放り込んでいた。

 シェリィも「ドニにしてはいい気遣いね」と口は悪いが比較的嬉しそうに飴を頬の中で転がしていたので、この行動は間違っていないと安心した。

 これで飴玉の残りは五粒となったが、アーサーとヘンリーに分けてもまだお釣りがくる。

 ドニは苦手だった引き算もなんとか指を使わずに計算できるようになっていた。

 それでもまだ間違えていないか不安なので、何度か繰り返して計算し直しているうちに家へ戻ってきていた。

 鍵がかけられていることのほうが少ない玄関から入って、靴の裏を置いてある雑巾で丁寧に拭いていると、物音を聞きつけたタオーネが仕事部屋から顔を出した。


「お帰りなさい。お使いは無事に終わったようですね」


 靴を拭きながら頷くと、タオーネは籠を受け取って「お疲れさまでした。そろそろ夕食にするので台所にきてくださいね」と言い残し、台所へ姿を消した。

 ドニは自分の靴が綺麗になったことを確認し、一旦自室へ戻る。

 それからベッドの上に、それまで首に巻いていた襟巻をできるだけ丁寧に畳んで置いておいた。

 ふと壁のほうを見ると、襟巻と一緒に買ってもらえたマントがかけられており、服をしまうための籠には真新しいシャツがピシッとしわなく畳まれて重ねてある。

 それを目にした途端、なんだか胸がいっぱいになって、そのまま台所へ向かった。

 台所に入ると、タオーネが鍋を前に味の具合を確かめていた。

 今日の夕食は半端な食材を片付けるためのシチューのようだ。

 タオーネが調味の最後に硬くなったパンを鍋へ割り入れている。

 その背中を何となしに眺めていると、木こりの家での情景が頭の中に蘇ってきた。


 暖かな家族の輪。

 そして、外から帰ってくると温かい食事を作りながら待っていてくれるタオーネ。

 そのふたつが一瞬、重なって見え、ドニは服の裾をギュッと握った。

 胸がいっぱいいっぱいになって、なんだか苦しくて、少しだけ何かが足りない気がした。


「……ドニ。どうかしましたか?」


 入り口から動く気配のないドニを心配したのか、タオーネが振り返って見つめ返してきた。

 彼はドニの様子が少しでもおかしいと思ったらすぐに気にかけてくれる。

 深い葡萄酒の底のような色合いの瞳がドニを映している。

 頭の中でまたタオーネと家族の情景が重なった。

 そして、衝動のままに口を開こうと思い、やめた。

 きっとうまく話せないだろうし、こんなことを言ったら彼を困らせるかもしれない。

 そう考えてドニは首を横に振った。

 タオーネは心配そうに何か訊こうと口を開いたが、そこからそういった言葉が出てくることはなく、少しの間をおいて「夕食にしますから、匙を出してもらえますか」とだけ声をかけられた。

 ドニはこくりと頷いて何事もなかったように食器棚に手を伸ばす。

 それを見たタオーネはまだ気がかりそうにしているが、手を休めるわけにはいかないというようにシチューを皿によそう。


 急に芽生えた家族への羨望はまだ強くドニの心に残ってはいた。

 だが、たとえ家族でなくとも、タオーネとの日常はすでにドニにとってかけがえのないものになっている。

 それで、十分だった。

 彼に何でも許してもらえるからといって、我儘を言うのはよくない。

 今あるこの生活を大切にすればいい。

 そんなことを考えながら、ドニは食卓に木の匙を並べていく。

 その間にも、食欲を刺激するシチューのいい匂いが湯気とともにドニの鼻まで運ばれてくる。

 途端にぐーっと鳴いた自分の腹の虫に、ドニは照れ臭そうに笑った。


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